第20話 長い夜

 環の寝室の続き部屋で、窓から裏庭を見下ろしていたマディリエは、眼下で繰り広げられている信じられないような光景に眉を寄せていた。


 遅れて現れた白い鎧の刺客に、あのヴィラードが翻弄ほんろうされている。

 ヴィラードの動きはいつものようにキレがある。マディリエだったら最初の一撃を避けきれずに致命傷を負っていただろう。

 マディリエだけではない。今裏庭にいる剣に覚えのある仲間たちも、仮に初撃をかわせたとしても、ヴィラードほどに打ち合いを続けることは難しい。


 ヴィラードは冗談抜きで強い。マディリエが幼かった頃に、わずかな人数で故郷の危機を救ってくれたヴィラードの活躍は、今でも鮮明に憶えている。

 そのヴィラードが放つ、見たこともない速さの連撃を、白い刺客はまるで剣舞のようにひらひらとかわし、受け止め、受け流している。

 マディリエの胸の中に、じわじわと焦燥が広がり始めた。


 お互い弾きあって離れたあと、ヴィラードの前にいたはずの白い刺客が、右後方に抜けていた。自分の動体視力には自信があるが、何が起きたのか理解するまでに時間がかかった。

 体を開いたような体勢になっているヴィラードが、脇腹を押さえて膝をつく。

 マディリエが思わず窓枠を掴むと同時に、隣室から環の悲鳴が上がった。


『ヴィラードさんっ!!』


 マディリエは我に返って駆け出した。


『白の騎士っ! やめなさいっ! その人たちに手を出さないでっ! 狙いは私でしょっ!!』


「あの馬鹿!」


 マディリエが舌打ちして乱暴に扉を開けると、あれだけ開けるなと言い含めた窓を全開にして、環が身を乗り出して叫んでいた。


 マディリエは環の襟首を掴んで床に引き倒す。したたかに打ち付けられた環が呻き声を上げた。

 素早く窓を閉めて鍵をかけたときに、一瞬、白い刺客と目が合った気がした。


(気づかれた)


 ここまで跳躍することも出来るのではないとか思える得体の知れない相手だ。白い刺客がここに来たら、マディリエ一人で環を守らなければならない。


(どうやって守る? 自分じゃ大して時間も稼げない。タマキをどこに避難させる?)


 頭が目まぐるしく回って冷や汗がこめかみを伝う。しかし次の瞬間、ヴィラードが捨て身の突撃をして白い刺客を貫いた。


『ヴィラードさん!』

「動くなっ!」


 マディリエは窓に飛びついた環の襟を引っ張って動きを封じ、片手で窓の鍵を押さえる。

 魔剣を持った三人がヴィラードを守るように割り込み、マグフィリーがヴィラードにポーションをかけているのが見えた。白い刺客は再び窓を見上げて、腹にヴィラードの剣を突き刺したままゆがみに消えて行った。


(どうやら命拾いしたわね……)


 マディリエは詰めていた息を吐き出して肩の力を抜いた。


『ヴィラードさんっ!』


 窓に張りついていた環が、担架で運ばれるヴィラードを見て扉に駆けだそうとする。


「待ちなさい」


 マディリエは掴んでいた環の襟を引き戻して、荒々しく窓に押し付けた。ガチャガチャと窓が鳴る。


『……うっ』


 呻く環の胸倉を締め上げる。


「あんた、自分が何をしたか、わかっていないでしょう?」


 マディリエは低いドスの効いた声で囁いた。


『マ、ディ……』

 

 逃れようともがく環を、もう一度窓に押し付ける。


「あんたはね、あたしたちが積み上げた努力を台無しにしてくれたのよ。ギムレストが必死の思いで部屋にかけた結界を、あんたが窓を開けて破ったの。ここにいることが奴らに知られたわね、どうなると思う?

 裏庭が奴らの唯一の出入り口だったのに、明日からは庭に現れずに、ここに直接現れるかもしれないのよ。……あれほど刺客がいるときに窓を開けるなと言ったのに、おさが刺されたぐらいで動揺してるんじゃないわよ。

