第19話

「そんなバカな!」

 思わず声を上げてベッドから飛び起きた。ヤマトが僕に直接話しかけてくるなんて。周りを見回してみた。ヤマトは今の僕を見ているのだろうか? けれど、彼の姿はどこにもない。本当にリアルな夢だ。それとも現実なのだろうか? ヤマトの言いたいことは一体なんだろう。僕の身近な人と魔女は関係があるということのようだけれど……。こちらの世界の誰とつながっているのか?


「魔女とつながっている人? だとすれば、その人は自分の罪を悔やみ苦しんでいるということになる。そんな人、僕の身近にいるだろうか?」

 罪……。それはもしかしたら、僕を捨てた母の罪ではないか? 母は生きているのかもしれない。そして、意外と近くにいるのでは……。


「そうか! 罪を許してあげることが出来るのは僕しかいない。だから君は僕にしか出来ないと言ったんだね。魔女の分身は僕の母なんだね。ヤマト、返事をしてよ。僕は母の顔を知らない。だから近くにいても母だと分からないんだ。教えてくれよ。誰が僕の母なのかを」

 自分でも驚いた。僕は母のことなんてどうでもいいと思っていたはず。この世にいなくてもいいと……。でも本当は母の存在が恋しかったのかもしれない。

「太郎、まだ起きているのですか? 消灯時間は過ぎているのですよ」

 ノックもなく部屋の戸を開けてシスターが入ってきた。


「あなた、誰と話していたのですか?」

「あ、あのー。独り言です」

 聞かれてしまった。あまりのばつの悪さにうつむいた。

「今、あなたは自分の母親のことを知りたいと言っていましたね。教えてあげましょう、あなたの母親が誰なのかを」

 シスターが唐突のことを言い出した。僕の出生の秘密を知っているということなのか。それとも、僕のために調べてくれたのだろうか? 僕はシスターの次の言葉を待った。彼女はドアを閉め、イスに腰かけて僕と向かい合った。


「このことは話すつもりはなかったのですが、このところのあなたを見ていると怖いのです。わたしの最大の罪、それはあなたを生んでしまったこと……」

 衝撃的な事実に僕は言葉を失った。シスターが僕の母親だなんて、そんなこと……。


「ごめんなさい……。まだ話すには早すぎたのかもしれません」

 シスターは僕の反応に戸惑っているようだ。生んでしまったことが罪ということは、生まれてきてしまったことが罪。それは僕という存在自体が罪ということだ。

「僕は真実が知りたいだけです。貴女が母だということは正直言って驚いています。僕を生んだことを後悔しているのでしょう」

「いいえ、それは違います。あなたを生んでも母だと名乗ることもできず、あなたを苦しめてしまったことを悔やんでいるのです。申し訳なく思っているのです」

「どうして母であることを秘密にしていたのですか?」

 シスターは目をそらし、口をキュッと結んだ。


「貴女が母だということは分かりました。秘密にする理由は、僕の父に関係があるのではないのですか?」

「あなたは真実が知りたいと言いましたけれど、知らない方がいいこともあるのです」

 彼女は必死で何かに耐えているようだ。こめかみに力が入り、肩で息をしている。目は心なしか潤んでいるようだ。

「貴女が辛いのならば、僕はこれ以上聞きません。知らない方がいいのかもしれないですからね」

「いつもそう……。あなたはそうして何もかも背負ってしまう。わたしのことを恨んでいるのでしょう? 怒りをぶつけたらいいのよ。泣いてもいいのよ。わたしをぶってもいいわ!」

 シスターは両手を広げ、目をつむった。

「あなたの痛みをわたしにぶつけて!」

 シスターの黒衣と両手を広げた姿は、まるでヤマトの世界の黒い魔女のようだ。


「僕は貴女を許します」

 それが僕の答えだった。僕は心からシスターを許した。今は母の罪を許すことが出来る。彼女はたぶん、僕以上に苦しみ、罪の意識に苛まれていたに違いない。

「どうして……。どうして、あなたはわたしのことを許せるの?」

 シスターは声を詰まらせた。


「僕には貴女の苦しみが分かります。もう十分です。貴女の罪は償われた」

 自分で言っている言葉がまるで他人の口から出ているようだ。シスターにこんなことを言うだなんて。

「あなた、本当に太郎なの?」

「いえ、ヤマトです。僕は太郎の分身。どうやらこちらの世界にに来てしまったようです」

 僕はその瞬間、目の前が真っ暗になった。


 気が遠くなって、僕は倒れてしまったようだ。起き上がるとそこはベッドの上だった。

「ヤマト、気がついたのか?」

 ジュペが僕を見て言った。

「ここはどこ?」

「宿場町のラテスだ」

 やっぱり僕を見ている。見えているのだろうか?

