第21話 環の行方

 驚異的な回復力で一晩で目を覚ましたヴィラードの部屋には、マディリエとセヴラン、それからマグフィリーとカイラムがいた。

 ロッツは扉の外で引き続き立ち番をしており、一晩中、対応策を検討していたランスヴィーヴルとボージェスは会議室で寝ている。

 

 部屋にある二脚の椅子をベッドの横に持ってきて、長旅で疲れているセヴランとマグフィリーが座っていた。


 カイラムが渡してくれた白湯を飲みながら、ヴィラードはマディリエから環が消えた前後の報告を受けていた。硬い表情のマディリエは最後に、


「状況から、タマキのは自分の意思で姿をくらましたとしか思えません。しかし、あの体で一人で逃走は無理です。誰か協力者がいたはずです」


と締めくくった。


 ヴィラードには協力者の心当たりがあった。確認のためにマディリエに聞く。


「マディリエ。タマキがここに来た時に翻訳のネックレスを使っていたか?」


 マディリエは否定する。


「いいえ。おさが昼間使ってたのが最後ですけど」

「そうか」

「どうしてですか?」

「タマキが俺の部屋にいたとき、彼女は共通語を話していたんだ」

「まさか!」

「そのまさかだ。共通語でひたすら謝罪していた。自分のせいだと言って、白の騎士はもう現れないと言っていたな」

「……白の騎士ぃ? というのは昨夜のですよねぇ?

 知っていたなら事前に教えて欲しかったですねぇ、あのアホタレ娘めぇ」


 マグフィリーが寝不足の顔で欠伸をしながらぼやいた。ヴィラードは泣いていた環を思い出す。


「俺はタマキが悪意を持って隠していたとは思えない。そういう女性じゃない。やむにやまれぬ事情があったんだろう」

「やれやれ。死にそうな目に合った本人がコレですからねぇ。振り回される我々は大変なんですよぅ。おかげで徹夜でしたしぃ」

「すまなかった。心配かけたな」


 ヴィラードは素直に謝った。マディリエが疑問を挟む。


「タマキが言葉を話せた理由もわかっているんですか?」

「俺は、タルギーレがタマキに接触していたんだと思う。なんらかの翻訳術が込められた物品を渡されていたんじゃないかな」

「タルギーレがっ!?」

「ああ」


 ヴィラードはうなずく。環が手元をいじっていた光景を思い出す。今ならわかる。あれは指輪だった。


「その上で彼女をそそのかしたのだと思う。例えばここにいると我々に迷惑がかかるとでも言えば、タマキの性格なら自ら去ると見抜いていたんだろう」


 マディリエが唇を噛んだ。


「ありそうだわ。よく見てる……。だけど、なぜ今更タルギーレがタマキを?

 ギムレストの予想と違っているじゃないですか」

「そのことだがな……」


 ずっと黙って聞いていたセヴランが静かに口を開いて注目が集まる。セヴランはヴィラードを見た。


「報告をしても良いか?」

「ああ、頼む」


 許しを得たセヴランがうなずく。


「うむ。……私とエディレは、ザグルで情報を集めていた。そうしたら、あの人相書きの護衛と思われる男たちを見た者がいてな、やはりストーレバルドの方向から来たそうだ。

 四人連れのうち二人は黒いローブを目深に被っていて顔はわからなかったそうだが、奴らで間違いないだろう。そのあとの消息が掴めなかったのだが、たまたま会った狩人の友人が森の深くで目撃していた」


 セヴランはここで一旦息をつくと、話を続けた。


「日付を聞いたら、神殿で別れてから二日後の夜のことだったらしい。

 比較的ストーレバルドに近いの森の中に、狩人しか知らない小屋があるのだが、その友人が立ち寄ろうとしたら馬が繋いであったので、隠れて覗いてみたところ、中に四人組の男たちがいたそうだ。

 黒いローブの男が一人縛られていたのが見えたので、これはストーレバルドのやからだろうと離れようとしたら、辺りの空気が一変して小屋の中に黒い鎧の騎士が現れたという」

「帝国の幽鬼だな。小屋の中に出たのか」


 ヴィラードの言葉にセヴランはうなずく。


「ああ。友人は急いで小屋から離れて様子を見ていたそうだが、男たちが中から転がり出てきて、戦士と魔術師が帝国の幽鬼を倒したそうだ。それから慌ただしく馬を準備して、二手に別れて去ったということだ。

