第四話 ディリオス・アヴェン


 その絵巻物を読み終えるとディリオスは目を閉じて黙考もっこうした。


(レガとサツキは先ほど積み上げていた多種の書も読んだ上で、熟慮したはずだ。

この二人は安易に答えを出す者ではない。

柔軟さも持ち合わせた信頼たる者だ。


我々に敵意を向ける、腐敗動物や塵のように消え去る獣は、私が知る限り存在しないことを考慮すれば……嫌な答えだがそれしかないな。

仮にこれが答えなら先ほどの敵は、下位に属するただの魔物ということになる。


最初に警戒した魔物の方角からみて、魔のバベルとやらは、東北ベガル平原に

我らの領土以上に巨大な穴が出現していたと、アツキは報告してきた。

しかも、全ての魔物でなくとも、

あの中には翼をもっていた魔族がいたのなら納得できる速さだ。

しかし、俺が倒した全ての魔物どもには翼はなかった。

どうやら翼も、何かに影響する何かしらの意味があるということになるな)



ディリオスの頭の中で色々な事を、あらゆる視点から、答えを見出すために比喩ではなく高速で働いていた。


(この大陸の中央に当たるベガル平原は大平原だ。散り散りに魔獣どもが、平原に散ったのならば多数の部族たちなら、通常であればあの程度の魔物なら何とかなるはずだが……今日はまずい。


ほとんどの者が、年明けの祝い酒を飲んでいる。

あの殺されていた者たちは、酒をいれたあと、寝込みを襲われた小部族だろう。

襲ったあとに、あの程度の素早さなら仮に途中で間食をしたとしても、

絶対に森に着くにはもっと時間はかかる。


はらわたに入っていたものは、まだ食われた直後のものばかりだった。

遠くない場所に、魔界へ通ずる地のバベルの塔から出てきたのは納得できる。

やはり翼には、飛ぶだけではない何かあると考えるのが妥当だ。

まだまだ解明出来ていないとなると、ここも危険だ。


天魔の死闘である以上、天界へ通ずる天のバベルの塔はこのホワイトホルン大陸に出るのは間違いない。

そうでなければ、奇襲攻撃や半神を見つけた時に手遅れになる。

そして現れるのも時間の問題だろう)



 我々はこのために、この時代に生まれ落ちたと、ディリオスは敵になるであろう天に感謝した。

祖先の誓いを果たすのは、我々の運命であり、使命だと心に再び誓いを立てた。



(争いは我ら人間の地で絶対に起こり、

大勢の生き物が犠牲を払うことになるだろう。

今のうちに、魔のバベルの塔とやらを単身で見にいってみるか? 

この巻物通りならば、我々人間にも、特殊な力を身につける者たちが現れると書かれているが、能力とは一体何なのかも、いつ開花するのかも不明だ……天使どもが現れだせば能力の事は色々分かってくるだろうが、それまで何もせず待つ訳にはいかない。


 俺たち人間は完全に出遅れている状態だ、先に俺にしかできない事を優先しよう。

非常に急を要する事態が、我々の知らないところで急激に動いている。


今は行くことは出来ないが、生き残ることができたなら、まだ国が存在してなかった五百年以上前より全ての事を記し続けているとされる、知識の宝庫である高閣賢楼こうかくけんろうに行くしかない。あそこは謎の多い場所だ。

大きな収穫が期待できる。


この古巻物から察するに海上でも戦っている。

列島諸国での戦いのようだが、陸地であるこの地なら、少しはまともな戦いが出来ると考えるのは安易すぎるだろうか。

いずれにせよ、想像を絶する犠牲は避けられない)



 ディリオスの沈思黙考ちんしもっこうに入る時間は、常に時間にすれば十数秒程度だったが、すでに一分近くたとうとしていた。

それを見つめる彼をよく知る三人は、ディリオスの強さは元より、その思考能力の正確さと、速度も強さと同等くらい認めていた。

そんな彼が長い時間考えている事に、重大な事が起こると確信し、改めて覚悟した。



(我々には命よりも重い条約がある限り、先だって戦うことが使命である以上、まずはエルドールに事態を話し避難を促した後、東部を制するイストリア王国に俺はいかねばならない。


