第24話 それでも、世界はクソだけど(2)



 附子は運転手に具体的な道の指示をしまくって、最短距離で目的地へと導く。


 そこは、典型的な町の工場といった雰囲気だった。


 アスファルトを敷き詰めた鼠色の駐車スペースに並ぶ中古車たち。


 近くに建てられた工場こうばは、錆びたトタン屋根のバラック小屋だ。


 鉄と油と汗と埃の臭いが、こちらにまで漂ってくる。


 溶接かなにかの工事作業の重低音が、間断なく周囲に響いている。


「で? ここがどうしたの?」


「ちょっと待ってろ――」


 俺は茜と繋いでいた手を放し、中古者を並列駐車してあるスペースをうろうろ徘徊する。


 目的はもちろん車でなく、地面だった。


 数時間前の通り雨でできた水たまりを、片っ端から覗き込む。


 おっ。あったあった。


 俺は手招きして、茜と附子を呼び寄せた。


「ただの水たまりでしょ? なにをそんなに珍しそうに――」


 不満げな顔で近づいてきた附子が、実物を目にして息を呑む。


「分かったみたいだな。お前のご所望の虹だよ」


 直径が俺の身長ほどはある、割と大きめの水たまりだった。


 その表面に、油膜によって、虹の波紋が形成されていた。


 夕陽がそのミニチュアの奇跡を優しく照らしていた。


「これが答え?」


 附子が、まるで一休さんとのとんち勝負で負けた将軍のような間抜け面で呟く。


「ああ。この虹は、別にあそこのおっさんが誰かを喜ばせようとして作った訳じゃない。たまたま工場から流れ出た油が、たまたまできた水たまりに流れ込んで、虹を作った。もし、これが自然だったら、地面にこんな虹はできないよな。自己中な人類が生み出した吸水性の悪いアスファルトと、同じく人類が自分勝手に楽したいために作った自動車が存在しなければ、この光景は存在しなかった。もっとも、自動車の修理は立派な仕事で底辺とはいないが……まあ、結構、経営とかは厳しいらしいぞ? ほら、大企業からの圧力やらなんちゃらで」


「まあ、そうだけど。確かに、虹だけど……なんだかなあ」


 附子のその表情は、発売を心待ちにしていたゲームが微妙だった時のそれに似ていた。


「もっとすっぱりばっちりきっかり納得できるような明確な答えが貰えると思ったか? そんなもんねえよ」


 俺ははっきりとそう通告する。


「そういうものかな……」


 附子は遠い目をして、考え込むように顎に右手の人差し指を当てる。


「んんんんんんんんんんんんんん! やあ!」


 唐突に、茜が俺たちの眼前にジャンプで躍り出る。


 ワンピースのスカートがめくれ、剥き出しになる太もも。


 どうやら、水たまりに突っ込みたい欲を我慢できなかったらしい。


「――あっ、なんかこれ楽しい! ほらほら、純もやりなよ!」


 茜は危ういチラリズムを繰り出しながら、両脚を忙しなく上下させた。

 俺は横目で附子をチラ見する。


 そのタマイシの珊瑚が、怒りの赤ではなく、『照れ』と『喜び』を示す、ピンクと黄色の混合色になっているのを、俺は見逃さない。


「見た! 見たぞ! お前のタマイシ、確かに反応したな。『喜』の反応だ。いやあ、世界って素晴らしいものですね」


「ち、ちがっ! そ、それは反則でしょ! お姉さん、美人過ぎるし、こんなの美人局だ!」


「あれー? 附子さんは発情あそばせないんじゃなかったんですかー? エロガキー、エロガキー!」


 俺は附子をヘッドロックして、拳で頭を軽くグリグリしてやる。


「やめて! やめて! やめろ! クッ! ああ、もういいよ! わかったよ。するよ。ドナー提供するから放して!」


「いいのか?」


 俺は附子を解放する。


「はあ。うん。まあ、完璧に納得はしてないけど、僕の出した要件を満たそうとする誠意は感じたからね」


 附子が、急に毒気を抜かれたような表情になって頷く。


「ほんと、クソ生意気な奴だなあ……。――あっ、そうだ。お前、チャリ乗れるの?」


 俺は視界の端に入った、自転車の塊を見てふと呟く。


 居並ぶ中古車の中、隅の方に横倒しにした自転車の束が無造作に積み上げてあるのだ。


 どのみち、今日のアポイントメントはこいつで最後だ。


 一つ余計なお節介をしてやるか。


「は? なにそれ。今、僕の依頼となんの関係もないよね」


「乗れないんだな」


「乗れないけど? 何か問題ある? 自転車ってバイクや車より劣った移動手段でしょ。免許が取れるようになったらそれを取ればいいだけだし、現状、どこか行きたければタクシーを呼べばいいし――」


