第3話 彼女を殺す、その前に



 ――――「……アキラの件だろう? ふふ……私はずっと君を待っていたよ。転校生のハルトくん。いいや……警視庁公安部・特別怪異犯罪対策室・第三課……通称《カイサン》……高校生にして、カイサンの特別潜入捜査官である、春日ハルトくんと言ったほうがいいかな」



 ――――「全部わかっていたわけだ……《名探偵》白銀ミサキ。いいや…………俺の姉さんを殺した怪異・《玉藻の前》」







 ハルトは考える。


(――こっちが《カイサン》なのがバレてる? 情報が漏れてる……? いや……)


「こっちのことを把握していたのか?」

「そっちこそ、私の正体を知っているじゃないか」

「……お前、この状況でまだ対等なつもりか?」


 刀を僅かに傾け、刀身の輝きを改めて突きつける。


「『お前』、ね……ずいぶん態度が違う。声色も、立ち振舞も、なにもかも。そっちが本性?」


「さあ……。お前への態度は嘘だらけだが、別に何が本性かなんて、もう自分でもわからないな」


 ハルトの任務は怪異事件を引き起こす人物、または人間社会に紛れ込む怪異に近づき、その情報を探ること。

 潜入捜査の度に、異なる役柄を演じていれば、本当の自分などというものは忘れていく。

 それでも、姉のことを忘れたことなどない。


「で? 俺の本性がどうした? 命乞いの算段をつけるための時間稼ぎか?」

「いいや? 純粋に気になっただけだよ」

「……」


 ハルトは眉根を寄せた。


(一体なんなんだ、この余裕は……? これから殺されるやつの態度か?)


 《怪異の王》ともなると、死を恐れるなどという感覚はないのか。


 それとも、ここから逆転する何かを残している――?


 ――――瞬間、パチンと指が鳴らされた。

 

 直後、ハルトの足元から何かがせり出して、重心がズラされて、体勢が僅かに崩れる。

 《ぬりかべ》。

 足を押し上げるように出現させることも可能だったのか。

 それに、スマホを使ってもいない。

 ――だが、今はそれよりも。

 ハルトは素早く刀を元の位置へ戻して、再びミサキの首筋へつけようとしたが――

 ミサキがスカートへ手を突っ込んで、そこから何かを引き抜いた。

 ――拳銃。

 太腿にホルスターが装着してあり、そこに仕込まれていたのだ。


(女子高生が――、生徒会長が――、いいや――……怪異の王が、拳銃!?)


 《玉藻》は現在、封印状態にあり、その災害級の力を失っていると聞いている。

 ならば、人間の武器に頼るのも道理か。


 ダァン――……、と銃声が響いた。

 しかし。

 


「マジか……」

 ――と、声を漏らしたのは、ミサキだった。


 ハルトは、弾丸を斬っていた。

 ミサキは射撃と同時、図書準備室を飛び出している。銃弾への対処で生まれた、僅かな意識の隙を突かれた。


「逃がすか……ッ!」


 後を追うハルト。

 部屋を出ると、そこはいつもの図書室――ではない。

 《結界》――通常の空間とは別の、誰もいない空間。

 吹奏楽部の演奏も、野球部の打球音も響いていない、無音無人の世界。

 別の空間ではあるが、校舎の作りは現実の空間とまったく同じだ。

 図書準備室を出て、さらに図書室を抜けて、廊下の中央で、ミサキが待ち構えていた。


(……狭い廊下でなら刀の動きが制限される。だったら銃のが有利って算段か)


 狙いは読めた。

 

(その程度でどうこうできると思われてるなら、ナメられたもんだな)


 ――だが、ミサキの策は終わっていなかった。

 再び銃声。

 しかし、今度はハルトを狙っていない。

 撃ったのは、廊下の脇にあった蛇口。

 外したのか? 

 否――――、弾丸は蛇口に当たると、跳弾。正確に、ハルトの額を穿つ軌道。

 さらに、蛇口が破裂し、勢いよく噴出した水飛沫までもが、ハルトを襲う。

 弾丸を防いだところで、水飛沫に視界を奪われたのなら、次の攻撃を防ぐことはできない。

 弾丸と水飛沫、二重の攻勢。

 跳弾の角度。

 どう蛇口を破壊すれば水が噴出し、さらにそれがハルトの視界を奪うか。

 威力、角度を計算し、その狙いを過たずに撃ち抜く正確性。

 なるほど、封印状態でも『銃』という人の道具と、研鑽された技術による、大した戦闘能力だ。

 


