File:2-4_条件=Requirement/

 ドアの先。そこには待っていたかのように私らを見つめていた目があった。

 この国の人種ではない。香るワックスで整えたブラウンヘアの男性。眼鏡をかけた三十代半ばに見える若さ。だが、そこまでしか情報が得られない。私にとっての違和感が不安を煽らせる。

 その男は、エグゼクティブデスクの後ろにある社長椅子に腰かけていた。経験上、私が見た校長室とはけた違いの広さだ。ここまで典型的な社長室へやもなかなかない。開放感ありすぎて逆に仕事がはかどらなさそうではあるが。


 近づいていくにつれ、情報は増える。ミラノラインモデルの高級スーツを着ており、いかにも真面目そうだ。だが、どこか優しさのある雰囲気を漂わせており、スーツのコンパクトで柔らかなフォルムがその男とマッチしている。スーツが似合う男とはこの人物のことだと言ってもいい。


 しかし、視力回復治療や手術簡易化、メカニカル発達による義眼の高性能化もできる今の時代で眼鏡をかけるとは、この人わかってるな。伊達眼鏡ファッションなのか、否、グラス型ウエアラベルか。おしゃれを意識していることに変わりはないとはいえ、ちょっと私の推しキャラの一人に似ているのがなんとも複雑な気持ちにしてくれる。どうも私は眼鏡をかけた長身痩躯あるいはがたいのいい、できるビジネスマンに弱い。


「失礼します、アルベルク社長。例の彼女を連れてきました」

 インコードはさっきまでのふざけたテンションとは大きく異なり、凛々しく敬語を使っていた。それは当たり前のことであるどころか、ビジネスではもっと礼儀正しい振舞をする必要があるにしても、彼が言うとどうも変な感じがあったため、彼の敬語は聞き慣れない。そもそも、最高経営責任者を親戚のおじさんみたいに話しかけていること自体ひやひやする。


「お勤めご苦労。早速だが、まず君に言っておきたいことがある」

 その穏やかな声色と安心させるような優しい口調が、返って気持ちを不安にさせた。

 こういう優しいとこが怖いんだよ。

 それに、この国の言語を巧みに使っている。最近では簡易的な翻訳エンジンによって簡単に異国言語も話せるので、それを使っている可能性もあるが。

「チャットを見たけど、いきなり申請や手続きもなしにパスさせてほしいなんて難題、できるわけがないだろう。それも、君がたまたま見つけた……精神疾患の病歴があって、前科持ちの、とどめにイルトリックの汚染を受けた一般市民を国防治安維持部門特殊対策課第三隊君の部隊に配属させたい、と」


 男は疲れたような表情で溜息をつく。私は目を丸くし、バッとインコードを見た。

 ちょっと待て話が違うぞパリピ。組織が必要としてるってまるっきり嘘じゃねーか。おまえの独断だったのかよ。こちとらめっちゃ気まずいんですけど。

 目で訴えても、この男は気づかない。真剣な目で抗議する。


「お送りしたデータの通り、彼女は一般市民どころか、ここの職員をも超える特別な力を既に発揮できています。まさに現代のジョン・フォン・ノイマン。必ず、アンダーラインに必要な人材となります」

 いやなに偉人の名前を出して例えようとしてんの。二十代特有の意識高い系かよ。

「しかしなぁ、それにしたって突然すぎるだろう」

「それでも、なんとかするのが総統括でしょう」

 インコードはにっこりと笑みを浮かべる。対して彼は苦悩のため息をひとつ。


「気持ちもわからないわけではない。君のビジョンに彼女の存在は不可欠なのだろう。しかしだ、あの心慌意乱が導いた結果が今回の件だとすれば、君も彼女も、後悔に溺れるリスクがあることを心にとどめておくといい」