 その男たちの会話の中で、亡霊騎士と、神殿、という言葉が聞き取れたと言っていた。事情はわからないながら、小屋を利用する狩人仲間に忠告するためにザグルに来たところで、偶然私と行き会ったというわけだ」

「亡霊騎士か。タルギーレの言い方だな」


 ヴィラードは環が同じ言い方をしていたことを思い出した。あの時点で環はタルギーレの一味と接触していたのだろう。打ち解けられたと思っていたのに、そのことを話して貰えなかった事実に胸が沈む思いがする。

 一晩中起きていたようだと報告を受けた。ずいぶんと悩んだのではないだろうか、彼女は。しかし、打ち明けて貰えるほどの信用を築けていなかった。


「それで、去った方向について、その友人はなんと言っていた?」


 平静を保って、ヴィラードは肝心なことを尋ねた。


「狩人風の男が縛っていた男と二人乗りで北へ。ストーレバルドかサンティーユだろう。戦士ともう一人の魔術師は南東へ向かったそうだ。それで私はエディレをサンティーユのミリュシダの所へ走らせて、こちらに戻ってきた。

 途中、エルー神殿の様子を見に寄ったが入り口は封じられたままだった。ニビルでも奴らの情報は得られていない。

 今のところ行方不明だが、神殿という単語が出た以上また入り込むつもりやもしれんと思って報告に戻ったのだが、どうやら南東へ行った奴らの狙いは、あの女だったようだな」


 マグフィリーが口を開いた。


「今のセヴランの話ですとぉ、帝国の幽鬼が現れた後に、タルギーレは行動を変えたようにも思えますねぇ。帝国の幽鬼が何を意味してるんでしょうかねぇ?」

「さてな。その辺りはギムレストに聞いた方がいいだろう。いないのか?」


 セヴランの問いにはマディリエが答えた。


「今呼びに行ってるところよ」

「そうか。しかしヴィラードがやられたという白の騎士とはなんだ?

 帝国の幽鬼は黒い鎧の騎士姿だったと記憶しているが」


 ヴィラードはへの字口になってセヴランの言葉を否定する。


「俺はやられたわけじゃない。お互い腹を刺し合って引き分けだ。勝負はまだついていない」

「ほお……」


 セヴランは疑わし気にヴィラードの包帯を眺めて、ふん、と鼻を鳴らした。


「その様子では動けまい。仮に動けたとして確実に倒せるのか?」

「まぁ、難しいでしょうねぇ。魔剣もありませんしぃ」


 マグフィリーの言葉に、ヴィラードがはっとする。


「あっ! あの野郎、俺の剣を持って行きやがったままだ! っつ! 痛て……」


 大きな声を出したヴィラードが腹を押さえる。


「まだ傷が塞がっていませんからぁ、大声を出すと傷にひびきますよぉ」

「持っていかれた?」


 疑問を呈するセヴランに、マグフィリーがニタァと笑う。


「相手がお腹にぷすっとおさの魔剣を刺したままで退いたんですよぉ。取り戻したかったですけどぉ、僕たちでは近づくのさえ命がけでしょうねぇ」


 ギルド内でも腕の立つマグフィリーのお手上げ発言に、セヴランの鋭い目がますます鋭くなる。


「それほどの使い手か……」

「あれはちょっと目を疑う強さでしたねぇ。おかげでぇ、おさが膝をついた姿を見た若い連中が動揺して、すっかり浮足立ってましてねぇ。いやぁ、情けないかぎりですよぉ」

「ぐぐ……」


 ヴィラードは腹を擦りながら反論できずに唸った。マグフィリーがジト目でヴィラードを見る。


「一晩いろいろ検討しましたけどぉ、抵抗するのが精々だろうと思いますねぇ。倒すなどは、とてもとても無理ですぅ。ですから僕はあのアホタレ娘がいなくなって、正直ホッとしてるんですよねぇ。