 開き直って言い訳を繰る附子。


「すみません。すみませーん!」


 俺はそのガキっぽい振る舞いをスルーして、工場に近づいていった。


 何度か呼びかけてようやく俺の声に気付いたらしいおじさんは、作業を中断して、溶接用のマスクを下ろした。


「ああ、ええっと、お客さん? 何か御用で?」


「えっと、突然すみません。あそこの自転車って売り物ですか?」


「ん? ああ、あれ? ちょっと前に、自転車の放置車両を一山いくらで買い取ったんだけどね。最近は中国産の新品が安く買えちゃうからさあ。誰も欲しがらないよね。海沿いだからむっちゃすぐ錆びるし」


 工場のおじさんは、タオルで汗を拭いながら言う。


「えっと、俺が欲しいって言ったら、一つ頂けます? できれば、軽く整備もしたいんですけど」


「あー、じゃあ、千円でいいよ。工具とか、タイヤとか、そこにあるの適当に使いな」


「ありがとうございます! ――ほら、お兄さんが自転車を買ってあげるから、チャリの練習をしよう」


 俺はわざと附子を子ども扱いしてプライドを刺激する。


「だから、必要ないって言ってるだろ! 大体、千円ごとき、僕が自分で払うよ! 仮想通貨で使いきれないほど儲けたし。おじさん、電子マネーはどこ対応してる?」


「うちは現金払い限定だよー」


「クソっ。このキャッシュレス後進国が!」


 附子が地団駄踏んで悔しがる。


「まあ、そう荒れるな荒れるな」


 俺はおじさんに千円支払う。


 放置された自転車の中から、使えそうなやつ――附子の身体に合いそうな子ども向けのマウンテンバイクを選んだ。


 タイヤのチューブを換え、油を挿して、最低限使えるように整える。


 ちょうど、円形のリング状の傘ホルダーもついていて御誂おあつらえ向きだ。


 そのまま、さきほどの落書きトイレがある公園へと移動した。


 なんだかんだ言って、附子も素直についてくる。


「じゃあ、まずはまっすぐ進めるようになろうぜ」


 最初はペダルを漕がせずに、後ろから車体を押してやる。


 それが出来てきたら、徐々にペダルを漕がせる。


「なんで、僕がこんなこと……」


 何度も転んで擦り傷を作りながらも、やがてふらふらと走行できるようになる附子。


 どうやら彼は、インドア系に見えても素の運動神経はいい方らしい。


「茜。交代だ」


「うん。またペダルは漕がなくていいから、ハンドルを曲げる練習だけに集中しようね」


「……」


 俺の時には不平ばかりだったが、茜の指導には素直に従う附子。


 やがて一時間もすれば、基本的な操作はできるようになった。


「うん。いいんじゃないかな」


「そうか。茜がそう言うなら、これでもう何も教えることはない。君は我が能面自転車塾の免許皆伝だ!」


 二人でマウンテンバイクにまたがった附子の背中を押して、公道に送り出す。


「ちょっ、まだ、公道で練習もろくにしてないのにっ! 止まり方とかもさあ!」


「いざという時は減速して、練習の時みたいに転べ! とりあえず、行けるとこまで漕いでけよー! そしたらきっと色々わかる!」


「頑張れー!」


「クソオオオオオオオ!」


 俺と茜は遠くなっていく附子の背中に手を振った。


 身体を動かさなければわからないことって、結構多い。


「かわいかったー。あんな子どもが欲しいなー」


 茜が俺にねだるような視線を向けてくる。


「いや。さすがに俺たちの子どもなら、あんなクソガキじゃなくてもうちょっとマシなのにして欲しい」


「そうかな。あの子かわいいよー。なんかちょっと、純に似てた」


 茜が独りでにうんうんと頷く。


「どこがだ」


 俺は附子のような中性的な美少年ではなかったし、立派なタマイシもないのに。



   *         *        *



 

 三日後、譲二を経由して、正式に附子のドナー承諾の連絡がきた。


 おまけに添付されてきた圧縮ファイルの件名は、『AI分析した適合可能性の高いドナーリスト(自転車の御礼)』。どうやら附子は、検査時に勝手にデータを採取していたようだ。茜のコネクトの音波パターンをアルゴリズムやらなんやらで分析して、データを導き出したに違いない。


(確かに、クソガキにも中々かわいいところがあるな)


 数日遅れで茜の意見に納得する俺だった。

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