第2話 早速の波乱?

 セットしていたスマホのアラームが慧を夢から呼び起こす。やかましい音に眉をしかめながら右手を伸ばし、薄く開けた瞳でスマホの画面に映るスヌーズ停止の表示をタップする。やっぱりアラーム音はデフォルトのものに限る。もしも自分の好きな歌をセッティングしていたら、いつしか最も好きな歌が最も嫌いな歌へと変わりそうで怖い。朝からそんな造作の無いことを考え、慧はもう一度枕に頭を落とす。

 ――すると次の瞬間、止めたはずのアラームが再び鳴り始めた。慧は慌てて体を起こし、スマホを手に取る。しかしスヌーズ停止の文字は表示されていない。それに、これは俺が知っているアラーム音ではないということに慧は気付いた。


「イヤホンしてる時だけ聞こえるんじゃなかったのかよ……」


 ただでさえ億劫なこの朝と言う時間に、昨日届けられた謎の物体がチカチカと明滅を繰り返しながら聞いたことも無いアラームを鳴り響かせている。なんだか喋っているようにも聞こえて来たな。ぼんやりとする頭でそんなことを考えながら、慧はベッドサイドテーブルに置いているイヤホンを手に取り、耳に装着した。


【おはようございます! ご主人!】

「アラーム機能も備わってるのか?」

【えぇ、そうですよ。ご主人との意志疎通を円滑に進めるために、他にも数種類ツールを搭載しております。もう披露しましょうか?】

「ふあぁ~あ。いや、もういいよ。もう充分目は醒めたから」


 顔を目一杯しかめて欠伸をすると、慧はもぞもぞと毛布から這い出て大きく伸びをした。


【体調は良さそうですね。今日も勉学に励みましょう!】

「言われなくても分かってるよ」

【うーん、スキャンの結果は問題ないのですが……。不機嫌というやつですか?】

「うん、まぁそんなところ」


 延々と喋り続けるラヴィを雑にあしらいながら、慧は制服に着替えた。ここ数年毎朝挨拶を交わす人がいなかった慧は、朝に誰かと喋るのはこんなに面倒なものだったかな……。いや、単純にラヴィが面倒なのか……? なんて事を思いながら学校鞄の中身を確認した。


【準備は出来ましたか!】

「え、うん。まだ家は出ないけど」


 壁掛け時計に視線を投げ、まだ家を出る時間ではないと判断した慧はラヴィに背を向けながらそう答えた。


【いやー、楽しみですね。学校】

「……え? マジで付いて来るつもりなの?」

【はい。いつあるとも知れない運命的な出会いをサポートするために来たんですから。それは勿論、付いて行きますとも】

「はぁ、マジか……。分かったよ、持って行くだけな」

【えぇ~、たまには私ともお喋りしてくださいよ~】

(め、めんどくさ! なんだこいつ、どう扱えば良いんだよ。変な物送りやがって、今回ばかりは恨むぞ、父さん……!)

【ご主人、どうかしましたか? まさか、私にときめいて……!】

「なわけ無いだろ」

【シュン……。あ、そうだご主人。行き帰りだけでも話してくださいよ! イヤホン着けるだけでも良いですから!】

「立ち直り早いな……。まぁとりあえず分かったよ。頼むから校内では静かにしててくれよ、特に授業中は」

【えぇ、分かっていますとも、分かっていますとも。恋愛に関わること以外は全く口出ししませんので】

(怪しい言い回しだな……。授業中に出会いがあったらどうするんだよ。いや、それは流石にあり得ないか)


 ラヴィに気を取られていたせいで尋常よりも準備に手間取ってしまった慧は、学校鞄のファスナーを閉じて何かを思い出したかのように壁掛け時計を見た。すると十分近くも時が流れてしまっており、冷や汗がじわりと背中に滲む感覚が慧に襲い掛かった。