 使ったお金は回収できないですけどぉ、ウチのギルド員に犠牲が出る前で良かったなぁ、とねぇ。本音はこのまま放っておきたいですけどぉ……」

「それは絶対に駄目だ」


 間髪入れずに入ったヴィラードの言葉に、マグフィリーが息をつく。


「そうなんですよねぇ、なにせタルギーレの案件ですからねぇ。放っておいたら、また同じことが起きるかもしれませんしぃ……」

「そうだな」


 セヴランもマグフィリーに同意する。ヴィラードもうなずいた。


「この件から手を引くつもりはない。タマキのことのみならず、あの白の騎士という存在は脅威だ。俺は聞いたこともないが、タルギーレが正体を知っているなら突き止めておかないと危険だろう。

 帝国の幽鬼の仲間なのか、全く違う存在なのか。数は一体だけか、他にもいるのか。出現条件だけでも知っておきたい。もし、タルギーレが生み出した新たな魔物で奴らが操っているとしたら、この先恐ろしいことになる」

「……あんなのが集団で出てきたら、国が滅びますねぇ……」


 マグフィリーが半笑いでぼやく。


「白の騎士はタマキの声を聞いて動きを止めた。タルギーレもタマキに接触していた。鍵はタマキだ。なんとしても彼女を探し出して、保護しなければならない」

「……まぁ、そうなりますよねぇ」

「それで、手掛かりはあるのか?」


 セヴランの言葉を受けて、ヴィラードはマディリエを見た。しかしマディリエは首を振る。


「窓に土が残ってましたけど、ロープの跡などはありません。裏庭もカイラムたちは不審者を見ていないのよね?」


 カイラムが神妙な顔でうなずく。


「ずっと俺とザイナブで裏庭にいたんです。あの刺客の襲撃以降、庭には誰も来てないっす。タマキの部屋も時々見たんですけど、出ていくのは気づかなかったっす。すみません」

「ふうむ、少し見てみるか……」


 セヴランが立ち上がった。


「マディリエ。部屋はこの上だな?」

「ええ」

「ヴィラード。マディリエとカイラムを借りていくぞ」

「ああ、頼む」

「お前は少し寝ていろ」

「……ああ」


 マディリエたちを連れてセヴランが静かに出ていく。それを見送ったマグフィリーが、嫌な予感のする笑顔でヴィラードを見た。


「それではぁ、セヴランもああ言っていたことですしぃ、ポーションを飲みましょうかぁ」


 ヴィラードはゴクリとつばを飲み込んだ。


「昨夜飲んだ奴は駄目だぞ。眠るわけにはいかん」

「……そうですかぁ、それは……勇気ある言葉ですねぇ」

「な、何を企んでいるんだ……」


 ヴィラードは逃げ場を探して左右を見回した。マグフィリーはくつくつ笑いながら、ポーションの入った箱を開ける。


「人聞きが悪いですねぇ、昨夜のポーションに眠気が起きない成分を加えたものですよぉ。効き目はバツグンですぅ。ほぅ~ら、色が違うでしょう?」


 マグフィリーが取り出したポーションは、青と紺と紫と灰色が溶けずに絡まり合った、見ているだけで不安になる、不吉を具現化したような色合いをしていた。

 マグフィリーが振って見せたことで、下から気泡が立ち昇ってゴポッと表面で弾けた。


 ヴィラードの額から汗が伝い落ちる。ヴィラードはもちろん、その恐ろしい味を知っていた。


「……他のでも……もう少し、効き目が大人しいのでもいいんじゃないか?

