第21話

 太郎は仲間と一緒にザブラへ向かって雑木林の中の細い道を歩いていた。

「ゴドー、あとどれくらいでザブラに着くの?」

 もうすでに日は暮れていた。

「もうすぐそこだ」

 木々の茂みが終わると、荒野が広がっていた。その向こうには、照明で明るく浮かび上がる街が見える。近づくにつれ、何やら音楽が聞こえてきた。


「着いたんだね、ザブラに」

「ああ」

 ゴドーは相変わらず、口数が少なかった。人々は楽し気に、街路で踊ったり歌ったりしていたが、上品な人は一人もいなかった。見るからに、下種な男たちと、あばずれな女ばかりだ。

「ここで宿はとれるのか?」

 ジュペは周囲の者を一瞥し、ゴドーに聞いた。

「ああ、ここらは旅人がよく通るからな。宿屋もある。こっちだ」

 ゴドーはそう言って、暗い路地へと入っていった。シュリは早くも、怯えているようだ。荒くれ者の街の裏通りに入るなんて、何が起こるか分からない。けれど、ここは勝手を知っているゴドーについて行くのが賢明だろう。


「こんなところに宿屋なんてあるのか?」

 シュリが小声で聞くと、

「しゃべるんじゃねえ」

 ゴドーが一括した。そこら中に吞んだくれた汚い男たちがいて、暗闇の中から僕たちをぎらついた眼で睨んでいる。しばらく黙って歩き、ゴドーは裏口のような扉の前で足を止めた。扉には小さな窓がついていて、ノックをすると、その窓が開かれた。けれどそこから出てきたのは顔ではなく銃口だった。

「どちらさんだね。尋ねるところを間違えたんなら、今すぐそこからどかねぇと、脳天ぶっ飛ぶぜ」

 なんて乱暴なことを言うんだろう。さすがのジュペも身の危険を感じたのか、扉から一歩ずれて肩の剣の柄を握った。


「ロン、そいつを下ろせよ。ガキどもが怯えている」

「けっ」

 ロンと呼ばれた男は銃を下ろし、小窓からゴドーを見ると、

「あんたかい」

 と言って、窓をピシャリと閉め、ドアを細く開けた。

「さっさとしろ」

 そう言われて、僕たちは急いで中へ入った。ロンはすぐにドアを閉め、頑丈な閂で施錠した。

「ガキを連れてるなんざ珍しい。売り飛ばすのか?」

「フンッ。そこまで腐ってねぇよ。無駄口叩かねえで部屋に案内しろ」

 ロンは、ついて来いとあごでしゃくって、黙って階段を上がっていった。階段を上がると廊下があり、左右に二つずつドアがあった。ロンは右奥の部屋のドアを開け、

「ここしか空いてねぇ。狭いが我慢するんだな。料金は四人分いただくぜ」

 と言って、手を出した。

「冗談じゃねぇ。部屋が一つしかないんなら二人分だ」

 ゴドーは紙幣を二枚、ロンに手渡した。

「足りねぇな。今は二人分でも一万ジーニだぜ」

「一万ジーニだと。ふざけんじゃねぇ!」

 ロンが請求する破格の宿泊料にゴドーは息巻いた。

「私が払う」

 そう言ってジュペが懐から出した金貨に、ロンが目を丸くした。

「こいつは驚いたぜ。ドクーグの貨幣じゃねぇか。しかも、十万ジーニとは……」

 何やら、いやらしい目つきでジュペをねめ回した。

「つりはいらない」

 ジュペはロンが何を考えているのか察しがついたのだろうか?

「へぇ、ありがとさんよ。あんたらのことはどこにも漏らさねぇ。詮索もしねぇ。それでいいんだろ?」

「ああ」

「ロン、てめぇって奴はどこまで汚ねぇんだ。ガキ相手に……」

 階段を下りていくロンに向かって、ゴドーが吠えた。部屋に入ったジュペにゴドーは、

「あいつに金なんて、やらなくたっていいんだ。こいつで、ちょいと脅かしてやりゃ、言うことをきく」

 と言って、杖の先に付いた水晶球をちらつかせた。

「だめだ。脅しなんて逆効果だ」

 僕もジュペの言うとおりだと思う。警戒している相手に、さらに追い打ちをかけるようなものだ。

「なんにも分かっちゃいねぇ。今夜、俺たちは襲われるだろう」

「一体誰に?」

「見ただろ? この街にいる連中を。奴らはみんなクズだ。お前がロンに大金を見せたのが悪かった。簡単に十万ジーニも払ったお前が、まだたくさんの金を持っていると感づいたろう。今頃、仲間を呼び集めているはずだ。俺が魔術を使うことを考えても、人数をそろえりゃ、殺れると思ってるだろうな。覚悟しておけよ」

