第20話

 ヤマトは自分が何を言っているのか分からなくなっていた。シスターは泣き崩れ、己の罪の重さを悔い、

「いっそ、死んでしまいたい……」

 とつぶやいた。ヤマトははっと我に返り、

「すみません。僕はどうかしていました。貴女を責めるつもりはなかったのです。口が勝手に……」

 彼女の両肩に手を置いた。シスターにはヤマトの声は聞こえていないようだ。一人でブツブツと何か言っている。

「……ごめんなさい太郎……」

 すべてを知ることのできる光の子ヤマトには人の心が分からなかった。彼女はどうしてそこまで自分を責めているのだろう。


「僕が言った言葉は、僕の意思にかかわらず出てしまった。あれは闇の力のせいです。どうか許してください。そして、もう自分を責めるのはやめてください」

 何とか落ち着かせようと試みたが、彼女の心はここにはないようだ。

「これはいけない! 灰色の魔女がまた、黒い魔女になってしまう。そうなってしまったら、彼女を止めることは難しくなる」

 ヤマトは目を閉じ、向こうの世界の太郎に向かって話した。


「太郎、聞こえているよね? シスターの闇が、また灰色の魔女の中に戻って行ってしまったようです。それは僕のせいなんだ」

 太郎にはその声はしっかりと届いていた。その証拠に、ヤマトの頭の中に太郎の声が響いた。

『僕は分かっているよ。君がシスターを傷つけたんじゃない。負の力のせいで、君はちょっと自分を見失っていたんだ』

 ヤマトは少しほっとしたように、軽くため息をついた。そして、シスターの身体を支えるようにして、彼女の部屋まで歩かせ、ベッドへ寝かせた。

 こうなってしまったからには、ここにいるのはただの空っぽな入れ物に過ぎない。今やるべきことは、向こうの世界へ行って、黒い魔女、シスターの心の闇を光の力で癒すことだ。しかし、今は向こうに太郎がいる。自分がどのようにして、太郎と入れ替わったのか、その方法が分からなかった。


『ヤマト、こちらの方は僕に任せてみてよ。君の考えていることは分かる。今、僕らの元から去っていった黒い魔女、彼女は僕らと同じ東へ向かっているはずだ。きっとまた出会う』

「そのとおりです。必ず出会うでしょう。僕には彼女の闇は消せない。黒い魔女の闇を浄化することが出来るのは君だけ。さあ、先へ進んでください。僕はここで何をしなければならないのか、ここへ来た意味を探します」

 ヤマトはそう言って、シスターの部屋を出た。

「僕はここで何をすればいいのだろうか? 向こうの世界では、悩むということなどなかった」

 ブツブツと独り言を言いながら廊下を歩いていると、

「太郎、入れよ」

 部屋のドアが、すうーっと開き、少年が手招きした。

「どうしたんだ? シスターに見つかっちゃうぞ」

 僕は言われるままにその部屋に入った。彼の部屋も、太郎の部屋と同じつくりで、彼以外は誰もいなかった。きょろきょろ部屋を見回していると、少年は僕を訝し気に見た。


「お前……」

 彼は何と言いたいのだろう? 言葉を止めてしまった。

「僕は太郎ではありません。君はもう、そのことに気づいたのでしょう?」

「どういうことだ。悪霊にでも憑依されたのか?」

少年は片方の眉だけを上げてそう言った。

「違います。僕はヤマトといって、太郎の分身です。向こうの世界から来てしまいました。あなたは誰です?」

「確かに、太郎じゃないな。おれは辰輝」

 そういって彼はベッドに腰を下ろし、何やら考え込んでいるようす。

「ヤマト、お前がこちらの世界に来たということは、太郎は向こうの世界に行ったということなのか?」

「そうです」

 彼は僕の言ったことを理解したのだろうか? こんなことが起こることは、こちらの世界では珍しいことではないのだろうか?

