第11話

「ちょっとあなた。こんなところで何をしているのです」


 肩を揺さぶられ、綾子は目を覚ました。

 目を開けると老女が自分の顔をのぞき込んでいる。


「ここは……?」


 周囲を見回して、ここがさっきの仏間だと気付く。


「あの……」


 どうして自分がここにいるのかと言いかけて止めた。

 一瞬にして状況が分かってしまったのだ。 

 さっき、自分はここで佐久間の幽霊に出会い気を失った。

 様子から見て、この老女は佐久間の母。だとすれば、自分が佐久間を騙して保険に加入させた女だとばれたら、どうなることやら。  

 それに、自分は断りもなくこの家に入ってしまった。

 下手をすれば不法侵入罪だ。


「あの……」


 綾子は祭壇の写真を指差した。


「佐久間さん。どうされたのですか?」


 自分は佐久間の友人で、久し振りに尋ねてみたら祭壇に佐久間の写真があるのに驚いて、気を失ったという作り話をとっさにでっち上げた。


「自殺したのです。二週間前に」


 老女はたんたんと語り始めた。


「二ケ月前に医者からガンの告知を受けたのです。ですが、治療すれば助かるとも言われたのです。ただし、長期間の闘病生活を強いられる事になるだろうとも……あの子は『お母さんに治療費で負担を掛けたくない』と言って、そして……」


 老女はそこで涙ぐむ。


「治療費って? 佐久間さんは、保険に入っていたのでは?」


 自分が加入させたのだから、間違えないはずである。


「保険の契約が、いつの間にか切られていたのですよ。本人も知らないうちに……」

「なぜ?」

「保険金が長い間、未払いになっていたのです。保険を引き落としている銀行口座の残高がなくなっていることに、気が付かなかったのですよ。三年前に給料の振り込み先を変えてしまったので、保険を引き落としている口座に、お金を降り込まなければいけなかったのですが、仕事が忙しくてその事を忘れていたのです」

「でも、契約を切られる前に通知があるはずですが……」

「うちでは、ダイレクトメールの類いは、たいてい見ないで処分していますから、気が付かなかったのでしょう。ですけど、こういう場合、契約を切る前に外交員が直接来るか、電話をするのが筋じゃありませんか。だからその事で抗議したのです。そしたら『相模化工から出入り禁止になっていたので行けなった』というじゃありませんか」


 幸子の顔が綾子の脳裏に浮かんだ。


……あいつめぇ!……


「そもそも、息子が主人の知り合いの保険屋さんに入っていれば、こんなことにならなかったのですよね。八年前、そうするように言っていたのですが、突然息子は会社に来た保険屋と契約してしまったのです」

「はあ」


 その辺の経緯はよく知っていたが、敢えて初めて聞いたような顔をするのに、綾子は苦慮した。


「ですが、本当は息子は保険には入りたくはなかったのですよ。息子は人付き合いが苦手で、結婚なんてしたくないと言っていました」


 たしかに、そんな事を言っていた。


『結婚なんかしないのに、なんで保険なんか入る必要がある』と言って綾子の勧誘を、頑強に拒んでいたのである。

 しかし、その時の綾子にとっては、相手の事情など、どうでもよかったのである。

 そんな事よりも、その月の内に契約を一つでも取れないと、給料を一気に減らされてしまう状況にある綾子にとっては、どんな汚い手を使ってでも、契約を取りたかったのだ。


「ところがある晩、保険会社の主催するパーティに息子は連れ出されたのです。行きたくなかったのに、上司や先輩に無理やり連れていかれたのですよ」


 あの時、綾子は佐久間を合コンに誘い出して、色仕掛けで契約を取ろうとしたが『興味ない』と言って断られていた。

 そこで、佐久間の上司や先輩に『可愛い女の子を紹介するから』と言って、佐久間を連れて来てもらったのだ。

 しかし、せっかく連れてきてもらっても、佐久間は始終不機嫌そうな顔をして、会場の隅に座っていた。

 綾子達が話しかけても『いつ終わるのだ?』『もう帰っていいか?』『こんな下らない宴会に突き合わされて、いい迷惑だ』という返事が返ってくるだけで、取り付く島もなかった。

 契約を取るどころの状態ではない。

 佐久間とて男だ。

 こういう華やかな所に連れ出して、ちょっと色気をちらつかせれば、簡単に落ちるだろうと考えた綾子の目論見は見事に外れた。

 そこで、綾子は最後の手段に出る。

 色気に興味を示さない佐久間も、食い気には興味があったみたいだ。

 出された料理を、ガツガツと食らっている。

 そんな佐久間に、綾子はワインを進めた。

 佐久間は何も言わずに受け取り、それを一気に飲み干したのだ。中に薬が入っていることを知らずに……

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