File:1-7_秘密結社=UNDER-LINE/

 瞬間、風が吹く。今までよりも強く、枯葉が舞い上がるほどに。

 数瞬の沈黙、静寂。まるでそこの空間だけが切り取られたかのような寂寥さ。

 その一言を理解した私は困惑を示す。


「……は?」

 青年はにっこりと笑ったままだった。私の反応を楽しんでいる気もしたが、初対面の他人にウソついて楽しむのもどうかしている。おそらく本当の話だ。


「え、ちょ、いま、なんて……」

 突然告白されたコミュ障みたいな反応をする私はしどろもどろに確認する。そんな芸能界よろしくスカウトじみたことが我が身に起こるとは思いだにしなかった。

 戸惑いを隠せていない私に青年はベンチから腰を上げ、前に立つ。アイヴィーに顔写真付きの証明画像を表示させる。それを眼前に見せながら、明るい雰囲気を醸し出した青年は口を開いた。


「自己紹介が遅れたな。俺は『United Nations Defence Excrescence Research』――"UNDERアンダー-LINEライン"国防治安維持部門特殊対策課第三隊隊長、インコードだ。あのとき突然撃って悪かったな。鳴園奏宴アンタをUNDER-LINEに勧誘しにきた」

 つらつらと話す青年。内心の驚きを払しょくするように私は鼻で笑う。


「……はっ、ばかばかしい話にもほどがあるって。そもそもアンダーラインなんてとこ聞いたことも――」

 心当たりはあった。都市伝説オカルトとしてネットで密かに噂されていることのひとつに、大企業や政府を裏で支える胡乱な秘密結社があるという、まるで取ってつけたようなしょうもない陰謀論がとある口コミサイトに乗っていたことを思い出す。

 いや、気のせいだ。ただ私が認知してなかっただけに違いない。ちゃんと正式に――。


「単純明快にいえば秘密結社だ」

 都市伝説は実在していた。

 駄目だ、一体どんな世界征服を目論んでいるんだこの悪の組織は。そう言いたげな言葉を噤み、苦虫を嚙み潰したようにしかめる。


「一気に胡散臭そうな顔になったな。心配せずとも、そこらの宗教団体と違って公的なちゃんとしたところだし、"世界"には半分・・認められている国連独立機関だ」

 自国の政府ですら怪しいというのに、世界規模で暗躍している秘密結社と明言している以上はちゃんとしたところとは言えない。

「そんなご立派な組織がやってるのはオカルト現象の解明とはね」と皮肉を込めるも、男はうれしそうに返した。


「そ、あんたの言う通りだ。俺たちの仕事はその人知を超えた何かイルトリックを専門とする研究開発やそれに関する調査、管理、防衛がメイン。神秘熱狂者オカルトマニア陰謀論者コンスラピシストが大喜びするような理想郷しょくばだろうよ。それに他の生ぬるい機関とことは違って、結構刺激的だぜぃ」

 にゃはは、と笑う青年インコード。聞いていて不安になってきた。


「……刺激的って、まさか」

「そのまさか。俺らの仕事、特に治安維持部門は体張るんだよ。下手すりゃ軍以上かもな。つっても、なんかの映画みてぇにどっかのテロリストやエイリアン相手に一戦やるわけじゃ……あったなそんなこと」

「あったんかい!」


 そんなとこに入ってしまったら命が幾つあっても足りない。そもそもあんなわけのわからない怖すぎる怪異に触れるのが日常なんて想像するだけで死んだほうがましだ。失ったはずの右腕を抑えつつ、しかし私はできるだけ冷静な表情を保つ。冷や汗が流れているが。

 つまりこの目の前の男はいうとこ秘密結社の戦闘員。相当危険な相手なんじゃ、とより強く警戒する。


「まぁとりあえず基本は人間と抗争する訳じゃねぇし、軍事機関ともあんまし関わってないから安心しろって」

 どこに安心する部分がある。関わっていることに変わりはないだろう。

「なっ、なんで私がそんな危なっかしいブラックなんかに……っ!」


「残念だけどよ、そっちには断る権利があんのかい。……犯罪者」

「……っ!」

 言葉が出なかった。豹変した青年の真剣な顔は刀のように鋭利な雰囲気を出していた。今の彼に武器を持たせるべきではないだろう。

 やっと気づけた。自分のことは最初から調べられている。おそらく、"あのとき"からずっと監視されていた。それの答え合わせをするように、青年は言った。


「前科持ちだったよな確か。担任教員を無我夢中でぶっ刺しまくったって、二年くらい前に報道されただろ」

 重い口調。この剽軽な青年はこんな声も出せたのか。

 違う。あれは違うんだ。


「わたしは……っ」

「やっていない。というか記憶にないんだろ? 刑務所ムショお得意の脳内調査データにはしっかりとその大脳皮質に明確な意思をもって狂気的に刺しているって視覚映像ヴィジョンが刷り込まれてあるけど、自覚なし。都合のいい頭してんのな」

