File:2-5_最終面接=Relentless ordeal/

【注意】精神的に弱い状態になっている方は自己責任で閲覧をお願いいたします。

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 ……え?

 キャッシュまみれだった脳の中がクリアになったような。それを越え、血の気までも引いていく感覚を抱く。

「イルトリックの被害を受け、その記憶も鮮明に残っている。その上でここまでついてきた。まぁ、彼の強引な勧誘や脅し文句に押し負けたのもあるだろうが」

「別に脅してないけどなぁ」と小言を挟んだインコードを一瞥した総統括は「とにかく」と続けた。


「その目には期待が含まれている。ここに来れば何か変われるだろう。今までの過去を断ち切ることができるだろうと。そういう目だ」

「わ、わたしは」

「その気持ちを否定するつもりはない。ただ、それだとすぐふりだしに戻るよ」

「……どういう、ことですか」

「過去を断ち切るだけでは繰り返すだけになる。自分を否定して自分を変えるのも然り、抵抗はあれど多くの人ができる錯覚に過ぎない。自分を保ったまま自分を変えることほど、難しいものはないだろうね。人は頑丈で、脆いんだ。そう簡単に変化できなければ、変化した時、簡単に壊れる。力ずくで花瓶を変形しようとしても割れるようにね」

 ふと、部屋の隅に置かれている大きな花瓶を見つめる。数種の花が生けられたそれを人の心だとでも言いたいのだろう。


「その二律背反の境界線に立つには、すべてを認め、そのすべてに抗わなくてはならない。要は、自分の手で自分のすべてを愛して、捨てることはできるか。掴んできたものすべて、他者に潰される不条理を許容できるか。その覚悟がなければ、君の望むことも、彼のビジョンも叶うことはないだろう」

 あいにく、この人の言葉を素直に受け止められるほど私は成熟した人間ではない。まるで自分が一番わかっていますよとでも言いたげな口ぶりに、大人げなくも反応してしまった。それが反感を買う言動だと分かったうえで、私は答えた。


「"解って"いますよ、そんなこと」

 目の色が変わった。人としての感情はあるようでむしろ安心した。


「だからここにきたんです。期待も懸念もぜんぶひっくり返るかもしれないし裏切られるかもしれない、それでも覚悟決めて今ここにいます。それに、私ならイルトリックについてより詳しいことがわかるかもしれない。それがここの組織といろんな人たちを助けられるかもしれない。こんな脳みそ、今すぐにでも捨てたい気持ちでいっぱいだったけど、これが少しでも誰かの役に立てるなら、誰かを一人でも救えるなら……怪異だろうと悪魔だろうとぜんぶ読み解いてみせる。これが、私の解答こたえです」

 静寂が流れる。いや、空気が凍ったとも言える。

 そこに怒りも呆れもない。ただ受け止めた様子に、底の知れなさを思い知る。

 秘密結社のトップの口が開く。その口一つで、私のこれからが確定する。


「水を差して悪いけど、そこに"他者の次元は"存在しているかい?」

「……他者の次元、ですか」

「裏の目的はさておき、おそらくそれが君の本心だろうね。勇気を出して話してくれてありがとう。そうやって正直に言える人は今どきなかなかいない、もちろんいい意味でね」

「……ありがとう、ございます」と返すが、いい気分はしない。本題はそこではないだろう。


「それも一つの正解であり、君個人の信念だ。その意思は尊重するし、しかと受け止めたよ。だけどひとつだけ意見を言わせてもらうとすれば、それ故に自分本位の回答でもあると感じている。こちら側の気持ちは考えてくれたのか、気になるね」

「"組織側が聞いて喜ぶ回答"でも言った方が良かったですか?」

「そうは言っていないよ。模範解答は求めてもないからね」と優しくあしらわれる。

「僕が言いたいのは、自分が望まない形でも、それが他者に望まれることであれば選択できるのかということだ。例えば……そうだね、今この場で君が消え去ることをUNDER-LINEが望んでいるとしたら?」


 途端、目の前の景色が点にまで遠ざかった。無限の距離が間に生じたように伸び、やがて私の体がそのまま背中から落ちていることに気づいた。声を出す間もなく光が遠のき、どんどん闇に飲まれていく。数秒も経たないうちに背中から感じた衝撃は落下距離の割に小さく、また布団のように柔らかい。無限に見えて闇と化した視界は、よく見ると見知った天井だった。電気が消えていて、よく見えない。でもこの匂い……。


