第十四話 三人の始まり

「……静かになったわね」


 少し尖った耳を澄ませながら、マージェリーが呟く。


 魔力も感じない。物音も聞こえない。突如としてやってきた静寂。


 勝ったのはクリフか、或いはエヴァか。ここからでは全く分からない。


「…………」


 そんな状況を分かってか分からずか、ノエルは顔をしかめて憮然としていた。


 その身体はいつの間にか、元の童女へと縮んでいる。血を使い切ったことによって、元の搾りかすへと戻ったのだ。


 苦虫を嚙み潰した様な顔をしているノエルに、マージェリーが近寄る。 


「アンタ、エヴァのこと嫌いなんじゃなかったの? 何をそんながっかりしてるのよ」


「……妾はの、人のことは皆蟲だと思うておる」


 マージェリーの問いに、ノエルがぽつりと呟く。


「下等で、卑しくて、弱弱しい。見るに堪えない存在じゃ。傷は治らんし、身体は脆いし、すぐに死ぬ」


「言うわねボロクソに」


「じゃがまあ、それでも尚妾に立ち向かう毒蟲のことはある程度好ましくも思う。ほれ、魔族の連中は誰も逆らわんからの」


 かかか、とノエルが渇いた笑いを出す。その音色はどこか寂しそうなものだった。


「妾が一等好かんのは、這い蹲って逃げ惑う手合いの蟲じゃ。もはや殺されるしかない、立ち向かう意思のない弱卒など見ておると反吐が出るわい」


 ちらりとノエルがマージェリーの方を見遣り、にぃっと微笑む。


「その点、ぬしは中々良かったぞ? あの啖呵たんかと能力、中々どうして魅せるではないか」


「お褒めにあずかり光栄ですよっと。でも未来視はまだ不完全だし、アンタがいなけりゃアタシは負けてた。だから――」


 少し目を逸らして、マージェリーが黙り込む。


 まるで煮られた水が沸騰するかの様に、みるみるうちに顔が赤くなっていく。


「ぁ………………と」


「んん? 何じゃ、上手く聞き取れんかったが」


「ありがとっっ!!! 全くもう、何度も言わせないでよ!」


 今まであまり相手に礼など言ったことの無いマージェリーにとって、「ありがとう」と言う事は非常に恥ずかしく、悔しいことである。いわんや相手は年端もゆかない童女だ。


 真っ赤になって大声を出したマージェリーを見て、ノエルが盛大に噴き出す。


「かかかっ! ぬし、そういうことはクリフにやってやればよかろうに」


「はあ? 何であいつの名前がそこで上がってくるのよ!?」


「照れんで良い照れんで良いわ。こっちまで恥ずかしいわい」


 けんけんと噛みつくマージェリーに鬱陶し気にひらひらと手を振ってみせながら、ノエルが辺りをきょろきょろと見渡す。やがて何かに気付いた様に、一点を指してマージェリーの方を見つめた。


「……ほれ、戻ってきたぞ」


「え――」


 ノエルが指したのは、エヴァの駆けていった路地の方。


 日も暮れようとしている薄赤い空気の中に、ひときわ赤い何かが見えた。


 それはこちらへと、ゆっくりと歩いてくる。


 赤備えの甲冑。からすの様な黒い髪。背に差した長大な剣と腰に差した短剣。腕には何かを抱えている。


 ――あれは……!