「マズい。もう行かないと」

【ご主人! 私をお忘れなく!】

「分かってるよ!」


 鞄を左肩に掛けると、スマホを右ポケットに、ラヴィとイヤホンケースを左ポケットに入れ、慧は自室を飛び出した。短い廊下を駆け、階段を慌ただしく下り、ひとまずリビングに入ってテーブルに鞄を置き、洗面所に向かって顔だけザッと洗い流し、今度はキッチンに流れ込む。


【毎朝こんなに忙しいのですか?】

「そんなわけ無いだろ。ちょっと黙ってて」


 食器棚から愛用の黄色いコップを取り出し、冷蔵庫からは麦茶の入った冷水筒を取り出すと、慣れた手付きで麦茶を注ぎ、冷蔵庫に麦茶を戻してコップの中身を一気に飲み干した。

 とりあえず給水は出来た。あとはスティックパンでも咥えて登校してやろうかとも考えたが、それは流石に少女漫画染みているし、走りながら食べるのは嫌だったので、今日は何も食べずに行く決心をしてキッチンを後にした。その流れのままに鞄を拾った慧は、確認していた時間を帳消しにするほどの早さで家を飛び出した。


【たまには騒々しい朝も良いですね】

「はぁはぁ、二度と御免だよ」


 何とか電車が来る前にホームへたどり着いた慧は、ベンチに腰かけて息を整えながらラヴィの応対をした。その時ふと、家の鍵を閉めて来なかったかもしれないという不安が彼の心の満ちて来た。とその時、


【大丈夫ですよ。ご主人が自宅の施錠をしたことは私が確認しております】

「え? あぁ、うん」


 本当に心が読めるのか……? それにしっかりと俺のことを監視してるみたいだし、結構優秀なのかもな。でもいざこうやって真面目なことを言われると、なんて返したらいいんだろう。こういう時に限って黙り込むし……。なんてことを淡々と考えていると、ホームに電車が入って来た。


【お、アレが電車というものですね!】

「そうだよ。アレに乗って学校に行くんだ」


 呼吸が整った慧は、オウム返しのように単純な答えを言って立ち上がった。


 ドア横に付いている縦手すりに掴まって流れゆく景色を眺めていると、天方中央駅に到着するというアナウンスが流れた。その数秒後、電車はホームに入って停車した。すると目の前のドアが自動で開き、十数人の乗車客が降車客を避けるために二本の列を成して出迎えた。慧は客の波に身を任せてその列の間を通ると、他の降車客と団子になって雪崩れるように階段を下った。改札を抜けてコンビニ前に辿り着くと、慧は一塊になっている群衆から抜け出して立ち止まった。振り返って見るとつい先ほどまで属していた団のほとんどが天方中央高校の生徒たちだったようで、彼らは少しだけ散り散りになりながらも同じ目的地を目指して遠ざかって行った。


【ふぁ~、むにゃむにゃ。……アレ、ここは?】


 乗車してからずっと黙っていたラヴィの声が突然脳内に響いた。


「お前、急に喋るなよ……」

【これはこれは、申し訳ありません】

「まぁ別にいいけどさ。てか寝てたの?」

【へへへ、はい。揺れが心地よくて】

「揺れるとかの概念があるんだ」

【うーん、どうなんでしょう】

「どっちだよ。そもそも機械に眠気ってなんだよ……」


 慧は心の内でため息をつきながらそう言うと、学校に向かうのではなくコンビニに立ち寄り、昆布のおにぎりとミックスサンド、それと麦茶を迷いなく購入し、極僅かなタイムロスで済ませて学校へ向かった。

 随所に点在している紺のブレザーを追って歩き続けていると、正門に辿り着いた。【おぉ、この先に学校があるのですね!】と言うラヴィに適当な返事をした慧は、あと三年近く上り続けなくてはならない坂道を上がって行った。

