Episode.22 たとえ《聖女》じゃなくたって

 見上げるのは、どこまでも青く澄んだ空。快晴。雲ひとつ見当たらない。

 自室の窓から吹き込んでくる風は、太陽の光で暖められた部屋に少しだけ爽やかさをもたらしてくれる。


「なんだか、嘘みたいに平和だなぁ……」


 口をついて出たのは、そんな一言。

 ため息とともに思い出すのは、もう十日ほど前の出来事。

 奇跡のような力を以て、レティシアやアルベールたち遠征隊の窮地を救ったあの日のことだ。


「……結局、あれからこの姿のままなんだよな」


 姿見の前に移動すると、懐かしい男性の姿が映り込む。

 本来の姿に戻っただけなのだが、未だに違和感というか、見慣れなさのようなものを感じてしまう。

 今朝も、無意識のうちに化粧台に座っていた自分に驚いた。


「ずっとこのままだと、いつか支障をきたしそうだから怖いんだけど……」


 あの戦いの後、あの遠征隊のメンバーや《聖女》の業務に関係する人には、レティシアからお達しがあったらしい。


『イオリさんは、この奇跡を起こした影響で男性の姿となってしまいましたの。ですので、皆もこの男性が《聖女》様であることを頭に入れておくように』


 完全に真っ赤なウソ。

 だが、そんな噓八百な作り話の説明すらもなければ、色々勘繰られてしまう。そう考えると、レティシアには感謝しかない。

 それでも、この姿であまり人と関わらない方がいいと思い、今もこうして自室でだらだらと過ごしているのだ。


「でも、さすがにヒマすぎるよ……」


 もう限界だ。散歩に行こう。

 できるだけ、人の少ないルートを選べば、別に問題はないだろう。それにあの戦いから帰ってきた後、レティシアやノエル、アルベールたちにも会えていない。


「よしっ、そうと決まれば早速……――」


 乱雑に椅子の背もたれへかけられていたローブを手にすると、部屋着の上から羽織る。それからフードを目深にかぶって準備完了。

 こうして、十日ぶりに部屋の外へ足を踏み出した。


     ◇


 しばらく歩いてたどり着いたのは、儀式塔の裏手にある広場。人気のない場所で、真っ先に思いついたのがここだった。


「……いや、そもそも他の穴場的な場所知らないわ」


 思い返してみると、自分はあまりにも行動範囲が狭すぎたみたいだ。

 自室、講義室、工房に書庫、そしてこの広場。主だった行動範囲はこんなところ。こんなに広い王宮に住んでいるというのに、ほとんどの場所を知らないままだ。


「まあ、それだけ忙しかったから仕方ないんだけど……」


 召喚されてから今まで、本当に忙しない日々を送ってきた。それこそ、町へ遊びに出たこともお披露目の式典当日に一度のみしかない。


(……あのときは焦りも強かったからね)


 早く役に立つ力を身につけないと。早く《聖女》として立派に仕事をこなさないと。

 そんな、ある種の強迫観念に苛まれていた。

 それがまったくなくなったとは言わないが、少しは心が軽くなった気がしている。


「気分がいいし、今日はここで昼寝でもするかな~……!」


 両手を上げて背筋を伸ばし、芝生の上に寝転がる。

 太陽とそよ風のコンビがなんとも眠気を誘ってくる。これはすぐに寝られそうだ。女性の姿だと、こんな無防備に昼寝もできなかったから余計に解放感を覚えてしまう。

 睡魔がじりじりとにじり寄ってくる中、突然頭上から耳慣れた声がした。


「おや、先客がいらっしゃいましたか?」

「あ、アルベールさん」


 慌てて身体を起こすと、汗を拭いながらこちらへ来るアルベールと目が合う。


「ん……? ああ、イオリ様ですね。申し訳ございません、まだ慣れないものでして……」

「あっ、そういえばこの姿で会うのは初めてですね」


 思い返すと、仮説キャンプまで《聖法》を使って転移したときには、すでにアルベールは気を失っていた。

 この姿のことは聞いているだろうが、一瞬誰なのかわからなくても仕方がない。


「……聖女が男の姿だなんて、おかしな話ですよね。すみません」


 アルベールは女性の姿の自分に好意のようなものを持っていたように思える。

 なんだか申し訳なくなって、自嘲気味に笑う。だが、アルベールはきょとんとした顔で首を傾げる。


「そんなにおかしな話でしょうか?」

「……へ?」


 何を言っているんだろうか。聖“女”という名なんだから、それが“男”だったらおかしいだろう。

 話がかみ合わず、二人そろって首を傾げる。

 すると、そこにさらに乱入者が二人現れた。


「あら、お二人そろって逢引中ですの?」

「え、でも“男性”二人ですよ……?」

「ええ、“男性”二人ですわね」


 わざと男性という部分を強調しながら歩いてくるのは、レティシアとノエルの二人。二人とも正体が男だと知っているからか、ずっとニヤニヤして視線を向けてくる。


「して、お二人でどのようなお話を? アルベールが粗相をしたのであれば、首を飛ばす命令を出しますわよ?」

「れ、レティシア様……!?」

「冗談ですわ、冗談」


 手をひらひらと振るレティシア。しかし、あらぬ疑いをかけられたアルベールは、顔が真っ青だ。

 本当にレティシアの冗談は心臓に悪い。これが現代日本ならパワハラで訴えられるんじゃないか……?


