第26話 エーベリュックの企み 1

 環がぼんやり森を見ていると、階段の下にタントルーヴェが姿を現した。


「準備が出来た。着いてこい」

「……わかりました」


 環はゆっくり立ち上がって空を見る。

 黄昏始めた空に、昨晩から動かない白い月が出ている。 白の騎士が出現する時間までは、まだ多少の余裕がありそうだ。予告通りエーベリュックの準備は間に合った。

 そして神殿の広場から続く鬱蒼とした木立の奥へと目を向ける。


(……冒険者ギルドはあっちの方角かしら?)


 マディリエやカイラムにギムレスト。そして痛ましい姿になったヴィラードを思い出す。


(……どうか、元気で……)


 心の中で祈って、静かに階段を下った。

 隠し通路に向かうタントルーヴェの後ろを歩きながら、ポケットの和式ナイフを取り出して、ショルダーバッグのベルトを握る手の中に隠し持つ。


(いよいよね……)


 環は緊張で震えそうになる手を強く握ってこらえた。自分が弱い人間だということはよく知っている。この状況で奮い立たせるような勇気の持ち合わせはない。

 ただ、家族を失って以降、身を切られるような辛い日も、胸が押し潰されるような苦しい夜も、一人で耐えてきた。うずくまりそうになる背筋を伸ばし、泣きたいときには笑顔を作って、誰にも弱みを見せずに一人で立って生きてきた。例え脆い虚勢だったとしても、今日まで環を支えてきた、ささやかなプライドでもある。


(しっかりするのよ。失敗できない会議なんて何度もあったじゃない。アレと同じよ。いつも通りでいいのよ)


 勇気の代わりに意地と社会人経験だけはある。逃げ出したい会議も、投げ出したい面倒な調整も、意地と笑顔と礼儀正しい図々しさで乗り越えてきた。

 環は背筋を伸ばし、顔を上げて、軽く微笑んだ。

 こんなときこそ笑顔だ。はったりだろうが見掛け倒しだろうが、「想定内ですけど何か?」という、数々の会議を乗り越えてきた余裕な態度に見える強化版会社員スマイルを浮かべてやるつもりだ。鍛え抜かれた表情筋の出番がやってきた。ジムのトレーナーも「筋肉は最後まで裏切らない」と言っていた。


 一生懸命に口角挙筋をほぐしている環の前を行くタントルーヴェは、手に持つランタンの明かりで隠し通路を照らし、階段を下っていく。階段が終わると、またもや一本道の通路が続いて、最後に光を通さない真っ黒な壁に突き当たった。歩みを止めないタントルーヴェが黒い壁に突っ込む。


「えっ!?」


 思わず声を上げる環の前で、タントルーヴェが壁の向こうに消えて通路が暗くなる。立ち尽くしていると、にゅっと壁にタントルーヴェの顔と腕が生えて、ランタンで照らされた。


「足元に注意して来い」


 淡々とした声に促され、こわごわと壁に手を伸ばすと、なんの抵抗もなく向こうに突き抜けた。


「……」


 環は意を決して足元を探りながら壁を通り抜ける。黒い壁の反対側に出ると、そこはごつごつとした岩壁に張り付いた細い足場になっていた。

 別の通路を見下ろす高さにあり、一見ただの岩に見える道が、なだらかに下の通路へと続いている。背後の黒い壁は、まわりと同じような岩壁に見えていた。手を伸ばすと岩の向こうに手が消える。どうやら魔法か何かで目隠しされているようだった。


 環の足元にランタンを向けながら、少し先でタントルーヴェが待っている。環は岩肌に手をつきながら、幅が三十センチもない不安定な足場を、パンプスで慎重にタントルーヴェに着いていった。


 通路に合流すると、タントルーヴェはうっすらと赤い光が見える方向に歩き出した。反対側は漆黒の闇が続いている。

 今下りてきた足場を見上げると、下からでは突き出た岩で隠れており、あらかじめ知っていないと足場の存在に気づくことは難しい。


(……こうやって隠してるのね)


 曲がりくねった通路を抜けて細くなった岩の裂け目を出ると、天井の高い、赤い岩肌の広いホールに出た。

 一段高くなった舞台の中央にある黒い石の台座と、ホールの反対側にある入り口には見覚えがある。環が召喚された神殿の地下だ。岩自体が赤く光っていてランタンいらずなのもそのままだ。


