エンカウント・ラブ!

玉樹詩之

第1話 恋愛サポートナビ!

 少し錆びついたスチール製の下駄箱を開ける音。これにも慣れて来た。中から革靴を取り出すと、それを足元に落とす。アスファルトに打ち付けられた革靴は軽くホップして綺麗に着地を決めた。今日は良い音が鳴ったな。と、風見慧かざみさとしは思った。しかしその直後、廊下を駆ける喧騒が心地よい独りよがりを遮った。


「なんでですか! 今日なら大丈夫って言ったからバンド練習入れたんですよね?」

「あー、ごめん。急用が入っちゃって……」

「あ、ちょっと、待ってください! ……はぁ、もう、最悪!」


 聞きたくもない諍いは慧の心に黒い雫を落とした。と同時に、背後で何かが弾けるような音が響いた。その音に両肩を浮かせた慧がバレないようにそっと背後を見やると、そこには両手を強く握りしめて仁王立ちをしている、まさに怒りを体現している茶髪でポニーテールの女子がいた。もし見ているのがバレたらそのまま一発殴られそうなくらいのオーラを纏っていたので、慧はそそくさと上履きを脱いで下駄箱に入れ、そのまま歩くように革靴を履いて昇降口を出た。

 急いで昇降口から離れていると、踵を思い切り地面に擦った。その音で正気に戻った慧は歩度を緩め、何となく後方を確認して彼女が追って来ていないことに何故かホッとした。いや、なんでホッとしているんだ。彼女が俺を追って来る理由なんて無いのに、全く小心者だな。と、自分のことを鼻で笑っていると、実習棟の四階窓から黒みを帯びた煙が漏れ出ていることに気付いた。するとその煙と共に、白衣を来た女性が大きく咳き込みながら、そのまま飛び降りてしまうのではないかという勢いで上半身を窓から出した。あそこは確か、理科室だったかな。少し変わった人が毎日実験ばっかりしてるって聞いたけど、あの人のことかな……。慧がそんなことを思っていると、丸い眼鏡がこちらを見た。咄嗟に、マズい。と感じた慧は目を逸らすと、またまた速足で正門へと続く下り道を歩き始めた。

 そうして何かから逃げるように正門を抜けると、慧は一度深呼吸をした。俺は何から逃げてるんだ。ちょっと気になって見ただけなのに。いや、そもそも俺が気にし過ぎなだけなのかもしれない。二人とも何も感じてないし、気付いていない。そう言うことにしよう。何とか心を不時着させた慧は、最寄り駅を目指して再び歩き始めた。

 慧が通う天方中央あまかたちゅうおう高校と、彼が利用している最寄りの駅。天方中央駅は徒歩で約十分から十五分ほどで結ばれている。そんなに大きな駅では無いが、改札の前には小さなコンビニが設けられており、登下校時にはおにぎりやサンドイッチ、飲み物を買っている生徒がいたりする。今日はいないみたいだけど。慧はコンビニの店内を垣間見ると、すぐに背を向けて改札を通ろうとする。しかしその時、駅に付属している小さなロータリー方面から声が聞こえて来た。


「嫌です! 私は電車で帰ります!」

「あ、いや、しかし。入学して数週間は付き添えと仰せつかっておりますので……」

「あと何日ですか?」

「残り一週間ほどは……」

「絶対ですからね。それ以上付き纏うようなら声を出しますから」


 茜色の日差しを受ける黒く綺麗な長髪を揺らすと、それはウィンドチャイムの音色を思わせるように空を切り、黒いリムジンに飲み込まれていった。そして傍に立っていた黒スーツの男が静かにドアを閉める音で慧は我に返った。アレが世に言うお嬢様か。でも、うちの制服だったような……? リムジンを目で追いながら彼女の容姿を思い出そうとしたのだが、黒の中に光る白いナンバープレートが遠ざかって行くように、慧の記憶もどこか遠くへ行ってしまったような気がした。