「いや、ただ聖女が男だったらおかしいよねって話だよ。アルベールさんはおかしくはないって言うからさ」

「あら、まだイオリさんはそんなことを気にしておりますの?」

「……ふぇ?」


 またしても予想外の回答。自分の認識がズレているんだろうか……?

 すると、隣で聞いていたノエルも入ってくる。


「はい、私もおかしくないと思います」

「えぇ……? だって、聖“女”だよ? 聖“男”じゃないんだよ……?」


 もしかして、異世界と日本とでは性別の価値観が違うのだろうか。

 わからずに首を捻っていると、レティシアがフッと優しく微笑む。


「そういう話ではありませんのよ。ねえ、ノエル?」

「は、はいっ! イオリさんは誰が何と言おうと、私たちの希望――世界を救ってくださる《聖女》様です!」


 力強い宣言とともに、ノエルがずいっと顔を寄せてくる。

 ……近い近い。

 少し引き離しながらアルベールの方に視線を逃がすと、彼も同じく優しい笑みを携えていた。


「ええ、私たちは誰でもなく、あなたに救われました。あなたが《聖女》でなければ……いいえ、あなたが私たちを救いたいと思わなければ、今ここに私はいませんでした」


 だから、とアルベールはまっすぐにこちらを見据えながら告げる。


「――あなたがどんな姿であろうと、たとえ《聖女》でなくとも、あなたは私たちの大切な人なのだと。そういうことです」


 その言葉で、ようやく理解した。

 この人たちは、自分の見てくれなんて気にせず、ただ『イオリ』という一人の人間を見ていてくれたのだ。

 涙が溢れそうになる。ぐっと堪える。

 そして、満面の笑顔を咲かせ、三人に感謝を口にした。


「……ありがとう、みんな」


 なんだか、そんな小さなことで悩んでいたのが馬鹿らしくなってきて、ふふっと笑みがこぼれる。


(そうか、俺はここにいていいんだ……)


 心の底に沈んでいた重りが、すっと消えた気がした。

 しばらく笑いあうと、急にレティシアがニヤリと口角を上げてこちらを見る。そして、爆弾発言投下。


「でも、男性の姿だと、ますます欲しくなりますわね、わたくしの『旦那様』に――」

「「「なっ……!?」」」


 三人の驚きの声が重なる。


「ど、どういうことですか、イオリさん!? も、もももも、もしかしてレティシア様とそういう関係で……!?」

「い、いやいや! 俺は別にそんなんじゃ……」

「そうですとも! イオリ様は私と婚約するのです! これはレティシア様であろうと譲れません!!」

「いや、アルベールさんも何言ってんの!!?」

「お任せください。私はイオリ様でしたら、たとえ男性であろうと、女性であろうと、等しく愛する自信がございますっ!」

「そういうこと言ってるんじゃないけど!?」


 ダメだ、こいつら……!

 頭が痛くなってきた。頭を抱えて天を仰ぐ。


「ふふっ、王女に盾突くとはいい度胸ですわね、二人とも」

「お、王女といえど、イオリさんの気持ちを無視するのはどうかと思いますっ!」

「そうです! イオリ様は私と共に歩みたい、そう思われているはずですっ!」


 もうさっきまでの良い雰囲気がぶち壊しだ。

 直後、三人の視線がこちらへ殺到。なぜかじりじりとにじり寄ってくる。目が怖い。


「ど、どうして三人ともじりじり距離を詰めてくるの……?」

「それは、ねぇ?」

「はい、イオリさんのお気持ちを」

「ええ、聞かせていただきたいと思いまして――」


「「「――いったい、三人の中の誰を選ぶのかっ!」」」


 完全に暴走している。

 こうなれば、自分がとる道はひとつしかない。


「そ、それは……――」

「「「それは!?」」」

「ご、ごめんなさぁぁぁぁぁい――ッ!!」


 三十六計逃げるに如かず。つまりは、逃げるが勝ちである。


「あっ、逃げましたわ! 追いなさい、ノエル、アルベール!!」

「「はっ!!」」

「なんで、そういうところだけ連携とれるんだよぉぉぉ!?」


 少し振り返ると、ノエルが儀式塔を目指し、アルベールは一直線に駆け出す姿が見える。

 ノエルが儀式塔の頂上から補足し続け、アルベールが捕まえる。こんなところで、そんな息の合った連携を見たくはなかった。


「ああ、こんなことなら部屋に引きこもっていたらよかったぁぁぁぁぁっ!!」


 絶叫を王宮中に響かせながら、あてもなく全力疾走。


(これが終わったら、女性の姿に戻れるか祈ってみよう。うん、そうしよう……)


 結局、《聖女》は女性である方がいいのだ。

 そんな当たり前の答えに、ようやくたどり着けた気がする。でも、今はそんなことより……――。


「神様ァ! この状況をどうにかしてくださぁぁぁい――ッ!!」


 そんな神頼みは、澄み渡る蒼穹にむなしく溶けて消えていった。



     ―END―

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異世界召喚、どうやら俺が聖女(♂)のようです 蒼井華音 @aoi_kanon

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