第41話 イシドル・ギヴェロン
ディリオスはイストリア城塞の城壁に、苦無から降り立った。
彼が見せる初めての顔つきだった。ハヤブサが近づいてきた。
「ギデオン様が昨日お戻りになられました」
「分かった。今日は力を使いすぎた。明日、南の森で対戦すると伝えてくれ」
「わかりました」
ハヤブサも明らかに何かが起こった事は理解できたが、己の使命ではないので聞き出そうとはしなかった。彼に課せられた任務は重要だったため、それを優先した。
彼の顔つきで、相当な問題が起きた事は見て取れた。今のリュシアンの気持ちを酌めばとも考えたが、最初に報告する相手はリュシアンとナターシャなのは分かっていた。分かっていたが、どう話を切り出すべきか分からなかった。
それに魔族になる為の貢物が何だったのかも、かれらの国をよく知らないディリオスでは答えは出せなかった。
彼は悩んだ末、サツキに相談しようと思って彼女の所まで行った。
彼女の部屋へ行くと、アツキもそこにいた。
まさに今、アツキはサツキにディリオスの事を相談しにきていた。
アツキはディリオスの感情を捉え、サツキは急上昇したディリオスは強敵と戦って倒した事を知っていた。
二人とも別の視線から見て、状況を確認していた。
「一体どうされたのですか?」
「複雑すぎて思案に追いつけませんでした」
まずは第七位の指揮官は倒した事から話しだした。その他の悪魔も全てではないが、多くの悪魔を倒した。それを話しても彼の顏は一向に、悩んだ顏をしていた。
彼はゆっくりと重い口を開くように言った。
「イシドル・ギヴェロンが魔族になっていた。指揮官の権天使と二強は無傷でまだいた、倒せるはずだが嫌な予感がする。サツキほどの察知能力は俺にはない。だがあの城のどこかに、最低でももう一体の魔族が居た事になる。イシドルを魔族にした悪魔がな」
二人とも思い詰めた表情の意味を理解した。
「お前たちは、ひとまずは関わるな。これからカミーユたちに話してくる。話がどのような流れになるかも予測がつかない。時間を無駄にするな、組手でもしていろ」
ディリオスはそう言うとサツキの部屋を後にした。
事態が全く見えない事など、今まで一度も無かった。ある意味、今もミーシャは聞いていたなら、自分の声と心も聞こえるミーシャに相談して、意見を聞いてみようと考えた。
彼がミーシャの部屋に行くと、扉の前に誰もいなかった。彼は不審に思い彼女の部屋へと急いだ。室内にはセシリアが倒れており、ミーシャを抱えたまま、ニヤリと長い歯を出して見せたイシドル・ギヴェロンがいた。
彼の意思とは一切無関係に、怒りが全身を支配したかのように、ディリオスの力は極限まで高まった。
その力はイストリア城塞にいる全ての兵士たちが感じ取れるほどまでの、怒りの雄叫びとして、皆が感じ取った。ミーシャとセシリアは幸運にも気絶していたため感じ取れずにいた。
アツキとサツキも何かが起きた事しか考えられず、ディリオスが言っていたカミーユの部屋へ向かったが、カミーユたちはミーシャの部屋の前に立ち尽くしていた。
ネストルは妹である横たわっていたセシリアに、命の鼓動があった為、安心した様子を見せていた。
イストリア城塞にいる全ての兵士は、あまりの恐怖のため立っていられない者も続出した。誰もが屈伏するしかない程の力だった。ギデオンも当然、感じた。これほどまでに、凄まじい怒りを
遠い地でもそれを感じる者もいた。心から発する怒りの大いなる意志は、知の番人のいる結界を割って伝わっていた。「ここまで伝わる程の力を身につけおったか、遊び相手になりそうじゃわ」知の番人は再び更に強い結界を張りなおした。
あまりの力量の差にすぐに動けなくなったイシドルを捕まえ、片手で首を掴んで持ち上げた。指は既に痕が残るほど強く握られ、その気になれば一瞬で殺される事を、イシドルがイメージできるほどの迫力だった。
彼はヴァンベルグでの第七位のドラバルを倒した時、既に自らの壁を越えていたが、自制心が崩壊する事によって、更なる高みへの強さを発動していた。
ミーシャを抱えていた腕を、肩から素手で斬り落とした。そしてその落ちた腕と血だけを、足から床へとエネルギーを流し込み、その力で腕と周辺に散った血だけを、イシドルが出ようとしていた窓から出して、ビリビリと伝わる痛みが、近くにいたカミーユたちに突き刺さった。ディリオスが窓から出したイシドルの腕と血は、黒い塵も残さずこの世から消し去った。
「リュシアンを呼んでこい」ディリオスは背後にいる者たちへ命じた。かれらがリュシアンを呼びに行く前にリュシアンとレオニードが来た。
そして人間ではない父を見た。その肌は白から褐色に変わっており、黒い翼を有していて顔は若い頃のように若返っていた。状況からすぐにミーシャを誘拐するつもりだったのであろう事を理解した。
「リュシアン。こいつはもうお前の父親ではないが、どうする?」
