第三十八話 祈りの伏魔殿③

 赤く発光する大広間に、それまでの黄金きんの輝きは見られない。


 破壊され、大きくあなを穿たれたその空間で、シャロンの神殿術式が正常に機能することはもう無いだろう。


 ――やれやれ、思ったよりも手古摺てこずってしまったわね……。


 反撃が無いことを確認して、マージェリーが大きく息を吐き出した。


 時間停止にせよ、惑星術式の行使にせよ、楽にこなせるものでは無い。


 ぴりぴりと僅かに痺れる様な感覚を感じながら、マージェリーは二階の方を向いて声を張って呼びかけた。


「もう大丈夫よ姉さま、出て来て」


「はぁ……全くもう、ヒヤヒヤさせるんだから……」


 かつん。かつん。かつん。


 静まり返った赤い闇の中から、乾いた靴の音を立てて、ヘンリエッタが現れる。その手にはグローム鉱石が握られていたが、それは先程までよりも随分と削られ小さくなっている様に見えた。


「テキストを無制限に複写するように作った術式を、魔力パスへ挟み込んで術式そのものの処理を強制停止させるなんて……よくもまあ考えたもんね」


「その神殿術式っていうのは、どんなに高度なものであっても最終的には術者ひとりが情報を処理するんでしょう?

 しかも外部から記憶や情報を参照できる様にしている。

 人が一度に扱える情報量には限りがあるんだから、そこに急激な負荷を加えれば、ただでさえ一杯一杯な処理能力はすぐにパンクすると踏んだのよ」


「……情報、ね。本の虫らしい発想だけど、確かに最適解ね」


というのは、マリーの発想あってこそよ」


 あの作戦会議の中で、マージェリーとヘンリエッタはそれぞれ一つずつ作戦を提案した。


 一つは、魔族の言語を用いることで意味消失の術式を無効化する事。


 ノエルは神代の統一言語を話せるので言語の壁を突破して誰とでもコミュニケーションを取ることができるが、詠唱や独り言等では魔族言語を用いて話す。


 エヴァとの戦闘やここまでの生活で、マージェリーは僅かにではあるがこの言語を理解していた。そして引きこもり――その特性からシャロンは、魔族語を理解できていない。この僅かな差異を利用して、マージェリーは鉄壁と思われた意味消失の壁を突破することに成功した。


 もう一つは、を用いて神殿そのものの機能を停止させる事。


 神殿術式は建物全体を自ら把握し、操作する術式。身体と意識の拡張とも換喩できる術式である。


 術者は建造物全体へと絶えず意識を拡張させ、奔らせた魔力や情報を絶えず統制し運用している。


 その為、魔族言語などのシャロンが知らない「異物」と定義されるものは自動的ないし能動的に排除される。


 つまり、この術式には一種の免疫機能の様なものが働いている為、術式が知らないもので対抗することができない。


 マージェリーが戦っている間に、ヘンリエッタは屋敷に刻まれている言語を調査し、聖帝国語の東部方言と王国語の標準語をベースとして構成されていることを発見した。


 後はシャロンの刻んだ術式の中に、この二言語を用いてランダムな文字列を無制限に複写し続ける刻印魔術をヘンリエッタが刻んで実行すれば、急に流れ込んできた大量の情報を処理し切れずに神殿術式のシステムがダウンする。一種のゲシュタルト崩壊を起こすことがマージェリーの目論見であった。


「魔王と一緒に勇者を討つなんて、我が妹ながら派手なヤンチャをするものね。あーあ、これで協力したことが露見したらミケルセン家もお終いかしら。聖帝国国立図書館ムセイオンの司書も懲戒クビかも」


「お金があるうちは終わんないでしょうよ。ソレイユ大聖堂の聖女像に落書きしたって、帳簿で頬叩けば法皇も靴を舐めるわ」


「ラヴィニアお姉さまが協力しないと銀行は回らないって前提忘れてないかしら。あの人マリーのこと嫌いだから、保身の為なら平気で魔女狩り部隊イノケンティウスに差し出すわよ」


「……まあ、今更って感じもするけど。もう魔女狩り部隊イノケンティウスにはケンカ売っちゃってる様なもんだし」


「? どういうことかしら?」


「それはフリーデの後釜にいる……いいえ、今は関係無いわね。一先ひとまず忘れて頂戴」


「そう? 何だかよく掴めていないけど、マリーが忘れろと言うならば一先ず頭の隅には追いやっておくわね。ほら私、ものを忘れることって基本無いから」


 辺りはマージェリーの術式によって生まれた土埃と魔力の乱流によって、詳しい状況を知ることは難しい。


 周りを見て大きな気配の動きがないことを確認して、ヘンリエッタはほうと一つ息を吐き出した。


 しかし依然として、マージェリーの表情は硬いままである。


 ――何だろう。何か大事な事を、シャロンにまつわる根本的な部分を見落としているような……。


 嫌な予感が、彼女の頭の片隅にじわりと拡がっていた。


「とにかく、これで外に出られるわね。一先ひとまずは屋敷ここを脱出して、体勢を立て直しましょうか。中央に戻れば天使大典礼兵装セラフィムも手に入るし――」


「…………行かせるか」


 低く、しかしよく通る呪いの様な言葉が土埃の向こうから響く。


「「――――っ!」」


 振り向いたのは姉妹でほぼ同時。しかし次の動きは、訪れるであろう何かへ備えていたマージェリーの方がずっと速かった。


 埃を払い飛来した火球へと、マージェリーが魔力の光弾をぶつけて相殺する。その手ごたえと魔力のに、彼女は確かに覚えがあった。


 ――シャロン!


