第22話 0 zero

     三十五

 


「季節感のない長雨は、天変地異の現れかしら」

 長雨の続く梅雨空を見上げて、結衣が呟いた。

 

 桜が散る頃の雨は、線状降雨帯により九州地方に死者を出していた。昨年の長雨は、広島地方に死者を出した。梅雨入りの頃は、土石流の被害が大きかった。最早、天災自体が凶器と化している。


 直ぐそこまで来ている夏も、記録的猛暑になるだろう。新型コロナウイルスの流行が日に日に感染者を増やしていた。



「全く、鬱陶しいったらありゃしない」

「雨に救われている方も居るんだから、目先を変える努力をしたらどう」

 結衣と谺が、溝の口の居酒屋で、いつものように戯れていた。


「例年の梅雨は、前半に降るか、後半に降るかでしょ。降りっ放しなんて聴いたこと無いわよ」

 天井を見あげて、文句たらたらに言った。


「確かに、人々を見張っているようにも感じるけど、多分気のせいなんだよね」

 谺は結衣との間に置いてある鞄から扇子を取り出すなり開き仰いでいる。雨模様が続き、湿度が高く肌にべたついたからである。


「この不快なベタつきも恋しくなるような夏が直ぐそこっていうのが勘に障るよね」

「はいはい、くだを巻くような年じゃないでしょう」

「最近じゃ観られなくなった満天のお星様たちは何処に雲隠れしていることやら」

「僕は冬の星座が好きだから、夏の星座は良く解らない」

「冬の星座」

「オリオンベルトが見えるからね」

「学生時代の淡い恋、みたいな言い方が気になるわね」

「色恋の話しじゃないよ」

「なら、教えなさいよ」

「父さんが後見人に見定めた人が居るんだ」


「後見人って、お父様はご健在でしょ」

「高二の冬に、両親共に死んだよ」

「そんな話し、聴いたことないわよ」

「言ってないもん」

「ごめん」

「近所の散髪屋さんに行くことが、小学生の時の楽しみだったんだ」

「・・・」

 結衣は、谺が気を使って話しを変えたと思っている。


「後見人の赤瞳さんは、僕のキャッチボールの相手だったのさ」

「赤瞳さん」

「赤瞳さん曰く、広瀬さんが恩を施してくれたから今がある。それを谺に返しているだけだよ。って言うんだよね」

「恩ってなに」

「何度聴いても、教えてくれない」

「それで」

「暗くなるまでキャッチボールした時に、夕食をご馳走になったんだ」

「若しかして、カレーだったんじゃない」

「ピンポン」

「定番だよね」

「遅いからって、送ってもらった時に、あれは、オリオンベルトだよね、って言ったんだ」

「近所なのに、送ってもらったの」

「父さんと母さんに、説明する為だったみたい」

「そういうことか」


「並んで見えるけど、実は並んでないと教えてもらったよ」

「小学生じゃ習わないもんね」

「その後に、太陽が光りの放射を止めると、夏の昼間に観れるんだよ、ってね」

「それだけ」

「それだけだよ」

「思わせぶりなんじゃない」

「通夜の時は、ずっと側に居てくれたよ」

「なんで死んだの」

「事故」

「その時は、なんて言われたの」

「谺の親戚は、お金に魂を奪われたみたいだね、だよ」

「状況が、理解できないんだけど」


「お線香をあげに来た人たちに目もくれずに、裏で親族会議をしていたんだ」

「そういうことか、って、どうして赤瞳さんがそんなこと知ってるのよ」

「叔父さんが、お金を持つと人生を狂わすから預かっておく、って言ったんだ」

「赤瞳さんが耳打ちして教えてくれたってことよね」

「違うよ。僕を誰が引き取るか、って相談していた時だよ」

「赤瞳さんが、なにを言ったの」

「心労と遠距離通学を考えるなら、谺が大学生になり独り暮らしが出来るまで、この家に居させて下さい。だった」

「親戚たちが、納得するわけ無いよね」

「父さんが弁護士さんに、遺言書を預けてあったのさ」

「遺言書に、相続のことが書いてあったのね」

「書いてあったのは、後見人をうさぎ赤瞳にする。それを拒否する者は、相続させない。だった」


「生活のことは?」

「赤瞳さんとお兄さんの直幸さんが手伝ってくれたよ」

「赤瞳さんがどの位相続したの」

「0円だと思うよ」

「解らないように取っているわよ、きっと」

「叔父さんが、幾ら欲しいんだ、って聴いたときに。お金はいりません。お金以上に大切なものを授かっていますから。と言ったんだよ」

「大切なもの、ってなに」

「僕だよ」

「なにそれ」

「赤瞳さんが叔父さんに、皆さんのような立派な方々が持ってないものを、谺が持っています。って言ってくれたんだ」

「立派な方々が持って無くて、谺が持っているもの」

「叔父さんもそう言ってたよ」

「なんて答えたの」

「純真な心です。だってさ」

「それなら解るわ。けど、天然の間違えかも知れないわね、うふっ」


「最後にあった時に、僕名義の通帳と実印を渡された」

「何時のこと」

「会社が決まったときだから、二千四年だった」

「十六年前ね。通帳の中身は確認したの」

「父さんが死ぬ前の月まで積み立てしてあったよ」

「降ろした形跡はないの」

「ないよ」

「金額を聴いても良い」

「35353535円だったよ」

「三千五百万」