 ほれ、それは高価だし、俺も傷が塞がればそれで……」


 無駄な足掻あがきに対し、マグフィリーが昨夜と同じように聞き分けの悪い子供を見る目になった。


「やれやれ、すぐに動きたいなら、これ以外に選択肢はないんですがねぇ、そうまで嫌がるなら仕方ありませぇん……」


 希望を思わせる言葉だったが、ヴィラードは油断せずにマグフィリーの出方を伺った。マグフィリーがニタァと笑う。


「僕が、口移しで飲ませるしかありませんねぇ」

「んなっっ!?」

「僕の唇は妻だけのものですがぁ、仕方ありませぇん。一肌脱ぎましょう……」


 絶句するヴィラードに向かって、マグフィリーの唇がムニムニと動いて準備を始める。


「ま、待った。待ってくれ! 俺が悪かった! 何本でも飲むから、それだけは許してくれ! っい、痛たた……」


 ヴィラードは痛む傷口を庇いながら必死に懇願した。

 マグフィリーは有言実行の男だ。やると言ったら絶対にやる。満足そうな顔になったマグフィリーが鷹揚おうようにうなずいた。


「うんうん。それがお互いのためですねぇ。皆さんこう言うと素直に飲んでくれるんですよぉ。僕も唇の貞操が守れて嬉しいですぅ」

「……だろうな」


 差し出された瓶を受け取ったヴィラードは、覚悟を決めて中身を飲み干した。


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マグフィリーが出て行った室内で、ヴィラードはぐったりとしていた。


「ううう……」


 世にも恐ろしい味のポーションの効き目は絶大だった。昨夜飲まされたものと同じく痛みは消えた。が、ひどい吐き気を伴う気分の悪さに見舞われている。


 眠気に襲われないというより、気分が悪すぎて眠ることなど出来ないという方が正しい。白湯を飲もうとしたら、


「薄めてはいけませぇん」


とマグフィリーに取り上げられた。

 口をゆすぐことも許されず、ヴィラードは呻き声を上げることしかできない。


 たまにロッツが部屋を確認して、我が事のように気の毒そうな顔をしているのはわかっている。「お前も休め」と言ってやりたいが、口を開けば呻き声が出てきた。


(タマキを救うためだ。こんなの大したことない……)


 ヴィラードは自分にそう言い聞かせてなんとか乗り切ろうとしている。うんうん唸っていると、扉が開いてセヴランとギムレストが入ってきた。


おさ、大丈夫ですか?」


 ヴィラードと似たり寄ったりの顔色をしたギムレストが、気遣わしげに近づいてくる。マグフィリーから受けた仕打ちの後だと、なおさら優しい労りがしみる気がする。


「顔色が……うっ」


 ギムレストが足を止めて鼻と口を覆った。


「この匂いは……マーセトシュトケランドリトを飲みましたね。なぜエーセルシェトカランドルトを飲まなかったのですか?」


 ギムレストは嫌そうな顔でベッドの頭側にある窓を開けた。空気が流れて、こもっていたポーションの匂いが少し薄まった。


 やたら長ったらしい単語は昨日と今日飲んだポーションの名前だ。音が似ているので、ヴィラードはどっちがどっちだかいまだに自信がない。


「うう……眠りたくないと言ったら……こっちに……おえ……」

「それは愚かな選択をしましたね」

「ギ、ギム……?」


 優しさがしみると思った直後に、スパッと「愚か」と断じられてしまった。


「これからエルー神殿に向かいますから、おさは一日、荷馬車で移動ですよ。その状態で揺らされるより、眠っていた方がよろしかったでしょうに」

「エルー神殿!? タマキが、そこに? ……うう、さ、白湯をくれ……」


 思わず頭を上げて、ぐらりと目が回り枕に沈没する。


「その調子では話も出来ませんね。少々お待ちを……」


 ギムレストはマディリエも触っていた棚を開けて、置いてある薬の中から乾燥した薬草を取り出した。一つまみを手の平に乗せ、もう一方の手で覆いぶつぶつと呟く。

 ギムレストが手を開くと、干からびていたはずの葉が青々とした葉に戻っていた。その瑞々みずみずしい数枚の葉をヴィラードに差し出す。


「これを噛んでください。白湯で薄めるよりも気分が良くなります」


 ヴィラードはナメクジのように緩慢な動作で葉っぱを一枚含んだ。数回噛むと、水辺のほとりで新緑の森を吹き抜ける春風を浴びているような清涼感に包まれる。

 ヴィラードは深々と息を吸った。


「ああ……やっと生き返った……」

「タマキさんのためとはいえ、無茶をなさいましたね」


 仕方なさそうに笑いながら、ギムレストとセヴランがベッド脇の椅子に腰かける。


「セヴランとマディリエから状況は聞きました。僕の推測ではタルギーレは神殿に戻ると思います」


 ヴィラードは口をもぐもぐ動かしながら、視線だけで続きを促した。


「帝国の幽鬼は神殿の呪いです。その呪いがタマキさんだけでなく、タルギーレにも降りかかった。その直後に彼らが動きを変えたと仮定すると、彼らは呪いに対処するための行動に移ったと考えるのが自然です」