言葉にできない程の変わりようで、リュシアンは何も言えなかった。
「当然だが、生かせば必ず災いを生む。俺がいたから良かったが、居なければお前たちにとって悪い方向に行くだけになる」
イシドルはリュシアンに、哀愁を込めた目で彼を見つめた。父の目に悲しさを感じた。彼は父を許して欲しいと思って、その言葉を口にしようとした。
二人が会話している最中、僅かな気の乱れにより、首を掴む指先から力が緩みを見せた。
闇に堕ちたイシドルは、一瞬で翼を広げて彼の指先から逃れる為、飛び去った。
掴んでいた指先には闇の者の首の肉片が落ちていた。
ディリオスは風を呼ぶほどの跳躍を見せた。再びイシドルを追いかけ、足首に手をかけた。イシドルは捕まる前に自ら足を斬り落として更に北へと逃げていった。
しかし、ディリオスはその斬り落とされた足を掴んで、瞬時にエネルギーを流し込み、それを足場にしてイシドルの方向へ向かって蹴りつけた。そして逃がさないように、腹部に刃よりも恐ろしい力の漲る拳を打ち込んだ。
左の拳はイシドルの腹部を貫いた。そして魔族に流れる血にエネルギーを流して動きを固定した。
リュシアンはだれよりも、父であったその男の死を願った。
哀愁の目は逃げる為に、私を騙すためだけのものであった事を知ったからだ。
もう父であった時の感情は残っていないのだと、悲しいがそう思った。
彼が窓から上空にいる自分たちを見ていたが、部屋の中へと戻った事で
その意味をディリオスは受け取った。
左腕を引き抜き、致命傷では無い場所に内殺拳を見舞った。ガクガクと震えながら
口から血が滴り落ちた。そしてトドメの一撃並の拳を、瞬発的に数十発撃ち込んだ。
頭部から胸の下あたりまでに、重い拳と怒りの拳を彼は放ち続けていた。
既に原形は消えていたが、彼の怒りは静まる事無く致命傷を避けて百発以上の拳を放っていた。
彼は我に戻った。そして胸に風穴があくほどの、鋭利な手刀で心臓を抜き取り、徒手で頭部を吹き飛ばした。
それは落ちていきながら消え去った。
ディリオスは血まみれになっていた。そして何とも言えない、疲れが襲ってきた。
彼は自分の部屋の窓から自室に入って、すぐにシャワーを浴びた。
イシドルの死は、遠い地にいる権天使たちにも届いていた。あの人間だろうと思ったが、第七位の指揮官ドラバルを消滅させた時とは、明らかに違いのある強さだったため、確信には至らなかった。
天使の指揮官ウルフェルは使命が終わった故、天のバベルに行き第八位と合流するために配下と共に、白い世界から飛び去った。
彼はシャワーを浴びながら、警備体制を見直す必要があると考えていた。ハヤブサでも侵入を許したからだ。その為にレガを防勢師団を作らせていたが、イシドルのような元人間には通常の結界は意味を成さない事を知った。
それは強度の問題ではなく、特殊なタイプだからだろうと考えていた。
同化で取り込まれる訳ではなく、魔族になるには別の方法がある事を知った。
基本が人間なら、イストリア城塞のように、出入りの激しい城の結界師は必要だと思った。彼は温かいお湯の入った浴槽に浸ったまま、いつの間にか眠っていた。
守衛に起こされるまで、彼は冷たくなった浴槽にいた。
「ミーシャは起きたのか?」
「それがまだ意識がないようです」
「セシリアは?」
守衛は首を横に振った。
「二人とも意識不明の状態なのか。あれからどれくらい時間はたった?」
「二時間ほどです」
「そうか。リュシアンは今どこにいる?」
「自室に籠っておられます」
「わかった。ありがとう」
「いえ。失礼致します」
彼はイシドルが何故、ミーシャを攫おうとしたのしたのか考えていた。
答えはすぐに分かったが、それには問題点もある事に気がついた。
その事に気づき、ディリオスはサツキの部屋へと足を変えた。
「サツキ。今時間はあるか?」
「どうかされました? イシドルがミーシャを攫おうとしたのは、分かるが、それには問題がある事に気づいた」
サツキは頷いた。
「わたしも同じです。ミーシャさまが攫われたのはディリオス様を罠にかける為に攫おうとしたのでしょうが、わたしの探知では、確かに悪魔は一人だけでした。先に悪魔になる望みを叶えてからにしたとしても、同じ答えに行きつきます」
「サツキとアツキ、エヴァンそれとリュシアン、カミーユ、ブライアンで高閣賢楼に行って、色々調べてきてくれ。稽古もお前たちなら順番に挑戦してみろ。エヴァンに範囲移動の印をつけさせて大量の食糧と水、酒など運ばせる」
今回のイシドルの件は何かがおかしいと二人とも考えていた。
「リュシアンさまもですか?」
「置かれている状況もそうだが、奴は絶対に強くなる、それに何かの役に立ちたいと思ってるはずだ。本を読まないなら爺さんに言って稽古をつけされてやれ」
「レオニードさんは従者のようですが、どうされるのですか?」
