第3話 神の子


 

 魔族と人間では時間の流れが違う。あれから5年経った。永久の時を生きる魔族であるシルヴァは何も変わらないが、小さな子供だったリュミエールは成長期に入っているようで7歳の頃と比べると格段に身長が伸びていた。月日が流ればより高くなるだろう。シルヴァの身長は一般女性と同じくらい。要は平均的数値。目線を下にしないといけなかったのに、少し下げただけでリュミエールと目が合う。いつかシルヴァの背を超えて見下ろす側になるのだと思うと嬉しいと、いつかリュミエールは語った。調子に乗るなと拳骨を食らって地面に埋まったのはつい最近。

 自分を殺す為だけに育てているのに、長く生活を共にしているせいか、愛着が湧き始めていた。手放すのが惜しくなっていた。

 リュミエールは人間。良くて100生きられるかどうかの、魔族と比べると生の短い生き物。人間が1分1秒を大切に生きる姿勢は、限られた短い生を精一杯生きようとする前向きな感情からきているのか。シルヴァは、人間にならないと分からないなと首を振った。

 

 

「どうしたの?」

「いや。何でもない。それより、夕食は何がいい?」

「えーと、えーと、うーん……大きいお肉!」

「お前は肉が好きだな」

「いいじゃんか、美味しいんだから」

 

 

 今シルヴァとリュミエールは王都の中心街へと足を運んでいた。ピサンリから遠く離れた王都へは、屋敷と王都の路地裏の空間を繋いだのでかかった時間は0分である。距離が遠くなればなるほど空間の維持難易度は上がる。シルヴァ程の実力者だからこそ、息をするのと同じで容易くなせる。

 男の子だからか、リュミエールは見た目に似合わず大食いで肉食だ。

 金貨を溶かしたような髪と瞳、元からの容姿は歳を重ねていくにつれ磨かれていく。身嗜みに拘るシルヴァの教育の下、不衛生は許されない。毎日必ず朝は洗顔と歯磨きをし、服を着替え、夜はお風呂に入り、美容維持を怠らない。リュミエールの肌に吹き出物もシミもない、純白。髪も痛みもなく、指で梳くとサラサラと流れていく。

 大人になれば、絶世の美青年になるだろうリュミエールは昨日も肉だったのに今日もと希望。美味しければ連日肉だろうが魚だろうが気にしないシルヴァは、やれやれと呆れつつ肉屋に向かった。鮮度の良い肉を販売する馴染みの店の前に立った。

 

 

「おお! 坊主! 今日も来たか!」

「うんおじさん! 1番美味しいのを頂戴!」

「おう! ちょっと待ってな!」

 

 

 すっかり仲良くなったリュミエールと店主。生まれ持った人懐っこい性質は誰をも魅了する。気難しいと評される村の老人でさえ、彼を前にすると顔をデレさせる。聖女の子、にしては愛され体質だなと考える。どちらかというと神族の持つ魅力に近い。

 今日1番質の良い肉を4人分購入した。シルヴァは1人前。リュミエールが3人前を食する。

 次は何を買う? と顔を覗くリュミエール。シルヴァは「サラダも必要だ」と告げ、八百屋に向かう。

 

 

「トマトがあったら嬉しいな! シルヴァはどんな野菜が好き?」

「考えたことがない。だが、強いて言うならキュウリだな。食感が好きだ」

「ぼくも! とても食べやすいもんね」

「お前はピーマンとニンジン嫌いをどうにかしろ」

「えー! だって美味しくない!」

「ニンジンはまあカレーにしたら食べるが、ピーマンは全く食べないだろう」

「カレーはカレーの味が濃いから平気さ! でもピーマンは嫌」

「ならお前の夕食はなしだ」

「ええー!」

 

 

 うるさい、とシルヴァは両手を叩いた。

 ――瞬間、リュミエールは脳天と顎を見えない力で挟まれ地面に倒れ。即立った。

 

 

「食べるな?」

「……はーい……」

 

 

 口を尖らせながらも頷いた。食べないと駄々を捏ねたら、本気で夕食抜きにされてしまう。シルヴァは容赦がなく、怒ったら大陸で最も怖い人だろうが基本は優しい。優しさの基準が不明確でもリュミエールにとったら優しい人なのだ。