 まぁ、自分には関係の無いことだ。来るもの拒まず去るもの追わず精神の慧は、ロータリーから目を逸らして改札を通る。上りしかないエスカレーターに歩み乗ると、ズボンの右ポケットで眠らせていたスマートフォンを取り出して起動した。

 ――新着メッセージがあります。

 スマホの画面にはメッセージアプリのアイコンと通知が浮かび上がった。基本的に何かしらの通知が来ているときはすぐにでも確認しておきたい性分である慧だが、もう少しでエスカレーターがホームに着きそうだったので、一度スマホの画面から目を逸らしてゆっくりと上昇していく階段に身を任せた丁度その時、すれ違いで階段を下って行く天方中央高校の制服が見えた。もう下校時間だよな。慧は思わずエスカレーターの手すりから身を離し、改札に向かって行く銀髪ボブの後ろ姿を目で追った。でも、俺が追う必要は無い。心の中でそう断言すると、慧は彼女に背を向けた。

 ホームはまだがらんとしていた。電光掲示板には次に来る電車の時刻が表示されている。あらかじめ調べて知っていた時間を再度確認すると、慧は黄色い線の手前まで歩いた後に右手に持っているスマホを眼前まで持っていき、メッセージアプリを開いた。


『家に試作品を送っておいた! お前のだから、絶対に使うように』


 メッセージは父からであった。慧の父は都内で大手のハードウェア企業に勤めており、何らかの試作品が出来る度に息子の慧に送り付けてテスターを強要している。これまでにも、パソコンや音楽プレイヤー、ゲーム機やモニターなどが慧のもとへ届けられたのだが、どれも成功作とは言い難く、世に出たものは一つも無かった。これはもはや試作品と言うよりかは、食品を扱うバイト先で時折出て来るまかないのような、余り物で魅せるプロたちの一回限りの即興作品みたいだ。と慧は思っていた。


『また感想文でも送ればいいの?』


 慧がそう返信すると、すぐ既読状態になった。電車もまだ来る気配は無かったので、慧はスマホの画面を見続けた。


『これはれっきとしたテストで……。まぁいい。今回のは本当に自信作だから、時間はかかってもいいから必ず感想をくれ。頼んだぞ』


 珍しいな、父さんが自信作。とか、必ず。とか書くなんて。いつもは子供におもちゃを買い与えるみたいな感じで俺に試作品を送って来るのに……。今回は俺も、少しだけ向き合ってみるか。という少しだけ前向きな気持ちで簡素な返信をした。

 ズボンの右ポケットにスマホを戻した折、ホームに薄ら寒い風が吹き込んだ。普通に浴びるよりも少しだけ寒さを増した風は慧の身体を冷やし、素知らぬ顔で通り抜けて行った。するとその風が電車の来訪を予兆していたかのように、レールを駆ける轟音の主がホームに到着した。

 電車に乗って三駅。慧は自宅の最寄りである古屋根こやね駅で降りた。駅の近辺に大型スーパーや商店街、ファミレスやラーメン屋がある天方中央駅とは違い、古屋根駅の近辺には何もなかった。強いて何か挙げるとするならば、小さな喫茶店が一つあるくらいであった。そこは寂れた田舎駅にそぐった質素な喫茶店で、常連の個人客が数人いるか、近所に住むマダムたちの談笑会場になっていることが多かった。慧が独り改札を抜けて正面に建つ喫茶店の窓に目を向けると、男性一人と二人組の女性客らしき影が見えた。これで儲かるのかな。なんてことを考えながら無駄に広い駐輪場の横を抜け、横断歩道を渡り、住宅街に入る。そこから十分から十五分ほど歩き慣れた道を行き、住宅街の中核あたりにある自宅に帰って来た。

 いつも通り家には誰も居ないので、慧は鞄から鍵を取り出し、それで施錠を解いて帰宅する。革靴を脱ぎながら鍵を閉め、それが終わって廊下に上がると、明日の朝履きやすいよう革靴を綺麗に整えてから廊下の突き当りにあるリビングに向かう。