「クリフッ! 無事だったのね!」


「……無事、かどうかは分からないがな」


 腕に抱えていたものを、クリフがマージェリーに見せる。


 彼が持っていたのは、首級。左の眼窩に眼球の填まっていない、赤毛の生首だった。その表情は心なしか満足げで、痛みや苦しみとはおよそ無縁である。


 傷一つ、乱れ一つない、エヴァ・テッサリーニの首。彼女の顔を一度ひとたび見た者ならば、その首が相違なく彼女のものであることをひと目で見抜けるだろう。


「――――」


 彼女の首を見たマージェリーが、口を手で抑えて黙り込む。


 死体の目と自分の目が、一瞬合った様に彼女には感じられた。


「エヴァというのは、こいつで間違いないか」


「…………ええ。間違い、ないわ」


 頷いたまま、マージェリーが頭を下げて静止する。


 下げられた頭から、ひと粒だけきらりと光る何かが零れ落ちた。


「遺体は?」


「武器以外は魔術で燃やした。必要以上にかばねを陽の下に晒してはいない」


「そう……なら、良かったわ」


 震える手で、マージェリーがエヴァの頬に触れる。


「……赦してとは言わないわ。でも、どうか安らかに眠って」


 両手を組んで合わせ、マージェリーが静かに目を閉じる。


 クリフが今一度エヴァの首を整え、彼女の方へと向き直った。


「いと高き処にまします、我らが主と太陽と聖女よ。今、あなた達の元へ一つの魂が参ります。どうか迷える魂に、安らかな眠りを――」


「――執行」


 突如振ってきた、静かで冷たい女の声。


 反射的に飛び退いたクリフの辺りで、


「ぐっ……!」


 クリフの手からエヴァの首が離れ、上から伸びてきた手によって掠め取られた。


「ああ、汚い汚い……。男に触れられると女は穢されてしまうのです。気安く触るのはご法度ですよ」


 紺色の修道服に身を包んだ何者かが、ふわりと地面に着地する。


 降りてきた女は、実に印象的な外見をしていた。


 白陽金十字きょうかいの紋が施された修道服、太陽の様な輝く長い金髪、切れ長の目に入った紺色の瞳、瑞々しい白磁の肌にぽつりと打たれた泣き黒子ぼくろ……しかし彼女の印象足り得ない。


 修道服から覗く左腕。銀によってぎされた、木乃伊ミイラの様にかさかさに乾いた左腕。きっと彼女を見た者の視線は、まずそこに集まるだろう。異常に老いた腕に、緑色の光が幾筋も走っていた。


