第22話

 空から差し込む日差しに眩しさを感じ、目を開けた。

「ここは……」

 太郎のベッドの上で身体を起こしたのは……。

「そうか、ここは太郎の世界。僕は夢を見ているのか? それとも、これが現実なのか……」

 ヤマトは混乱していた。どちらが本当の自分なのか。そのとき、ドアが勢いよく開けられた。

「太郎、急げよ。朝食に間に合わないと、シスターに怒られるぞ」

 ヤマトは飛び起き、辰輝の後を追った。着いた先は食堂だった。

「おい、何してるんだ。こっちに来て手伝えよ」

 何が何だか分からないが、辰輝に従って食事の用意をした。

「おい、まだお前はヤマトなんだな? ここでは太郎としてふるまえよ。俺がフォローしてやるからさ」

 辰輝は僕の耳元でそうささやいた。僕はうなずいた。キッチンには一人の中年女性がいた。彼女はせっせと料理を皿に盛りつけている。ここには何人いるのだろうか?

「運ぶぞ。気をつけろよ。それは真ん中の席に持っていけ」

 辰輝に言われるままに運んでいった。食堂には長いテーブルがあり、そこには小さな子供たちがいて席に着いていた。向こうの世界の王家の食事風景とはまるで違うのに、僕にはそれらが重なって見えた。食事の支度が済むと、僕と辰輝も席に着いた。厳かな食事を終えると、

「俺は片付けがあるから、お前は先に部屋へ行ってろ。身支度が分からないようなら待ってろよ。すぐ行くからさ」

 身支度とはなんだろう? 夢で見た太郎はこちらの世界で何をしていただろうか? 僕は勝手が分からず、部屋へ戻った。まず、洗面台の鏡を見た。こちらの世界で僕は初めて太郎の顔を見た。

「これは僕だ。太郎と僕の顔は、やはり同じなのだな」

 洗面台には櫛と髪留めがあった。髪をとかし、一つにまとめると、そこにいるのはヤマトそのものだった。しばらく鏡の前でじっとその顔を見つめた。

「おい、見とれてんなよ。支度急がねぇと……」

 突然部屋へ入ってきた辰輝は机の横にあった黒い背負いカバンを僕に渡した。

「これを背負って行くんだ。中身はきちんと入っているだろう。あいつのことだ、ぬかりはないよ。いいか、学校ではお前はしゃべらなくてもいいんだ。太郎もおしゃべりなほうじゃない。さあ、行くぞ」

 そうか、思い出した。太郎は学校というところに通っているんだ。

「はい」

「俺には気を遣うなよ」

 辰輝はそう言って、僕の背中をポンッと叩いた。玄関を出ると、シスターが小さな子供らと一緒に僕らを見送った。門の左にあるもみの木を見ると、そこには誰もいなかった。目つきの悪いあの男は……。列の一番前にいた辰輝は、振り返ってもみの木を見ている僕に何か言いたげな顔をした。太郎の夢で、僕は何を見ただろう? 一瞬、フラッシュバックのように、あの夜のことが見えた。きらりと光るものが少女の手の中にある。そして、飛び散る血しぶき。

「太郎」

 辰輝に声をかけられ、いつの間にか学校というところに着いていることに気がついた。

「じゃ、またあとで」

 辰輝はそう言って、二つ向こうの部屋へと入っていった。

「太郎君、おはよう」

 僕の後ろから、誰かが声をかけてきた。振り返り、彼女を見ると、

「どうしたの?」

 ときょとんとした顔をした。僕は彼女に会釈して、窓際にある太郎のいつもの席へ座った。とても不思議な感じがする。夢で見たいた太郎の世界に僕がいる。窓から外を眺めると、青い空が広がっていた。この平和な世界のどこに闇があるというのだろう。ここにいる子供たちのどこに闇があるのだろうか? 部屋の中ではしゃいでいる子供たちを見回した。そのとき、ドアが開かれ、男性が一人入ってきた。それまでのざわつきがぱたりと止み、一人の子供の号令に従って皆が立ち上がった。僕も彼らのすることを真似た。ここは子供たちの学び舎なのだろう。ならば、あの男性が師というわけだ。それにしても何だか頼りなさげで、服装も乱れている。こんな者から何を学ぶというのだろう?

「闇を見つけなければならない」

 僕はぼそりとつぶやいた。ここでは、僕はただの子供だ。何も見えない。僕らの世界を覆いつくそうとしている闇の一つは、シスターの心の闇。そしてもう一つは、太郎の心の闇。サーヤという女性の分身は一体誰なのだろうか? これもまた、辰輝に聞けばわかるだろうか?