 この方もこの方で回りくどい言い回しをする。部外者わたしがいるから抽象度を上げているのだろうが、不穏なニュアンスを含んでいる。

「まぁいいだろう。三つ条件を呑んでくれるならね」

「なんですか」

 眼鏡越しの穏やかな目を鋭くする。


「まず、『適合試験』は必ず行ってもらう。このあとすぐにだ」

 インコードはピクリと目の色を変える。何か言いたげな目だったが、社長は手を組み、それを既に見抜いていた。

「ここの者たちクルーがどういうものか、君なら明確に知っているはずだ。『BHO』の実施――いわば『CC』の移植と『BNB』交換、『MEC』の導入、そして『PDMR-四』の照射等は治安維持部門、特に『特策課エキスパート』では絶対条件だ。彼女の場合、除染処理も忘れないように」


「……もちろん、承知の上です」

 それっきり黙り込むインコードに、社長はふぅ、と息を吐き、

「君だって彼女を死なせたくないだろう。そう思えば、適合試験をやる意味は十分に有る」

「わかりました」

 あのインコードが深刻そうな目をしていた。

 そこまでその『適合試験』はリスクが大きいものなのだろう。双方の思考が読み取れない以上、それが何なのか確定はできなくも、人体に何かしらの施しを加えるニュアンスは感じている。

「よし。それ以外の電子書面契約や入職審査等の手続は行わないか延期にするから安心したまえ。……特例だからな」


 総統括は冷静に言う。その声も穏やかだった。

 入職条件という義務でさえもインコードは条件付きでパスさせる。目の前のトップ層がそれを許可する辺り、彼の立場は肩書よりも相当の上なのだろう。それかプライベートで関わりがあるのかと考えたが、そうだとしても私情をビジネスに持ち込むのは……今どきはむしろその方が組織が回るなんて絵物語りろんもあるからどうでもいいか。


「二つ目。最初の三か月から六か月間は試用期間としてサポーターの仕事を命ずる」

「……約束が違いますが」

「まぁ聞くんだ。君の部隊への配属は認めるが、試用期間中にイルトリックにかかわる任務遂行やイルトリックの立ち合いは控えてもらう。裏方の仕事の重要度もそうだが、まずはお互いを知り、信頼を積み重ねる段階が必要だ。イルトリックへの耐性と知見もそこで徐々に修得させる。指導や研修に関しては君に任せるとしよう。プロトコル範囲内であれば好きにしていい」

「まぁ、そうですよね」と半ば納得してないも、「わかりました」と返す。さっきまでの深刻な表情はすっかり姿を消していた。


「では三つ目。これは君に向けた話だ」

「え……私?」

 突然話しかけられたので不意を突かれる。第三者のつもりで聞いていたから尚更だった。

 私に対しては優しく語りかけるように話した。

「そう。鳴園奏宴めいえんかなえさん、だったね。私はこのUNDER-LINEのの総統括を務める、リチャード・アルベルクだ。今後ともよろしく」

「あ、はい、よろしくお願いします……!」

 私は深くお辞儀をした。切迫感によるぎこちなさは自分でもわかっていた。

 リチャード・アルベルク。真名ではない。この人もコードネーム。本名を知ろうと目をじっと見つめたが、インコード同様、読み取ることができなかった。精々イニシャルが――。


「鳴園さん」

 正面の彼はにこりと笑う。まるで喉に釘が刺さったような圧がかかり、解への導きが止まる。

「初対面の相手の思考を探るのはマナー違反だ。人の寝室を土足で踏み入れることは控えた方がいい」

「……っ、す、すみません」

 読んでいることを読まれた。寧ろ私の思考を読まれているようで背筋が凍る。

「インコードの言う通り、訓練も開発もなしに"読み"ができる一般人は珍しいね。精度も悪くない。でも、君のような"心を読む"人間や、精神や心、魂に入り込む存在を僕らはいくつも見てきている。情報が洩れないように、それなりの対策と訓練をしているだけさ。そこの彼も同じだ。君の礼儀を見ればとうに試しただろうけど、"表面"ぐらいしか読めなかっただろう」


 私は横にいるインコードを見る。「まぁそういうことだ」と自慢げに笑っていた。

 このままじゃあの総統括に呑まれてしまう。本題に戻った方が賢明な判断だ。

「あ、あのっ、それで、三つ目の条件とは……」

 総統括は「あぁ、そうだったね」と謝り、脚を組み直す動作をした。

「なぜここに来た」

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