File:2-3_入職=Welcome to The UNDER-LINE/

 分厚い金属でできた自動ドアの先はニメートル四方の空間のみ。行き止まりだった。しかし、エレベーターの中にいるかのような振動と気流の変動を感じる。一瞬だけ途絶えた意識と空間。体感したことのない、まるで細胞が崩れたような気持ちの悪さ。しかし体はなんともない。

 気になった私だが何も口に出すことなく、「下へ参りまぁんす」と誇張された癖の強い女性アナウンス口調で言ったおふざけ野郎を一瞥した。当然、無視だ。


 辿り着いた先にこの青年が務める大規模な組織がある。鬼が出るか蛇が出るか、命がけだろうと今までの生活よりはまだマシな人生を……いや、自分のこの腐り爛れた心情が少しでも良くなれると信じたいところだ。だったら病院に行った方が早い話にも思えるが、生憎自分の影響下において理解を示してくれる医師やカウンセラーはいないと解答がご丁寧に出てくる。AI医師もお決まりパターンへと誘導する気づかせコーチング心地のいい言葉遊びカウンセリングをするだけ。何も響かない。


 ある程度の未来は演算的に予測できるも、自分の運命なんて一通りだけに絞って読み取れるはずもなく。結局、ただ流れに身を任せるだけだ。毎コンマ秒、時空軸の方向性は変動するのだから。

 アイヴィーを開いてSNSをチェックしようにも圏外だ。ここFreeないのかよしけてんな。さてはこの組織独自の回線を使っている。この気まずい空気を紛らわそうとヘッドホンの音楽をヘヴィメタル系にして音量を上げようとしたとき。


「詳しい説明はまたあとで話すけど、これだけは心に据えておけ」

 突然の神妙な口調でインコードは言った。音量ボタンに触れた指がふと離れる。

「これから関わる人は全員、普通の人間じゃない。人の皮をかぶった何かだ。まぁ、俺もあんたも例外じゃないからむしろ気が合うかもしれねぇが、誰彼構わず変に肩入れはしないことだな」


 何を突然。やけに淡白に言葉を並べた印象だ。ちょっと気に障ることも言われた気がしたが、いつものふざけている調子ではない。しかし中身が読めないとなるとこちらの憶測にすぎなくなる。こういう感覚もなんだか久しく思えた。

「情を移すなってこと?」

 だが、返事はなかった。目を合わせて話さないと死ぬような陽キャの振る舞いをしていたこいつが、今はそれが微塵にも感じられない。

「それともうひとつ。この組織のことも、そいつらのことも、これから知識経験として叩き込まれることの一切を口外した場合、人間として生きていけなくなることを肝に銘じておけ」


 悪寒が走る。

 冷徹な瞳が語った言葉。それはどういう意味で言っているのか。ただ、ろくなことがないのは明確だろう。

 息を呑む。もう、引き返せない。


「ま、会社の就業規則とそう変わんねぇか。それさえ守ってくれれば大体は大丈夫だ。畏まる必要はねぇし、言うほど束縛はねぇから。テキトーでおけまる牧場よ」

 先程とは一転し、ぱっと明るくなった笑みと温かい言葉にほっとするが、大抵の会社紹介での説明ほどあてにならないものはないわけでもない。しかしどこか説得力に欠ける。

 ポーン、と電子音が空間に響く。着いたようだ。音声と同時に鋼鉄ドアが開いた。


「ようこそ。我らが『UNDER-LINE』へ!」

 インコードが大げさに手を差し伸べた先の景色ファサード。そこはまるで大都市のターミナルホールのような、芸術の自然アートワークが広がっていた。


 硝子の柱のようなカプセルエレベーターが等間隔でぐるりと六つ配置、ホールの壁側に全十四層のフロア。しかし通路の天井や壁は有機ガラス製であり、その向こうには太陽の下でその暖かな光を反射している紅葉の空と緑育む海が映り込んでいた――いや、これはスライド式のパネルで覆われているのか。流動する像があまりにも細かで、私の"目"でも一瞬だけ判別がつかなかった。


 吹き抜け構造の複合商業施設のような、タワーマンションの中庭――中央ホールの高い天井はドーム型を象っている。そこには脳神経のような幾何学模様を描き、その表面を層として覆うように、分子配列のようなガラス色の骨組みが確認できる。そこから放たれる仄かな照明が円柱型のホールを十分に照らしていた。

 一階から天井までぽっかり空いた中央の空間ホール。そこにはホログラムで作られた粒子状のオブジェが、天を舞う竜のように限られたスペースで動いている。色とりどりに変わり、雲、魚の群れ、幾何学模様と、形を変えながら流動するその様はアートの域を越えていた。まるでここが鳥籠の中のよう。


 壁際やモニターウィンドウで覆われた白い柱の側には、ちゃんと育っている植物があり、またどこからか水のせせらぎが聞こえてくる。これらが無機質に生かされている空間と、生命の温かさとのバランスを保っている。

 演出としてガラス状のディスプレイに映り込む自然の景色。メタリックミラーとクリスタルガラスを強調したブルーライトの塔。その内部を見ている私は、とても地下にあるものとは思えなかった。暗色なのに、窓から差し込む太陽のように明るい。

 そして、そのホールを地上の通行人のようにいろんな人たちが行き来していた。手すりにつかまり、真下を見れば、都心を行進する学生カジュアルビジネスマンフォーマルの群れ――と思わせるほどの風貌を装った老若男女らが最下層フロアを移動している。そこに人種や人族は関係ない。飛び交う言語もこの数秒で十は越えた。

