第十七話 貧物語

 

 「昔は良かった」なんて言う人もいるが、それには理由がある。


 小さい頃の幸せの器は小さく、どんな些細なことでも溢れるほどの幸せが器には入っていた。だからデパートの屋上でも子供は遊園地のように遊んだし、そこが夢の世界だと思っていた。


 でも大人になり、世界を世間を知ると幸せの器はどんどんと大きくなる。

 そうなると器を満たす幸福量は増え、器を満たすことは難しくなり、あの頃のように些細な幸せで幸福を感じることができなくなる。


 だからいくらやっても満たされない今を見捨て、過去の満たされていた頃を拾ってしまう。


 だからって無理やり幸せの器を小さくする必要はない。

 だってこれからその器へ注がれるのは、子供の時には出来なかった数々の幸せだ。もし器が小さかったら、受け取る幸せが少なくなっちゃうからな。



 「——つまりだ。決して小が劣っている訳ではなく、大が優れている訳ではない。つまり貧乳は素晴らしくエロいと言うことだ。わかったか?多々良」

 「綺麗な導入から汚い話題に入るのやめない?」


 俺は無駄に長い講義を聞き終え、一番言いたかった事を銀杏へと放った。


 「汚い話題だと?貴様、女性の胸をなんだと思っているんだ!」

 「うるせぇ!大体何でそんなくだらない話題を、こんなでかい会議室でやる必要がどこにあるんだ!せめて教室でやれ!」


 放課後、俺は話したいことがあると突然銀杏に連れ去られ、都内の高層ビル45階にある重役専用会議室へやって来ていた。


 「うちの親父が所持する会社の一室だ。無論、許可は取ってある」

 「そこじゃーないのよ。その男子高校生百人中百人がしているであろうくだらない会話を、なんでこんな大企業のお偉いさん方が会議をする部屋でやるんだって言っているんだ!」

 「ふん、単純な話だ。それほどまでにこの議題が重要だと言うことだ」

 「お前の中で貧乳が優れている事を同級生に説くのは、会社の方針を決めるのと同等だと言いたいのか?」

 

 「無論」と銀杏が首を縦に振る。

 金と地位を持ったバカほど怖いものはないと、この時俺は実感した。


 「どうやら、まだ貧乳が優れていることに不満があるようだな」

 「んー違うよ〜?お前の行動とその理由に不満があるんだよ〜?」

 「こんな話をしよう。ある貧乏な家庭があった……」

 「やめないの?俺の話を聞かないの?なのに話は聞かせるの?自己中な」



 その家庭に住む少年は貧乏な家庭に不満などなかった。


 狭い寝室で眠り、小さいちゃぶ台を囲み、一人しか入れない風呂桶に三人で入った。でも少年は幸せだ。

 だって手を伸ばせばそこに愛すべき家族がいつもいるから。


 だがある時、その一家に転機が訪れた。


 父親の勤める会社の社長が急死し、その当時会社内にて人望の厚かったその父親が社長の座に座ることになった。


 半ばお飾りのように座らされた社長の座だったが、その父親はがむしゃらに働き、小さかった会社は急成長を遂げ、いつしか世界にその名を轟かせるまでに成長した。


 おかげで家族は大金持ち。犬小屋のようだった家とはおさらばし、山の上に城のような豪邸を建てた。


 あの兄弟同士寝ぼけて格闘していた狭い寝室はなくなり、家族全員に大きな個人部屋ができた。


 あの肩を狭めながら囲んでいたちゃぶ台は無くなり、大理石の大テーブルを3メートルも家族と離れながら座っている。


 あの小さな風呂桶はなくなり、一人でプールほどの大浴場を貸し切れた。


 でも少年は不満でいっぱいだった。

 寝ぼけても蹴るのはふわふわの布団だけ、肩を広げてもあたるのは硬い椅子の肘当て、お風呂で暴れても怒る親はそこにはいない。


 手を伸ばしてもそこに家族はおらず、あるのは物の溢れた空虚な空間だけ。


 少年は戻りたかった。

 あの狭い寝室に、あの小さなちゃぶ台の横に、あの一人しか入れない風呂桶に。


 あの小さな幸せの詰まった家に……。


 

 「——つまりだ。どんなにお金を手に入れたとしても、一番大事なのは家族の絆だと言うことだ。わかったか?多々良」

 「…………綺麗な導入から為になる話題に入るの……やめない?」

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