 ――だが、それを踏まえて、ハルトは思った。


 ナメられたものだな――――、と。



 ハルトは跳弾してきた弾丸を見切り、刀の側面でそれを受ける。

 瞬間、脱力――弾丸が刀に触れた瞬間に、力の流れを掌握し、刀でそれを整えてやる。

 ギギッ、と弾丸と刀が擦れる音が激しく響く。

 このまま弾丸を停止させることはできる――だが、それでは水飛沫を防ぐのに一手足りない。

 だから――――ハルトはそのまま、脱力状態から一気に力を込め、刀を高速で回し、弾丸を受け流してミサキへと返した。


「――――ハァ!?」


 驚愕しつつも、ミサキは拳銃で返された弾丸を叩き落とした。


 これもなかなかの曲芸ではあるが、しかしそれより遥かに常軌を逸した曲芸を成し遂げたばかりのハルトが、既に目の前に迫っていた。


 後はもう、水飛沫を払い除けて、接近するだけだった。

 返された弾丸への対処に追われたミサキに、次の手はない。

 首筋に刀を突きつけつつ、身動きできないミサキの脚を払って、彼女の体勢を崩し、押し倒す格好になる。


「逃げ回るのは終わりか?」


 地面に倒れたミサキを見下しながら、刀を突きつけたまま、ハルトは問う。


「確認したいんだけどさ――……《カイサン》では、私はどういう認識なのかな?」


「…………この期に及んで、随分な余裕だな」

「いいの? ハルトくんだって気になるでしょ?」


 不愉快だが、その言い分は正しい。

 ハルトは渋々、ミサキの会話に応じる。


「……。……そもそも、俺が《カイサン》だと決めつけているが、根拠は?」

「だって、私が《玉藻》だって知ってるし」

「それくらい他の《怪異》に聞けばわかる程度の情報だろ」

「このレベルの情報を持っているヤツとなると限られるけどね」

「そこは《カイサン》だと確定できる部分じゃないだろ。他に根拠は?」

「疑り深いねえ……。刀だよ。それ、アキラのだろう? 《カイサン》が保有するものだ。弟だからって、勝手に持ち出せるはずがない」

「……別の疑問が出た。《カイサン》の事情や姉さんについて知っているのは、どういうことだ?」


「……だぁーから、言ったろう。もう一度言うよ? 『《カイサン》では私はどういう認識なのかな?』」


「……なるほど」


 情報が漏れているわけではなかった。

 こちらの持つ情報、その精度の問題というわけだ。

 ハルトは白銀ミサキについて、完璧に把握しているわけではない。

 『白銀ミサキ』は、謎だらけだ。

 だから調査のために《カイサン》からハルトが送り込まれた。

 そして、必要なら処分する。

 しかし、今のハルトがやっていることは、私情に塗れた独断専行だ。

 組織の判断を待たず、ミサキを処分しようとしている。

 だが、どうでもいい。ずっとこのために生きてきたのだ。

 ――姉は、ハルトの全てだった。

 今すぐにでも、この刀を振り抜いて、白銀ミサキの首を落としたい――が、ここにきて、《カイサン》に与えられている情報に不足があることがわかった。


 ――――白銀ミサキは、なぜ姉のことを知っている?


 姉と戦っている以上、ある程度は知ることができるだろう。

 だが、戦闘だけでそこまで情報が集まるだろうか。

 何かが、おかしい。


(……もう少し、調べてみるか)


 ハルトは意識を切り替える。

 『今すぐに姉の仇を殺す』というものから、『白銀ミサキについて調べる』というものへ、方針を変える。


「こちらの情報を不必要に与える気はないが……、お前は『あまりにも不気味な怪異』という認識だよ。『災厄』だったやつが、どういうわけか『怪異探偵』なんてやってるんだからな。まるで一貫性がない。意味不明にも程がある」

「ひどい言い草だ……、こんな美少女を不気味だなんて……」

「実際不気味だろうが……」

「でも美少女だろ?」

「……」


 鬱陶しい。

 刀を持つ手に、思わず力が入る。このまま振り抜いてしまいそうだ。

 思えば、ミサキの前で、ただの依頼人の演技をしている時からずっとそうだ。

 彼女の気安い態度は不愉快で仕方がない。

 ずっと殺したいと思っていた相手の冗談になど、付き合っていられない。


「はぁー……、残念。ふざける気分でもないか」


 大げさにため息をついてみせるミサキ。

 だが、こちらをからかっているというよりは、本当に残念そうだ。

 今この瞬間も、事件の捜査中も、少しも彼女のことが理解できない。


「それじゃ、真面目な話といこうか。ハルトくんとの認識のズレを修正していこう。まず、私が『災厄』ってやつだけど……、そもそも人と怪異が争う時代に出来た呼び名だとか、そういうこっちの言い分もあるけど、今伝えたいことは一つだ。私は、人と怪異の境界を守りたい」