「向こうの世界か……。俺にはそんなものが存在するとは思えない。しかし、太郎はここにいない。それともお前は、太郎のもう一つの人格なのか?」

「もう一人の人格? こちらの世界では一つの身体の中に二つの人格を持つことができるのですか?」

「さあな。俺には分からねえ。太郎には何か、普通と違うものがあると思っていた。空想の世界に浸って見たり、そうかと思えば、現実に起こっていることにまっすぐ向かい合ってみたり。何かと葛藤しているようだった」

「何かというと?」

「そんなこと、俺には分からねえよ」

 彼はそう言って言葉を切った。

「そうですか……」

 僕にも分からなかった。

「なあ、お前のいた、向こうの世界というのはどんなところなんだ? 本当にそんな世界があるのなら俺も見てみたい」

「たぶん、ここと変わりはないと思います。僕の暮らしていたところは、ケシュラという名の王国です。ケシュラというのは光の国という意味で、その王家の者の中から、伝説の光の勇者が誕生する。そして、僕は光の勇者を守護する光の子なのです。伝説の通り、闇が世界を覆いつくそうとしています。光の子として、勇者であるシュリという少年を守護しています。他に、仲間として剣士ジュペ、魔術師ゴドーを共にして、闇の帝王がいるとされる、東に向かって旅をしているのです」

 辰輝は僕にイスに座るように勧めてくれた。イスに腰掛けて、辰輝と向かい合った。


「お前の言っていることは理解した。けれど、俺がこの目でその世界を見てみなければ、それを信じることはできない。しかし、それが事実なら、太郎の身が危険にさらされるということなんだろ?」

 僕ははっとして、言葉に詰まった。辰輝は友人である太郎の身を案じている。闇と戦うということは、その命が尽きるということなのだ。身の危険などというどころではない。太郎はこのままでは死んでしまうのだ。僕がこうして、ここに残ることになる。辰輝には何と言ったらよいのだろう? 太郎ともう一度入れ替わることが出来ればいいのだが……。


「どうなんだ?」

「この先、何が起こるのか僕には分かりません。僕と太郎が入れ替わったのには何か理由があるのだと思います。その理由を探すのに、どうか手を貸してもらえませんか? 僕はこちらの世界のことが分からないのです」

「ああ、いいとも。太郎のためだもんな。それにヤマト、お前は太郎の分身だ。だから、お前も俺の友達なんだ。遠慮なんてするなよ」

 僕はなぜだか胸が熱くなるのを感じた。これは一体なんだろうか? 辰輝の言葉に込められた何かが僕にはまだ分からなかった。


「闇の正体は?」

 辰輝は意外なところをついてきた。

「こちらの世界の人々の心の闇です。二つの世界は密接しています。そして、この二つの世界をつなぐ者を介して、闇は流れ込んできているのです。それを止めることが出来ればいいのですが」

「こっちの世界の人々の心の闇は消えやしないだろうな。二つの世界をつなぐ者、そいつらをどうにかしなきゃならない。お前がこっちの世界に来た理由、それは二つの世界をつなぐ者の心の闇がなぜ生まれたのかを見つけることだ」

「それが僕の使命……。難しいことですね」

「ああ。お前は二つの世界をつなぐ者が誰なのかを知っているのか?」

「ええ、一人だけ知っています。しかし、彼女の闇を消すことは出来ませんでした。太郎の身近な人間の中にまだいるはずです。その人を見つけなくてはいけません」

「さっきも言ったが、闇は消えないと思うよ。人の心は複雑で繊細で壊れやすい。特に大きな闇を抱えている人の心は、扱いを間違ったらだめなんだ。お前が接触した二つの世界をつなぐ者というのは、誰なんだ?」


 辰輝はとても落ち着いていて、僕の話しもよく理解した。そして、これからやるべきことを僕に諭している。光の子である僕に。こんなことは初めてだった。僕は一呼吸おいて、

「シスターと呼ばれている人です」

 と答えた。彼はうなずき、

「あの人なら相当な闇を抱えているに違いない。お前は、シスターの心の闇の原因を知っているのだろう?」

「はい。ここで話してもよいのでしょうか?」

「俺は口が堅い。秘密は洩らさないさ」

 僕はうなずき、シスターについて知っていることをすべて話した。

「なるほどな。それで合点がいった。太郎に対して特に厳しかったことも、時折見せる憂いを含んだ視線を太郎に向けることも、そんな秘密があったからだろう」


 僕は辰輝に自分の失態を話した。それは、僕の意思にかかわらずしたことではあったが、結果シスターを傷つけたことには変わりはなかった。

「今日はもう遅い、一晩ゆっくりと休んだ方がいい。お前も疲れているんだ。心だって疲れるんだよ」

 辰輝はそう言って僕の両肩をポンと軽く叩き、部屋へ戻るように促した。ゆっくりと目を閉じると、深い眠りへと落ちていった。

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