 

 シルヴァ達はその後、サラダに使う野菜を数種類八百屋で購入し、路地裏に向かった。空間を繋げようとした手を上げかけた。シルヴァは動きを止めた。首を傾げるリュミエールが問いかけると舌打ちをした。

 

 

「出てこい」

 

 

 迫力のあるシルヴァの声に周囲を囲むようにして多数の人が現れた。驚き、怯えるリュミエールはほんの少し背が高いシルヴァの背に隠れた。

 

 

「対魔師か」

 

 

 5大陸にはそれぞれ教会が存在する。各大陸を守る神を支え、守る教会が。

 北の大陸の神は幾度となく勇者を圧倒的力で屠る魔王をどう始末するか頭を悩ませている。教会の本山とも言うべき王都にのこのこと現れた魔王を見逃す馬鹿じゃない。

 白いローブに身から漂う聖属性の魔力。シルヴァが連中を対魔師かと呟いたのもその為。

 シルヴァ達の前にいたローブの者が一歩足を踏み出した。

 そして跪いた。

 


「!」

 

 

 シルヴァとリュミエールは一驚した。

 更に――

 

 

「お待ちしておりました、アーサー様。お迎えに上がりました」

 

 

 “アーサー”

 魔王討伐に現れる際の勇者の名。

 声からして男。

 男はリュミエールをアーサーと呼んだ。

 険しい顔付きで男の続きを聞く。

 

 

「聖女カテリーナと神王アイテール様の御子。それがあなた様です、アーサー様」

「アイテール……?」

「……北の大陸を守る、神の名だ」

 

 

 男の告げた神の名前。シルヴァが愕然とするのはアイテールの名前じゃない。

 リュミエールが12年前殺した聖女と神の息子と知ったからだ。強力で純粋な神力を感じるとは抱いていたが疑問が払拭された。更に戦慄された。この世で最も高潔である神が人間の女と子を? それも聖女と?

 アイテールの肩書きを告げたシルヴァに男が目を移した。

 

  

「あなたは?」

「え……」



 リュミエールの足を密かに踏んづけた。涙目になられても振り返らず。シルヴァは「……この子を森で見つけた」と偽った。

 王都に来る際、対魔師と遭遇した時の回避方法としてリュミエール以外の人間に非常な強力な認識阻害の魔法を己に掛けた。鑑定に優れている者でも見抜けない。シルヴァを魔王と知る者でも、魔法がかかっている間は人間の女に見えている。

 男は仰々しくこうべを垂れた。

 

  

「我らが光、アーサー様を守り育ててくださっていたのですね。ありがとうございます。この褒美はアイテール様から言伝を預かっております」

「興味がない……」

「それより! ぼくが聖女と神の子供っていう証拠がどこにあるの! ぼくは普通の人間だよ!」

 

  

 怯えて背中に隠れていたリュミエールだったが、堂々とした態度で対峙するシルヴァに勇気をもらって前に出た。

 聖女の子であるのは事実。取り出したシルヴァが言うのだから。

 男は強い口調で告げた。



「その金色の目こそ、事実を物語っています。この世で金色の目を持つのは直系の神族のみ」

「……」



 押し黙ったリュミエールの隣で顎に人差し指をとんとん叩いて記憶を探るシルヴァ。ふと、初代アーサーを思い出していた。奴も金色の瞳を持っていたな、と。だが、他の勇者が金色の瞳を持っていたかどうかは……興味がなくて思い出せない。まともに覚えていないのだ。ほんの少しの力を出しただけで呆気なく死んでいった弱い勇者の容姿に髪の毛1本程の興味も湧かなかった。

 

  

「さあアーサー様。参りましょう。アイテール様は、あなたのご帰還を望んでおられます。必要であれば、その女性も連れて行くことを許可します」



 皺が目立つ、骨張った大きな手がリュミエールに差し出された。手を取る以外の未来はないと言わんばかりの男の声。前に立つリュミエールの背中は僅かに震えていた。

 行くか、行かないかを待っていたら……――

 手を振り払った。

 言葉をなくす男にリュミエールは放った。

 