「これ……」


 儀式の間に足を踏み入れて、環は言葉を失った。黒い石の台座を中心に、床一面におびただしい模様が赤い染料で描かれていた。

 一段高い舞台の台座から六本の線が伸びていて、舞台を取り囲むように配置された六つの円に続き、それぞれに剣や何かの生き物を意匠化したような別々の紋章が描かれていて、中心に宝石のような石が置かれている。


 それらの円同士を、真上から見た迷路のような幾何学模様がつないでいるが、幾何学模様の線は何かの文字になっているようだった。

 全体をさらに二重の円で囲み、その間にもびっしりと模様や文字が描かれている。複雑な基盤にも見えるそれは、空中に浮かんでいた儀式陣と似ていた。


「来たか、異界の女よ」


 疲れた声のエーベリュックが儀式陣の外側に立っていた。ギムレストが持っているような杖を手にしている。


「エーベリュックさん、これはもしかして……」

「おぬしを帰還させる儀式陣だ」


 蛍光ピンクのポーションを一口飲みながら、エーベリュックが言った。


「儀式を開始する。台座の前に立て」


(……そんなこと言われても)


 環は足元を見る。

 びっしりと描かれた儀式陣は、文字通り足の踏み場がない。染料を踏まずに台座にたどり着くのは至難のわざだ。安全なルートを探してまごつく環にエーベリュックが気づいた。


「陣の上を歩いても大丈夫だ。さっさと歩け」

「そうですか……」


 力作を壊さないように気を遣ったというのに、描いた本人が言うのだからいいだろう。それでも遠慮しつつ環は儀式陣の上を歩いた。最初の数歩でパンプスの裏を見ると、確かに染料は付いていないし、儀式陣の線も乱れていない。


(異世界にも油性マジックがあるのかしら……?)


 そんなしょうもない疑問が浮かぶ。歩くのを再開すると、タントルーヴェが環から離れてエーベリュックの側に控えた。それを確認した環は舞台の下で立ち止まりエーベリュックに向き直る。


