第18話
うたた寝から目覚めた僕は、窓の外に目をやった。日が傾き、景色はオレンジ色に染まっていた。サイドテーブルにはおにぎりが置かれている。
「そういえば、朝も昼も食べていないや」
急におなかが空いてきて、おにぎりを頬張った。二つの世界を行き来しているうちに、時間というものが、どんなふうに流れているのかも分からなくなった。向こうで朝を迎え、こちらでは夜を迎え、そしてまた今度はどこで朝を迎えるのだろう? もしかしたら、あれはただの夢で、僕は二つの世界を行き来しているわけじゃない。このことを僕はどう解釈すればいいのだろう?
「太郎」
ドアの向こうで辰樹の声がした。
「入っていいよ」
辰輝はそっとドアを開けて入ってきた。
「やあ、具合はどうだ?」
「まあまあだね。陽だまりが気持ちよくて昼寝しちゃったよ」
「なんだよ。俺がお前のこと、どんだけ心配したと思ってんだよ」
と言って、辰輝は僕の頭を小突いた。
「痛いな」
僕はうれしかった。いつもの辰輝がここにいることが。彼がいると心が軽くなる。
「おい。ぼーっとしてんなよ。寝すぎじゃないのか?」
辰輝はとなりに腰かけて僕の肩をがっしりとつかんだ。
「明日は学校へ行こうぜ。俺一人にちびたち押し付けた貸しは返してもらうからな」
「明日? 明日は日曜日だろ?」
「お前……。あんまり寝すぎて曜日も分からなくなったのか?」
辰輝は心配顔で言った。
「そうか……。僕、よく寝たな」
僕がそう言うと、彼は笑った。
「俺、宿題があるから行くよ。シスター、お前のことをすごく心配してたぞ。あの鬼のような人がさ。ちょっとは安心させてやれよ。今日は顔色もいいじゃないか」
辰輝はそう言って部屋を出た。シスターが僕のことを心配しているだって? 僕みたいな問題児は厄介者じゃないのか? とにかくシスターの部屋へ行き、あの出来事について謝罪しよう。
「すみませんシスター。ご迷惑をかけてしまって」
「あなた、何を謝っているのですか?」
「あの事件のことです。その……藁科さんの」
そこまで言うと、シスターはそれを遮り、
「そのことでしたら解決しています。あなたがあの場にいたことは分かっています。けれど、何もしていない。そうでしょう? 警察の方が今日も来ましたけれど、あなたは関わっていないのですから、帰っていただきました。あなたが警察に話すことないのですよ。もうこのことは忘れてしまいなさい」
「ですが、シスター」
「しつこいですよ。あなたが気にかかるのは早百合のことでしょう。安心なさい。あの子は大丈夫です。母親の元に戻りました。心の病気があるので、毎日カウンセラーの方が訪問してくれるそうです。きっとうまくやっていけるでしょう。それより太郎、明日は学校へ行くのですよ。しっかり勉強しなければ、いい大人になれませんからね。分かりましたか?」
シスターはいつものように厳しい口調で言った。辰輝の言ったように、僕を心配しているふうにはちっとも見えない。
「はい、シスター」
そう言って、僕が部屋を出ようとしたら、
「太郎、どんなことがあっても、負けてはいけません。心を強く持つのですよ」
シスターの言葉が僕の背中を押した。それはとても暖かなものだった。
「はい」
短い返事をして僕はドアを閉めた。急に涙が込み上げてきた。人前では泣きたくない。急いで自室に戻り布団をかぶった。まさかシスターがあんなことを言うなんて。彼女の口からは厳しい言葉しか出ないと思っていたのに、僕に勇気を与えるなんて。いつも自分の感情は制御していたのに、僕の中で何かが起こっている。自分がどうしてこんなに泣いているのか分からない。シスターがいつも厳しいのにはわけがあるのだろうか? 本当は優しい人なのかもしれない。