「物騒な話しだ」

「ここにいるのは、そういう連中なんだ」

 ゴドーはそう言って、窓の外をそっと覗いた。

「ちっ。寝込みを襲われると思ったが、奴らさっそく来やがったぜ」

 僕もそっと窓の外を見た。黒い影がいくつか見える。

「どうするの?」

「奴らを皆殺しにするには、骨が折れるな」

「殺すだなんて……」

「だったら、逃げるしかねぇ」


 しばらく考えているうちに、黒い影たちが、建物の中に入ってきた。足音を忍ばせているつもりだろうが、古い木の階段はミシミシときしんでいた。

「シュリ、壁掛けに僕らを乗せて飛ぶように命令して。ゴドーあなたは魔術で空を飛べるんだよね。この窓から逃げよう」

 僕の提案に一同がうなずいた。

「お前らは先に出ろ。俺はこのドアを押えてから出る」

 ゴドーはそう言って、ドアに近寄ると、水晶球を光らせた。シュリが窓の外に壁掛けを広げると、それは軽く風になびくように浮いた。さあ、乗って」

 シュリに促されて、ジュペと僕は壁掛けに座った。振り向いて、ゴドーの仕掛けた魔術を見ようとしたが、その前に壁掛けは空へと上昇していった。そのまま、僕らを乗せた壁掛けは、ある方向へ向かって飛んだ。

「東へ向かっているんだね」

「そうだ」

 シュリが進行方向を見据えて答えた。空を見上げると何だか身震いがした。なんだろう? この感覚は。

「どうしたんだ?」

 ジュペが僕を振り返り聞いた。

「何か嫌な予感がするんだ」

「もしかしたら、闇にわたしたちのこと、気づかれたんじゃないだろうな」

 シュリがぼそりと言った。そうだ、僕は闇の気配を感じ取ったんだ。そう思った瞬間、強い風に壁掛けが煽られた。しがみつくひまもなく、僕とジュペは振り落とされてしまった。僕は地面に叩きつけられると思った。そのとき、身体が何かに掬われる感じがした。僕は白く光る網の中にいた。となりでは、ジュペも同じように白い網の中でゆったりと身体を伸ばしていた。まるで、ハンモックに揺られているようだ。


「ゴドー。助けてくれたのは君だね」

 落ちたその場所は、真っ暗闇の雑木林の中だった。

「フンッ。世話がやける」

 ゴドーが、水晶球を光らせて、木々の中から現れた。

「シュリはどうしただろう?」

 僕はきょろきょろと彼を探した。

「わたしなら無事だ」

 シュリの声は頭上からだった。壁掛けが浮いていて、それがゆっくり下へ降りてきた。またもや壁掛けは、シュだけを守護したのだ。

「薄情なやつだな。私たちは、あやうく、地面に叩きつけられるところだったんだぞ」

 ハンモックはら降りたジュペが、シュリにからんだ。

「そんなこと言ったって、壁掛けは勝手にわたしを助けたんだ。文句を言うなよ」

「静かにしろ!」

 ゴドーが彼らを黙らせ、水晶球の灯りを消した。そして、何かの気配を探っているようだ。僕は不意に腕を掴まれた。びっくりして、声を上げそうになったが、その前に、彼の思念が伝わってきた。

『声を出すなよ。闇に囲まれた。シュリと、ジュペの身体に触れろ。俺の言葉が聞こえるようになる』

 僕は言われたとおり、彼らの身体に触れた。

『よく聞け、今、闇に囲まれた。しかし、俺の結界で奴らには、俺たちが見えない。声を出せば気付かれる。このままゆっくり移動する。足音を立てるなよ』

『これは一体どういうことだ? 声を出さなくても、ゴドーの言っていることが分かる』

 今のはシュリの声だ。

『これはテレパシーだよ。魔術の一つさ』

 僕はシュリの疑問に答えた。ゴドーは僕のを引いてゆっくり歩いた。

『なあ、ゴドー。奴らを倒せばいいんじゃないのか? なんで、こんなふうに逃げなきゃならないのだ?』

 ジュペは敵に背を向けて逃げることに不満を感じているようだ。

『奴らなんかに、かまってられるかよ。この先に何が待っているか……』

 彼はこのあと、どうするつもりだろう? 闇から逃げることなんてできるのだろうか?

