第25話 つかの間の安息 2

 環はマグライトで階段を照らしながら、どこに向かうか考える。隠し部屋は窓もないし、進んで戻りたい部屋ではない。


(……タントルーヴェさんは外?)


 環は一階まで下った。一階部分は壁に通路が開いているのでわかりやすい。狭い一本道を何度か曲がって、突き当たりの燭台を倒す。軽い音がして横の壁がスライドした。


 そこは神殿の裏手にある厩舎きゅうしゃの横になっていた。周囲は森に囲まれていて薄暗いくらいだ。


 環が古びた細長い造りの厩舎きゅうしゃを覗くと、奥の方で動いているタントルーヴェが見えた。


「おはようございます。タントルーヴェさん」

「……起きたか」


 近づいて声をかけると、腕まくりをしたタントルーヴェが環を見た。


「もう昼を過ぎているぞ」


 タントルーヴェはエーベリュックと同じことを言う。よく似た上司と部下だ。


「この挨拶は会社員のさがともいうべきものでして」

「なんだそれは」


 奥の二つの馬房に馬が入っている。

 一頭は空を飛んだ黒い馬で、隣には栗毛の馬がいた。こちらは足の先と額から鼻先にかけてが白い。並んでいるところを見ると黒い馬の方が体が大きい。タントルーヴェは大きなブラシを手に持っていた。


「馬の手入れですか?」

「ああ、儀式が終わり次第、ここを離れるからな。その準備だ」

「そうか、見つからないようにしないといけませんもんね……」


 タントルーヴェがブラシで軽く栗毛の馬の腹をなで始める。


「何をしにきた?」


 環はタントルーヴェの足元を見た。今日は黒い革のブーツを履いている。


「……手持ち無沙汰でして。何か手伝えることってありますか?」

「暇だと?」

「はい」

「……馬の手入れをしたことは?」


 環は首を振った。


「そんなブルジョワなたしなみはありません」

「ぶるじょわ?」

「経験がありません」

「なら大人しくしていろ」


 言い直した環に、親切なはずのタントルーヴェはつれなかった。

 仕方がないので環は通路に置いてあった木箱に腰を下ろして、タントルーヴェの作業を見学することにした。


「何をしているんだ?」


 手を休めることなく、タントルーヴェが環に聞いてくる。


「大人しくしてるんです。行くところないですし、構わないですよね?」

「……はぁ」


 ため息を吐かれたが、追い出されはしなかった。木箱からじっと様子を窺うホラー女にも優しい。やはりいい人だ。


「タントルーヴェさん」

「なんだ」

「黒い馬の方が大きいですね。ええと確か、エ、エイコちゃんでしたっけ?」

「エルゴだ。雌ではなく雄だ」

「エルゴ君か。もう一頭の方は? 少し小柄ですね?」

「こちらはクラン。これも雄だ。エルゴが大きいだけで、これが普通の大きさだな」

「へぇ、クラン君か。賢そうな顔してますね」

「ああ、その辺の人間よりよほど賢い」

「ふうん」


 そこで一度、会話が途絶えた。

 タントルーヴェが馬にブラシをかける規則正しい音だけが響く。タントルーヴェが背中を見せたときに、腰の裏の幅のあるベルトに大型のナイフが二本、交差して差し込まれているのが見えた。


(……剣じゃないんだ)


 黒装束といい、なんとなく隠密のイメージがある。


「……タントルーヴェさん」

「なんだ」

「奥さんてどんな人ですか?」

「……いきなり何を」

「世間話ですよ。この世界に来てから殺伐とした話ばかりなので、ほのぼのとしたのろけ話が聞きたいです。思い出に異世界のコイバナとか聞きたい。写真……絵姿とかは持ち歩かないんですか? ほら、魔法とかで」