「ヤマト、人の心の中が僕には見えない。だからとても不安なんだ。君には分かるのかい? それとも君自身、感情を持っていないから人の心が理解できない? 僕は誰かに愛されたい……」
いつの間にか眠ってしまった。そしてまた、ヤマトの世界に来ていた。暗い森の中を三人は歩いていた。
「なあ、ゴドーはどこに行ってしまったんだ?」
「もうすぐそこです」
ヤマトがそう言ってからすぐ、シュリが見たものは、
「なんだ、これは?」
白く光る繭だった。
「ゴドー、もう安心してください。魔女は行きましたよ」
ヤマトがそう言うと、繭が縦に割れてゴドーが出てきた。
「なんだよ。もっと美しいものが出てくると思った」
「けっ、悪かったよ汚くて」
彼は光る水晶の杖を持っていた。
「なんで繭なんかに入っていたんだ?」
ゴドーはその質問には答えなかった。
「魔女に襲われたのです。このあたりにもまだ闇の気配が残っています。彼女は闇を操るのですね」
「ちっ、魔女に敵わなかったなんざ、かっこ悪くて……。なのにお前、あっさりと言っちまうなんてよ。お前の言うとおり、魔女に襲われた。あんな強い魔力を使う奴を始めて見た」
白い繭はゴドーの水晶に吸い込まれた。
「そうか、でもまあ、お前が無事でよかった。そころで、この森を抜ける方法は分かったのか?」
「フンッ、そりゃ決まってるじゃないか。あいつを倒せば先に進める。そして、この森も元に戻る」
「簡単に言ってくれるじゃない。お前の魔力さえ効かない相手を、どうやって倒すんだよ」
「待ってください。殺してはいけません。魔女は闇の者かもしれませんが、向こうの世界とつながっています。二つの世界をつなぐ者を殺してしまったら、負の感情が増幅して、闇がさらに広がってしまう」
ヤマトの言葉に一同は言葉を呑んだ。敵を倒すという単純なことでは、この戦いで勝つことは出来ない。闇を生む者は二つの世界をつないでいる。そして、その闇をこちらの世界から消すためにには、その者たちを倒すのではなく、生かしたままでなければならない。ヤマトはそれを、どんな方法で解決するのだろう。
「なあ、それじゃ、私たちはどうすればいいんだ? ヤマト、お前ならわかるんだろう?」
「まずは彼女を見つけなければなりません。気配が闇に紛れてしまいました」
「そうか、魔女はヤマトが怖いんだ。光の子だからな」
シュリは急に元気な声を出した。魔女に怯えていたが、ヤマトが森に入ったことで、魔女が逃げるように気配を消した。これで、怖いものなしと言ったところだろうか。
「おい、魔女。この森にいるのは分かっている。早く姿を現せ」
シュリはもう勝った気同然で、剣をシュッシュッと振っている。そのとき、周りの木々がざわめき、彼らを突風が襲った。いきなりの先制攻撃で面を食らったシュリが、風に飛ばされ転がった。
「あっ、いたたた」
木の幹に頭をぶつけたらしい。シュリがよたよたと立ち上がった時、他の三人はすでに魔女と対峙していた。闇の者と聞いていたから、魔女も闇のように黒いのだろうと思っていたが、彼女の肌は眩しいくらいに白く、着ているものが闇のように黒かった。黒いフード付きのマントを羽織り、身体は宙に浮いている。見えている肌は顔と手首から先だけだった。その白さは、漆黒の闇の中で目立っている。まるで光っているように。
「ヤマト、こいつは本当に闇の者か?」
「はい、彼女は闇そのもの。この闇は、罪を悔いるという自分への憤り。向こうの世界の彼女はそれを内に秘めたまま耐えているのでしょう。そして、自分に対して罰を与えているようです。とても苦しんでいるように見えます」
ヤマトが言うことのほとんどは理解できない。目の前にいる彼女は氷のように冷たく硬い表情をしている。