あれが下位の魔物なら、下位の天使も強さに差異さいはないはずだが、天使との争いはひとまず出来る事なら回避したい。


しかし、厄介すぎる……倒せば更なる強敵が出るとは、

下位のものたちは捨て駒で、どれだけ敵対する相手の強者の力を削れるかを、

使命にしているようだ……命を懸けた使命を持つ者は皆強い、

それは人間でも同じだ。

その揺らぐことのない信仰心が、弱者をも強くする。


天の塔が出るのは時間の問題である以上、行動を起こすなら、今を置いて他にない)



時間にして数十秒後、ディリオスは目を開くと同時に発した。



「我々の出番だ……全兵士に伝えろ。いいか、無理意地はするな。私と死地に赴く覚悟がある者だけついてこいと伝えろ。

これは命令でも頼みでもない。


己の意思に従い、己で選択するように伝えるんだ。


我々の中には家族を持つものも多い。

俺の考えではここにいては死しかない。

共に来る者たちには、家族も連れてきてもいいと伝えよ。


来るものは必要なもの以外は、持ってこないよう強く言いつけ

ろ。それほど時間が惜しい。物はどこでも手に入るが我々はおそらくで生きている嫌な予感がする。


もうすぐ戦いが近いと何故か感じる。

レガは刃黒流術衆の総隊長として戦いの準備を任せる」

大きな男は黙って頷いた。



「我と共に行く者たちには、今までにない難敵だと伝え、

古来より伝わる、黒装束と黒刀を装備し十分に武装して、

第一門前に集合させよ。


ここには二度と戻らないつもりで、思い残す事のないよう皆に伝えろ。

我ら刃黒流術の伝統ある暗殺拳が試される時だ! 


サツキは御庭番衆にも同様の事を伝えて、一緒に行く者たちの準備が整ったら、最終確認をしてくれ。アツキは神木から悪魔どもの穴を監視してくれ、動きがあればすぐに知らせろ」



 若者の気迫は心を決めている者が出す、覚悟の証だった。

「いくら酒を飲んでいるとはいえ、多数の黒衣の武装した兵たちを目にすれば、来賓たちは騒ぎ出す。


俺が一番安全な地下にある避難所への移動を促すが、

納得はしない者も多いだろう。


宴は終了させて避難所に行かぬ者は、各々おのおのの判断に任せるつもりだ。

客人たちに害意がないことを示すためにも、館までの扉は全て開けておけ」

青年は冷淡に考察して命じた。



「わかりました。人類を懸けた激戦を貴方様と共に戦えることを誇りに思います」

レガは武者震いしながら力強く答えた。


「俺たちで人類の最後にさせる気はない。人類を存続させるため例え明日死ぬとしても、恐れず戦うことを己に誓え」

若い戦士は気持ちを言葉にした。


「領主には俺から話す。これは俺とアヴェン一族との決別の宣言だ。お前たちは抜かりのないよう準備を頼む」

ディリオスは大きく息をついて話を続けた。


「領主が反逆者として我々を裁こうとしてくることも考慮して、事にあたれ……我に従う人数次第では争いになるかもしれん。

そうなったら俺はやつらを、一族も含めて皆殺しにするだろう。

だから争いが起きた場合は誰も部屋に入れず、お前たちも部屋には入ってくるな。

これは俺の最後の奴らに対する餞別せんべつだ」

ディリオスは念を押した。



 レガが口を出した。「若君。ご心配のしすぎです。我々はディリオス様を尊敬しております。このような日のために我々は血の滲む鍛錬を続けてきました……このような日が来ないと思いながら、鍛錬を積んできた者は皆従うでしょう」そう言われるとディリオスは軽い笑みを浮かべて足早に宝物庫に向かった。