「……ない」

「ふっ、どうやらこの点においては、私の世界の方が進んでいるようですね」


 環は充電だけして電源を落としていたスマートフォンの電源を数日ぶりに入れた。バッテリーは半分ほど残っている。


「タントルーヴェさん、笑ってください」

「何を?」


 シャッター音がしてタントルーヴェの写真が撮れた。片手を馬に置いて訝し気な顔をしているタントルーヴェが撮れている。環はその画面をタントルーヴェに向けた。


「ほら、風景をそのまま映し出す機械です。良く撮れてますよ」


 近づいてきたタントルーヴェが覗いて息を呑む。


「これは……魔道具か?」

「魔法じゃないです。私の世界には魔法がありません。その代わり、こういう科学技術が発達しているんですよ」

「かがく技術……」

「この機械を使って、離れた場所にいる家族の顔を見ながら直接話したりとかもできます。今みたいに撮った写真を送ったりとかも。なかなか便利でしょう?」

「そうだな……」


 物珍し気に見たあと、忙しいタントルーヴェは馬の手入れに戻ってしまった。暇な環は動画の録画ボタンを押す。


「タントルーヴェさん」

「……まだ続くのか?」


 少々、声にうんざりした調子が混じってきた。


「奥さんのお名前ってリリーさんでしたっけ?」

「……リリーシェラだ」

「馴れ初めは?」

「教える必要はないだろう」


 環はニヤリとする。ぶっきらぼうな物言いに、照れている気配を察知した。


「ふーん。それじゃあ、奥さんの趣味ってなんです?」

「……刺繍だな」

「ああ、器用なんですね。どんな図柄が得意なんですか?」

「……植物」

「植物? そこは普通、花っていいませんかね。お花じゃないんですか? 木とかだったりします?」

「花だ……」

「どんな種類の?」

「ルベリエム……水筒に描かれている花だ」

「ほうほう。タントルーヴェさんが奥さんを思い出したいがために借りたあの水筒ですね。確かに可憐なお花でしたね」

「……」


 タントルーヴェはむっつりしている。これは確実に照れている。


「それでは奥さんの好きな色は?」

「…………茶色」

「茶色……渋い趣味で、あ、タントルーヴェさんの瞳の色ですね」

「うっ……」


 タントルーヴェがブラシを取り落とした。


「これはごちそうさまですねぇ。良いのろけです。ふふふ」


 拾い上げたブラシの毛を払いながら、タントルーヴェが環を睨む。しかし環は、からかいがいのあるタントルーヴェの反応に調子に乗っていた。


「ということは、タントルーヴェさんの好きな色も、もちろん奥さんの瞳の色ですよね?」


 その途端にタントルーヴェの顔が曇った。環は内心、ひやりとする。


(――地雷を踏んじゃった?)


「あ……、答えにくかったらいいですよ。すみませんでし……」

「赤だ」


 タントルーヴェが答える。どうやら大丈夫だったらしい。


「赤? ……というと、エーベリュックさんのような?」

「いや、もっと鮮やかな……、鮮血のようで不吉だという者もいるが違う。少し縁にかけて黄色がかっていて……」


 タントルーヴェは言い訳するように言葉を重ねる。環はその色を想像してみた。


(その色って……)


「それって、茜色ですね」

「アカネ色?」


 タントルーヴェが動きを止める。環はうなずいた。


「私の故郷の空の色です。秋の夕暮れ、少し冷たい風に稲穂が揺れて、とんぼが飛んで……。

 高い空が一面、鮮やかな赤に染まるんですけど、ほんの少し黄色が混じっているんです。それだけで、懐かしいような温かみのある優しい色になるんですよね。

 私も好きですよ、茜色。無性に家に帰りたくなります」


 失われた故郷の風景を思い出して、環は少ししんみりとした気分になった。


「……ああ、そうだな」


 タントルーヴェはくしゃりと顔を歪めた。


「世界で一番、美しい色だ……」


(これは……)