「川原、聞いているのか?」

 その声は僕に向けられていた。川原というのは、太郎のもう一つの名前かもしれない。

「はい。なんでしょうか? 聞いていませんでしたので、もう一度、おっしゃってもらえませんか?」

 そう言うと、その男は眉を吊り上げ、肩を怒らせ僕に近寄ってきた。

「お前は俺を馬鹿にしているのか? いつもそうだ。お前はそう言う顔をして、俺を嘲笑している。俺の授業なんて、つまらないだろう。頭のいいお前には、授業を受ける必要もない。そう思っているんだろう?」

 彼は、怒りで震える拳を理性で抑えているようだ。

「すみませんでした。あなたを侮辱したわけではありません。どうか怒りを静めてください」

 僕がそう言うと、憤懣やるかたないという感じで、壇上へ上がり、

「この時間は、自習だ」

 そう一言言って、部屋を出て行った。途端に、ざわめきが広がった。

「太郎君。あなた今日少し変だわ。先生を怒らせるだなんて。何かあったの?」

 その声に振り返ると、斜め後ろの席に、今朝、僕にあいさつした少女がいた。

「君は……」

 誰? と聞こうとしたが、それではあまりにも不自然だ。太郎の夢の中で見たことがある。彼女の名前を思い出そうとした。

「本当に大丈夫? とても心配だわ」

「僕のことは気にしないで下さい。何でもありません。ただ、あの方はなぜあのようにお怒りになったのでしょう?」

 僕の質問に、彼女は小首をかしげた。自習と言われてから、しばらくすると女性が一人入ってきた。

「静かにしなさい。一時間目の授業は予定通りに行います。支度をして移動しなさい」

 それだけ言うと、彼女は部屋を出て行った。それを聞いて、子供たちは支度をして部屋を出て行った。僕も彼らについて行き部屋を出た。

「太郎君。これから理科よ」

「それは何でしょうか?」

 少女は僕を見つめた。

「何を言っているの?」

 僕は何か間違ったことを言ったのだろう。

「太郎」

 そのときちょうど、部屋から出てきた辰輝が僕のところへ小走りでやってきた。彼はこの状況が分かったらしい。

「斎藤さんだったね。こいつのこと、おかしいと思ったんだろ? あんただから話すけど、こいつは太郎じゃない。ヤマトだ」

 斎藤さんと呼ばれた少女は、きょとんとした顔で僕と辰輝を見て、

「そう、やっぱりだわ。おかしいと思ったのよ。あなた、太郎君じゃないのね。太郎君のもう一つの人格ということなの?」

 と言った。

「まあ、詳しことは話せないけど、事情が分かったんなら、今日一日は、こいつの面倒みてやってくれよ。何やらかすか分かんないからな」

「もう、事を起こしたわよ。担任を怒らせちゃったの」

「あのうすのろのことは放っておけよ。考える頭なんて、持ってないだろう」

「まあ、聞こえたら大変よ」

 斎藤さんはそう言って、周囲を見回した。幸いにも誰にも聞かれていない。

 その日の授業は、担任教師が体調不良のため早退し、代理の教師が務めた。担任教師は、きっと闇を抱えているのだろう。それであのように攻撃的だったのだ。

 『もみの木』に帰ると、辰輝は僕に言った。

「いいか、これから仕事をしなければならない。お前は玄関の掃除だ。それが終わったら、俺の部屋へ来い。これからのことを話そう」

 僕は掃除を済ませると、辰輝の部屋へ行った。

「入れよ」

 辰輝がベッドへ腰を下ろし、僕は勧められたイスに腰掛けた。

「お前はここで、二つの世界をつなぐ者を探さなけりゃならない」

「はい」

「お前の世界で、二つの世界をつなぐ者は誰なんだ? お前は向こうの世界では、すべてを知ることが出来るんだろ?」

「はい。僕が知っているのは、黒い魔女と僕。そして、サーヤという女性です。黒い魔女は、こちらの世界のシスター、太郎の母です。そして、僕とつながるのは太郎。サーヤという女性は誰とつながっているのか、まだ分からないのです」

