擦る

 茶太郎は月を仰いでいた。


 ーーあの時、わたしに食って掛かった女のように……。


 今いる場所は生き物の集団の窖。其処に、事案の被害者がいる。何の関わりがあるかは別として、突かれた憎悪が何を対象にしてるのかをはっきりとさせなければならない。


 ーー昇、影舞……。


 茶太郎は腰に着ける藍染めの麻袋を強く掴み、飛翔する。すると、茶太郎の象る影も帯状となって宙に舞う。


 月が、こんなにも近い。


 茶太郎は月に草履の裏面を翳す。そして、放たれた矢のように茶太郎は地上へと急下降していった。


 ーー源、影斬……。


 茶太郎の影は帯状から刀剣にと、象りを変える。照準は、人の影。


「きん」と、火花を散らした刀剣の響きが聞こえる。一太刀が決まらない硬い衝撃で、茶太郎は跳ね返される。


 そして、着地する均衡を失った茶太郎は地面に叩き落されるーー。



 ***



『……っ』

『ーーっ』


 耳障りな言い争いが聞こえる。声からすると、女性同士。


『あんたは生き物を玩具にしていたっ。見なさい、この子はもうすぐ命が尽きてしまうのっ』

『……。誰が“あんた”なの』


『なんですってっ』


 双方、随分と荒れての危険な様子だ。止めに、止めに入らけなければーー。


『何てことをしたのっ。ああっ、顔に顔にーー』


 間に合わなかった。いや、双方に割って入ったのだがするりと通り透けてしまった。どういうことだ、どういうことだ。


 ーー……ろ。……きろ。


 きろ。切ろ、斬ろだと……。



 ーー茶太郎、起きろっ。


「……作蔵」

「おう、俺だ」


「今の時の刻みは」

「見ての通り、真夜中だ」


 茶太郎は「そうか」と、作蔵を退かして上半身を起こす。


 肌寒い月夜の此処は【天明】地区の河川敷で、土手の桜並木は三分咲き。訪れてから時間の経過が僅かだであったのはいいが何という醜態を晒してしまったのかと、茶太郎は半ば気落ちしていた。


「茶太郎、おまえらしくない仕掛けだったぞ」

「はっきりと物申すな」

「奴は“化け”だ。しかも“念”を操る通力を持っている。だから、おまえは奴の影を斬れなかったのだ」


「もとはといえば、私が貴様の仕事での同行の立場。要らぬ行動をしたことを詫びる」

 茶太郎は「すっ」と、立ち上がり、身に纏う紫色単衣の共衿を正す。


「いや、手応えはあったみたいだぞ。を見てみろ、茶太郎」


 茶太郎の、共衿から離れる指先が「ぴくり」と止まる。


「どうやら、私はまだ夢幻の最中に陥っているようだ」

「紛れもなく、現実だ。いいから、やり直しにいけ」


 今一度、影を斬るに挑め。


 心を折る暇がない。茶太郎は左の爪先を「すっ」と、一歩前にさせながら右手で藍染めの麻袋を掴む。


 ーー駿、影颯……。


 茶太郎は颯爽と進む。そして、地面で象る茶太郎の影の先端は槌にと変わる。


 ーーか……改、念核っ。


 照準が、焦って通力を発動している。これが作蔵が言っていたの表れ。影は斬れなかったが、照準が衝撃を受けていた反応だ。


 ……。そうか、その通力で事実を歪ませていた。虚ろで聞こえた言い争いは、事案の真相。

 随分と、ぶ厚い化粧を施していたとは。矢張り、叩き割って剥がすしかない。


 ーー撃、影打。


 茶太郎は、怯むことなく通力で照準の影を叩き潰すーー。



 ***



 季節は、初夏。場所は奉行所の御白州。


「時は早春の【天明】地区にて、傷害の事案が発生した。入念な捜査を経て御用した被疑者の罪をこれより吟味致す。先ずは、被疑者。名を明かして罪を犯したに至った経緯を述べよ」

 裁きの指揮を執る奉行の、威厳な声圧が轟く。


外山とやまくゆいです、わたしは間違ったことはしていません。わたしが此処にいるのは、誰かの罠です」

 白い子砂利に敷かれている茣蓙の上で、縄縛りで座る女が奉行に向けて強く口を突く。


「……。吟味与力、被疑者を御用したに至った経緯を述べよ」と、公事場の上座に座る奉行は徒目付の前方に座る茶太郎を促す。


「事案の真相を、其処にいる被疑者は厚く硬く塗っていたのです。捜査を攪乱して罪を被害者に被せ、あたかも被害者と装った。一方、被害者は当初被疑者として穿鑿所に送り込まれ、吟味の最中で病を発症しました。それから事態は急変、次から次へ事案の真相が明らかになるのでした。初動捜査で集めた証言、証拠はすべて役に立たなくなるほどにでした。其処にいる被疑者の通力発動違法行為及び傷害罪は赦されるものではありません。よって、厳罰の対応をお願いします」