 現在いる階層は七階。辺りを見渡す限り、他にもルームはあるようだと私の脳が教える。


 感嘆の溜息をついていた。その景色に釘付けになっていた私にも、動かされる感情はあったのだと。

「ここは第二エントランスホール。いろんな役職をもった人たちが交流する、組織内の公の場だ。ここよりも更に広い『センターホール』ってのもあるぞ」

 私の口はぽっかりとあけたまま、ただ深い息を吐いていた。

 そして、やっとその感想を口にすることができた。

「地下にこんな場所があったなんて……」

 それを横目に、インコードは微笑んだ。


「UNDER-LINEはSky-LINEの『根』なんだよ。そらへ大きく枝を伸ばすSky-LINEの大きさだけ、ここは地下へ大きくその根を張る」

「他にも場所があるの?」

 ちょっと興味を持った私の様子に気が付いたインコードは嬉しそうに微笑する。本当に顔がいいなこいつ、と思ってしまった私はふんと鼻を鳴らしてはそっぽを向いた。

「まず、"総統括"んとこへ行こう。施設案内はそれからだ」


     *


 私は驚愕した。

 勿論、誰も知らない秘密結社みたいな公的機関が存在している上、こんなに広大なことも、それが首都の地下深くにあることも。

 だが、それ以上に驚いたことが、

「……あんたって意外にもすごい人だったのね」


 この得体の知れない変人インコードがここの職員に会うたびに尊敬の眼差しを向けて挨拶を交わされている。感謝も述べられているあたり、お節介にもいろんなとこで手伝っているのだろう。部下らしき人だけでなく、目上の人たちからもそのように慕われているのだ。

 簡単な話、こいつは地位的にも人情的にも高い人だった。


 ここの大体が年齢層問わずこいつに敬語使ってたし、畏まってたりしてた人もいたし、そんな尊敬されてる男に対してタメ口で話したり怒鳴ったりしてた私は何とも言えない気分に襲われていた。

「ははは、凄いってことはねぇよ。ちょっと世話になって顔が知れてるだけだ」

 こんなときだけ謙虚ぶるから腹が立つ。


「なんだよ、そんな顔して。尿意か?」

「なんでそうなるのよ」

 意外過ぎる発言に即答で返した。いきなりなんてこと言うんだこいつ。会話のキャッチボールにしたって魔球もまだマシな軌道を描くぞ。

 それに申し訳なさそうに言ってるのがまた腹が立つ。

「わりいな、そーいうことに配慮できてなくて。化粧室なら今の道を引き返して――」

「人の話を聞け! 違うって言ってるでしょーが!」

 正直な話、私はこれだけみんなに尊敬されている、信頼されているこいつに嫉妬していた。自分にはない、得ることもできないものが彼にはあった。

 それが、ただ羨ましかった。


 幻影瞬くエントランスホールを抜け、白い柱と段差のある白い天井が連なる通路を歩く。床が光反射するほど綺麗であり、水でも撒けば滑性がすごいことになりそうだ。ところどころ見かけるパネル映像や二、三m級の固定型ホログラムオブジェを見、どこかの美術館を思い出させる。すれ違う人と何度か目が合い、思わず目を逸らした。飛び込んできた他人の思考ノイズをヘッドフォンの音楽でかき消す。

 八つ並ぶエレベーターの内、左から二番目のそれに乗り、インコードは幾つかの階層ボタンをデタラメに押す。何故そんな子供の悪戯のようなことを今ここでしているのかと思ったが、次の一言でそれは勘違いとなった。


「んじゃ、おトップさんのとこに行くとしますかね」

 数秒して、着いたところは――不明。地下一階ではなく、何階でもない隠し階層。位置情報も標高も"解らない"なんて、やっぱりここは異常なんだろう。電子表示パネルにフロア数が示されていない。ぶ厚い自動ドアが開く。


「なんともまぁ……こってこてだこと」

 不気味なくらいに清掃の行き届いた暗色の空間。管理室や上層部の人たち専用のエリアだと言ってもよいほど、殺伐とした雰囲気を放っていたような気がした。SFゲームやそういう類の映画でも見たことあるような、近未来の無機的な雰囲気。

 それをお約束の一場面のようだと呆れる私に、インコードは淡々と返した。

「そんな畏まらなくていいぞ。ヤバそうなのは雰囲気だけだし、堂々してりゃなんてこともねぇよ」

「よ、余計なお世話よ」

 声が微かに震えている。やはり緊張しているのだ。

 ただ硬質な通路を歩く音だけが聞こえる。大理石のような重たい床。緊張でその床が何でできているのか"読み解く"余裕すらない。


「ここが総統括、つまりCEOのいる部屋だ」

 豪く無機質な自動ドアが目の前にあった。ただの金属質の自動スライドドアなのに、そこから放たれる威圧が私の小さい身体を覆い潰す。そんな錯覚を覚える。

 インコードはドアの傍のタッチ端末に手を当てると、シュン、と滑らかにドアが開いた。手か血流中になにか埋め込んでいるのか。否、そんなことはどうでもいい。

 私の心情に合わせることなく、友達の玄関に入るかのようにあっさりと統括のいる部屋へと入ってしまった。


「ね、ねぇ、まだ心の準備が」

 ドアが開いているので、私は小声で訴えかけた。

 そもそもこんな服装でいいのか。まず入室の時は……。

「そんなんいらねぇよ。早く来いって」

「うわっ、ちょ、ちょっと」

 インコードに手を掴まれ、部屋の中に引っ張りこまれる。


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