「……そのための探偵、ってわけか」

「話が早い。……殺されちゃいそうだから抵抗してみたけどさー、無駄な争いなんて冗談じゃないよ。今は人間の方がよっぽど危ない……っていうのは、ハルトくんも身を持って知ってるんじゃない?」


 かまいたちの件を指しているのは、すぐにわかった。

 確かにあれは、人間が怪異を利用している事件だった。

 あんな事件ばかりだというのなら、ミサキの言い分も理解できるし、彼女が探偵をやることもわかる。


「……お前は……なにがしたい? 言い逃れるために正義の味方を気取るわけじゃないだろうな?」

「……ぷっ、あっはははははははははは!」

「……この場面でよく笑えるな」


「いやいや、どんな場面でもそれは笑うね。正義の味方? 正義……正義ねえ!

 バカらしい。正義も悪も、どうでもいいよ。くだらない言葉遊びに興味はない。

 だって、例えば辻めぐるだって、本人はただ自分の中の正義を貫いただけだろう?」


 辻めぐる――かまいたち事件の犯人である彼女は、自身の《怪異》を扱う腕を磨いて、親友である松原サクという少女のストーカー被害を解決しようとしていた。


「だからね……、正義だの悪だのはどうでもいいけど、私もただ、私の信念を貫きたいだけなんだ」

「……お前の、信念っていうのは?」


「――どうしても、捕まえたいヤツがいる」


 ミサキの声音に、明確に変化があった。

 これまでのふざけるような軽薄な調子が消えている。


「詳しく聞いても?」

「……ありがとう」


 頷くミサキ。

 ハルトは一度、刀を彼女の首筋から外して、鞘へと収めた。

 ここで殺す――そのはずだったというのに……。


「そいつは《きさらぎ》と呼ばれている。《きさらぎ駅》という怪異を利用することからつけられた名だね。

 そいつとは、過去に対峙したことがあるけど、仮面と変声機をつけていて、顔も声もわからない。そいつは、《怪異》を人にばらまいて、怪異事件を引き起こしている。辻めぐるの件も、私は《きさらぎ》の仕業だと考えている」


「《きさらぎ》……?」


 かつてアキラが追っていた事件の中に、その名で呼ばれた犯人がいたはずだ。

 その事件は、もう終わっているはずだ。

 ハルトの知る限りは、そのはずだった。


「……私とアキラは……。……そうだな……利害が一致したんだ。《きさらぎ》は、人間・怪異双方にとって危険すぎる。人は怪異の力で狂っていき、怪異は人に支配される。私は、こいつを絶対に許さない」


 これまでの態度とは一変。言葉の一つ一つに怒気が滲む。

 ミサキの目が宿している感情をよく知っている。

 ずっと、鏡の前でそれを見てきた。

 今のミサキが宿す感情は、ハルトがミサキに対して向けていたものと同じだ。


「だったら……、どうしてお前は姉さんを……」

「謝って許されるなんて思わない。ただ、私は未熟で、《きさらぎ》にいいようにやられたんだ。私が、キミの姉を……アキラを撃ち殺した」


 ごとん、と重い音が響く。

 ミサキは、拳銃を手放し、床へ置いた。


「結局は、同じことだろう? 私が邪悪の化身で、悪意を持って殺してようが、そうでなかろうが、関係ないはずだ。……事件が終わったら、全てにケリをつけてくれ。私はそのことに一切文句は言わないよ」

「……いやに素直だな」

「素直だとやりづらいっていうなら、殺し合いでもしようか? 私のやり残しは《きさらぎ》だけだからね。後のことなんてどうだっていいさ」

「……お前、最初から全部、これが狙いだったのか。俺に殺されるつもりも、殺すつもりなく、この状況に持っていけるだけの交渉材料を持っていたってわけだ」

「まあね」

「……で、俺の実力が見たかったと?」

「だね……。思ったより強くてヒイた」

「半端な力でお前や《きさらぎ》の相手はできないだろうが……」


「うん。だから助かるよ――――キミなら、私の助手が務まる」


「……わかった。約束する。《きさらぎ》を捕まえることに協力し、その後にお前は、俺が殺す」



「――ありがとう……、本当に。……やっぱり、キミを助手にしてよかったね」



 ハルトの刀を収めた鞘を握る手が震えた。

 胸に滲んだ感情が、不快でたまらなかった。


 同じだったのだ、最初に抱いたものと。

 最初にミサキと出会った時のように、今も彼女に見惚れてしまった。

 その儚げな笑顔が、あまりに似ていたから。

 そう、似ているのだ。

 

