鬼畜な上司と初仕事

第11話 果てのない引継作業

 この街には大きな通りがあった、何千人もの人々が行き交い、店先からは活気に溢れた声が聞こえてくる。


 この街には大きな公園があった、街の高台に作られた人々の憩いの場、幸せそうな家族や恋人達が笑顔を浮かべ歩いている。


 この街には様々な人々が暮らしていた、大きい人、小さい人、尻尾や角が生えた人、耳の長い人、青やピンクの肌の人がいる。


 まったく、とんだファンタジーだ。


 そして、この街はセントジュリアンと言う、王都の南に構える主要都市の一つ。ここには数万人が住んでいるそうだ。


 端正に整えられた石造りの街並み、区画された居住区と商業地区、外れにはスラムもある。そして街の中央には大きな河が流れているのが特徴的だ、いつも多数の船が浮かんでいる。


 村を出て一ヶ月弱、ようやく辿り着いたここは、私達が住んでいた村とは違う世界が広がっていた。初めて来た時は、私は人の多さに酔ってしまったくらいだ。


 けれども、ここで新しい生活が始まる。週末には幼馴染のオリビアと一緒に色々な所に出かけてみようと思っていた、騎士団でも休みの日くらいあるだろう。


 公園でデートをしてもいい、露店を眺めながら二人で食べ歩きをしても楽しいだろう。私だってデートが何かくらいは知っている。


 もちろん、お互いの年齢を考えれば健全なものだが。これから何か素敵なことが始まる予感がしていた。そう思っていた私が愚かだった。


 今日も薄暗い部屋の中、私に不釣り合いなほど大きい机の前で、私は一人座っていた。うずたかく積まれた書類の束が私を取り囲み、まるで牢獄の様にこの視界を遮っている。すると部屋の扉が開いた、声が聞こえる。


「ナットさん、最後の分をお持ちしました」


 やって来たのは団長秘書のマリアベルだ。彼女は自分の背丈より高く積んだ書類の束を軽々と持ち、私の隣まで歩いて来た。


 彼女の年齢は二十代前半くらいだろうか、スーツの様な服を着て、眼鏡をかけた理知的な女性だ。


「マリアベルさん、それで最後ですか?」

「過去10年の帳票も、これで最後ですね」


「食堂の食材費、鎧や剣の調達費、騎士団事務所に寮の修繕費にあれもこれも。これだけ計算を間違えるもの才能でしょうか。既に今期の予算は赤字ですよ」

「あらまぁ、それは大変ですね」


「前任者は何をしていたんでしょう?」

「さぁ、私も団長もここに来て半年ですが。火急の用件がありまして、この件には手を付けていませんでしたので」


 私はため息をついてから、彼女に書類を床に置くよううながした。ここ最近の私は、騎士団の帳票、つまり取引明細や入出庫の明細整理に追われているのだった。


 これらはどうにも計算が合わない。何故か所々の取引がマイナスだ、けれども最終的な報告書では辻褄があっている。


 おまけに前任の経理責任者と調達責任者は不在、王都に研修に行っているそうだ。まったく、酷く度しがたい。


 私が再び書類をしかめっ面で睨んでいると、隣にいたマリアベルが声をかけてくる。


「私では役に立ちそうにありませんね、お茶でも淹れてきましょうか?」

「お願いします……」


 そう答えると、彼女は部屋を出て行った。


「今日も終わりそうにないな……」

『ソウデスネ。コレダケノ、ギゾウ。フセイカイケイ、デショウカ』


「厄介な仕事を押し付けられたな……」

『オリビアサント、イッショニ、イルタメデスカラ』


 私のカタツムリは書類の壁に器用に登り、こちらを見つめて話しかけてくる。そもそも、この状況に陥ったきっかけは、騎士団長との面談だった。


 セントジュリアンに着いて、私は真っ先に騎士団事務所の一番奥、大きな団長室に通された。そこで待っていたのが彼とマリアベルだ。貼り付けた様な笑顔を浮かべ、私を値踏みする様にひとしきり眺めると、団長は私にこう言った。


「初めまして、私はヴィクトリア王国軍第四席次、兼南部方面統括、兼セントジュリアン騎士団団長のジョセフだ」

「初めまして、ナットです」


「君が……まぁ、話は早いほうがいいだろう。最初に言っておくが、君は騎士になれない」

「それは、どうしてですか?」


「質問は三回まで認めよう、では最初の回答だ。騎士団は身体能力がものをいう、それは精霊の力によるが。君の精霊の力が強力でも、身体能力の向上については我々の基準を超えない、それが理由だ」


 ニヤリと笑って、彼は話を続ける。


「しかし、君の様な特殊な力を持った子供達を野放しにも出来ない。そこで我々は彼らを保護し、様々な仕事を与えている。シルバ達からも上申があった、君と君の愛しい幼馴染みを引き離すような事はしないさ」

