File:1-6_不可解現象群=ILL TRICK/

 目が覚め、息を吹き返すかのように意識を前へと向ける。市内の石畳の公園。ペットと散歩している老人や数羽の鳩が目についた。"人"としての気配が感じられなかったような違和感がない。音が聞こえる。呼吸も安定。体も重たくない。まるで元の世界に戻ってきたような感覚。

 いや、それよりも私は生きてるのか。木のベンチに座っていた私は咄嗟に額のあたりを恐る恐る指で触れ、撫でまわしたが、弾痕どころか傷一つなかった。血も出ていない。額に触れていた手の感触で気づいた、右腕もある。袖もどこも欠けていない。

 もしかして夢だったのかと気怠さを感じた一方で、安堵した自分がいた。太陽の位置から大体三時あたり。随分と時間が経っているが、この弱弱しい眩しさに恩恵を感じていた。


「よかったぁ……」

 つい声が漏れてしまうが、こんな小さな声だったら誰にも聞かれてないだろうと息を吐いた。


「ホントによかったな。生きて帰ってこれて」

 言葉にならないような変な声を出してしまった。驚きのあまりベンチの左端までスライドする。

 私を撃った好青年が隣に、同じベンチに座っている。男は私の方を見ずに、ただ端末アイヴィーからホログラムとして展開された2Dアプリゲームをやっていた。有名なパズルゲームの見慣れた画面に一度だけ目が行くが、それよりも優先するべき感情が込み上がっていた。

 言葉の見つからない私よりも先に、青年はゲームをしながら話を続けた。


「俺が万が一アンタを見つけられなかったら、あのまま死んでたぞ」

「……っ!」

「言っておくけど、アンタがさっきまで見てきたのは夢でも何でもねぇ。けど、幻覚も混じってたな。やっぱ精神的な疾患も一端担ってたか?」

 冗談に言ったつもりだったのだろうが、顔が笑っていない。青年の視線はゲームに集中している。

 あれは夢じゃない。唐突にそう言われても、受け入れられるわけがない。


「後ろ見てみろよ」

 言われたとおりに背後を見てみる。

 高くそびえる高層ビルの複層ガラスが見事にすべて粉砕され、植物のように無数の鉄塔が太陽を渇望するように空へと伸びていた。砂と化したガラスは氷結した雪のように道路に撒き散らされている。


 ここからでは大量の車が吹き飛び、数多の人が倒れては何かが生まれてくる光景までは確認できなかったが、まるで小隕石よりも小さい火球が降ってきたような跡が一帯となっていたはずだ。ともかく、その異様な光景は夢ではないことを目に焼き付かせた。ふと、自分の服にもガラスの粉末がついていることに気がつく。


「え……あれ……?」

 しかし、その結晶粉末は水に溶け込むようにゆっくりと消滅していった。それだけではない。顔を見上げると、景色がフェードのようにすーっと元の光景に戻っていく。砂粒と化したガラスの破片は消え、ビルの割れた窓に複層樹脂が再構成されていく。現実の再確認からまた夢の中へ引きずり込まれたような気分になった。

 どういうこと……?

 そう口から出たかどうかも分からないほどの小さな声で呟いたときだった。


「……?」

 手に何かが当たる。見てみると、私が途中で落としたヘッドホン型音楽プレーヤーだった。「あっ」と思わず声を出し、無傷であることを確認した私は頭につけ、耳を塞ぐようにヘッドホンで覆った。

 やっぱりこうすれば落ち着く。聞こえづらいのが丁度いい。


「それアンタのでいいよな。一応拾っておいた」

 青年は変わらずゲームに目を向けたまま口を開く。

「うん、その……ありがとう」

 初めてまともに話せた気がした。ちょっと嬉しさを感じた瞬間だったが、あの街並みの悲惨だった光景はまだ受け止められない。右腕が消し飛んだ感覚も、撃たれた実感も鮮明だ。刻まれた記憶を思い返しながらもう一度街並みに目を向けると、嘘だったかのように、いつもどおりのつまらない景色となっていた。人々も何の疑いもなく、通行している。


「死亡数はゼロ。怪我人も失踪者もなし。一次災害で終わったし、それなりに記憶は書き換えられているだろ。ただ、ここら一帯のネット環境も原因不明のエラーで数分しばらく使えないけどな」

「……書き換えられている? 記憶が……って」


「あぁ、この都市まちで起きたことをなかったことにされるんだ。壊れた街並みは自動的に修復。人間も元通り。"あいつら"はうっかり巻き込まれたり目撃してしまったりした人々の記憶メモリーや物質の履歴ヒステリシスを都合のいいように書き換えたり消したりするんだ。テキストの編集みたいにな」


 当たり前のように説明する青年に不気味さを覚える。

 私の表情は信じられないを通り越して鼻で笑いかけそうになる。だが身をもって体感したあれを思い出すなり、否定すらできなくもなる。誰がどんな目的で何の為に……いや、考察するほどの結果材料が揃っていない。いつもなら分かるはずのことが、解らない。