「光の子よ、よく来ましたね。ここで私を殺しなさい。それがお前の使命なのでしょう?」
「いえ、それは違います。あなたが闇であることは分かっています。けれど、僕の使命はこの世界の住民を救うことです。それはあなたを殺すことではありません」
「ほほ。同じこと。私がここにいるということは、この世界の住民が闇に襲われる。私の闇はもうこんなに大きく広がった。そのうち何もかも飲み込んでしまうでしょう。お前たちもね」
魔女は殺されることを望んでいるのだろうか? 両手を広げて、まるでヤマトたちの攻撃を無防備のまま受けようとしていみたいだ。
「あなたはなぜそんなに自分を憎んでいるのですか? 僕はあなたを傷つけたくはありません。あなたを救うことが出来るのは僕と向こうの世界の太郎という少年だけです。その方法は僕には分かりません。太郎だけが知っている。あなたの苦しみの半分を僕がもらいましょう」
ヤマトはそう言って両手を広げた。彼の身体が白く光り、同じように両手を広げた魔女からは黒い靄が出てきた。靄はヤマトの身体に渦を巻きながら吸い込まれていった。
「ヤマト、そんなことをして大丈夫なのか?」
シュリがオロオロとし、ジュペとゴドーはその光景を心配そうに見守る。靄が途切れ、魔女は力なくぐったりと地面に落ちた。ヤマトもまた、ガクンとひざを折り、そのままバタリと前に倒れた。すかさずジュペが駆け寄りヤマトを抱えた。ゴドーはなぜか魔女に近寄り、彼女を抱きかかえていた。
「おい、ノッポ。壁掛けを敷け」
ノッポと呼ばれたシュリは、不機嫌そうに壁掛けを地面に広げた。ゴドーはそこへ魔女を静かに横たえて、水晶を彼女の身体にかざし、なにやら呪文を唱え始めた。魔女の服の色は灰色に変わっていた。
「おい、何しているのさ。それで魔女を殺すのか?」
シュリが話しかけたが、ゴドーはそれを無視して唱え続けた。それを見て、シュリは興味が失せたようにヤマトとジュペに近寄って、
「ヤマトは大丈夫なのか?」
と話しかけた。
「もちろんさ。これはきっと試練なんだと思う。旅の中では困難はつきものだ」
森の中はとても静かで、生き物がいなのだと思っていた。さっきより少し日が入るようになって、木々の間で何か小さな動きがあった。見るとリスに似た小動物だ。心地よい風を感じた。
「風が吹いてきたな。この森に変化があったようだ」
ジュペが言うように、魔女の森は美しい緑を取り戻していた。しばらくしてから、ヤマトに意識が戻った。
「すみません。僕は眠っていたようですね。夢を見ました。また向こうの世界の夢です」
シュリとゴドーは何のことだか分からないというふうに首を傾げた。
「まだ話していなかったのか?」
「なんだよ、ジュペはヤマトの夢のことを知っているみたいじゃないか」
「少し聞いただけだ。夢に出てくる少年の話しさ」
フンッとゴドーは鼻を鳴らし、興味なさそうだ。呪文を唱え終えたらしく、水晶はしまっている。魔女は相変わらず死んだように眠っていた。
「僕はもうずいぶん前から、夢で同じ少年を見ている。彼の名は太郎といって、親に捨てられた過去を持っている。それゆえに、自分はこの世の中に必要のない存在だと思っている。心を病んでいるのです。僕が彼の夢を見るのには、わけがあると考えてから、僕は知ったのです。彼は僕の分身であるということを」
『まさか!』
衝撃的な発言だった。
「やはり太郎、あの声は君だったんだね。僕に声が届くようになった。二つの世界がいよいよ近づいてきてしまった。闇の侵略が早まる。太郎、僕は今、魔女と呼ばれる人から負の感情を少しもらいました。あなたの近くにいる人に変化があると思います」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます