第10話 現状の考察と今後の課題

 オリビアの表情は少し不安げだった。そして時間が止まった様に、彼女はピクリとも動かない。


「デンデン、なぜフレームレートを上げた?」

『オリビアさんの真剣な告白です、きちんと考えて答えを出すべきかと。体感時間で六百秒は確保しました』


 私のカタツムリがささやく声は、網膜に緑色の文字を刻む。迷いなく打ち込まれる彼女の言葉、私は目で追ってから返事を返した。


「これは想定外だ……きちんと彼女に伝えたはずなのに」

『本気で仰ってますか? むしろ、それが今の状況に繋がっています。秘密の共有、無自覚でやっているなら恐ろしいですね』


「そんな馬鹿な」

『十分ですよ。あなたは思いの全てをさらけ出した。おまけに彼女を引き離しておいて、それでも優しく見守る様に接していた。これでは認知的不協和に陥ります』


「誤解させたのか?」

『誤解も何も、元々あなたは彼女にとって特別な人ですよ。好意の返報性、あなたの思いに応えなくては、そう強く想ったのでしょう』


「それがこの結果だと……」

『成長期の身体と心の変化、訳の分からない力を宿してしまった不安定な自分、助けてくれたのは幼馴染のあなたです。付け加えると、少女の秘密を暴露するほど、私の心は地に落ちていませんので』


「……」

『しかし、一足先に大人になってしまった幼馴染、今のままでは釣り合わない。彼女はあなたの言葉を信じたからこそ、幼い自分と向き合い、身体を鍛え、騎士にだって立ち向かった。あなたに追いつくためにです。残り三百秒』


 矢継ぎ早に並べ立てられる彼女の言葉、私はそれを目で追うのに必死だった。


「でも、私は以前の僕じゃない」

『胸の鼓動を聞きなさい。あなたは既に私の知っていた彼でもない。彼女と過ごした人生は、そんなに意味のないものでしたか? 私ですら以前の私でもない、ロジックが破綻しています。そうでなければ、あなたと誰かの恋を応援なんてしませんよ』


「そう言われると頭が痛いな……」

『カッコつけて、真っ向勝負なんか挑むからです。以前の彼なら冴えた対応をしました、常に冷静でしたからね。彼女の勇姿を見て、誰の心に火がつきましたか? それは何ですか? 残り百秒です』


「本当に私でいいのか……」

『私の観測において、今のあなたは、あなた以外の誰でもない。それに彼女が想いを寄せているのは、今のあなたです。さて、最後のタスクは終わっていません、彼女の表情を見れば分かるはず。よく考えてください、残り二十秒です』


 目の前でカウントダウンが始まった。一秒ずつ時間が減るごとに、緊張感が高まっていく。

 

 もう私は佐伯英二ではない、それは分かっている。彼は死んだのだ。なら今ここにいる私は誰なんだ。


 あぁ……。


 私は知っている。私の名前はナットだ、大好きな母が名付けくれた名前がある。そして私はオリビアの幼馴染、彼女に淡い恋心を抱いていた男の子。


 確かに過去の記憶も知識もある。けれども、佐伯英二には今の私の想いはない。そう自覚すると、ため息が出た。


 もう私は私なのか……。


 いつしかカウントダウンが消え、二人の間を夜風が吹き抜けていく。空を見上げると満天の星がキラキラと輝いていた。


 オリビアに視線を戻すと、やはり彼女は不安げな表情のまま。だが、私には彼女がキラキラと優しく輝いて見えていた。


「ありがとう、オリビア……待ってるよ、その時は一緒に踊ろう」

「うん!」


 そう答えると、私は素敵な笑顔のお返しをもらえたのだった。


『ゴコンヤク、オメデトウゴサイマス』


 そう冷やかすカタツムリのツノを、私は指でツンと触り、頭を引っ込めさせる。


 家に帰るとオリビアの両親はいなかった、まだ村長宅にいるのかもしれない。何だか徹夜が続いた日の様だ、今日はこのまま寝てしまいたかった。


 一人放心していると、彼女が私の手を取った。可愛らしい寝間着を着ていた、フリルのついたワンピースの様だ。お母さんに作ってもらったのだろう、これも私は見た事がなかった。


 彼女は私を見つめ、人差し指を唇に当て、少し恥ずかしそうに笑っていた。


 ベッドに寝転がると相変わらず温かい。久しぶりの優しい温かさに包まれて、今日はぐっすり眠れるだろうか。


 でも以前と少し違うのは、柔らかさを感じてしまったたことだ。私の鼓動は目を閉じても聞こえてくる、隣からもう一つの鼓動も聞こえくる。これは寝入るまで時間がかかりそうだった。


 翌日になってから隊長風の男、本当に隊長だったが、彼と村長宅で話をした。オリビア達も一緒に来てくれたが、彼は謝罪から始まり、私も街へ連れて行くと話を進めた。


 しかし、私は騎士団預かりだと言う、騎士になる訳ではなかった。問いただすと私の力に問題があるらしい。砂鉄しか集められない力だと思っていたそうだが、実際はかなり違う。


 騎士団長殺し、そう呼ばれている力。鉄製の鎧を引き付けて身動きを封じる、または体勢を簡単に崩すことが出来るのだから厄介なのだろう。まったく、やれやれと言いたくなるネーミングセンスだ。


「お前の力は我々が知っているものより強力だ、離れた位置から俺の動きを封じただろ。あれじゃ騎士団殺しだ、下手したら全滅する」

「しませんよ。殺し合いをしようとも思いません」


「だが、出来るんだろう?」

「否定はしませんが」


「はぁ、まったく……ひとまずお前に合わせたい奴がいる。俺達の上司と話をしてもらいたい。このまま村に置いておく訳にもいかないからな」


「待ってください、ナットと一緒には……いられないんですか?」


 物怖じもせず、オリビアは隊長に質問をするが、彼は気まずい表情で答えを返す。


「その力は騎士団の中で悪い印象しかない。まず俺を倒した時点で、普通の子供だと扱えなくなった。正直なところ、最後の一発は本気だった……あれを真正面から返されたらな」

「手加減したつもりでしたが、やりすぎましたね……」

「お前、殴っていいか?」


 隊長がそう言うと、隣に居た副隊長が彼の頭を叩いた。


「こほん! いいですかシルバ隊長。そもそも子供相手に本気を出した時点で懲罰ものです。彼自身には何の罪もない。おまけに返り討ちにあうなんて、私は副隊長として情けなく思います。まったく反省が足りません!」


 副隊長はそう言うと、ガミガミと隊長を怒りだした。そして、しばらくしてからオリビアに向き直る。


「いいですか、オリビアさん。彼が私達の団長と話す時、私も可能な限り温情をはかって頂ける様に伝えます。安心してください」

「わっ、私はナットと一緒じゃなきゃ、騎士にはなりません!」


 その言葉に隊長も副隊長も眉をひそめている。彼らとしては、オリビアを騎士にしたいと是が非でも考えているのだろう。


「お前、モテるんだな?」

「彼女にだけですよ」

「ふん、生意気な坊やだ」


 隊長がそう言うと、彼は再び副隊長に叩かれていた。そうして更に話し合いは続き、私達は街に行くことになったのだ。


 さて、街に行けば当分ここには戻って来れない。出発の準備をするオリビアを置いて、その日、私は実家の片付けをしていた。


 力試しに使った丸底の鍋を台所に戻し、集めた鉄達を整理する。それから雑巾掛けをして、溜まった埃を拭いていた。


 ふと思い至り、私は隣のカタツムリに声をかけた。


「デンデン、私達は何で生まれ変わってしまったんだろう。ぜひ君の意見を聞かせてくれないだろか」

『意味は特にないと思います。私がカタツムリの姿になった事に意義を見出せませんし。確かに私はもう一度だけ、あなたに会いたかったですが』 


 彼女は私にフィードバックをかけてから返事をする。


「意味はないか……」

『ですが、オリビアさんの笑顔は守れました。それには意味があったのではないですか? これからも守り続けられるかは、あなたの頑張り次第です』


「あぁ、そうだな」


 そう答えると、少し無言が続いてしまう。


『そう言えば、数奇なものですね。あたなが魔法なんてものを使うなんて』

「どういう意味なんだ?」


『最後のプロジェクト、あれは失敗すれば全人口の半数が死滅する程のリスクがありました。あれに関わっていた人間は、天才か、偉人か、英雄か、まず普通の人間はいませんでしたよ』

「全員が凄いスキルや技術を持っていたな」


『そんな中で、誰もが見落としていたミスをふらっと見つけ、皆が投げ出したくなる程のトラブルを勝手に片付けていく技術者がいたんです』

「そんな凄い人がいたのか、知らなかったよ」


『その技術者は、実は皆からこう呼ばれていたんです。”魔法使い”とね』

「おぉ、会ってみたかったな」


『あなたの事ですよ……』

「……」


『そんなあなたでも、乙女心は分かりませんでしたね』

「返す言葉がない」


 机の上に乗った私のカタツムリは首を伸ばしてこちらを睨んでいる。


「それなら、ここは一つ指差呼称でもしておこうか。間違えないように、そのものを指で差し、声に出して確認する。皆んなも現場でやってただろ?」


『なら、何を指で差すんですか?』

「君だよ」


 私のカタツムリは殻を揺らして困惑している様だったが、気に留めず彼女に向かってこう言った。


「繊細な乙女心には注意しよう、ヨシ!」


 その後、楽しく掃除をしたのだった。


 二日後、私はオリビアとマリスくんと一緒に村を旅立った。騎士団に連れられて、目指すは彼らの本拠地。


 そこで何が待ち受けていたかは、また別のお話である。

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