「サーヤという女性のことを詳しく教えてくれよ」

「はい。僕が知っていることは、ゴドーという魔術師が、心を寄せているということと……」

 僕はゴドーの話したこと、僕が見た彫刻のようになった住民と、微笑みを浮かべ、安らかに眠っているサーヤについて話した。

「そうか。その人もまた、太郎の身近な人間という事なのだな?」

「はい。そのはずです。心当たりはありませんか?」

「お前の考えでは、その人の分身の闇は、悲しみと言ったな? 俺には誰がそんな闇を抱えているか分からないが、クリスタという街が闇に襲われたとき、こっちの世界では、大事件が起きたんだ」

「その事件、太郎を通じて見ていたと思います」

「なんだって?」

 辰輝は驚いて、そのあとの言葉を飲み込んだ。

「説明しましょうか?」

「ああ」

 僕は夢で見たことを話した。それがこちらの世界では現実として起こっていたのか、確信はなかった。

「そうか。それなら、お前も知っているはずだ。その晩、太郎と一緒にいた早百合という子が、サーヤの分身だ。間違いないだろう。あんなショッキングなことが起こったんだ。彼女の精神は崩壊状態にある。詳しいことは分からないが、ここへは戻ってこられないだろう。母親のもとにいることが彼女の幸せならそれでいいが、あのままの状態じゃ可哀そうだ。俺には、早百合の心の闇をどうすることも出来ねぇ」

 闇とは何だろう? なぜ生まれるのか? どうすれば消せるのだろう? この賢い少年にも分からないらしい。光の子である僕にも分からない。太郎なら分かるのだろうか? もし彼に、この問題の解決方法が分かるのならば、僕と入れ替わる必要なんてなかったはずだ。僕がここへ来た本当の理由は一体何なのか?

「ヤマト……。何かいい考えはあるのか?」

「ありません。ただ、太郎ならどうするのか、それを考えていたのです」

「太郎なら……」

 辰輝はそう言って、考え込んだ。そして、

「あいつならきっと、そばにいて静かに耳を傾けるだろうな。何かに悩んでいる人の心の声に」

 そうつぶやくように言った。

「心の声? 太郎は人の心の声を聞くことが出来るのですか?」

「さあ、どうだろう? 俺にはわからねぇ。ただ、そんなふうに見えるんだ。不思議な奴だよ」

 彼は遠くを見つめた。異世界を旅している友を思っているのだろう。

「やべっ! もうこんな時間だ。行くぞ」

 辰輝はそう言って、あわてて部屋を出た。行く先は食堂だった。調理場へ入ると、給仕の女性が、

「やっと来た。さあ、早く手伝ってちょうだいよ。あたしは忙しいんだからさ。なんたって、食べ盛りの子供が十二人もいるんだから。あ、そうだった。早百合はもういないんだった……」

 そう言って、急にその顔から笑顔が消えた。

「早百合は大丈夫だよ。俺と太郎で、明日、様子を見てくるよ。シスターには内緒だぜ」

 辰輝が言うと、女性は複雑な表情で僕たちを見た。

「あんたたち……」

 そのあとの言葉は続かなかった。

「さあ、仕事仕事。ちびたちが待ってるぜ」

 辰輝は何でもないように振舞った。厳かな食事を終えると、僕は辰輝の部屋へ行った。

「なあ、さっきも言ったんだけど、明日は早百合のところへ行こう。あんなことがあってから、あいつはまだ一言もしゃべらないらしい。お前が行けば、もしかしたら何か変わるかもしれない。あいつ今、心の殻に閉じこもっているんだ」

 心の殻? 心には殻があるのか? 僕は早百合という少女に何をしてあげればいいのだろう?

「おい、ヤマト? 聞いているのか?」

「はい。考えていたのです。僕は早百合さんの傷ついた心を癒してあげられるのだろうかと……」

「それはやってみなけりゃ分からないだろう。事を起こさなければ何も起こらない。考えるよりも行動ありきだぜ。それよりさ、宿題やらないと」

 辰輝はそう言って、机に向かった。僕は自室に戻り、この異世界で初めて目にした文字や記号をまねて紙に書いた。宿題のやり方は斎藤さんから教わった。難しいことではなかった。風呂の使い方を辰輝に教えてもらったが、とても便利だ。僕は疲れた身体をベッドへ横たえた。なぜこんなに疲れたのだろう。向こうの世界では長い距離を歩いたり、休みもせず一日中トンカチを振るっていたのに……。こちらの世界では、僕は何もしていない。辰輝が言ったように、僕の心が疲れたのだろう。僕にも心があるのならば……。どんよりとした気だるさと眠気が襲ってきた。

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