 今日から授業が始まる。と言っても、本格的なものではなく、恐らく担当の教師が軽い自己紹介をして、授業はこういう風に進めますとか、テストでは教科書からよりも授業で話した内容を多く出しますだとか。これからの方針みたいなものをダラダラ話して終わるのだろう。なんてことを考えながら昇降口で上履きに履き替えた慧は、階段を上がって二階へ、そしてさらに階段を上がって三階へ、それからもう少し上がって四階へとたどり着いた。運動不足が祟ってか、毎度四階に到着した時分には呼吸が辛く感じられる。深く息をしながら自分の教室がある廊下の左奥までゆっくり歩むと、一年七組の表札を視界の端に捉えながら、教室後方のスライドドアから入室した。


「おはよう~」

「おはよ!」


 慧が教室に入ると、既に登校している数人の生徒がドアの方を見て挨拶をした。


「お、おはよう」


 明らかに自分への挨拶だと察した慧は、気恥ずかしさを感じながらも片耳のイヤホンを外し、聞こえるか聞こえないかくらいの声量でそう返して窓から二列目の一番後ろの席に腰を下ろした。


【嬉しいですね~。誰かから挨拶を頂けるというのは。この温かさこそが学校なのですね!】


 生身の人間が発した声を聞いた直後にラヴィの声を聞いてみると、案外機械音染みていないのだな。と慧は思った。しかし思っただけで何も返さず、テーブルに鞄を置いて出来る限り詰めて来た教科書やらノートをそこから取り出し、机の中に押し込んだ。


【ご主人、授業は何時から始まるのですか?】

「えっと、まだしばらくは無いよ。一時限目の前にホームルームがあるから」


 鞄の裏に顔を隠し、あたかも中身を確認している風を装って慧はそう答えた。


【なるほど、ではまだもう少し話していられそうですね】

「いやいや、もう話すことなんて無いだろ。それに、一人でぶつぶつ言ってたら気持ち悪いと思われるだろ」

【う~ん、そう言うものなのですか?】

「あぁ、そういうもんなの」

【分かりました。ご主人が嫌われてしまうのは意と反しますので、私は黙ろうと思います】


 そう言うと、ラヴィは黙りこくった。


(ま、最初からイヤホンを外しちゃえば良い事なんだけど。騒がれても困るしな)


 なんてことを考えながら、慧はもう片方の耳に装着していたイヤホンを外し、左ポケットに収めていたケースを取り出してそれにしまうと、再びポケットにケースを戻した。するとその直後、ガラガラと大きな音を立てながらスライドドアが開いた。


「うぃーす、おはよー」


 そう言って入って来たのは、蒲地友宏かまちともひろ。クラスの誰にでも分け隔てなく話しかける、いわゆる陽キャである。口調もウザいわけでは無いし、明るくて良い奴そうなのだが、慧からすると陽キャという属性を持っているだけで少し近寄りがたいものがあった。


「ういー、おはよ」


 すぐ目の前で聞こえた声に驚き、慧は顔を上げた。するとそこには蒲地友宏が立っており、じっと慧の事を見つめていた。


「あ、おはよう」

「あと話してないのお前だけだと思うから、少し話そうぜ」

「え、あ、うん。いいけど」

「なんだよ、まだ緊張してんのか?」

「いや、別にそう言うわけでは無いけど」

「ったく、暗い顔ばっかしてると悪いことが起きるぞ」

「まさか、縁起でもない」


 慧がそう言った直後。


「ちょっとあんた! 待ちなさいよ!」


 廊下から怒声が聞こえて来た。それに何となく、その声には嫌な聞き覚えがあった。と次の瞬間、教室後方のスライドドアが開き、銀髪ボブの女子生徒が入って来た。昨日駅の階段ですれ違った子だ。なんてことを慧が思っていると、その子に続いて茶髪ポニーテールの女子生徒が駆け込んできた。


(や、やっぱりだ。昨日昇降口で聞いた声だ……!)


 聞き覚えの正体が分かった慧はスッキリしたような気がしつつも、どこか引け目と言うか、絡まれたくないなという他人行儀感を抱きながら目を逸らし、自分では気付かずに渋い顔をした。


「そこの銀髪女! ぶつかっといて挨拶も無いとはいい度胸ね」


 右斜め後ろで茶髪女子の声が聞こえる。そうっと視線を上げて見ると、既にそこには蒲地友宏の姿は無かった。


(あいつ……。さっさと逃げやがった……!)