「どうした? 異界の女よ」

「環です。エーベリュックさん」

「どうした? タマキよ」


 エーベリュックは律義に言い直した。


「答えをくれるって言ってましたよね? 聞かせてくれませんか?」

「そうだったな……」


 どこからか飛んできたフクロウがエーベリュックの肩に停まった。


「おぬしはわしに問うたな。なぜ自分なのか、恨みでもあるのか? と」

「……ああ、そういえば」


 環は言われて思い出した。

 エーベリュックがフクロウの姿で現れた晩のことだ。ほとんど八つ当たりのように聞いて、帰してやると言われたのだ。


「おぬしに恨みはない。しかし、おぬしが召喚されたことには理由がある」

「……それはなんです?」


 嫌な予感がする。感情の読めない赤い瞳が環を見据えた。


「おぬしは選ばれたのだ。赤き月の贄として、六大魔に選ばれた……魅入られたと言った方が正しいやもしれぬ」

「赤き月の贄……生贄?」


 環は血の色をしたピアスに手をやった。


「その通り」


 重々おもおもしくうなずくエーベリュックに、環は若干の気まずさを覚えながら口を開いた。


「……あの、赤き月の贄ってなんですか?」

「……また最初から説明が必要か?」

「はい、すみません……」

「やれやれ、東諸国アクレドランどもはそんなことも話しておらぬとは……」


 エーベリュックが目頭を揉んだ。

 裏庭で環が亡霊騎士に襲われた後、集まったヴィラードたちはいろいろ話し合っていたようだったが、結局呪いに関しては何も教えてくれなかった。

 環が伝えた儀式紋の正体について突き止められなかったのかと思っていたが、

あえて教えてくれなかったということかもしれない。


「……まあ、いいだろう。まだ時間はある。おぬしも聞いておいた方が良いだろう。……二百年前に六大魔が封じられたことは聞いたか?」

「封じた? 確か……どこかの王子に倒されたのでは?」

「ふんっ」


 ギムレストから聞いた話を思い出しながら聞き返した環を、エーベリュックは鼻で笑った。


「六大魔は倒せるような存在ではない。仮に倒しておったら、六大魔の影響はこれ程強くは残っておらん」

「あ、そうなんですか……」


 てっきり環境汚染のようなものが残っているのだと思っていたが、今でも大元の影響が途切れていないということだろうか。


「六大魔は赤き月と呼ばれる異界に封じられただけだ。二百年の間、ずっと復活の機会を窺っておる」

「ずっと……ですか」

「さよう。今も昔も、我らタルギーレの犠牲の上に、世の連中は安穏と暮らしておるのだ」

「今も昔も……?」


 環はまた聞き返した。どうにもギムレストの話と食い違っている気がする。


「おぬしは我らが好んで六大魔に下ったと思うたか?

 始まりの民、タレスギリオンの末裔たる、千年王国と呼ばれた我らタルギーレが」

「千年王国……」


 えらく大層な名称が出てきたが、タレスギリオン自体を知らないので、ありがたみがわからない。


「六大魔が異界から境界を越えて現れたとき、奴らに対抗する術は、この世界のどこにもなかった。

 我らは恭順した振りを装い、奴らの腹心として術を研究し取り込んで、暗黒魔術として新たな魔術体系を創り上げたのだ」

「……つまり、六大魔の弱点を探るために、あえて手先になった……?」


 環の確認にエーベリュックはうなずく。


「六大魔は強大な魔物を召喚し、各地にはなっておった。強大な魔物が出現する土地は、闇の月の影響が大きい場所だ。

 その地に六大魔を崇めるという名目で神殿を建立し、六大魔の魔力を少しずつ溜め込み、六大魔の力を絡めとっていった。

 長い年月をかけた準備が整った二百年前、不世出の大魔術師イーオギュールスの指揮のもと、各地の神殿で極秘のうちに六大魔を封じる儀式が行われた。

 六大魔は己の魔力を利用した己の術で赤の月に封じられたのだ。同時に六大魔の放った魔物たちも、神殿の魔力を利用して土地に封じられた」

「え? ちょっと待ってください。それだと、亡国の王子が出てこないんですが……」


 今聞いた範囲だと、全面的にタルギーレの活躍しかない。いくら国によって歴史が変わるとはいえ、これは行き過ぎではなかろうか。

 疑問を上げた環に、エーベリュックは答えた。


「アシュトヴェルヴィック王子の役目は術の発動だった」

「術の発動?」


 舌を噛みそうな名前だと思いつつ、表情には出さずに環は聞く。


「さよう。儀式の最後に、イーオギュールスの死をもって魔術が発動する仕掛けだ。

召喚術にまつわる文献や魔道具の全ても、儀式を行ったタルギーレの魔術師ごと地中に呑み込まれた。

 後世に遺されたのは、魔物を封じるための神殿だ。かくして、六大魔の時代は終焉を迎え、世界は平安を取り戻した。タルギーレを除いてな」

「…………」


 聞いていたのとかけ離れた内容に環は戸惑った。ギムレストの話と違いすぎる。


「あの、それですと王子は、つまり、タルギーレの手柄を横取りしたということですか?」


 しかし、環の質問にはエーベリュックは首を振った。


「いいや、あらかじめ示し合わせてのことだ。イーオギュールスと王子は通じていた。

 一族の命と引き換えに六大魔を封じる代わりに、残されるタルギーレの民を王子に託し、王子はそれを承諾したのだ」

「……でも、タルギーレの功績が丸々なかったことにされるのはおかしくありません? どうして王子の手柄だけが伝わっているんですか?」


 エーベリュックは片眉を上げて環を見た。


「わからぬか? 考えてもみよ、六大魔を封じるためとはいえ、六大魔のしもべとして世界を蹂躙じゅうりんしたタルギーレの所業が、そう易々やすやすと許されると思うか?