「外しましたか。確実に当てたつもりでしたが」


「……いいや、当たっているとも」


 クリフの頬が僅かに切れて、細い血の筋が肌を伝う。


 しかしその様子を見ても、彼女の冷たい表情は揺るがない。


「首が落ちてません。致命傷以外は全て外れです」


「奇遇だな、俺も同意見だ」


 口元へと垂れてきた血を、クリフが舐め取る。


 その様子を見たノエルが、ぺちぺちと気の抜けた音を立てて拍手を送った。


「おお、その左腕! 聖者の遺体か! 千年前から今まで後生大事に持っておるとは、いやはや教会の懐古趣味も大概じゃの」


「フリーデ……!」


「ええ。『緑の歌うたい』第四席、元魔女狩り部隊イノケンティウス三番隊隊長、『聖者の左腕セファ・ガズラ』、フリーデ・カレンベルクです」


 フリーデと名乗った女が立ち上がり、乱れた金髪を掻き上げる。氷の様な眼光がより一層強く輝き、辺りに冷たい気配が奔った。


 フリーデ・カレンベルク。エヴァと共にマージェリーを迎えに来た、『緑の歌うたい』の修道女シスター


 優雅に、しかし力強く、フリーデがマージェリーの方へと手を伸ばす。


「さあ、マージェリーお嬢様。


「……いい加減、このやり取りも飽きてきたわね」


 填めた手袋へ魔力を通すマージェリーを見て、フリーデは僅かに目を細めた。今まで陶器の様であった彼女の肌に、僅かに赤みが差す。


「お可愛いですねお嬢様。虚勢を張っても、既に限界なのは見え見えですよ」


「うっさい……!」


 再び垂れてきた鼻血を拭うマージェリーを見て、フリーデの表情は恍惚へと変わっていく。うっとりとした表情のまま、フリーデは僅かに舌なめずりをした。


「嗚呼、お嬢様。何ともいじらしいではありませんかお嬢様。そそるそそる……実にそそります。ユークリッド様にあげてしまうのは実に勿体ありません……」


 フリーデがさらにマージェリーへと手を伸ばし、マージェリーの身体が僅かにびくんと跳ねる。


 殆ど同時に剣の柄へと手をかけたクリフの前髪が、すぱりと僅かに切れた。


「――っ」


「……また外しましたか。まるでハイネの様な勘ですね」


 クリフの息遣いを耳にして、フリーデが悔し気に舌打ちをする。その左手はクリフの方をしっかりと指さしていた。


 あと一歩。フリーデへ斬り込む為にたった一歩クリフが踏み込んでいれば、その首は落ちていただろう。フリーデによって放たれた、不可視の斬撃によって。


 クリフの動きが止まったことを確認してから、フリーデが改めてマージェリーの頬に触れる。初めは軽く確かめるように、次いで深く沈めるように。


「少し肌が荒れましたね。少女おとめの肌は絹の粒子きめでなければならないのです。外に出て、男に関わり、女は少しずつ汚れていくのです。ですから……」


「うぐっ!?」


 マージェリーの口内なかへと、強引にフリーデの親指が押し込まれる。舌に指の腹を擦り付ける様にして、マージェリーの内部をフリーデが辱めていく。


 ずい、と顔を近づけて、フリーデが笑みを浮かべる。


「お嬢様が男を知る前に、私が殺して差し上げます」


「…………!」


 フリーデの笑みは刃の様に残忍で冷たい。殺すと言った相手は必ず殺すという説得力が、彼女の双眸にはあった。


「ふぅ……」


 ゆっくりと大股に一歩、フリーデがマージェリーから離れる。離れた指先から唾液が糸を引き、濡れたそれをフリーデが舌を伸ばして舐めた。


 爪の先まで丹念に唾液を舐め取りながら、フリーデが言葉を紡ぐ。


「とはいえ、今はエヴァの弔いもしてやらねばなりません。遺灰と首は確かに預かりました。彼女の魂が陽の御許へ参るまで、今少し時間をあげましょう」


「時間?」


「ええ、時間をあげます」


 舐め終わった指を質素なハンカチで拭き取り、フリーデが三つ指を突き立てる。


「三日後です。西に二日の場所にある、『緑の歌うたい』の聖堂……私はそこでお待ちしております。もしも私に勝つことができましたならば、ユークリッド様の居所や計画について、


「全て、ね?」


 念を押す様に、マージェリーが繰り返す。フリーデが僅かに頷いたのを見て、さっと全身に緊張が走る。


 しかし依然として、フリーデにマージェリーとの戦闘の意思は無い。その気になれば手の届く間合いで、彼女はマージェリーへ深々と一礼する。


「おらば、これにて失礼致します。また会う日を、心待ちにしておりますよ」


 きん、と高い音がフリーデの口元から鳴る。


 彼女の足元で魔法陣が展開され、身体を緑色の光が包んでいく。


 身体を分解しての高速移動。マージェリーが使ったものと同じ術式である。


「お嬢様の首は! このフリーデ・カレンベルクが生涯でて差し上げます!」


「待ちなさい、フリーデ!」


 マージェリーが手を伸ばすも、一瞬早くフリーデの姿はそこから立ち消えた。


 伸ばした手が、空しく空を切る。後には魔力の残滓と、喧噪に乱れた空気が残った。


「フリーデ……」


「ほ、女色の尼僧にそうとはまた随分と生臭い聖者もおったものじゃの。ぬしもつくづく、妙な輩に付け回されるではないか。ん?」


「…………」


「ほれ。些か邪魔が入ったが、妾の時と同じようにやってみせよ」


「アンタほんとに野暮な奴よね。分かってるわよ、やるから!」


 マージェリーが手袋を外し、クリフの方へと向き直る。


 改まった様子を見て、クリフも柄から手を離し、マージェリーの方へと身体を向けた。


「まずは、ありがとう。貴方のお陰で命を拾ったわ」


「礼を言われることでもないさ、お前とノエルの協力あっての命だ」


 す、とクリフがマージェリーの方へと手を差し伸べる。


「俺は全てを見てないが、面構えを見れば何があったかは分かる」


「クリフ……」


「強い目になった。勇者を殺す旅の仲間として、俺とノエルの同胞として、改めてお前を認めるよ。マージェリー・ミケルセン」


「アタシも、アンタのこと認めたわ。強いのね、とても」


 差し出された手を、マージェリーが握る。


 握られた小さい手を、クリフがややぎこちなく握り返した。


「アタシはマージェリー・ミケルセン。勇者ユークリッドを殺すその日まで、アンタに協力してあげるわ」


「俺はクリフ。『太陽の聖女』コーネリアを救う為に、お前の力を借りよう」


「……ま、小娘一人が加わるくらいは良いじゃろう。魔王の隊列へ加われい」


 握りあった二人の手に、ノエルが自分の手を重ねる。


 魔王と、元英雄と、魔術師の少女。


 勇者を殺す三人の旅は、くしてここから始まった。

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