「熱い……いや、熱いですねぇ、世界で一番美しいときましたか。ふう、暑い暑い。熱烈なのろけ、ごちそうさまです」


 はっと我に返ったタントルーヴェが赤くなる。

 そしてスマートフォンを構えたまま、片手で顔に風を送っている環に気づいた。頬を引きつらせながらスマートフォンを指で差す。


「お前、その道具、まさか今のも? ……おい、寄越せ」

「あっ、いえ、その、これは! しまいます! しまいます」


 環は慌てて動画を切ってスマートフォンをバッグに隠した。ほんの出来心でのろけ動画を撮って見せて、身もだえさせてやろうと思ったら、最後で地雷を踏んでしまったようだった。

 この世界で赤い瞳は嫌われているのかもしれない。


 ほんの一瞬、苦いものをこらえるような表情を垣間見せたタントルーヴェに気づき、慌てて冗談にしたが、背景も知らずに踏み込んで良い領域ではなさそうだ。


(……たぶん、六大魔に関係してるんでしょうね。これだけ派手な色が揃っているのにどうして赤だけ? とは思うけど、軽率な発言で傷つけないように気をつけよう)


 迫力のある、いかめしい顔で見下ろすタントルーヴェに、環は両手を軽く上げて降参をした。


「ごめんなさい。もう撮ってませんから、許してください。ほら、降参、降参です」

「……余計なことはするな」

「はい、すみませんでした」

「大人しくしていろ」

「…………」


 黙る環にタントルーヴェが目を細める。


「返事は?」

「あの……あとどれくらい待つんでしょうか?」


 環はためらいがちに聞いた。


「さあな」


 タントルーヴェは素っ気ない返事をすると、馬房に戻ってしまった。神殿周辺を呑気に散策するような気分にはなれないが、唯一の話し相手のタントルーヴェが、これ以上は構ってくれそうにもない。

 しばらくタントルーヴェの作業を眺めてから、環は腰を上げる。厩舎きゅうしゃの出口に向かっていると、背中に声がかかった。


「どこへ行く?」


 振り返ると、タントルーヴェが馬房から顔を覗かせていた。


「暇なので散歩です」

「遠くへ行くなよ。森の西に沼がある」


 環は首をかしげた。


「西ってどっちですか?」

「……神殿の正面方向だ」


 心なしかタントルーヴェは呆れているような気がする。たぶんここの世界の人たちは、時間がわかるように方角もわかるのだろう。


(……ということは、きっとこの世界にはコンパスもないんでしょうね。渡り鳥みたいね)


 環はタントルーヴェに会社員スマイルを向けて手をあげた。


「了解です。神殿から離れないので大丈夫です。ありがとうございます」


 言われるまでもなく、地図もコンパスもないのに森の奥に行くつもりはない。そんなことをしたら迷子になること請け合いだ。

 環は厩舎きゅうしゃのまわりをぶらぶら歩く。神殿をぐるりと回って、神殿正面の草の伸びた広場に出た。見るとはなしに見回す。


「……一週間くらい経ったのか。なんだか懐かしい感じがするわね」


 ここであの悪夢のような馬車に乗ったのだ。本当にひどい乗り心地だった。思い出しながら階段状になっているアプローチを登ると、両開きの正面扉に厳重に板が打ち付けられてあるのが見えた。


「ここからは入れないようにしてるのか……」


 これはヴィラードたちの仕業だろうか。環は一番上の段に腰を下ろす。


 ヴィラードたちの対応は手慣れていた。今までもこうやってタルギーレからの侵入などを防いできたのだろう。せっかく助けてもらったのに、裏切るようなことをしてしまって申し訳なく思う。


(……でも、私がいると迷惑かけるし、それにエーベリュックさんの言い分もわかるのよね)


 環も生まれ故郷が災害で一変したので、エーベリュックたちの荒廃した国をなんとかしたいという気持ちは良く理解できる。しかし、対立している状況では協力など仰げないのだろう。

 そして、そんな密入国するタルギーレ人に頭を悩ませているヴィラードたちの言い分もわかる。タルギーレと関係ない国からしたら、ただの迷惑な行為でしかない。


「なんていうか、少しは話し合えば? って感じなんだけど……無理なんだろうなぁ」


(……なんか企んでるしなぁ)