 ましてや憎むべきタルギーレが六大魔を退け世界を救ったなど、受け入れられるわけがなかろう。世界が新たな時代を築くためには、タルギーレは憎むべき敵であり、世界を救ったサンティーユの王子という英雄が必要だったということだ」

「そんな……」


 エーベリュックは皮肉げに笑う。


「イーオギュールスの筋書き通り世界は立ち直った。

 立役者となったサンティーユが牽制するおかげで、東諸国アクレドラン共がタルギーレを攻め込むこともない。

 しかしな……。わしらは、一番六大魔の被害を受けたタルギーレの国土は、未だに苦しみの中にある。

 神殿の封印を逃れた強大な魔物は、タルギーレの新たな盟主となったアシュトヴェルヴィックが軒並み倒した。荒れ果てた国土に一時は平和が訪れたが、ある時から再び魔物が荒らすようになった。

 いつまで六大魔の影響を受け続けねばならぬ?

 魔物の脅威が去る日は来るのか?

 だからわしは、六大魔の影響から抜け出すための研究を重ね続けた」


 エーベリュックが意味ありげに環を見る。


「あるとき、地中に呑まれていた古い魔道具の水晶が見つかった。それを研究したのは、一人の若き天才魔術師だ」


(……若い魔術師……)


 召喚されたときの光景が思い浮かんだ。杖を掲げて高笑いする男。


「それってもしかして、あの研究費を使い込んだ……?」

「さよう、オルドデューヴだ。ああ見えて魔術の腕だけは見事でな、六大魔の召喚術の痕跡を見つけた。

 奴はこう考えたのだそうだ。六大魔を滅ぼすことが出来ないのなら、いっそ荒れ果てた国を捨て、召喚術を使って異界へ……新天地へ行くことは出来ないか、と」

「……新天地って、地球に、私の世界にタルギーレの人たちが引っ越すということですか?」

「ああ。奴はそう思いついたのだ」


 環は冗談じゃないと首を振った。


「地球人である私が言うのもどうかと思いますが、それは止めた方がいいですよ。有史以来ずっと戦争してますし、環境汚染も、自然災害も、伝染病の蔓延も世界規模です。

 ただでさえ人口増加で食糧危機が叫ばれてるのに、異世界人が現れたりしたら、あっという間に捕まって人体実験やら、ひどい目に遭うこと請け合いです。魔術だってあちらで使えるか分かったものじゃありません。安住なんてできませんよ」


 環はあえてネガティブな情報を並べ立てて、翻意ほんいを促した。世界史規模で見れば嘘ではない。


「無論、移住先については、あの小僧も慎重に考えていた。だからこそ、まずは一人、召喚術で本当に招くことが出来るか、そして移住先が住環境に適しているかを検討しようとしたのだ」

「……それが、あの召喚だったんですか!?」

「うむ、愚かなことだ。仮に可能だとして、国の民を全員移動するのに、どれほどの魔力が必要になるか……。どうにも、名案だと思い込んだら突っ走るところがあっていかん」


 環は思わず脱力しそうになった。想像もしていなかった召喚の真相だった。まさか、お試しで召喚されたとは……。しかも「いかん」と言ったエーベリュックの態度もなんとなく軽い。


「いかんて……そんな軽く済ませないでくださいよ。おかげで呪いは受けるし、散々な目に……。ん? それが赤い月の贄とどう関わるんです?」

「召喚術は六大魔の魔術だ。神殿に残された六大魔の魔力を使って召喚術を行使するということは、赤の月に封じられた六大魔と繋がりをもつということになる。

 小僧は六大魔に働きかけ、この世界とよく似た異界への道をひらかせた。おぬしは奴らを利用するための餌だ。六大魔から召喚術を引き出すための生贄。つまり赤き月への贄ということだ」

「……六大魔への、生贄……」


 こともなげに告げるエーベリュックが環は信じられなかった。


「そんな簡単に生贄にしようだなんて……こんなこと間違ってますよ……」

「その通りだ。小僧は間違えた」

「……エーベリュックさん?」


 エーベリュックは意外にも同意してきた。


わしは言ったろう? 小僧の間違いを正すだけだと」

「ええ……フクロウで来たときですよね」

「そうだ。小僧は間違えておった。異界に行くべきはわしらではない。……六大魔だ」

「……え?」


 意味を掴めずに訝しむ環に、エーベリュックは得体の知れない笑みを浮かべる。


「六大魔をおぬしの世界へ送り込む」

「……なんですって?」


 環は出会ってから初めて、エーベリュックが満足そうに笑う顔を見た。

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