 白髪まじりの大男は若者に敬意を払うと、栄誉ある未知なる死に様を得たことに安堵した。

己を磨き、厳しい鍛錬を活かせることは多くの先人たちも望み、

そして力を使う時を得ず、後世に業を伝授するために生きてきたからだった。



 レガはディリオスが生まれた時から知っている。

領主である父親オーサイ・アヴェンは面倒であれば実子さえ殺そうとする人間だった。


弟であるコシローが邪魔な存在になった時、長子であるディリオスに不仲な弟を殺すよう言ってきたが、確かに嫌いではあるが奴と死闘する気はないと彼は断った。


側近である近衛兵に頼まなかった理由は、コシローは人間味が無く肉食の獣のような恐ろしさを感じるほど強かったからだった。


ディリオスは流れ次第では、兄弟で争わせて両者とも疲弊したら、二人とも殺す気でいる可能性も高いと思うほどの父親だった。


そして近衛兵が暗殺に失敗すれば、王であろうと関係なく殺しにくるとオーサイは恐れていた。


最強と呼ばれるディリオスなら、最恐のコシローに勝てぬまでもあとは何とでもなると考えていた。


ディリオスが幼少の頃から長年愛した愛犬も、老犬となって部屋で尿をしただけで毒をもって殺され、少年は人知れず涙を流した。


アヴァン一族の一人が、条件付き政略結婚で餌として差し出された時も、

オーサイはアヴェン一族の代表として、

政略結婚に出席しろと言われた時、

出てやるが、俺は式に参加する奴らのように、祝う気持ちはないと言い放ち、結婚式に出た。


彼は黒衣のまま式に出て、皆が拍手で祝う中、唯一人拍手もせずに葡萄酒ぶどうしゅを飲み続けた。

アヴェン一族本家の長子に合えるまたとない機会だと、近寄ってくるご機嫌取りが得意な奴らは群がってきたが、どこからか強い視線を感じた。



ディリオスはその鋭い眼光に、視線をぶつけた。

彼はそこで初めて口を開いた。


「あの方はどなたです?」

「ああ、あの方はヴァンベルグ君主国のリュシアン・ギヴェロン様ですよ」

「北東部で最強部隊と名高いハウンド特殊部隊の総隊長で勇名な御方です」


 それがディリオスとリュシアンの初見だった。

二人は取り巻きには全く耳を貸さず、気持ちの中では二人で対面し無言で飲んでいる気分になっていた。

この馬鹿馬鹿しい結婚式で得るものもあったなと、

両者は口には出さず笑みを浮かべた。



 母親であるコイータは頭の出来は良くなかったが、自分自身は賢いと思っていた。


ディリオスの名は領主の名代として各地で名が通っており、幼い頃から周りに好かれていた。


 幾度か人質交換にディリオスを引き渡そうとコイータは画策したが、その度に臣下に強く止められた。


弟のコシローの名を知る者は少なく、溺愛するコシローと比較されることを嫌がり、彼の名を陥れるための行為や密偵である影を使い、身辺に探りを入れていた。


ディリオスに厚意を抱く者は多く、母親であるコイータの命令で身辺を探るよう言われたと長子に告白した者は、幾人も消されていった。


コイータ派閥の女をあてがってきたり、裏工作で縁談を設けたり勝手かって気侭きままにまるで駒のように扱われてきた。



 まだ良い国と悪い国があると思うほどの幼い子供の頃から、そういったことを数多く浴びてきた。

幼くして、大人を凌駕りょうがする知恵と知識を身につけるしか、幼子に生きる道はなかった。


その頃から彼は十秒で答えを出すことを五秒で考え、

五秒を三秒でというふうに、自分自身を鍛えていった。

それに加えて子供特有の柔軟かつ独創性のある性格が、

少年を大きく成長させていった。


ディリオスはそんなひび割れた、異常な世界の中で幼少時代を生き延び、

今の彼を作り出した。