「なるほど……ありがとうございます」


『フクミガアル、イイカタデスネ』


「補足しておこう。精霊というものは人に近ければ近いほど、秘めたる力は強くなる。信頼関係を築けば人の言葉で会話も出来る。君の幼馴染みの精霊の様に、人の姿で大人の容姿をしていれば優秀なのは明白だ……まぁ、君の精霊も素敵ではあるが」


「彼女は優秀ですよ?」

「そうかい、それは恐れ入ったな。それでだ、この騎士団は現在人手不足でね、君にお願いしたい仕事がある。一つ確認したいが、君は算術は得意かな?」


「多少は出来ますが」

「なら一つ試させてもらおう」


 彼はそう言って問題を出した。リンゴ、ミカン、バナナが入った籠が27個あり、果物の合計は247個。リンゴは一籠に5個、ミカンは8個、バナナは一房4本で4個入っていたと。バナナの本数はミカンの個数に対して2倍あった場合のリンゴの個数はいくつか。


 それは変数が三つの連立方程式、つまりは三元一次方程式だ。


「55個です」 

「正解だ。君は読み書きが出来るのかね?」


「文字を習ったことはないですが……」

「これは冗談みたいな話だな。マリアベル、細かい仕事の説明は君に任せるよ。それから彼が住む場所も用意してもらいたい。彼女は私の秘書でね、よろしく頼むよ」


 彼がそう言うと、隣の女性は頭を下げた。私もお辞儀を返しておく。さて、私の仕事内容も気になるが、続いて私から質問をした。


「次は私から一つお伺いしたい。オリビアの、騎士団の仕事とはどの様なものですか?」

「なるほど、やはり奥様の仕事内容は気になるのだね?」


「彼女と結婚している訳では。いえ、あれは婚約、ただ年齢が……」

「そうなのかい? 彼女の履歴書には君が夫だと記載してあったが。一応伝えておくと、騎士団内での恋愛は禁止だ。君は厳密には騎士ではないが、本来なら彼女との交際は認められない。それに優秀な騎士は、お偉方に見初められることもある」


「……」

「だが安心して欲しい。元々、恋人や夫婦だった者の仲を引き裂く事まではしないさ。もちろん、団長である私が認めた限りにおいてだが。どうかね、ここで働きたくなってきただろう?」


『ソウイウコトデスカ』


 彼の笑顔がより深くなる。心にも思っていないだろう言葉を、よくここまで流暢りゅうちょうに言えるものだ。まったく、プロジェクトマネージャーに似ている。あの人は予算を取ってくる事と人を説得する事に関しては天才だったか。


「そうですね」

「君もまだ若い、午前中は見習い騎士達と同じ訓練や授業を受けてもらおう。実際に君の奥様と一緒に経験した方が理解が早いだろう、身体能力の差も実感出来る。午後からは仕事になるがね」


「分かりました」

「いい返事だ。それから君の力も試させてもらおうか?」


 彼がそう言うと、部屋の空気が一気に冷え込む。その瞬間フレームレートが最大まで上がった、私のカタツムリの判断だ。


 床が一瞬で凍り付き、鋭い氷柱が私の眼前に迫る。避けるべきだろうか、威嚇のつもりか直撃はしない様だ。けれども私は目の前に力を込めて、砂鉄で小さな盾を作る。それは一秒にも満たない時間で、氷柱は盾と衝突して止まった。


 彼は私を見て、またニヤリと笑っていた。


「君、今ためらったね?」

「どうでしょうか、余裕はありませんでしたが。周囲の空気を冷却して氷柱を発生させる……いえ、冷却と同時に水を生み出して氷柱を創り出した。何か次の手があるかと思いまして」


「ははっ、今年の新人は粒揃いだと聞いていたが。まったく楽しくなりそうだ。その力の使い方は誰に習った?」

「いくつかの試行錯誤と独学によります。この力の使い方を正しく知っているだけですが。それでは最後の質問を、私の雇用条件をお伺いしたい」


「君はエルフの血でも混ざっているのかね? まぁ、いいだろう……」


 その後は事務的な話を一通りして、色々とあったが、今この状況に至るのだった。


 ふと窓の外を見ると月が浮かんでいる、今夜も遅くなりそうだ。オリビア達は騎士団の寮に住んでいるが、私は少し離れた一軒家に住んでいた。騎士達は外出も制限され、門限まであるのだ。そう簡単には彼女と一緒に居られない。


 気が抜けた瞬間、コンコンと扉がノックされた。これはマリアベルだろう。私は席から立ち上がり、扉の向こうに声をかける。


 そして部屋に入ってきたのは、見習い騎士の真っ白な制服に身を包んだ幼馴染みだった。男性も女性も同じ白いズボンに、襟と袖に飾りの付いた服を着ているが、オリビアの制服姿も中々に凜々しい。


「あっ、あのね。マリアベルさんにお願いされて。差し入れ持って来たよ」


 なるほど、あの団長も分かっている。その時の私は、素直にそう思ってしまった。

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