第10話

 別の部屋を開けてみた。

 六畳ほどの広さの洋室は、窓以外の壁がすべて本で埋め尽くされている。

 窓に面した所に、小さな机があった。

 その上にある小さな物体は携帯電話。

 綾子の持っているものと同じタイプだ。

 電源を入れたとたん、甲高い警報音が鳴り響く。電池切れだ。

 机の隅にあった充電台に乗せたら、音はすぐに鳴り止んだ。

 その脇にミニアルバムがあるのを見つける。

 アルバムを開くと、最初のページに黒猫を抱いた男の写真があった。

 男は髪も髭も伸び放題に伸ばしている。

 綾子はようやく思い出した。

 八年前に契約を取った髭面の男の事を……あの男の名前も佐久間。

 ただ、昨日会った探偵の佐久間とは容貌にあまりにもギャップがあって、思い出せなかったのである。

 そろそろ良いだろうと、携帯電話を充電台から外した。

 送信メールボックスを開く。

 ディスプレーに表示された電話番号は綾子のものたった。

〈採用〉のボタンを押してメールを開く。予想通りの文面がディスプレーに現れた。


〈金返せ!?〉


 別のメールを次々と開いていく。


〈……子供はどうなった?〉〈俺の金返せ! 町田〉〈金返せ!〉


「……ここから、送っていたのね」


 つぶやいた直後、背後に気配が生まれる。

 振り返ると、入り口のところで黒猫がじっと綾子を見つめていた。


「あなた……」


 それは、今見たアルバムの中の猫とそっくりだった。

 いや、それだけでない。一週間前に、出窓の向こうから綾子を見つめていた猫とそっくりである。

 不意に、猫は部屋から出て行く。


「待って」


 綾子は、猫を追って部屋を出る。

 廊下の曲がり角で、猫はちょこんと待っていた。だが、綾子の姿を確認すると、猫は角を曲がって姿を消す。

 綾子も猫を追って廊下の角を曲がった。

 襖の前で待っていた猫は、綾子の姿を見ると前足で器用に襖を開けて、中へ入って行く。

 綾子もその後を追い部屋に入ると、そこには大きな仏壇があった。

 その横には、祭壇が設けられ、焼香台から煙が立ちのぼっている。

 そこに祭られている写真を見て、綾子は愕然とした。


「そんな……馬鹿な!!」


 そこに映っている写真の男は、昨日始めて会い、さっきまで車の中に一緒にいた佐久間とそっくりであった。

 背後で襖の開く音がする。

 振り返るとそこに、さっきの黒猫を抱いた佐久間が立っていた。

 ただ、佐久間の服装はさっきと違っている。

 車から降りた時はスーツを着ていたはずなのに、今の佐久間は作業服を着ていた。

 胸の所には、相模化工の文字が刺繍されている。

 さらに車を降りるまでは、裸眼だったはずなのに、今は分厚い眼鏡を掛けていた。


「佐久間さん……あなた……いったい?」


 何者なのかは、聞かなくても分かっていた。分かっていたが、認めたくない。

 無言で立っていた佐久間の顔が、突然変貌を始めた。

 のっぺりとしていた顔の皮膚のあちこちに無数の黒い小さな点が現れたと思うと、みるみるうちに黒い線となる。

 やがてそれは、顔中を覆い尽くす程の髭になった。

 その姿はまさに、八年前に相模化工で会った時の姿そのままである。


「ゆ……許して、佐久間さん。本当は、ホテルでは何もなかったのよ。すべて嘘なの。ノ……ノルマを上げたい一心で……お願い。許して」


 必死で許しを請う綾子に対し、ゆっくりと首を横にふる。

 そして言った。


「金、返せ」


 綾子の意識は、そのまま暗転する。

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