 少年の頃には、無駄な犠牲を出さないようにするため寡黙になり、

仲間を避けるようになっていった。

そしていつからかディリオスは、愛馬であるアニーと孤独を受け入れていた。


だが、アイアス・レガを始めとする多くの兵士たちは、彼を慕っていた。

由緒ある一族の誇りを守っているのは、長はオーサイではなくディリオスだと。



 成長を遂げた若獅子は、宝物庫の黄金に光る錠をあたかも、敵へ向けるような荒々しい剣戟けんげきで打った。


上質な鋼がガラスのように安く砕けた。

そのまま軽く浮いて回転を加えて鋼の柄で殴りつけた。

鋼材と黄金で作られた錠前は、鋼の柄とともに脆く落ちた。


ぜいを尽くした宝石が散りばめられた黄金扉を両手で押し開いて、彼は宝剣や宝石などには目もくれず、真っすぐ進んだ。

身にまとうことなど生涯無いと思っていた、一族に伝わる伝承の武具。


この五百年の間、生き残った一族の誇りある戦いを引き継いできた歴代の強者つわものたちが、誰一人として扱えきれなかった戦闘具。


それは特殊加工された漆黒の頭巾付き外衣と、傷一つつけた事のない、他の家臣たちの黒刀よりもさらに太い刀身の鋭い黒刀。


この地の銀色の鋼の剣とは違い、諸刃ではなく微かに反り返った黒い鋼の片刃の刀、刃の反り返った背の部分には穴が五つ空いており、そこには円形の輪がつけられていた。

飾りではないその輪には、多様性を秘めた使い道がいくつもあった。


そして、この地には無い飛苦無とびくないと呼ばれるナイフより多様性のある武器で、刃先とは逆の後部が輪状になっていて、鎖や鉄糸を通して高い木々を移動したり、飛び道具式形状からナイフよりも最速で投げることも可能で、毒刃にしたりなど多くの使い道があった。


それは武器であると同時に、黒衣内に柔軟性のある細くても切れない合金鋼糸で苦無全てを通して武装しており、隠し鎧の働きも兼ねていた。


動きやすいように軽装な肩当てを装備し、いつでも動けるよう独創性に富んだ武具であり、伝承によるとこの地に足をつけてからの五百年の間は、誰も完全には使いこなせなかった代物だった。


数にして百本の飛苦無と黒刀は、国の名だたる幾人もの名匠を呼び寄せ考案させた。


人類を懸けた最後の戦いになると、自他ともに認められたときに、

静かな世界を脅かす存在相手に己の力を発揮できる武器で、

敵を恐れずに未来を守るほどの力と武具が必要だと判断した場合に限り、

力や武具のせいにして、簡単に諦めるなと云う意味を込め、

真の強者の力を完全に引き出させるため、強さを探求した結果扱い難くなったが、

才能だけでは扱えず努力と智勇がなければ無理だという、皮肉も込めて作らせた。



その意を実現可能にするため加工に加工を重ね、最も適した金属を生み出した。鋼を裂くほど鋭く、軽量にして最高の合金だった。


軽量化には成功したが百本と黒衣の重さは並のものでは動けなくなるほど重かった。


黒衣の中に合金鋼糸で全ての飛苦無は通されており、使用しないときには防具になるよう配慮していたが、才能あるものが血を吐くほどの努力をし、あらゆる人から英雄と呼ばれる者たちが人知れず挑戦してきたが、扱いきれなかった。



彼はほこり避けのために格納された立派な正面のガラスを躊躇ためらうことなく割ると、重量のある黒刀を腰に差して展示されていたあでやかささえ見せる漆黒の衣を手にとった。


そして両の肩に肩当てを装着した(……これは)装備してディリオスは気づいた。


(間違いない……苦無と同じ金属を精製できたのか?)青年はこの地に着いた五百年の間に、きたるべき戦いに備えた名も知らぬ英雄に心の中で礼をいった。


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