 あたしたちが命をかけてあんたを守る以上、あんたの役目は大人しく守られていることなのよっ!」


 翻訳ネックレスのない環に言葉が通じていないのは知っていても、言わずにはいられなかった。

 それほどマディリエは腹を立てていた。言いつけを守らなかった環にも、ヴィラードが重傷を負ったにもかかわらず、白い刺客が去ったことで胸をなで下ろしている自分にも。


『く、苦し……』


 環の息が絶え絶えになっていることに気づいて、マディリエは手を離した。崩れ落ちた環が激しくせき込む。マディリエは冷酷に環を見下ろした。


「大人しくしていなさいよ。そうでなかったら、帝国の幽鬼があんたを殺す前に、あたしが殺してやるわ」


 冷え冷えとした声で忠告して身をひるがえし、部屋を出ようとしたマディリエの手を環が掴んだ。


『ヴィ、ヴィラードさん、ヴィラードさんに会わせて、お願い』

「離しなさい」


 環はせき込む合間に、ヴィラードの名を繰り返している。マディリエは振り払おうとしたが、環は必死の形相でしがみついて離れない。


「ちょっとっ!」

『お願い会わせて! 邪魔はしないから! 顔を見れたら戻るから!』


 しばらく頑固な目と睨みあい、マディリエは根負けした。この様子では足蹴あしげにしても手を離しそうにない。


「わかったわよ」


 ため息まじりの声に、環の表情が変わる。


「先に様子を見てくるわ。ここで待ってなさい」

『……ヴィラードさん?』

「そうよ」


 マディリエがうなずくと、環がほっとした顔になった。


『ありがとう、マディリエさん』

「タマキ、待て、動くな、よ?」


 指を突きつけると、環は何度もうなずく。


「はい、わたし、りかい」 


 この言葉だけはしっかり覚えているようだ。マディリエは環を引き起こしてベッドに座らせた。


「ここで、待て、だからね?」

「はい」


 環はうなずいた。理解している顔だと判断してマディリエは部屋を後にした。

 廊下に出て足早に階下に向かう。マディリエだってヴィラードの容体が心配でたまらなかった。


 二階の廊下にはギルド員が詰めかけていた。


「ちょっと、通してもらうわよ」


 人波をかき分けてヴィラードの自室にたどり着く。扉の前で、ひと際そわそわしているオックスを押しのけて扉を叩いた。


「マディリエです」


 少しして扉が開き、青い髪のロッツがマディリエを見て、そのまま迎え入れられる。どさくさに紛れて着いて来ようするオックスに蹴りを入れて、マディリエは扉を閉めた。

 ベッドには意識を失ったヴィラードが寝かせられていて、マグフィリーとザイナブが、血に染まった服を切って脱がせているところだった。


 状況を把握したマディリエは腕をまくって棚をあさり、テーブルに手当の準備を始めた。底の浅い皿に当て布を重ね置き、ポーションを流し込んで布にしみ込ませた。続けて油紙と包帯を準備する。その間にロッツが桶に張った水に布を数枚浸していた。


「さてとぉ、手伝ってくださいねぇ。まずは傷口まわりを拭きましょうかぁ」


 マグフィリーがねっとりとした喋り方で声をかけた。ロッツと二人で薬を準備したテーブルをベッドの脇まで運ぶ。


 裸にされたヴィラードの下半身は上掛けの中に隠れていて、傷口が上になるように横向きにされた肩と腰を、ザイナブが支えていた。ヴィラードの右腹は血とポーションで赤と緑に染まっている。


「あ、俺がやります」


 ロッツが水を絞った布で手際良く汚れた部分から中心に、汗をかいた上半身をぬぐい始める。マディリエは次の布を絞って待ち、拭き終わった布と交換していった。


 あらわになった傷口からの出血はポーションのおかげで止まっていたが、塞がるまでには至らずに、ぱっくりと割れていた。マグフィリーがきれいになった傷口に顔を近づけて観察する。


「うぅーんんぅ、……うん、うん、内臓の色は悪くないですねぇ、これなら元通りになるでしょう」


 その言葉に、マディリエたちは安堵の息を吐いた。


「いやぁ、間に合ってよかったですねぇ。しかし傷口の再生がイマイチです。傷口が塞がるまでに数日かかるかもしれませぇん」


 その言葉を聞いたザイナブとロッツの顔が曇った。明日以降は、ヴィラードなしであの刺客に立ち向かわなければならないわけだ。


 マグフィリーがマディリエを見る。


「マディリエ君、当て布をくださぁい」

「はい」


 ロッツと場所を入れ替わって、右腹の前から背中にかけて開いた傷口に巻き付けるように、ポーションをしみ込ませた布をあてがう。


「マディリエ」

「ありがと」


 ロッツが差し出した油紙で上から覆い、全体を軽く押さえるようにする。


「失礼しますよぉ」


 マディリエの横から身を乗り出したマグフィリーが、手際よく包帯を巻き始めた。


「こんなものですねぇ。ザイナブ君、ご苦労様でしたぁ。寝かせていいですよぉ」

「はいっす。……よっと」


 ザイナブにロッツも加わって慎重にヴィラードを仰向けに寝かせる。残る左腕の傷にも手当をほどこして、マグフィリーが首をコキッと鳴らした。


「手当はこれでおしまいでぇす。いやぁ、お疲れさまぁ」


 マディリエは後片づけをしながらマグフィリーに問いかける。


「このあとはどうします?」


 マグフィリーは反対側に首を倒して、またもやコキッと鳴らした。


「うぅん、そうですねぇ。ギムレスト君にはガスティン君を遣いに出してましてぇ、

あのちょっと変わった魔物の正体を調べてもらってますしぃ……。

 明日以降の対応をどうするか、検討しないといけないですけどぉ、みんな疲れてますからぁ、少し休憩を挟んで、そうですねぇ……一刻後くらいにでも向かいの部屋で始めましょうかねぇ」