 窓から三列目、一番前にある自分の席に戻った蒲地友宏の姿を目にした慧は、恨みを込めて彼を睨んだ。すると彼はすっとぼけた顔でそれに応じ、ニヤリと笑った。


「……なに。よそ見していたのはそっちでしょ?」


 今度は左後ろで、恐らく銀髪女子のものであろう声がした。……という事は、今、俺は挟まれているってことか! 重大な事実に気付いた慧は、更に身を縮こまらせて穏便にこれが済むのを待つしか無かった。


「はぁ? 普通ぶつかったら謝るでしょ」

「じゃあ、あなたが先に謝ったら?」

「な、なんでそうなるのよ! ぶつかって来た方が謝るべきでしょって言ってんの!」

「……はぁ、ハイハイ。スミマセンでした」

「んぐぐぐぐ、それで謝ったつもり?」

「えぇ、もうこれ以上無駄な時間を過ごしたく無いから。これで終わりにしましょう」

「ふざけんじゃ無いわよ! それで許すわけ無いでしょ!」


 苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、慧はじっとこの諍いが収まるのを待った。しかしどれだけ待てども二人の言い分は平行線を辿っており、もうこうなったらホームルーム五分前の予鈴を待つしかない。と慧が覚悟を決めたその時。


「そこのあんた。どっちが悪いと思う。ちょっと、あんたよ!」


 そんな声が聞こえた直後、慧の右肩がグイっと引っ張られ、背もたれにゴツンと背中を打った衝撃で首をのけ反ると、こちらを凝視する茶髪女子の顔をでかでかと映った。


(え、俺……?)

「え、俺? みたいな顔してるんじゃないわよ。こんな近くで聞いてるんだから、答えてよね」

「は、はぁ。えっと、喧嘩両成敗で良いんじゃないかな……。なんて」

「け、ケンカリョウセイバイ……? そ、そうね。そうしましょう! 今日の放課後集合よ!」


 いやいや、なんでそうなるんだよ! この場で仕舞いにすれば良いだろ! と胸中で叫びを上げる慧だが、声にはならない。


「……意味、分かってないでしょ」


 おいおい、そっちも焚きつけるようなこと言うなよ……! と思う慧だが、もちろん口は挟まない。


「わ、分かってるわよ! ケンカしてどっちが正しいか決めるんでしょ!」

「……はぁ、馬鹿ね。付き合ってられない」


 銀髪女子はそう呟くと、慧の左隣の席に座ってそのまま机に突っ伏した。


「ちょっと、まだ話は――」


 まだ怒りが収まっていない茶髪女子が口を開いたその時、予鈴が鳴った。と同時に、慧は心の底から助かった。と思った。


「いいわ、続きは放課後にしてあげる。ぜっっっったいにこの教室に残ってなさいよ! あんたもね!」


 そう言いながら慧の肩から手を放すと、ポニーテールを大きく揺すりながら廊下の方に歩いて行く。と思ったら、急に立ち止まって再び二人の方を見た。


「あたしは六組の雀野璃音すずのりおん。覚えておきなさい!」


 典型的な捨て台詞を残すと、彼女は大股で力強く床を踏みしだきながら自分の教室に戻って行った。


(はぁ~、入学早々変なことに巻き込まれたなぁ。上手く逃げれれば良いけど……)


 心の中で不満を漏らすと、慧は銀髪女子と同じように机に突っ伏した。しかしこの短時間で寝られるはずも無いので、顔の左側を少しだけ上げて銀髪女子のことをちらりと見た。まさか入学初日から早退して、今まで碌に登校してなかった不良がこの子だったとはな……。と思いながら見つめていると、突然彼女の頭が動いた。マズい、見てるのがバレる。と思った慧はすぐに腕の中に顔を潜り込ませ、ホームルームまで狸寝入りした。

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