「私の部屋……?」

 なんでこんなところに。それに今のは何だったのか。このリアリティはホログラムではない。転移でもされたとか。それか、幻覚でも見せられているのか? なんとなくぼーっとしてしまう。意識がちょっと遠のいたような。それになんだか悪い夢でも見た気分だ。

 ベッドからゆっくり起き上がり、いつもの仕草で床に足を向ける。カーペットのない床の冷たさを感じなかったのは、土足でここにいるからか。戸惑いを感じながらも、立ち上がった時、音声認識してないのに勝手に部屋の電気がついた。


「――ひっ!?」

 飛び込んできた情報を前に、後ろへとのけぞり、ベッドへと逃げるように座った。デスク上の空間映像式のホロPCとベッドしか使ってないのか、そこと扉へと続く道以外はゴミ袋で6畳半ある私の部屋を埋め、独特なにおいが充満している。ごみの臭いだけじゃない。認めようとしたくないものが目の前にぶつかりそうになったのだ。


「なん、で、わたしが?」

 天井に打ち込まれた金属フック。固く結ばれ、吊られたロープにくくられているのは私だったモノ。名状したくもない臭いは脚から垂れ、つま先から床へ滴り落ちる腸液。虚ろな目は既に絶たれたことを物語らせる。爪がはがれた指は赤く凝固しており、それが事切れる直前まで後悔を覚えて抵抗した後だと見て取れる。

 わからない。なんでこんな景色が見える。なんでこんなものを見せてくる。首がかゆい。圧迫感のある息苦しさが喉を締め付け、脂汗がにじみ出てくる。気が狂う前にここから出ないと。

 転がるようにその場から逃げ、ドアノブへと手を伸ばす。その先は廊下だ、このまま階段を降りよう。


 だが、開いた先は異空間そのもの。距離感がつかめない壁にはコラージュされた無数の人の目と口。いずれも忙しなく動いては何かを訴えかけてくる。そして天井には無数のテルテル坊主が並び――否、白い布を被せた何人もの私が首を吊っているのだ。足元の異物感を覚え目を向けると、赤く濡れた床の上で無数の薬が散らばり、数多の蛆が蠢いている。


 叫ぶことすらもできず絶句しかできなかった私は、果たしてしりもちをついた。途端、すり抜けたかのように床が液状と化し、ドボンと音を立てて体が沈んだ。

 見えない。苦しい。冷たい。もがいた手足の中、掴めた何かを引き寄せるように引っぱり、重力の感じる方へと頭を出す。上へと目指したはずなのに、水面から顔を出した瞬間、吸い寄せられるように上へ、否、下へと落ちていった。


「――うぐっ」

 二秒も経たずしてべちゃりと音を立てて落ちる。息を切らし、ただ薄く張られた水の地面だけを見つめた。滴る髪をかき分ける余裕もなく、呆然と前へと顔を上げると、ぽっかりと広がった薄暮のような闇があるだけ。だが、水面から沸騰するようにいくつもの黒い液体がぼこぼこと湧き出て、瘴気がかろうじて照らしてくれる夕闇をかき消してくる。得体のしれない何かを察した私の体は反対方向へと逃げ、水しぶきの音をうるさく立てる。


「……っ、はぁ……ハァ……っ」

 無限に思える果てのない場所。肉体的な限界も感じ足取りが遅くなってきたとき、突如一筋の光が正面に現れる。出口だと本能的に察した私は水面に浮かぶそこへと――両開きの扉へと向かい、手を伸ばす。

 急に開けた光に、思わず目を閉じ、立ち止まる。


 盛大な拍手が私を包んだ。

 よく知る制服ブレザーを着た少年少女と教員が左右とその後ろに並んでは拍手して出迎えている。数十人いる彼らの両目は不気味なほどに細くし、口角も吊り上がっては歯茎が見えるほどに笑顔を見せつけている。拍手喝采が導く正面の開けた道の先は、破けた金網と広がる青空。


 後ろから追いかけられる気配はない。出た先が自身の知る学校の屋上だとぼんやりした頭で理解したときには、誘われるがままに前へと進んでいた。濡れた足跡を付けて、拍手の両壁を通り、金網の穴をくぐった先はパラペット。七階建てもあるこの学校の屋上から身を投げれば、この頭は確実につぶれたトマトのようになるだろう。そうなれば、この苦しさからも解放される。