「逃がさない、逃がさない、逃がさない、逃がさない、殺す殺す殺す必ず殺す先生を穢させはしないしないないないないななな」


 埃の晴れた広間の奥から、シャロンが姿を現す。


 右腕はし飛び、ぼろぼろになった修道服より覗く全身には手ひどい火傷が見え、折れた足を引きずっている。腹からは血が噴き出しており、臓器にも重篤な損傷があることは明白であった。


 致命傷は確実。動けることが、否、生きていること自体が不思議な状態である。


 それでもシャロンが立つ理由は、屍同然となりながらも生き続ける理由は、たった一つの言葉に根差すものである。


〈――おれの世界の礎とならないか。神す宮の乙女よ――〉


偽・聖罰神霆槍ランツァ・ディ・プレギレーラの直撃喰らってまだ動けるなんて……!」


「…………先生」


 焦げた衣服を剥ぎ取り、光の無い目でシャロンが前を睨む。下着の間、焦げていない皮膚からは無数の刻印が覗き、魔力によって淡い緑に輝いていた。


 其は、人の身に過ぎたる祈り。己が命にて教えを示す殉教者の心。


「あれは……!」


「【我が心は主の御手にテテレスタイ】! 魔術回路を強制的に暴走させて、辺り一帯を巻き込んで自爆する術式よ!」


 マージェリーが再び光線を撃ち、シャロンの肩や足が穿たれる。しかし疾うに真っ当な人の感覚を喪ったシャロンにはまるで効果が見られなかった。ただ機械的に、ただ模範的に、淡々と残った魔力を回して刻印を起動していく。


「先生、先生、先生、先生、先生先生先生先生……」


 シャロンの全身が発光し始める。術式は既に最終段階へと移行し、魔力は臨界寸前にまで励起し増幅されていた。


「もう駄目、発現の段階に入ってる……!」


 ――イチかバチか、直接頭と丹田をブチ抜いて止める!


 限界まで素早く、そして正確に、マージェリーが指先へと魔力を集める。


 詠唱の暇はもう一秒たりとも残っていない。つまり今から術式を発動しても全く間に合わない。直接触れての強制制圧ドミネーションなど更に遅れを取るだろう。


 だから、。ユークリッドの様に、ハイネの様に、身体を巡る魔力を力の束としてシャロンへぶつける。


 後はどちらが先んずるかという早撃ちの勝負。先に引き金を絞ったものが、勝利の果実をその手に収める。


 そう、早い方が勝つのだ。そしてその勝負に於いては、先んじて動いていたシャロンとそれに対応したマージェリーとの間で、才能では如何ともし難いという絶対的な差があった。


 ――駄目。これはもう間に合わない……!


 にやりとシャロンが微笑むのが、やけにゆっくりとマージェリーの瞳に映った。


「……ごめん、姉さま、フリーデ、アタシ……」


「――【千子せんご村正むらまさ】」


 響くのは、怪しくも艶のある女の声。


 刃がシャロンの心臓を背後から貫き、彼女の顔は恐怖と驚愕にたちまち染まった。


「………………あ。あ」


 漏れ出たのは、酷く間抜けでか細い音。それが彼女の発した最後の言葉だった。


 魔力の輝きは止まり、シャロンは力なく膝をついた。彼女の命が尽きたことを、その様子は何よりも雄弁に物語っていた。


 ず、と音を立てて、骸から刃が引き抜かれる。


 それはマージェリー達の知る剣ではなかった。黄の聖帝国にも、青の王国にも、赤の大公領にも見られない奇っ怪な形状の刃だった。


 片刃で厚みがあり、研ぎ澄まされた刃先は鏡の様に磨かれている。身には反りがあり、側面には焼いた時に出来たであろう独特な模様がほんの少し見て取れた。


 ただ切断の合理を求めて打たれたであろうは、一見すれば芸術品の様に美しい。けれどそこには確かに、幾人もの命を奪ったモノだけに宿る怪しい輝きがあった。


 現代では散逸してしまった、人の手の及ばないモノを所有する女。そんな女はこの世にただ一人しかいまい。


 かつん。かつん。かつん。


 しんと静まり返った広間の中へと、澄んだ足音が響く。


「やれやれ。暫くぶりじゃが息災であったかの? 小娘よ」


「アンタは……!」


「何じゃ、たかだか十夜ばかり会わなんだだけで、もう妾の顔を忘れたかえ?」


 赤く輝く広間の中で、魔王はその姿を現す。


 その姿はマージェリーの知る童女の姿ではなく、成熟した大人の姿……人々のよく知る魔王の姿へと変貌していた。


「妾は魔王。ノエル・【ノワール】・アストライア。あらゆる血と夜と呪いの女王にして、遍く地上の怨嗟を啜る者。冥府の底より舞い戻り――」


 二階へとノエルが刃を突き付けると、切っ先の示す先にユークリッドの姿が現れた。既に彼の全身には魔王への殺意が漲り、一触即発の段階にまで緊張は高まっている。


 一拍遅れて赤い鎧の戦士――クリフが広間へと押し入り、これを合図としてその場にいた全員が戦いの始まりを全身で感じた。


 もはや誰も後に引けない状況の中で、ノエルはゆっくりと唇を引いて嗤う。


「貴様を殺すぞ、ユークリッド・【ヴェール】・ビリティス」


 勇者と魔王は、命の限り殺し合う定め。

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