 ヴィラードはうなずいて同意を示した。頭を動かしても、目が回るような気持ち悪さが襲ってこないことに感動した。


「おそらく、発生源の神殿で対応する必要があるのだと思います。もし彼らが解呪のために神殿へ向かったとすれば、彼らを捕えて呪いを解く方法が聞きだせるかもしれません。そうすれば、タマキさんに掛けられた呪いの解呪だけでなく、今まで不可侵だった神殿の解体にも繋がる可能性があります」

「神殿の解体……それが可能なら願ったりだな」


 セヴランが腕を組みながら言った。六大魔時代以降、呪いを恐れて手出しできなかった神殿を避けて町が作られていった。人里離れた森や荒れ地に点在する神殿は、セヴランのような森に生きる狩人の行動範囲と重なっている。

 ヴィラードはゆっくり身を起こした。


「奴らがタマキを連れて行った理由は?」

「呪いの解除にタマキさんが必要なのか、あるいは……」


 ギムレストの歯切れが悪くなる。


「あるいは?」

「……あるいは、彼らが行っていた儀式の目的に帝国の幽鬼が関係していた場合です。タマキさんを召喚した彼らは儀式に失敗したと思い、一度は彼女を捨てましたが、今回帝国の幽鬼が現れたことで、失敗ではなかったと思い直したとしたら?

 タマキさんを利用して、儀式の続きをするつもりかもしれません……」

「……それはどんな儀式だ?」


 ヴィラードの質問にギムレストは首を振った。


「わかりません。彼らの水晶を僕が持ち帰ったので、時間は稼げるとは思うのですが……。しかし、タマキさんにかけられているのは生贄の呪いです。まず命は助からないでしょう」


 室内に沈黙が広がった。


「……ギムレスト」


 厳しい顔のヴィラードから、押し殺したような声が出る。


「はい」

「教えて欲しいんだが、仮に今の状況でタマキが元の世界に戻れたとして、生贄の呪いは解けるだろうか?」

「……可能性は限りなく低いと言っていいでしょう。呪いはすでにタマキさんの一部になっています。元の世界に帰れたとしても、呪いは彼女について行く公算の方が高い。この質問はなんですか?」

「くそっ!」


 ヴィラードは指が白くなるほど手を強く握りしめた。環に聞かれた質問を、あの時点でギムレストに確認していれば環の失踪を防げたかもしれない。


(そのチャンスを、俺はみすみす見逃した!)


 ギムレストが訝しげな表情になった。


「もしや、タマキさんがそう言っていたのですか?」


 ヴィラードは大きく息をついた。


「そうだ。昼間に話したときに聞かれた」


 ギムレストが自分の顎をつまむ。


「……なるほど、元の世界に戻れば呪いは解けると言って誘惑したのかもしれませんね……」

「すまない、俺の責任だ。すぐにお前に確かめれば未然に防げた。タマキが疲れているお前に聞くのは可哀想だと言って……俺もそう思ってしまったんだ」

「タマキさんは気を遣う方ですからね……。申し訳ありません、僕の責任です」


 ギムレストが目を閉じて謝罪した。


「いいや、お前のせいじゃない」


 否定するヴィラードに、ギムレストは小さく首を振った。


「もっと注意深く意思の疎通をはかっておくべきでした。見た目といい、話したときの感性といい、髪と目の色合い以外は僕たちと極めて近いと思ってしまいました。

 彼女は異界に暮らす別の種族で、全く異なる常識で育っているのです。同じ情報を与えられて、似たような思考過程をたとしても、判断の基となる知識が異なっているのだから同じ結論になるとは限らない。