 ドアを開けると正面には大きなダイニングテーブルがあり、右側にはキッチン、左側には大きなテレビと三、四人は掛けることが出来るソファが置かれている。そんな一体型リビングの中心にあるダイニングテーブルの上には、これ見よがしに箱が置かれていた。父さんが言っていた試作品か。ここにあるってことは直接来たはずだけど、忙しくてすぐに戻ったのかな。慧は少しだけ寂寥感を覚えながら木椅子を引き出してそこに鞄を置き、早速ダンボール箱の開封に取り掛かる。

 テーブルの端に置いているリモコンケースの中からハサミを取ると、ダンボールの開け口を固く封じているガムテープに刃を当てて、割れ目をなぞるように真っすぐハサミを引いた。中身を傷つけないよう丁寧に優しく引いたのだが、意外にもガムテープはしっかりと最後まで切れていたので、慧はその隙間に両手を差し込んで箱を開いた。


「これは……」


 ダンボール箱の中には、大量の緩衝材に包まれた小箱が二つ入っていた。

 箱の中に箱……。マトリョーシカ的な何か。もしかしたら、この外側のダンボール箱ですら試作品なのか……。いや、流石にそれは無いか。慧はそう思い直すと、両手で一つずつ小箱を持ち出してテーブルに置いた。

 さて、ここからが本番だな。何故か気合を入れ直すようにそう思うと、慧は長方形の小箱から手に取った。その小箱はかぶせ箱になっていたので、左手で本体を支えながら右手で蓋を取り上げた。するとその中にはスマホのようなものが。というよりは、スマホそのままの形状をした何かが入っていた。


「スマホ? 見た目はまんまそのものだけど……」


 でも既に高性能のスマホを持っているから、こっちをメインにしてくれっていうのは中々辛いな。そう思いながらスマホらしきものが乗っているケースを少しだけ上げると、下には予想通り充電器と組み立て式スタンドが入っていた。それを確認した慧は一度ケースを元に戻し、もう一個の小箱に手を伸ばした。こちらは宝箱のようなワンタッチ箱になっており、差し込みを抜いて蓋を開けると、中には一組のイヤホンと、それを充電するためのケース、それと短めのケーブルが一本入っていた。


「こっちはイヤホンか。見た感じワイヤレスみたいだな。このスマホみたいなのと一緒に使えってことなのかな……」


 開封式を終えた慧はテーブルの上に広がっている「らしきもの」たちを見て数秒間黙った。しかし黙って見ているだけでは何も始まらないのが事実であり、慧はケースからスマホらしきものを取り出すと、電源ボタンらしきものを押下した。

 ――すると次の瞬間、パッと画面が白んだ。閃光のように煌いた白は一瞬慧の目を眩ませた。しかしそれは瞬く間に明るさを抑えていき、最終的には目に全く負担が掛からないくらいの明度になって落ち着いた。

 画面は真っ白のままで、これと言ったアクションも無い。画面をタップしてみても反応はない。最初に押したボタンをもう一度押してみると、白い画面は黒に飲み込まれた。やはり機器の右側上部に付いているボタンは電源ボタンのようである。それを確認した慧は再度電源ボタンを押し、白い画面と対峙した。さて、電源ボタンの存在は分かったが、状況は進展していない。となると今はこのスマホらしき機械は一旦置いておいて、イヤホンの方を調べてみるのが吉だな。と思った慧は白い画面のままケースに戻し、今度はその手でイヤホンを手に取った。イヤホンには右と左を英語で書いた時の頭文字がプリントされており、どちらにも小さなボタンが付いていた。ひとまずはめてみるか。そう思った慧は表記通りにイヤホンを耳にはめ、そのままイヤホンのボタンを押した。


【ペアリング完了。起動します】


 突然脳内に響いた声に驚き、少しだけ身体がビクついた。それによって少しだけ上昇した体温を下げようと呼吸を整えていると、スマホらしき機械の画面に変化が現れた。

 ――白い画面に黒い三本の横棒が現れた。それは逆三角形の位置取りで画面上に現れ、画面下部にある棒がぐにゃぐにゃと動き始めた。そして。


【ふぁ~あ、もう朝でございますか?】


 脳内に声が届く。心なしか、その声に連動して画面に映る黒い棒がパクパクと形を変えた気がする。


「え、いや、もう夕方だけど……」


 何を思ったか、慧は本能のままに答えていた。すると。


【なぬ! もう夕方ですと!】


 今度は声に釣られず画面に注視していると、確かに声に連動して黒い棒が形を変えた。そしてそれに続き、画面上部にある二本の横棒が形を変え、丸になった。それはまるで絵文字のようであった。