「どうしたのだ? ヤマト」

 シュリも僕を見ている。

「僕が見えるの?」

「もちろんだとも。お前、大丈夫か?」

 二人が心配そうに僕を見つめる。僕をヤマトだと思っている。着ている服を見ると、やっぱりヤマトの服だ。僕はヤマトの中にいるのだ。

「僕はヤマトじゃないよ。太郎だ」

 二人は顔を見合わせ、怪訝な表情を見せた。

「どういうことだ?」

「僕はヤマトの身体の中に入ってしまったようだ。その代わりにヤマトが向こうの世界の僕の身体にいる」

「そうか」

 ジュペはうなずいたが、シュリは納得がいかないというように厳しい目で僕を見つめる。ゴドーはこの部屋の中にはいないようだ。窓際のイスには、灰色の魔女が座っている。


「魔女は目が覚めてからずっとああなんだ。何もしゃべらない」

 彼女は外を見つめていた。僕は近づき、話しかけてみた。

「ねえ、気分はどう?」

 僕の声が聞こえないのか、まったく反応がない。

「僕は太郎。貴女と話がしたいんだ」

 彼女は振り向いた。僕を見つめ、表情のないその顔に光るしずくが流れ落ちた。

「泣いているの?」

 彼女は何も答えない。

「泣いているだって! まさか冷酷な魔女に限ってそんなこと……」

 シュリが灰色の魔女に近寄って、顔を覗き込んだ。

「本当だ。泣いている」

 ジュペも彼女の涙を見た。

「どうしたのだ?」

 ジュペは魔女が泣く理由に興味があるのだろう。

「ヤマトだ。向こうの世界で、ヤマトは彼女の分身に何か言っているに違いない」

「太郎。お前、魔女の分身を知っているのか?」

「ああ、よく知っている。僕の母だよ。母は僕が生まれたときから、母だということを隠して僕を育ててくれたんだ」

 ジュペは肩をすくめて、

「複雑だな」

 と一言言った。

「ヤマト、聞こえるか? シスターをこれ以上追い詰めないでくれよ。僕はもういいんだ。許したんだよ」

 僕は向こうの世界にいるヤマトに向かって言った。

「お前の声はヤマトに届くのか?」

「うん。僕が彼に伝えようとしているからね。届いているんだ。けれど、彼の声が聞こえない」

「ヤマトのしていることは正しいことなんだろ?」

 僕にはそうは思えなかった。ヤマトはいつでも正しい。けれど今、彼がしていることは間違いだ。シスターを責めたところで何も変わらない。むしろもっと悪いことが起こるのではないか?


「何が起ころうとしているんだろう? ヤマトは何を起こそうとしているんだろうか?」

「何? どういうことなんだ?」

「彼女を見てよ。また、黒い魔女に戻ってしまう」

 ヤマトが彼女の苦しみの半分を受けた。それによって、黒い魔女が灰色の魔女となった。それがまた、黒い魔女に戻ろうとしている。

「ヤマト、君は間違っている。自分を見失ってはダメだ。君は負の感情を受けてしまった。だから、こんなことをしてしまうんだ。しっかりしろよ!」

 それでも、ヤマトからは何も返ってこなかった。


「お前の言っていることはちっとも理解できない。お前はヤマトじゃないんだな。太郎とヤマトは違うのか? 分身というのはどういう存在なのだ」

 それまであまりしゃべらなかったシュリが、今さらながら、そんな質問を投げかけた。今はそれどころじゃないというのに。

「シュリ、お前……」

 ジュペもあきれたように彼を見た。


「簡単に説明すると、僕はヤマトの感情のすべてを持っていて、彼は感情をまったく持っていない。心というか、魂というのか分からないけれど、そういうものが本当は一つなんだ。今はそれが二つに分かれてしまっている。再び一つになった時、どちらかが消えてしまう」

「そんな、いやだよ。もしヤマトが消えてしまったら、わたしはどうしたらいいのだ」

 僕は余計なことまで言ってしまったことを後悔した。

「よせよ。ヤマトは光の子だ。最後は消えてしまうことになっている。そういう言い伝えがあるのだ」

 ジュペの言葉にシュリは肩を落とした。僕は申し訳ない気持ちになった。


「太郎、気にするな。それより、これからどうする?」

「東に向かいましょう。あの魔女も連れて。ヤマトはきっと自分で自分を取り戻すと思うよ。彼が向こうへ行ったことに何か意味があるはずなんだ。今はそれを見失っている。僕にはそれが何だか分からない」

「そうか、分かったよ。出発は早い方がいいんだろう?」

「うん」

「それなら、ゴドーを呼び戻さなくては」

 ジュペがそう言うと、

「俺ならここにいるぜ」

 彼は、いつの間にか部屋のドアの前に立っていた。

「びっくりさせないでくれよ」

 ゴドーはフンッと鼻で笑った。僕は本当にこちらの世界の物語の中に入っている。それが何だか不思議な感じがした。


「ヤマトの中に別のやつが入っているようだな」

 ゴドーは僕の存在に気がついたらしい。さすが魔術師。

「僕は太郎と言います」

 彼はそんなこと分かっているとでも言いたげな顔をした。

「お前が誰だろうと俺には関係ない。お前に何ができる? この世界に広がった闇を消せるのか? 光の子ヤマトがお前と入れ違いに向こうへ行ったことに何か意味があるのか?」

 僕は何も答えられなかった。

「フンッ、分からないのか」

「今はまだ……。とにかく旅は続けなくちゃならない。これも僕に課せられた試練なのかもしれない」

「なんだか、よく分からないけど、ヤマトの分身の太郎がヤマトの代わりに旅を続けるのだな」

 シュリもようやく納得したように言った。

「ところで、魔女はどうした?」


 ゴドーの言葉に僕たちは窓際に目を向けて、魔女がいなくなっていることに気づいた。

「いない」

「完全に黒の魔女に戻ったんだ」

「しかたがない。出発しよう。きっと、また彼女は僕らの前に現れるはずだよ」

 僕らは宿場町を出て、東に向かった。もう日は高く昇っていた。

 宿場町からはまっすぐと長く伸びた道がある。

「この道はどこへ続いているの?」

 僕が聞くと、二人の王子は分からないと答えた。それもそのはず、彼らは旅などしたことがないのだから。

「ザブラ。荒くれ者の街だ」

 ゴドーがぼそりと言った。

「荒くれ者だって! そんな治安の悪い街は避けた方がいい」

 シュリはどうしてもザブラへは行きたくないようだ。けれど僕は、本当の冒険がこれから始まることに、少しワクワクしていた。

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