 僕らはタルギーレが甘言をろうして近づいてきたら、決して心を許さず警戒をします。これは僕らにとって当たり前のことです。しかしタマキさんにはそれがない。

 タルギーレに対する警戒心が低いことを失念していました。何かあれば相談してくれるだろうと、彼女に甘えていたのです。

 よく知らない異種族に対して、こうだろうと決めつけて失敗した例は数知れず存在します。それを知っていたのに防げなかった。僕の責任です。申し訳ありません」


 言い終えたギムレストが悄然しょうぜんと肩を落とす。


「いや、俺の方こそ、あれもこれもとお前に任せきりですまなかった。俺の責任だ」

「おい、反省会はその辺にしておけ」


 謝罪合戦が始まった二人を、セヴランが制止した。


「過ぎたことをいつまでも悔やんでいる時間はないだろう。どうやって挽回するか、その手段を考えるべきだ」


 もっともな言葉に、二人は顔を見合わせた。


「そうだな」

「そうですね」


 ヴィラードはギルド長の顔になった。


「エルー神殿に向かい、タルギーレの企みを防いでタマキを助け出す。準備はどこまで進んでいる?」

「今現在、マグフィリーが指揮をして、アルスターツとオックスが馬と荷馬車の準備を開始しています。一日駆け抜けることになりますから、帝国の幽鬼に対峙する剣士とマディリエは出発までの仮眠中です。

 ガスティンがしらせてくれた白の騎士の正体は、残念ながら不明のままです。念のため全員が魔物に対応できるよう、武器に塗布する魔法薬を持ってきました。

 次に現れたときに倒せる可能性が一番高いのはおさですから、安静にして回復に努めてください」

「よし、任せておけ」


 元気に答えて、ヴィラードはもう一枚の葉を噛み始める。ギムレストが複雑な顔になった。


「そのシュトランティエリトの葉は興奮作用がありますから、寝れなくなりますよ。マーセトシュトケランドリトの原料の一つですから」

「う……」

「ですからエーセルシェトカランドルトを飲んだ方がよろしかったのですよ。眠っているおさを荷馬車で運び、二ビルとの分岐点の辺りで起こして、ご説明しようと思っていたのです」

「…………」


 なんとも言えない顔になったヴィラードをセヴランが笑った。


「くっくっく。お前らしい。眠れないついでにもう一つ面白い話をしてやろう」

「……なんだ?」


 セヴランが身を乗り出す。


「この一件、やはりリグロダルが絡んでいる」

「本当か?」

「ああ。タマキという女の部屋を確認した。侵入口はマディリエの言う通り窓だ。だが、侵入経路は地上からではない。屋根からロープを伝って降りた形跡を見つけた」


 ヴィラードはオレンジ色の目を丸くする。


「屋根だと?」

「ああ」

「まさか登って確かめたのか?」

「ああ」

「あの屋根にっ!?」

「しつこい」


 灰色の目がヴィラードを睨みつける。

 しかしヴィラードが驚くのも無理はない。屋根の角度は急で、軒先からぶら下がったとしても窓までの距離はそこそこある。手を伸ばせば届くというものでもないし、そもそも一体全体どうやって誰にも見つからずに屋根に登れたのか。


「リグロダルが使う、子供の指より細いロープのこすれた跡が屋根にあった。煙突に巻き付けた跡と、屋根の縁で固定するための道具の跡もな。まだ新しい跡で昨夜につけられたものだろう。

 問題は、屋根に登った形跡と降りた形跡が見つけられなかったことだ。突然現れて、突然消えたようにしか見えん」

「なんだそれは……」


 リグロダルは隠密行動を得意とし、暗殺も請け負うと言われている。だからといって、こうまで易々やすやすと敷地内に侵入されるとは思いもよらなかった。

 タルギーレとリグロダルにコケにされて、黙って引き下がることなどできやしない。

 ヴィラードの表情が引き締まって、鮮やかなオレンジの瞳が爛々らんらんと光る。


「なめた真似をしてくれる……。必ず奴らを捕まえるぞ」

「むろんだ」


 セヴランとうなずきあって、ヴィラードは残りの葉をむしゃむしゃと噛みしめた。爽快感というには強すぎる、脳天から突き抜けていくような刺激が全身を勢いよく駆け巡る。

 燃えるような闘志に満ちたヴィラードは、安静とは対極の状態にあった。鼻息を荒くするヴィラードを見たギムレストが、額に手を当てて処置なしと頭を振った。

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