 白銀ミサキは――姉に似ている。


 最悪の気分だった。

 泣き出してしまいそうだった。


 最も憎悪してきた殺すべき仇が、最愛の人に似ているというのは。


 ◆


 ハルトの足は、泥沼に囚われたように重い。

 元から、よくわからない女である白銀ミサキを調査しようという話だったのだ。

 ただでさえよくわからなかった存在が、さらにわからなくなった。

 白銀ミサキは姉の仇だった。だが、彼女は悪なのか。本当に、殺すべきなのか。

 ――――「私は、人と怪異の境界を守りたい」

 ミサキは、確かにそう言っていた。


「どうして、お前が、姉さんと同じことを…………」


 見極めるしかないだろう。白銀ミサキが、どういう存在なのか。

 それでもし、彼女が殺すべきではなかったら?

 彼女の振る舞いは全て偽悪で、復讐すべき相手は、彼女でなかったら?

 いいや、仮定を重ね続けても無意味だろう。

 今はとにかく、ミサキのことを知らなければならない。

 そして、《きさらぎ》を捕まえる。

 わからないことだらけだが、やることだけは明確だ。


「やあ、ハルトくん。それじゃあ今日も張り切って捜査しようか」


「…………は?」


 思わず、あらゆる思考が吹き飛んだ。


(ああ、そうか……、こいつは、まさか……)


「ん? どうしたんだい? 依頼人はもう来てるんだ、ぼさっとしてないで座りなよ」


 ぽんぽん、とソファを叩くミサキ。


(こいつ……、あんなことがあった直後で、まだ以前と同じ調子で振る舞う気か!?)


 ハルトは促されるままに座る。

 ミサキと肩が触れそうな距離で座るというのが、たまらなく不愉快だった。

 こんな得体のしれない女と同じ空間にいること自体がストレスだというのに、近すぎる。

 甘く香る上品な制汗剤の匂いすら、癪に障る。


 そして……。


「春日くん、次もよろしくね!」


 辻めぐるだった。

 確かに、めぐるに関しては、《かまいたち》を取り上げ、今後もう二度とあんなことはしないということで、それ以上の処罰などはない。

 というのも、ハルトとめぐるは、偽装の被害者だったわけだが、残り二人も《怪異》を所持していて、めぐるが一方的に襲ったというよりは、《怪異》使い同士の戦いだったというわけだ。

 ではなぜ、それが事件となったかというと、めぐるがミサキの探偵としての腕前を試したかった、というわけだ。

 ただ、めぐるとしては最短ルートでの解決は、自力で松原サクを狙うストーカーを倒すというもの。

 ミサキに頼るのはサブプランだったので、あの時ハルトに負けて本気で焦っていたのだ。


「いやあ、またよろしくね、春日くん! ね、サク……大丈夫だからね。二人はすごいんだよ! 白銀先輩と春日くんなら、どんな怪異事件も解決できるんだから!」


 めぐるの横に座るおとなしそうな少女――サクは、こくん、と頷く。


「……よろしく、おねがいします……。めぐの事件も解決してくれたって言うし、めぐの紹介なら、信じられるし」


 ハルトは思った。


(どういう面の皮してんだ!?)


 辻めぐるという女には、親友を助けるためならなんでもするという迫力がある。

 散々、ミサキとハルトを振り回しておいて、よくもまあ、ここまでぬけぬけと。

 だが、今は事情を知らない松原サクもいる、それを追求はできない。


「えっと……安心して、辻さん、松原さん。白銀先輩ならきっと解決できるから……」


 ハルトは言葉を紡ぎながら、絶望した。


(……ウソだろ……。これからずっと、こんなやつらと、こんなカスどもと、仲のいいフリをしないといけないのか……!? 

 厚顔女と、姉の仇の前で、こんな……!?!?)


「あっはっは。この名探偵と、優秀な助手に任せておけば、どんな事件も迷宮なしさ」


 ここからだった――春日ハルトの、地獄のような日々が始まるのは。


 まずはこの調子に乗った姉の仇から、殺して迷宮入りにしてやりたいと思った。


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