「……っ」

 怖いよりも先に殴りたい気持ちがふつと沸いてくる。呼吸が震えているのはそのせいか、それともやはり恐怖が後押ししているのか。私は堪え、奥歯を噛み締めた。

「そのおかげで高校に汚名を残して退学。釈放された今では厚生どころか社会復帰する気なしのネトオタヒキニート。親御さんが泣くぜ」

「あんたいい加減に――」


「でも、俺たちにとってはそんなことどうでもいい」

 そう向けられた海のような青い瞳。見た途端、なぜか噴火するように出かけた言葉が引っ込んでいった。

「今のはあくまであんたの拒否権を拒否する道具にすぎない。……一度不思議に思ったはずだ。傷害致死罪にしては刑期が短すぎるって」

「……?」


 過ぎたことだった上に思い出したくないことだったので、それを言われるまで考えていなかった。確かに変な話だ。相当重い罪を犯したのにも関わらず、数年も経たずに私はこうして自由の身になっている。普通ならば今もまだ牢屋に入って善人へと調教されている頃なのに。

「最初は短くて十三年ぐらいの有期懲役だったんだろ? なのに途中で証拠不十分だの警察の不手際だので懲役半年ぽっきりになったのは明らか変な話だよな」

「……っ」


 もしかして刑が軽くなったのって……。

 懐疑的な表情だっただろう。私はまさかといわんばかりの目で青年を見つめ直す。その視線に応えたかのように、ニッと笑い返した。

「ま、察したなら上に感謝しとけよ。あと俺にも」

「な、なんで……」


 そうだ。私はこの男と出会ったのはこれが初めて。そのブラック企業(厳密には企業ではないようだが)と関わったこともないし、何の縁もないはずだ。私に何を求めている。数々のゲームやネットギャンブルで実績を上げたこともあるが、どう考えてもそれではないだろう。


「なんでって、あんたの"力"が必要だから」

「っ! 力って……?」

 ちょっと嬉しくなった私は痛々しい自己陶酔感ちゅうにびょうの心を忘れてはいなかった。しかし同時に心臓からドグン、と嫌な鼓動を鳴らした。そちらの方に心情が傾く。

 もちろん"力"なんてもの知るはずがない。ないのだが、もしかして自分の"あれ"に気がついているのかと思うと背筋がゾッとした。だとすれば、この男の務めている組織は、私のすべてを知っている。


「誤魔化してもらっちゃあ困る。物心ついたときから既に理解していたはずだ」

「な、何を言って……」

「これまでの人生振り返ってみろよ。そうだな……例えば、今までのテストで大して勉強してない癖に満点以外取ったことあったか? 教わったことができなかったことはあったか? 一度見たものを一ピクセル一ビット忘れたことはあったか? ミレニアム懸賞問題をその場で証明したことは? 投資やギャンブルで一度でも外したことは? 周囲の人間が単なる情報や風景の一部にしか見えなかったりしたことは? 人の考えやその深層心理が見えることも、今日おじさんとおばさんに道を訊かれる前に教えようとしていたときも、俺から逃げるとき人混みをかき分けるときも――」

「やめて!」


 無意識だった。どんどんと心の内から這い出てくる何かがとても怖くて、気持ちが悪くて、今すぐ消えてしまいたいと思ってしまうほどに。

 しんとした中、見届けていた青年は優しい声で突き付けてくる。


「心当たりは死ぬほどあるみたいだな」

 確かにそれは山のようにあった。自分以外の人間が皆、同じ人種と思えないくらい知識と思考に差があると感じた苦しさ。景色も音も臭いも、あらゆるものが情報として頭の中に流れ込んできては鼻血を流し、目も激痛を伴い充血し、失神した日も少なくない。目を隠しても、耳を塞いでも、どこに隠れても変わらない。

 本を読んでも、関心を示したが最後、インクにしみこまれた情報だけじゃない、そこに残された著者の感情や、本が樹木として存在していたときから工場で製造される最中に加わった熱や圧力、化学物質の情報も頭の中に入り込んできたことだってある。雑音がすべて鮮明に処理される気持ちの悪さに慣れず、中学校時代まではよく吐いていた。


 わたしには、通常の人が抱える"わからない"という感情が欠如していた。学ぶことの楽しさを、苦労を知らずに、ただ模範解答が構築される。それがどうしてかも解る。試行錯誤も許されない。誰よりも脳を動かしているはずなのに、腐り落ちていく感覚。


 人から見ればまさに全知。だがそれは名誉なことでもなければ万能でもない。嫌厭。嫉妬。疑惑。恐怖。そして自身の退屈と苦痛。狭い場所で生きたかった私も、周りも、不幸になるだけだった。


 そのことを蒸し返され、顔が歪んだのは自分でもわかる。ダメだ、冷静になれ。今は心的外傷トラウマに振り回されている場合じゃない。


「……」

 どこまで監視をしている。このストーカーが組織レベルで行われていたら相談所どころではない騒ぎだ。

「まぁ、そういう顔するのも無理ねぇよな。俺だったら中指立てて唾吐くね。いや早速立てるんじゃねぇよ。別に許可したわけじゃないから」

「人のプライベートを土足で荒らされる身にもなれっての」と手を下ろす。

「悪態つける気力があるなら、あとひとつ確認させてくれ」と青年は続ける。しかし、その声調トーンは先程までと微妙に異なっていた。


「このあと何が起きるか解るか?」

 すると、男は私の顔面――の右に蹴りを入れてきた。



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