 エーベリュックと直接話して、接して、環は確信した。問題児の部下の尻ぬぐいだと言っていたが、それだけのためにリスクを冒して環を帰してくれるような人ではない。

 忌々しい妖精魔法とやらを使ってまで環を迎えに来たくらいだ。絶対に肝心なことを話していない。


(……帰りたいけど、エーベリュックさんに協力した結果が、ヴィラードさんたちの迷惑になるようなことなら、ここに残って白の騎士に殺される方がましだわ)


 環は腕時計にそっと触れる。


(……お天道様に顔向けできないことはするな、っておとうさんの口癖だったものね)


 すでに体は魔物になっているということだし、昨夜の時点で覚悟はできている。環はスカートのポケットから折りたたまれた和式ナイフを取り出して眺めた。これだけは冒険者ギルドに残さず持ってきていた。


 エーベリュックの企みの内容によっては、協力せずにこれで手首を切ろうかと思っていた。

 しかし、生きた環が必要なのか、死体でも問題ないのかがわからないうちは、迂闊なことは出来ない。

 少しでも探ろうという下心もあって、社交的な会社員モードで二人と積極的に話をしてみた結果、エーベリュックもタントルーヴェも悪人には感じられなかった。それどころか置かれた状況に同情心が湧いてくる有り様だ。


「はぁ、まいったわね……」


 環だって人畜無害な企みなら進んで協力しただろう。しかし縛り首の危険を冒すような企みが、そんな可愛いものだとは思えない。

 彼らは国や家族を守るためなら、どんな悪事でもきっとやる。それがヴィラードたちや他の誰かの犠牲を強いることであれば、どれだけ気の毒な立場であろうとも協力できない。


(……なに企んでるのか、教えてくれるかしら?)


 エーベリュックがくれると言っていた、心当たりのない疑問の答え。たぶん、それが環の求めているものだと思う。

 つまり、ぎりぎりまでわからないということだ。環は手の平に収まるナイフを見つめる。


(……これで手首切ると、すごく痛そう……)


 死ぬ覚悟はできているが、自分で自分を殺す覚悟はまだできていない。こんな状態で、いざ本番となったときに手加減せずにいられるだろうか、という不安を覚える。


(確実なやり方ってある……?)


 悩む環の脳裏に、ふと、最初の宿でヴィラードが和式ナイフを持っていた時の光景が思い浮かんだ。


――この長さがあれば喉の血管を裂くことも、眼球を突くこともできる。使い方次第だろうな。


 環はコクリと息を飲んだ。


「……喉の血管を、裂く……」


 つまり頸動脈を切るということだろう。環は刃渡り五センチもない小さなナイフをじっと見つめ、情けない顔でため息をついた。


「いや、無理……怖い……やりたくない……」


 泣き言をこぼしてポケットにナイフをしまい、膝に肘をついて、手の平であごを支えた。


(……全部、私の考えすぎで、実は言葉通りにただ帰してくれるだけの善人てことは…………ないか)


 現実逃避したくて浮かんだ安易な願望を、すぐさま否定する。環をここまで運んできた、もろもろの労力を考えると、それはないだろう。


 環に残された時間は少ない。

 このまま大人しく、何を企んでいるかわからないエーベリュックたちに利用されるか、日暮れまで時間を稼いで白の騎士に殺されるか、それらの前に自分で命を絶つか……。


「……特に最後が嫌すぎる……失敗して長く苦しみそう……」


 人生に未練はないが、痛いのは嫌だ。死に方を選べるなら、苦痛が長引かない方向に進んで欲しい。


(……もし、この世界で死んだら、どこに行くのかしら……。おかあさんたちに会えるかな……。一目だけでも会えるなら、どんな死に方になってもいいんだけど……)


 環はせつないため息をつき、そのままタントルーヴェが呼びに来るまで、ぼんやりと風に揺れる広場の雑草を眺め続けた。

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