「後、株式証書」

「お父様の会社のもの」

「そう、百万株」

「勘定したの」

「売ったからね」

「ごまかしようがない、ってことよね」

「赤瞳さんを疑ってるのかい」

「疑うでしょ、普通」

「なら、もう話さない」

「拗ねてるの」

 谺が横を向き無視した。

「じゃぁ、会わせてよ」

「あって確認したいの」

「そうよ。お金に興味のない人を、未だかつて視たことがないからね」

「聴きたいのは、お金のことだけ」

「男の人が男の人に惚れる理由を確かめたいわね」

「僕のことを気に掛けてるの」

「谺とは腐れ縁だからどうにもならないでしょっ」

「なら、遭わない方が良いよ」

「どうしてよ」

「命を狙われているらしいからね」

「命を狙われるって、暴力団員なの」

「最後にあった時に言われたことは、進入禁止の境界線を越えたから会えなくなる、だった」

「進入禁止の境界線? って」

「魑魅魍魎が管理する境界線」

「魑魅魍魎って、妖怪のこと」

「科学の進歩が目覚ましい現在だと、欲に見入られた人との境界線。だと思うなぁ」

「親戚との一件があるから、御伽噺おとぎばなしにしたのね」

「だろうね」

「それで、どれ位会ってないの」

「結衣との足跡おもいでと同じだよ」

「浪漫チックに言って、誤魔化そうとしてるでしょう」

「物書き風に言ってみただけだよ」

「若しかして赤瞳さん、作家さん? なの」

「ピンポーン」

「やめてよ、恥ずかしいから」

「純真なことが、恥ずかしいの」

「お他人様の目があるでしょ」

「お他人様はお他人様だよ」

「道徳、って言うか、常識? かなぁ」

「僕は悪いことをしていないよ」

「谺の悪ふざけが、お他人様に不愉快を与えても良いの」

「この場所は、内に秘めた膿を吐き出す場所でしょっ」

「全くっ! あー言えば、こー言うんだから・・・」

「恥ずかしい?」

「・・・」

「そういう概念が、純真な心をなくした理由なんだよ」

「概念、って、難しいことを言って、言い含めようと、してない」

「僕は、純真な心に従うだけよ」

「そんなに嬉しかったのね、大の大人を言い負かしたことが」

「赤瞳さんは、創世主を感性と綴っているんだよ」

「何よ、それ」

「自分では妄想家と言ってるけど、科学者だと思うんだよね?」

「妄想家と繫がるのは作家よ。科学者の根拠は何よ」

「アナフィラキシーショックって知ってるよね」

「バカにしてるでしょっ? 私のこと」

「身を守ろうとすることは、防衛本能だよね」

「聴くつもりはないようね」

「遺伝子のことを教えてくれたのが赤瞳さんなんだ。僕に教えたことを突き詰めると、科学なんだよね」

「しゃくに障るけど、聴いてあげるわ。それで」

「ショック死の原因は、流れを停めることだよね」

「だから何」

「宇宙の仕来しきたりは循環の法則、らしいよ」

「それで」

「雨が降ることも、降った水が流れることも、循環だよね」

「確かに、循環ね」

「人の魂が輪廻転生するのも、循環だよね」

「例え話が、循環だけ、だからね」

「元素の行動も、三つだよね」

「合成に分離」

「反発の三つ? でしょ」

「三に拘る理由は」

「循環に従うと、三竦み」

「今度は、じゃんけんに繋げるの」

「循環が意味することは、終わりがない? ことだよ」

「アナフィラキシーショックで、死ぬわ。終わるじゃない」

「流れを停めるから終わるのさ」

「科学が、終わりを証明してるってこと」

「ほら、科学者の発想になるでしょ」

「・・・、なるわね」

「今の日本の科学者に足りないものが、純真な心なんだって」

「だとしても、科学者が、はいそうですね、って言うかしら」

「それを物語にして残してたらどうなるかな」

「プライドを傷つけられた、って逆上するかも知れないわね」

「進入禁止の境界線を越えた理由だと思わない」

「でも、会わない方が良いんでしょ」

「赤瞳さんの持論は、歯車が噛み合うと互いに引き寄せ合う。なんだよ」

「会いに行こう。善は急げよ。明日休んで会いに行こう」

「なんで、何を焦っているの」

「十年以上会ってないんでしょ」

「三年位前に電話したら、現在使われていません。だったよ」

「命を狙われてるって言ったわよね」

「言ったよ」

「生存を確認しないと駄目よ」

「決定? なの」

「当たり前でしょ。命より大事なものは、この世に存在しないのよ」

「解った。ならお開きにして、ずる休みの連絡を入れないといけないね」

「了解」

 結衣は残りの生ビールを飲み干して席を立った。谺は扇子を鞄にしまい、伝票を取り会計に向かう為に立ち上がった。

「何時ものように、割り勘にしよっ」

「今日だけは、驕らせて」

「良いわよ」

 結衣の思考に、貯金通帳の残高が浮かんでいた。謙虚に後に続く姿が総てを物語っていた。

 会計を済ませ店を出ると、てんでに歩いている。互いがそっぽを向いたのは、ずる休みの連絡を入れる為である。

 そのまま流れ解散したのは、コロナ渦の行動だからである。時計の針は、午後七時を指していた。

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