「やつは珍しい解呪能力者だ。もしかしたらミーシャやセシリアは何かしらの呪いが懸けられているかもしれない。色々相談してみるつもりだ」
「なるほど。わかりました」
「俺は明日、ギデオン攻勢師団とのテストがあるから、今日はレオニードと相談するだけにしておく。早めに片付いたら、レオニードとネストルも高閣賢楼に行きたいと思うはずだ。こっちからの思念は届かないから、二時間後に連絡をくれ。それまでに食料なども集めて貰う」
「委細承知いたしました。わたしたちも非常に楽しみにしています。皆がわくわくしています」
「それじゃあ任せたぞ。リュシアンには俺から先に話しておく」
「わかりました。お任せください」
ディリオスはリュシアンの部屋へと向かった。二人の男女が立っていた。
すぐに気づいた。(アツキ。サツキから連絡が来ると思う)
(はい。先ほど連絡がきました)
(そっちの準備はサツキに任せた。お前には出発までにヴァンベルグのリュシアンの配下の男女に部屋を与えてくれ。部屋はひとつでやや大きめの部屋とベッドはキングサイズひとつでいい)
(了解しました。すぐに用意します。二人には俺から話しておくから、用意ができたら俺に連絡してくれ。サツキにリュシアンに爺さんに、稽古させろとは言ったが、お前たちもやりたいならやっていいからな)
(本当ですか! それでは今日試しに一回やってみます)
(お前は強い、頑張れよ! じゃあ部屋の件が準備できたら連絡を頼む)
(はい。すぐにご用意します)
ほぼ初見であったためか、二人の緊張が伝わってきた。
「アリヴィアンとヴァジムでよかったよな?」
「はい! 色々とありがとうございました」
二人とも礼をとった。
「今、二人に部屋を用意するように頼んだから、今後はそっちでゆっくり休むようにしろ。大きめの部屋にキングサイズのベッドをひとつ用意させる。他にも必要なものがあれば遠慮せずに言ってくれ」
二人は赤面したが、喜んでいた。
「色々ありがとうございます」
「このイストリア城塞に来たからには、全員味方だと認識する事だけは忘れるな。人間同士のいざこざには厳罰を処す。北部連合もいるが、同じように言いつけてある。仮に誰かが何か言ってきたら俺か黒衣の者たちに言え。諍いの火種は小さなうちに摘み取る」
「わかりました! ご配慮ありがとうございます」
二人は扉の前から離れた。
ディリオスは中へと入っていった。
「リュシアン。気分はどうだ」
「一気に老いたようなリュシアンに話しかけた」
「色々あったが、お前に再び立ち上がってもらいたい」
揺り椅子に座っていたリュシアンに話しかけた。
「お前だけじゃない。多くの人間が今や不幸の最中にいる。これはまだ誰にも話していないが、俺の親や一族は全員、俺の実弟に食われて死んだ。部族も来ていたが全員食い殺された。今やあの森は俺の実弟の棲み処となった」
「だが、俺やお前は皆のように弱気になることは許されない。幸か不幸か俺たちはこの世界のこの時代に生まれ落ちた。それは揺り椅子に座るためじゃない。俺たちには使命がある。極めて極少数、アツキやサツキさえまだ知らない事がある」
リュシアンは揺られる椅子を止めた。
そして視線を落としたディリオスに目を向けた。
「何があったんだ? 君ほど真に強い人間はいない」
レオニードは外に出ようとしたが、ディリオスに止められた。
「俺はまだ生きている。死なないとは思っているが、近い将来、
二人ともディリオスの言葉を待っていた。
「俺がその対策を立てるらしいが、俺の生死は定かではない。俺を布石に使ってカミーユの能力で難関を突破する。だから時間もないんだ。お前も更に強くなってもらわないと人間の未来は消え去る」
「お前は生きてる。だから立ち上がってくれ。ヴァンベルグはイシドルによって滅びたが、お前たちがまだいる。再び世界にその名を轟かすんだ」
彼は揺り椅子からゆっくりと立ち上がった。
「俺は君ほど強くないが、頑張るよ。君が死なない未来を切り開いてみせる」
ディリオスとリュシアンは、お互いの気持ちを察して、笑みを浮かべた。
「これからさっそく稽古を受けてもらう。俺よりも強い智の番人の場所までいってもらうよう手配済みだ。レオニードは俺に貸してくれ。ミーシャやセシリアのためにレオニードの知識を借りたい」
レオニードは頷いた。
「これからいく高閣賢楼は、真実のみが記されている無数の本がある。本だけでも多くの事を学べるが、爺さんと稽古もつけてもらえ。食料や酒などが条件だが、ダグラス王にそれは頼んである」
「お前の強さを皆に見せてやってくれ。今の世では強きものが必要とされる」
「追いついて来るのを俺は先で待っている」
「すぐに追いつく。私は必ず強くなってみせる」
二人は堅い約束を交わした。
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