「誰が行くもんか! ぼくはこの人と一緒にいたいんだ! この人と家に帰って、ずっと一緒に暮らすんだ!」

「あ、アーサー様」

「第一、ぼくはアーサーじゃない! ぼくにはリュミエールって名前があるんだ!」

 

  

 育ててくれた相手を殺させる為に育てられていると聞いた時、彼は酷く泣き叫び、暴れ、拒絶した。ずっとずっと一緒にいる。泣き止ませようとしても否定するまで静かにならなかった。

 周囲の気配が変わった。受け入れられる以外の選択はないと思い込んでいたのだろう。

 強い動揺が滲み出ていた。

 

  

「し、しかし、アイテール様は」

「アイテールなんて知らない。ぼくの親はこの人1人だけ。それ以上はいらない」

「そんな……アイテール様はアーサー様の誕生をずっと心待ちにしていらしたのに」



 シルヴァは瞼を閉じた。思考を巡らせる。

 回る

 巡る

 廻る

 まわる――

 

 

「……リュミエール」



 千年生きた仙人の如く、極めて静かでありながらも、1文字1文字に重みを含ませるシルヴァの声に呼ばれ、興奮していたリュミエールは幾分か落ち着きを取り戻した。不安げに、でも、と縋る金色の瞳に初めての感情を抱いた。名前を知らない感情。胸が苦しく、息がしづらい。痛みが広がっていくのを知りつつ、シルヴァは紡いだ。



「良い機会だ。本当の父親の所へ行くと良い」

「……え?」

 

 

 きっと自分を守ってくれる言葉をくれると予想していた幼児の顔は笑いの形を固めた。ヒクヒクと口端が痙攣している。やっと声を出せても、シルヴァは何も言わせないべく言葉に魔力を乗せた。



「聞こえなかったか? 父親の元へ帰れと言ったんだ」

「……あ、う……え……あ……え?」

 

  

 上手に言葉を発せない異変がリュミエールを襲う。だが、これはシルヴァの圧のせい。言葉に魔力を乗せたが故の圧力。喜びから一転、瞬く間に絶望に染まる相貌。またあの不明な感情が生まれた。次は顔を顰める痛みが襲う。だが、リュミエールはそれを理解出来ていない自分への苛立ちだと捉えた。焦りが強い様子で喋ろうとしても声が言葉にならない。


 機会が巡っただけ。

 自分の、長い願いが大きく前進した。

 リュミエールが神王の元へ帰り、力をつければ、己にとって強大な敵となる。

 退屈な長い生を終わらせるのに必要な道具だと自分に言い聞かせていたのに、いざ手放そうとすると離せない。1度決めた意思は曲げられない。



「シル、シル……ヴァ……っ!」

「……」

 

  

 シルヴァが見ていたリュミエールは、いつも笑っていた。

 時に拳骨をした時は痛そうな顔をし。

 ご飯抜きにされた時はこの世の終わりの顔をし。

 最も無防備な寝顔は最高の間抜け面で。

 ……傷つき、絶望し、泣いている顔は……ああ1度だけ見た……事実を告げた時だ……。



「忘れるな。お前は妾を殺す為だけに生かされていたと」

「――――」



 その言葉を発した瞬間、周囲の時間が止まった。否、止めた。静止された対魔師とリュミエールを置いてシルヴァは12年振りに魔王城へと帰還した。

 主不在の城は変わっていない。

 久しぶりの玉座に座った。



「……呆気ないな」



 肘たてに顔を乗せた。

 別れ、というのはこうもあっさりで呆気ないのか、と知った。



「……これで、妾の願いが叶うか」

 

  

 聖女の子と生活し続け、久方ぶりに1人になったシルヴァの声に返してくれる声はない。孤独は好きだ。誰の存在を気にせず、己が命が尽き果てるまで戦い続けられる。

 心の空洞もいずれ塞がる。

 風が抜けていく。寒いと思う。何を発しても誰も返してくれない。

 

  

「……」

 

  

 孤独とは、虚しいものだったか。

 シルヴァにはもう分からなかった。

 

  

   

     

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