『俺を信じろ』

 僕の心の声に答えるようにゴドーは言った。そのまま僕らは雑木林を抜けた。

「もういいだろう。奴らはここまで来られまい」

 ゴドーはそう言って、水晶球を光らせた。

「なぜなの?」

「奴らはあの雑木林の闇だ」

 僕には彼の言っていることがよく分からなかった。

「そうか、じゃ、もう追ってこないのだな」

 シュリが安堵したように言った。

「しかし、今夜はここで野宿だな……」

 ジュペが言った。あたりは何もない荒野、どこで眠ればいいのだろう。

「フンッ、もう少し歩く。たぶん今頃なら、キャラバンがキャンプしているだろう。そいつらとの交渉次第では、一晩テントを貸してくれるだろう」

 ゴドーの言葉に俄然、張り切りだしたのはもちろんシュリだ。


「よし、早く行くぞ。あんまり遅いと断られてしまうかもしれないからな」

 一行は足早に歩き出した。一時間ばかり歩いただろうというとき、目の前に灯りが見えてきた。荒野の真ん中に、テントを張った野営がそこにはあったのだ。

「見ろ、ドンピシャだ」

 シュリは喜んだが、僕は疑問を抱いた。こんなに都合よくキャラバンと遭遇できるとは……。ゴドーを見ると、彼は僕をちらりと見た。僕の心を読んだのだろうか?

「ここで待て、俺が交渉してくる。キャラバンの隊長とは顔見知りでな……」

 ゴドーはそう言って、テントへ向かって行った。しばらくして彼はテントから出てきた。そして僕らに光る水晶球で合図を送ってきた。交渉が成立したようだ。


「お前ら、隊長にあいさつしろ」

 僕らは大きくて立派なテントの中へ通された。そこにいたのは、身体の大きな厳つい顔の男だった。

「夜分遅くにすみません。僕は太郎と言います。こちらの方は、ケシュラ・シュ・シュリ様と、ソルジ・ア・ジュペ様です」

 僕があいさつすると、

「初めまして」

 と王子ジュペは手を差し出した。

「俺は知っているぞ。お前がドクーグの王子で、そっちがケシュラの王子だろ。ゴドーはお前らのことまでは言わなかったが、とんでもない客を連れてきたもんだ」

 隊長はその厳つい顔をジュペに近づけそう言った。

「ご迷惑でしたか?」

 そう言うジュペの差し出した手を、隊長は強く握り締めた。

「かっかっかっ。俺の名はギン。俺らは旅の商人だ。旅で出会ったのが誰であろうと、気が合えば友だ。今夜は我らの隊商へよく来られた。宴の用意をしろ」

 彼はそう言うと、からからと豪快に笑った。テントには男も女も子供も集まり、酒と料理が運び込まれた。楽器を鳴らし、軽快に踊り、みんながとても楽し気にしている。別世界だ……。ここはまさに異世界なんだ。僕にはこんな楽しい時間があっただろうか? ふと、向こうの世界を思い出した。

「太郎、お前も踊ろう」

 シュリはそう言って、僕の手を引いて、踊りの輪の中へ入った。彼は周りに溶け込んで、もうすっかり上機嫌で踊った。ゴドーは隅の方で、酒をちびりちびりと吞んでいる。ジュペは、ギンに気に入られたようで、となりで酒を勧められて、困惑した表情で断っている。そして僕は、踊りの輪から一歩外れて、それらをただ呆然と見つめている。

「なぜ踊らないんだ?」

 シュリは僕を心配したのだろう。

「僕は踊ったことがないんだ」

「なんだ、そんなことを気にしていたのか。踊ることに決まりはない。見てみろよ、誰も同じ踊りはしていない。踊りとは表現だ。身体を動かせばいいんだ。こんなふうにさ」

 そう言って、シュリは僕の手をとり、陽気に踊った。僕もリズムに合わせて身体を動かしてみた。上手に踊れていないことは自分でも分かったが、僕を見て笑うものは誰もいなかった。それどころか、知らない人たちが僕の手をとり踊りだした。

「な、言っただろ」

 楽し気に踊る彼らを見ていると、現実を忘れそうになる。この世界には闇が流れ込み、今もどこかの街が闇に襲われているのかと思うと、なんだかドキドキしてきた。

僕が世界を救う……。僕が? 現実ってなんだろう?

「さあ、存分に楽しんだだろう。明日も早い、皆、身体を休めなくてはならない」

 ギンがそう言うと、宴は終わり、片付けられていく。

「さあ、友よ、今日はこのとなりにテントを用意したので、そちらで休むといい」

「ありがとうございます。ところで、お伺いしたいことがあります。突然の訪問で、どうしてこんなにも親切にしてくれるのですか?」

 ギンは一瞬、顔を曇らせた。

「お前……。伝説の光の子だな。俺は知っているぞ。多くの国や街で言い伝えられている。異世界とつながる者。興味深いな。お前の質問に答えてやろう。俺がお前たちを歓迎したわけを……」

 僕は息を呑んでその答えを待った。

「友を歓迎するのに、理由などない」

 そう言って、彼はまた、豪快に笑った。ほんの一瞬でも、この男を疑った自分が恥ずかしかった。

「さあ、お前たちも疲れているのだろう。早く寝るといい」

「ああ、感謝する」

 ゴドーはぼそりと言った。ギンの心遣いに感謝し、僕らはテントで疲れた身体を横たえた。

「ああ、今日は本当に疲れたよ」

 誰ともなしにそうつぶやいた。

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