 これが救いなんだ。


「……いやだ」

 望んでなんかない。私だって好かれたいし、必要とされたい。認められたい。感謝されたい。みんなともっと傍にいたい。あの頃のように愛されたかった。


『まだ行かないの?』

 ふと、後ろから声が聞こえる。同じクラスだった立花涼子のものだ。友達に囲まれていた彼女らしい、優しい声でそう語り掛けてきた。


『早く行けよ』根岸壮太が言う。

『あと一歩だよ』田中莉子が言う。

『ほら頑張りなさい』小川一司が言う。

『勇気出せって』渡部周一が言う。

 励みの声に背中を押され、下のアスファルト色の奈落へと目を向いてしまう。


「嫌……嫌ぁ……」

 声が漏れ、訳も分からずに涙が出てくる。首に置いていたヘッドホンをつかもうとしたが、なぜか消えている。縋るものも失い、嗚咽を漏らすことしかできない。膝が笑い、その場でうずくまることも叶わない。拍手と声が煩わしい。他人も、自分の声も。喧噪に包まれた私は逃げるようにぽっかり開けた正面の空へと――。


「何も考えるな」

 突如聞こえた声で我に返る。インコードだ。だけど振り返っても見えない。両手を優しくつかまれている感覚を除いて。

「息を四秒吸って、八秒吐くことを繰り返せ。数えること以外の思考はすぐに切り捨てるんだ」

 瞑想の手順。藁にもすがりたかった私は目を閉じ、従った。息を吸う。頭上から何か温かい蜜のようなものが顔、首、肩、腕、背、腹へとゆっくり流れ、包まれていく感覚。息を吐く。温もりが浸透し、強張った筋肉と骨が沁みるような。


 ひたすらに静かな深呼吸を繰り返すと、悍ましさが、切迫が、耽溺さが萎んでいく。固く閉じていた目をゆっくり開けると、私の両手を握っているインコードが目の前にいた。緊張そのものだったはずの社長室が、自室のように安心感を与えてくれる場所になった。

 

「きえた……?」

 呆然とした声を漏らす私に微笑みかけた彼は手を離して立ち上がり、総統括の方へと振り返る。


「社長、さすがにハラスメントですよ」

 諫めるような声。視線を上げた先に映る総統括は、毅然とした笑みを向けるだけだった。老人に語り掛けるようなそれは、かえって悍ましさがある。


「三つ目の条件を言っていなかったね。この"最終面接"を彼女がパスできたら、君の要望に応えることを約束する。とてもじゃないが、今の彼女のままここに入ったところでお互いのメリットになるとは……僕は思えない」

「この人手不足社会に人選んでる場合ですか。どんな人材だろうとそれを活かすのが経営者ってもんでしょう」

「この組織の大切な人材と取引先を守るのも経営者の役目だよ。どんなに不況になろうとも、バスに乗せる人を選ばなければ全滅だってあり得る」

「そういうことなら」と言葉を返したとき、総統括は止めるように彼の名前を呼ぶ。

「インコード。これは彼女自身の話だ。寄り添うことはできても、肩代わりはできない。言いたいことはわかるね?」

 つまり、手助けをするなと。喉から出そうになった言葉を吞む音を聞くも、彼が何を考えたのか私には知る由もない。だが暗黙の指示を受け取ったのか、少しの間を置いた後。


「……了解、しました」

 小さくそう返すインコードは、これ以上何も言わなくなった。唯一の希望の糸が断たれたような気持ちだ。

 さて、と総統括はこちらへと声を向けた。


「気持ちは落ち着いたかい、鳴園さん」

「……」

 インコードといいこの総統括といい、やっぱりこの組織はろくでもない。

「恐怖と憎悪。敵を見る目だね。当然の反応だ」

「……何がしたいの」

「何も」と背もたれる。「僕は問いを投げただけに過ぎない」

 嘘だ。何かを仕掛けなければあんな悪趣味なリアル、感じるはずがない。

 総統括は笑みを浮かべ、両手を組む。


「一つ助言しよう。先ほど君に起きた現象は僕も把握している。だけどそれだけだ。あとは君自身がなんとかするしかない。ひとりでね」

 準備も装備もなしで打開しろとでも。


「なにも僕は、本心から君を傷つけたいとは思っていない。君も守るべき人類の一人だ。だけどUNDER-LINEに入る以上は、生半可な覚悟と半端な相性じゃ何も為せないまま、死ぬこと以上の苦痛を味わうことになる。何より周囲を巻き込むリスクはこちらとしても避けたい。申し訳ないが、こればかりは君のためでなく組織のためだ」

「いえ、偽善で君のためだと言われなくてよかったです」と強がりを見せる。


「それならよかった」と微笑む。同時、部屋が黒い液体に覆われていき、目の前の総統括の左右から異形の怪物が黒い粘液と瘴気を纏って這い出てきた。まるで、その人を守るかのように、私の前に立ちふさがってくる。

「では、"最終面接"を再開しよう」

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