 肩を揉みながらマグフィリーはそう言った。


「あたしも参加していいですか?」

「いいですよぉ。君はあのアホタレ娘の護衛ですからねぇ。しっかりと聞いて、自分を守る結界を自分で破るようなアホタレな真似を、二度としないようにさせてくださいねぇ」

「……すみませんでした」


 もっともな苦言にマディリエは謝罪した。


「まぁ、あのとき敵の意識を逸らせたおかげでおさは助かったようなものなのでぇ、今日のところは大目に見てあげますよぉ」

「はい……」

「まだ何かありますかぁ?」

「……タマキがおさのことを心配していて不安定になってるので、安心させるためにも少しここに連れてきていいですか?」


 マグフィリーは視線を上げて少し考えた。


「ふぅ~んん、んー、まぁ少しならいいですよぉ。魔物化されたら厄介ですからねぇ。彼女にはタルギーレを捕まえるまで元気でいてもらわないといけませんからぁ。

 大事な大事な、我が家の生活費が彼女にかかってますからねぇ……あぁ」


 魔物化と聞いたザイナブとロッツが、ぎょっとした顔になっていることに気づいたマグフィリーが、二人に向かってニタァと笑う。


「君たちぃ、今聞いたことは誰にも喋っては駄目ですよぉ?

 喋ったら最後、一番にがぁいポーションを何本も飲ませて、事件が片づくまで深く深ぁく眠り続けてもらいますからねぇ。もしかしたら二度と目覚めないかもしれませんけどぉ、僕は一切責任はもちませぇん」


 青褪めた二人が勢いをつけて何度もうなずいた。


「しゃ、喋ったりなんてしないっすよ!」

「そうですそうです。ザイナブの言う通り!」


 環の情報について詳細を知っているものは限られている。ほとんどの人員が、環はタルギーレの呪いを受けて狙われている被害者という説明だけで動いていた。


「そうですかぁ、素直でいいことですねぇ」


 とマグフィリーが満足そうに言う。


「ザイナブ君、ロッツ君、後は任せていいですかねぇ?」

「どうぞどうぞ!」

「もちろんです!」


 二人は揃ってうなずいた。早くマグフィリーに出て行って欲しそうだ。


「手伝う?」


 マディリエが聞くとロッツが首を振った。


「いや、これから下半身を拭いて服を着せるから、マディリエはいない方がいい。おさも嫌がるだろうし」

「ああ、それもそうね。じゃあよろしく」


 マディリエも必要があれば気にも留めないが、わざわざ好んでヴィラードの素っ裸など見たくない。


「それじゃあ僕はぁ、一度自宅に戻りますぅ」

「わかりました。一刻後の会議は伝えておきます」

「よろしくお願いしますねぇ」


 マグフィリーと一緒に部屋を出ると、廊下で待っていたギルド員たちが、マグフィリーを見て静かになった。マグフィリーはニタァと笑う。


「君たちぃ、おさは大丈夫ですよぉ。なぁにも心配いりませぇん。それでも心配で眠れない者は言ってくださいねぇ?

 よぉぉく眠れる特製のポーションがあるんですよぉ。試してみたいというなら……おやぁ?」


 押し掛けていたギルド員が、途中で我先にと逃げて行った。マグフィリーがうんうんとうなずく。


「これでおさも静かに休めますねぇ」


 そう言って、泊りがけの仕事になることを伝えるためにマグフィリーは自宅に帰って行った。

 マディリエは裏庭に寄って警戒に残っているカイラムたちにヴィラードの容体と会議の事を伝えてから三階の環の部屋へと戻る。


 扉を開けると、ローブを着込んで準備を整えた環が、落ち着きなく部屋を行ったり来たりしていた。マディリエに気づいて小走りに駆け寄ってくる。


『マディリエさん』

「タマキ……」


 環は思いつめた硬い表情をしていた。


 環は結構、真面目な性格をしている。

 報酬を払っていないのに守られていることに、ずいぶん負い目を感じていると気づいていた。自分が原因で他人が危険な目に遭うことは、もっと嫌がっているのも気づいていた。しかし、傷ついたヴィラードを見て、あれほど取り乱すとは思っていなかった。