 茶太郎は、静かに怒りを膨らませていた。先程、被疑者が罪を否定したことにだ。用意していた調書を読み上げるはせず、自身の言葉で茶太郎は奉行に裁きの判断を促したのであった。


「だから、わたしはーー」

「しらを切るな。それに、化粧はとっくに剥がれている」


 外山くゆいと茶太郎のやり取りに「ざわり」と、御白州内がどよめいた。


「化粧か。では、当時は被害者と呼ばれていた被疑者の顔には元々傷跡はなかった。のだな、吟味与力」

「はい、お奉行様。被疑者は通力“念改”で被害者を操ったのです。経緯は事案が発生した当時、被疑者と被害者は生き物を巡って口論をしていた。被疑者は怒りの感情を増幅させ、被害者を負傷させた。学びの杜で、しかも生き物愛護で知名度があった被疑者は自身の行為を自覚したが罪に問われるのを恐れた」


「今述べたのは、事案の目撃者がいた。或いは被害者の証言なのか。吟味与力」

「どちらにも、あてはまりません。ですが、被疑者は“化け”です。表面を通力で化かすことは出来たが内面の奥深くにある層に通力は浸透していなかった。見抜いたのは御用聞きの“蓋閉め”でした。事実“蓋閉め”が被疑者から吸い取った“念”がこちらになります」

 茶太郎は襟元の間から茶褐色の球体を抜き取り、奉行に手渡す。


 奉行は球体に目を凝らす。そして、表面に耳を押し当てるをするのであった。

「……。被疑者の潜在意識が真の証拠。吟味与力、ご苦労だった。あとは静かに裁きを見届けるのだ」

 奉行は瞳を閉じて「むう」と、小さく息を吹くーー。



 ***



 事案は、処理された。しかし、これで終わりではない。


 奉行所は、過ちを犯した。被疑者が捜査を妨害したとはいえ、間違いを起した事実は記憶として残っていた。


「大変に申し訳ありません。貴女の貴重な時間を苦しめたことに、私たちは全力で償います」

 茶太郎は同心葉之助を同行させて被害者の自宅に訪れ、玄関先で深々とお辞儀をしていた。


「どんな情況だったのか身に覚えはありませんし、わたしはこうして元気に過ごしていますので」

「口頭での和解は認めていられてないのです。奥方、お願いします。奥方、奥方」


 茶太郎の、書類を差し出しながら憔悴している様子に女性は「はあ」と、困り果てたさまとなった。


『にゃあん』と、見える廊下の奥より愛くるしい鳴き声が聞こえた。


「おや、猫を飼われていたのですね」

 葉之助は茶太郎をそっと退かして、女性に話題を切り出した。


「ええ、保護猫ですの。お試し期間を経て、昨日正式に我が家の子になりました」


 とことこ。と、可愛らしい足音を鳴らす仔猫が女性の足元にやって来た。

 葉之助には、見えていた。女性は仔猫を抱き上げ、愛おしそうに頬擦りをしていた。


「そうでしたか。ところで、猫さんのお名前は」


「『めいめい』です。この子を初めて見た時、この子は“めいめい”と、鳴いていたの。だから、です」


「兄貴。今のお話し、よくお聞きしましたか」

「あの日、河川敷にいた生き物を思い出した。そうか、そうだったのか」

「作蔵さんの活躍で、生き物は新しい生き方をしていた」

「実に、胸の奥が熱くなった。……。葉之助、本来の目的を忘れたのか」


 喧々諤々と、茶太郎と葉之助は言い合いをする。



 一方、奉行所にてのことだった。


「何ということを仕出かしたっ」

「も、申し訳ありません」

「移送中に囚人を逃亡させた、当然処罰の対象だっ」

「……。」

「何だ、その反抗的な眼つきはっ。……。な、なーー」


 ーー此処の組織についている“影切り”の存在が実に腹立たしい。直ちに始末しろ……。そうか、拒むのか。ならば、代わりに奴の弱点を言い表せ。……。そうか、それでも拒むなら仕方ない……。


 肉が斬られての血吹雪、骨が粉砕する音。そして、残酷な悲鳴。



『切り裂き“モノ”に“呪塗り”の器までが奴によって……。腹立たしい、腹立たしい……。』



 奉行所内の惨状が「すっ」と、跡形もなく溶け消えたーー。

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影は斬られる 鈴藤美咲 @rakosuke

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