「もしもし?」


 画面に向かって話しかけると、先ほどまでは三本の黒い横棒だったものが自由自在に動き始めた。と言っても、顔の形は崩さずに。


【あなたがご主人様ですか!】

「え? いや、俺は……」

【あなたが私を起動したという事は、あなたがご主人であるということは決定事項なのです! だから、あなたが私のご主人様なのです!】

「は、はぁ。で、えっと、君は……」

【おぉっと! これは失礼いたしました! 私はご主人様の恋愛をサポートする専属アシスタント。ラブ・ナヴィ。と申します!】


 画面上の黒い棒はゆるやかに形を変え、にっこりと笑い顔を作り上げた。いや、それは作り上げられたというよりかは、言葉と共に自然とその形になっていた。と言った方が正しかった。


「ラブ・ナヴィ……」


 製品名かな。まぁそう考えるのが妥当だよな。思考の着地点を見つけた慧はひとまずそこに腰を据え、ラブ・ナヴィを右手で持った。


【おぉ~、ご主人の顔が良く見えます。では早速、ご主人をスキャンさせてもらいます】


 ――スキャン? と聞き返す間もなく。画面が強く発光し、光の線が慧の全身を上から下へ、下から上へと一往復し、光が収まった。


「い、今のは?」

【ご主人の生体情報をインプット致しました。身長、体重、年齢、古傷や身体的特徴、五感の精度。更には精神状態などです。これらの情報を基に、ご主人様と相性の良いお方をサーチし、そして最終的にはそのお方とくっつける。それが私の役割でございます】

「せ、精神状態まで?」

【はい。精神状態、加えて思考の精度。これらに関しましては、そちらのイヤホンの方で感知させて頂いております。ちなみに、私の音声もそのイヤホンを通してでしか伝わりませんので、外でのご利用時でも安心です】


 直接脳に流れてくる言葉を聞いた慧は、まるでその言葉に操られているかのように空いている左手でイヤホンを触った。


【しかしスキャンも私も万能ではありません。ご主人様の情報も、延いてはお相手様の情報も、百パーセント取得することは出来ません。あくまでも、情報収集のアシスタントを施し、より良い恋愛が出来るように導く道しるべ。ということになっております。ですから、これからもっと、ご主人様のことも学習していきたいと思っておりますよ~!】


 ラブ・ナヴィはそう伝達すると、画面の中で満面の……。恐らく満面の笑みを浮かべて見せた。


【はっ、そうだ! ラブ・ナヴィ。なんて呼び辛いですよね。絶対にそうですよね。私のことは、ラヴィ。と呼んでくださいませ。ご主人!】

「わ、分かったよ」


 苦い顔でそう返答をすると、画面上のラビィの瞳に涙らしきものが溜まり始めた。はぁ、名前を呼んで欲しいのか……。


「よ、よろしく、ラヴィ……」

【はい! よろしくお願いします! 私も全力で頑張りますので、明日からはアオハルの毎日を送りましょう!】


 はぁ、厄介な試作品が来たな。正直投げ出したいよ。初対面早々、ネガティブな感情ばかり先行する。だけどこれは唯一俺が父さんと繋がっていられる糸。自分から切るわけにはいかない。そう思うことで気持ちを何とか持ち上げた慧は、ラヴィの生活環境を整えるため、同梱されていた備品を使い易い場所に設置し始めた。

 その夜。枕もとに設置した充電スタンドでスリープ状態になっているラヴィを見て、アオハルの毎日か……。まぁ、長くても数か月だろうし、頑張るか。と、自らを鼓舞し、慧は眠りに就いた。

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