第三章 哀。ならびに思いやりの絶対値

第25話 パンダに導かれて

 二人目を見つけてから、ガクッとドナー候補検索の効率が落ちた。


 ここまで来たら、アポイントメントを取って実際に検査するのにかかる手間よりも、移動に割く労力が多くなってくるのだからそれも当たり前なのかもしれない。

 

 移動につぐ移動で、のんびり旅行するという風情でもなくなってきた。18切符も封印して、新幹線でも特急でも躊躇なく使う。


 もうちょっと上手くやれると思っていた。


 正の感情よりも負の感情を持て余している人間の方が多いため、ドナーの見つけやすさは、怒=哀→喜→楽の順となる。


 だから、俺は『楽』は無理でも、せめて『哀』の方のドナーはすぐに確保できるのではないかという楽観的な観測を抱いていた。多少運がなかったとしても、『怒』と同等の時間をかければ大丈夫だろう、と。


 甘かった。


 静岡県を抜け、三重、滋賀、京都、兵庫、大阪まで踏破してもなお、適合者は見つからない。


 二人目が見つかってから、すでに三週間が経過している。旅に出てからは、もうすぐで二ヵ月。茜の寿命が余命3ヶ月だとすれば、残された時間は一ヶ月しかない。しかも、そのリミットは目安だ。きっかり3ヶ月待ってくれると、誰が保証してくれるのか。


 実際、かつて七色の輝きを放っていた茜のタマイシは、もう、青、紫、水色、赤の4色を完全に消失している。


 オパールの虹色は単純な七色ではないが、それでも病状の進行度は推して知れた。


 そして、今は、『喜』の感情が危うくなりつつある。


 櫛の歯がこぼれるように、茜の中から日常の喜びが一つずつ失われていくのを俺は肌で感じていた。


 昨日は、車窓から見えたひまわり畑に何も言わなくなった。


 一昨日は、アイスキャンデーを欲しがらなくなった。


 さらに、その前の日は、なんと朝の占いで一位だったのに、全くはしゃがなかった。


 かつて、海辺の石ころに国家財政が破綻するほどの金額の価値を見出すことができた茜なのに、どんどん無感情になっていく。


(次はどこに行くか)


 公園のベンチでたこ焼きを突きながら、俺は考える。


「純、あーん」


 隣で親鳥からの餌を待つ雛のように大口を開ける茜。


「ほい」


 その中に、何回も口をすぼめて吹いて冷やしたたこ焼きを供給する俺。


 本来はアチアチの状態のが一番おいしいのだろうが、苦痛というほとんど失っている茜が口の中を火傷しないように、つい過剰に冷ましてしまう。


 これじゃあ、本当に親鳥みたいな心配性だ。


 いや、端から見たら普通に――なんていう羞恥心はもはや俺の中ではどうでもよくなっている。


(ドナー候補を周る時間的効率を考えたら、このまま和歌山はスキップして、中国地方に突っ込むのがベターだが……)


 和歌山県は陸の孤島と呼ばれるだけあって、交通の便がかなり悪い。


 そして、候補者もほとんどいない。


 普通ならスルーして然るべきだが、しかし、附子からもらったデータの中に興味深い一人がいた。普通のドナー適合率は、20%か、よくて30%くらいなのに、和歌山に住んでいるそいつは、68%という驚異的な確率を示している。


(根拠は……ある)


 附子の算出がデタラメでないことは、すでに分かっている。


 附子は茜が実際にサクラさんと適合したことは知らないはずだったが、サクラさんと茜の適合率は、58%だった。


 確率計算上は、適合率30%のを三人回るのと、68%のを一人回るので大差ない。そして、今回のケースの場合、広島のような都市部で三人回る方が、和歌山で一人回るよりも時間がかからないのだ。


(行くべきか、行かざるべきか)


 和歌山と広島の、旅行代理店で適当に貰った無料パンフレットを膝の上に広げ、ためつすがめつ交互に眺める。


「あっ、パンダ」


 ソースを唇につけた茜が、和歌山のパンフレットを指して呟いた。


「見たいか? パンダ」


「うん。かわいいから」


「じゃあ、行くか」


 茜の一言で、俺は和歌山に行くことに決めた。


 時間効率は若干悪くなる。


 でも、とにかく、茜が全てを失う前に、一つでも多くの喜びを共有したかった。


 それに、俺の勘も和歌山だと言っている。


 こういう時の勘は、大体当たるのだ。


 俺はスマホを取り出し、くだんの和歌山県のドナー候補に早速電話する。

「はい」

 ワンコールで食い気味に出た。


「すみません。『能面』ですが、堤ひろしさんのお電話で間違いありませんでしょうか」


「はいっ!??? そ、そうですっ! 私がひろしです。まさか、本当に連絡が来るなんて、ありがとうございます!」


 いかにも、気の弱そうな男の、狼狽して上擦った声。


 データによると、ひろしさんは『普通の』一般人。つまり、今まで闇取引とは全く関わりのない人間となっている。おそらく名前も本名だし、住所も電話番号もがっつり割れているので、逆にこちらが心配してしまうほど警戒心がない。


「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。それに、適合しない限りは、なにも始まらないので」


「いえ、それでも、私を選んで頂きましたから。ああ、でも、私のところを訪れたせいで誰かの機会が奪われているかもしれないんですよね。だったら、『ありがとうございます』は不謹慎だ。すみません」


 電話越しでも相手が頭を下げているのが分かるような早口だった。


「――それで、早速ですが、アポイントメントを取らせて頂きたいと思います。明日の10時以降で、ご都合の良い時間はありますか?」


「ええ。それでは、明日の10時ちょうどで」


 ひろしさんが即答する。


「こちらから申し出ておいてなんですが、大丈夫ですか? 急なことになってしまいますが」


「ええ! お待たせしては悪いですから」


「ありがとうございます。待ち合わせ場所ですが、ご自宅まで伺っても大丈夫ですか?」


「あ、はいっ! でも、かなり遠いです。なんなら、私がそちらに伺います!」


「いえいえ、そこまで気を遣って頂かなくても大丈夫ですよ。こちらも仕事ですから」


「そうですか……。すみません」


「それで、もし差支えなければ、あらかじめ報酬について詳しく教えて頂けるとこちらとしても準備がしやすいのですが――」


「ああ、はい! ですよね――ああっと、ラインのコールが。すみません! 精神的に悩んでいる子なんです。私が出てやらないと――すみません! すみません!」


 謝罪のエコーだけを残して電話が切れた。


(これまた厄介そうだな)


 とはいえ行かない選択肢はない。


 俺たちは、和歌山県の南端、串本町に進路を取った。


 大阪からは、諸々込みで五時間以上の所要時間がかかる距離だ。


 今は午後三時手前。


 今日中に串本町に着き、前日入りすることもギリギリ可能ではあるが、途中の白浜で宿泊し、近くのアドベンチャーワールドでパンダを見よう。


「誰と電話してるの? パンダ?」


 茜が首を傾げる。


「パンダではないが、パンダ並に絶滅しやすそうな人かもしれない」


 俺はそう答えて、彼女の唇についた汚れをティッシュでぬぐった。

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