搾る

 事案の穿鑿を受ける被疑者の“化け”は緊急搬送される。


 “化け”とはいえ、表面は人だ。

 だから、搬送先である門倉亜瑠麻が開設している診療所では“患者”だった。


『血を吐かれて驚いただろうけど、治るよ』

 “化け”を診た門倉亜瑠麻は、受話器越しで茶太郎に報告する。


 茶太郎は、牢屋敷から“化け”を診療所へと搬送手配を終わらせると、奉行所に移動していた。そして、門倉亜瑠麻の報告を待っていたのであった。


「そうか。では、吟味は其処でも可能な状態なのか」

『あんた、せっかちだね。あたしの所では“患者”だよ。治ってから別の場所でやってよ』


「御意」

 茶太郎は青紫色の単衣の衿を「すっ」と、正し、門倉亜瑠麻との通話を終わらせようとした。


『あ、付け足すことがあった。万楽寺、電話切らないで』

 茶太郎は「なんだ、門倉」と、不機嫌なさまとなった。

『“患者”に引っ搔き傷の跡があったよ』

「発見した個所は何処だ」

『頬。あんた、気付かなかったの』

「所見では見受けられなかった」

『わかった。万楽寺、こっちで傷跡の要因を探るね』


 通話が「ぷつり」と、途切れた。そして、受話器を置いて間もなくだった。


『“患者”の病因は“呪塗り”を被っていた反動によるもの。その要因となったのが、傷跡だよ』

 またしても電話越しだったが、門倉亜瑠麻からの報告に茶太郎の胸の奥は「ざわり」と、どよめいた。


 ーーわたしだったら化粧で誤魔化す……。


 穿鑿での雑談に事の真相が隠されていたのか。だが、確信するにはさすがに躊躇う。


「門倉、たとえ“化け”でも女性の心情は私では解せない」

『だろうね』

「ただ、言えることは“化け”の悪業を暴くに因果関係を付け足す。それは承知するのだ」

『止めはしないよ。あんた、あたしの亭主じゃないから』


「では、これにて失礼致す」


 茶太郎は、門倉亜瑠麻との通話を終わらせたーー。



 ***



 掛けて縺れた謎が増えたが、機転を利かせるしかない。

 “化け”が裁きを受けて、刑を課せられるに必要な証拠はまだ集められる。


 茶太郎は、次の行動に乗り出すのであった。そして、其処で出番となるのがーー。


 時は深夜の刻。


【天明】地区の河川敷にて、月明かりに照らされている土手の桜並木が寒の戻りで咲こうか咲きまいかと花弁を震わせているように見えていた。


「野暮なことに付き合わせてすまねえな」

 “蓋閉め”の作蔵からの逆指名は、茶太郎にしてみれば好都合だった。何故かといえば“蓋閉め”にくっ付いているだけで、情報と証拠が揃うということだ。一方、腑に落ちないこともあった。


「案ずるな。たとえ何処かの女医の根回しだろうが、貴様の仕事だ」

 茶太郎はつい、嫌味を突く。すると、作蔵は気まずいさまをするのであった。


「“呪塗り”は病原体のようなものだ。人、生き物に取りついて悪さを仕出かす。だから“陽咲き”は俺に仕事を回したのだ。茶太郎、おまえが捕まえた“化け”の病因となった“呪塗り”を押さえろとな」

「して【此処】が“呪塗り”の集会所。なるほど、確かにそうだ」


「生き物愛護施設は保護するに梃子摺っているだとよ。だろうな、これだけうじゃうじゃと“呪塗り”を被っている生き物を触るのはおっかないからな」


 生き物といえば、確か“化け”には『めいめい』と名付けた飼い猫がいた。とても賢く、悪さをしない猫だと。しかし、長くは生きられなかったと“化け”は穿鑿の雑談で語っていた。


 ーーめいめい、行かないで……。


 “蓋閉め”の協力で御用した“化け”は、飼い猫の名を泣き叫んで呼んでいた。


 では、いつどこで、頬に引っ搔き傷を負ったのか。それが【此処】ならばーー。

 “化け”は自ら“呪塗り”を被ったと見なすには、余りにも短絡的だ。矢張り“蓋閉め”の力量が必要なのだ。


「居場所を失った生き物に“呪塗り”は目をつける。そして“呪塗り”を被せ、悪業を働かせる。人が愛を持って生き物に接するのも利用してだな、作蔵」

「茶太郎、読みがいいな。ああ、そうだよ。せめてこいつらに巣食っている“呪塗り”を追い出したいぜっ」

「生き物愛護という砦で過ごしたのち、新たな居場所を得るを望ませたい」

「同感だ。と、いうことで、おっぱじめるぞ」

 作蔵は、肩に掛ける襷の結び目をきつく縛る。

「御意」と、茶太郎も作蔵に続いて腰に着ける藍染めの麻袋を手掴みする。


 茶太郎と作蔵は生き物の集団を見据えていた。象りは闇に紛れてはっきりしていないが、無数の鈍く光る悍ましい眼差しが向けられていた。


『ぐるぐる……』

『しゃあしゃあ』


 威嚇の、鳴き声が聞こえていた。しかし、茶太郎と作蔵はじっとしていた。


『にゃあにゃあ』

『みゃあみゃあ』


 甘く愛くるしい鳴き声が混じっていた。生き物の子だと、そして“呪塗り”を被っていないのも判った。


『めいめい、めいめい』


 生まれたばかりなのだ。懸命に生きようとする姿を想い描くのは、実に切ない。


「作蔵、もどかしい酷に尊いが刷り込まれている状況を喝破する手段は見出せたか」

「蓋を閉めたいのはやまやまだ。でもさ、茶太郎。おまえにも見えているだろう」


「……。ならば、私が惹き付ける」と、茶太郎が言うと「どっちにだ」と、作蔵は一本歯下駄を鳴らす。


「我が名は万楽寺茶太郎、ここから始まった象りの影を斬る為に馳せ参じる。よって、正々堂々と覚悟して挑むのだっ」

 茶太郎の視線は、作蔵はおろか生き物の集団にさえ向けられていなかった。


 ーー行き場を失った生き物の砦を護る。あんたは、それが気にいらないのね。


「言語道断。共存共栄の権利は生き物にある」


 ーー何を言っても無駄。だったら、すっぱりとやってやる。そう……。



『あの時、わたしに食って掛かった女のようにね』


 額から左頬に掛かる、引っ搔き傷跡に見覚えはあった。違うのは、声色。

 “化け”の傷跡は正当防衛によるもの、それとも怨恨か。


 茶太郎は、月夜を見上げていたーー。

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