 とりあえず、大事故には至っていない、ということでいいのか。それよりもこの男は何をどこまで知っているのか。ちらりと男は私の目を見、「思ったよか精神は安定しているし、大丈夫そうだな」と一言。


「大抵はパニックになって錯乱状態か思考停止して放心状態。記憶障害や精神崩壊も十分にあり得る。あとはDNA損傷もか。今回はラッキーだったな」

 アプリゲームを終え、端末をポケットにしまう。そういえばネットエラーなのにゲームできたのはどうしてだ。

 しかし、そんなことを考える気にもなれない。やっと私も内心の平静を取り戻し、男に訊いた。


「あれは結局なんだったの? 本当に現実で起きたこと?」

 幻覚や妄想でなければなんなのか。そう考えを巡らせているのを読み取ったのか、「とりあえず、映画みたいによくあるような幻覚じゃねぇよ」と答えたが、現実に起きた出来事であるのは当然のように肯定した。まるで私が間違っていると教えているかのような答え方だ。


「なんていうんだろうな、幻想であって現実に存在する理の歪、矛盾、盲点。まぁ、簡単にいえば……怪異現象か」

「は? 怪異ってアンタねぇ」

 聞いて呆れた私が言おうとしたことを遮った男の言葉は、聞き慣れないものだった。


「"不可Metalogic解現AbnormalityPresence"。通称、"道化Illの悪戯Trick"」


 ベンチに背をもたれ、このとき初めて私の顔を見る。"悪の奇術イルトリック"? その単語の意味を脳内で詮索するが、どれもこの男が言っているものと違う気がした。

「難しいことは言えねぇけど、このご時世けっこう技術進んでるだろ? 高度な科学は魔法に追いつくっていう評論家気取りの呟きをSNSでいくつも目にするしな。それでも、まだ盲点は山ほどあるし、完全に解明できていないことの方が多い。それが『イルトリック』。さっきみたいなバケモノ現象もそのひとつだ」

 そんな馬鹿な話があるわけない。だが否定しきれないのも事実。言葉を咀嚼し、思考を反芻しながら、男の話に耳を傾ける。


「イルトリックは現象そのものもあれば、それを引き起こす何かを指すこともある。ぶっちゃけて言えば、不思議なこと起きたら全部イルトリックによるもの。幽霊とかの怪奇現象もUFOみたいな未確認物体も真実は一つだけじゃねぇけど、あれらは人が観測できる形で伝わった氷山の一角に過ぎない。本質やつらはその先に影を潜めている。ま、ここの物理法則無視した超常現象みたいな感じで捉えればいいだろ」

「てことは何? 人知を超えた何かが人類の認識していない場所でやりたい放題しているとでも?」


「ざっくり言えばそーいうこと。つっても、技術的特異点シンギュラリティに達したのもあって神や悪魔の所業もある程度は原理原則の理解と観測の範疇に触れられるようになった。おかげで『不可解現象理論アンチシオラー』から『巫山戯た悪戯イルトリック』という名前になったわけなんだけどそれはいいとして、とりあえずこれは機密事項ね」といたずらに笑う。

「あんなド派手に発生しておいて機密もありはしないと思うけど……」

 真昼間であんなテロみたいな怪異があってたまるか。


「ま、学問として証明できなきゃ都市伝説だ。ネットで騒がれても所詮は適当にでっちあげられた噂として流れるだけだし、政府機関システム報道機関マスコミも自分の理解と利益に都合よくいくよう曲解するさ。それ以前にイルトリックが証拠隠滅するけどな」

 そいつは笑った。もはや笑うことも忘れた私はひとつの未来けねんを抱く。

「ていうか機密事項っていったよね。一般人の私にそんなこと話してもよかったの?」


 この男がこのまま「はいさよなら」と帰るわけがない。あの現象を知ってて状況打破できるなんてただものじゃないのは明らか。高火力の拳銃も持っていたし、そのジャケットの内側に入っていることも認知済み。ただこっちだってやろうと思えば"相手の思考や感情を読むことぐらい"造作でもない。あのときは不意打ちで読めなかったが、今は違うはず。とりあえずこの男は何者だろうかと青い瞳を見つめた。


「ああ、そうだな。これを聞かせた以上、ただで帰すわけにもいかない」

 その純粋な青い瞳は鋭く私を見る。私も見つめ返す。ここで折れてはならない。

 身構えた私は心の中で首を傾げた。それと同時に違和感、困惑、そして畏怖。


 この男の心理なかみが読めない。

 全くというわけでもないが、他の人よりもかなり読み取りづらい、モザイクのような靄がかかっている感じだ。まるで頭に何か装置でも施されているかのようだ。

「……どうするつもり? まさか拉致とかするわけじゃないよね」

 冷静を取り繕うが、嫌な汗が服の下で滲み出ていた。動悸も鼓膜に響くほど。

 こういった本場の緊急事態は日常生活であるはずもない。ゲームや映画で鍛錬されていたとはいえ、仮想と現実では当然肌に感じるものが違う。

 少しの沈黙。そして青年は息を吸い、閉じた口を開けた。


「あんた、俺らの組織に入んないか?」

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