(あんなにおさを嫌がってたのに、責任感が強すぎるのかしらね)


 責任感が強いというか、他人を頼りたがらないというか、自己完結型というか、なんであれ思いつめる性質たちのようだから、ヴィラードの様子を見せて安心させた方が落ち着くだろう。ロッツたちがきれいに体を拭いたし、ポーションのおかげで顔色もいい。


(面会の許可が出てよかったわ)


 不安そうにしている環を見て、マディリエはそう思った。


おさの部屋に行くわよ」

『ヴィラードさん?』

「ええ。ついてらっしゃい」


 ヴィラードの名を呼ぶ環にうなずいて見せて扉を開く。環はそれを見て理解した顔になった。頭の回転は速いと思う。

 環を連れて二階に下りると、ヴィラードの部屋の前でロッツとオックスが何やら言い合いをしていた。


「どうしたの?」


 マディリエが聞くと、扉を守ってたロッツが困った顔をする。オックスがぶっきらぼうに唇を突き出した。


「ちょっと入れてくれって言ってただけだ」

「だから、マグフィリーの許可なく通せないんだよ」

「なんで入りたいのよ。さっき大丈夫だって言われたでしょ?」

「顔見るくらいいいじゃないかよ」

「……あんたまさか、おさの怪我を賭けのネタにしてるんじゃないでしょうね?」

「ちっげぇよっ! 心配なだけ……ぶっ!!」


 噛みつくような勢いでがなり立てられ、マディリエは遠慮なくオックスを殴った。細身のオックスが壁にぶつかってよろめく。

 ロッツは自分が殴られたような顔をして頬を押さえていた。


「うるさいわよ、おさが起きたらどうするの。許可がないんだから引っ込んでなさい」

「おま……お前なぁ……いてて」


 オックスが両手で右頬を押さえて痛がる。


「ロッツ、あたしはさっき許可もらってるの聞いてたでしょ? 通してもらうわよ」

「あ、ああ……」


 オックスとマディリエを交互に見たロッツが場所を譲る。扉を開いてひょいと覗くとヴィラードは寝ていた。


「タマキ」


 あっけに取られてオックスを見ていた環を促して中に入れる。


「ほらね、大丈夫だから安心なさいよ」

『ヴィラードさん……』


 環が両手を胸の前で握り締めた。


「おい、マディリエ、俺も入れろよ」


 こりずに背後に迫ったオックスの声が大きい。ヴィラードを起こしたくなくて、マディリエは環を室内に残したまま扉を閉じる。


「うるさいわね、黙れって言ってるでしょうが」

「おい、オックス。マディリエの言う通りだ。声が大きい」


 多勢に無勢になったオックスが憤然ふんぜんと口を開く。


「なんであの女は良くて、俺は駄目なんだよ!」

「オックス」


 マディリエの声が低くなる。


「元はと言えば、あの女のせいでおさがあんな目にあってるんじゃねえか。正式に依頼してきた訳じゃないんだろ?

 金も払わず、おさの人の良さに付け込んで利用するなんて最低じゃねえか。さっさと放り出しちまえばいいんだ、あんな女っ!」

「オックス!」


 マディリエが渾身の拳をオックスの顔面に叩き込もうとしたとき、ロッツが割って入ってオックスの口を静かに押さえた。


「言いすぎだ。オックス」

「もが……」

「事情なんてどうでもいい。おさが引き受けると決めたんだ。だったら俺たちは、その決定を達成するために全力を尽くして任務を遂行すればいい。

 おさが心配なのはわかる。怖かったんだろ? 俺もだよ。おさが死んじまうと思ったよな。

 だからって怖気づいて、おさが守ると決めたものを投げ出しちゃ駄目だ。おさはそんなこと望んじゃいない。お前だって本当はわかってるだろ?」

「…………」


 オックスは口を覆うロッツの手首を掴んで振り払った。決まり悪げにそっぽを向く。ロッツが穏やかに笑った。


おさにこれ以上怪我して欲しくなかっただけだってわかってるよ。お前、おさのこと好きだもんな」

「なっ、ばっ、馬鹿なこと言ってんじゃねえよ! す、好きとか、変な言い方すんなよっ!」


 オックスが真っ赤になって否定する。


「わかった、わかった。大好きの間違いだったな。悪い悪い」

「……だっ!? ロ、ロッツっ!! お、お前っ! なに……」

「うるさいって言ってるでしょ」

「ぶっ!!」


 マディリエが再び声の大きくなったオックスを殴った。

 オックスが今度は反対側の壁にぶつかってよろめき、ずるずると尻餅をつく。ロッツはまたもや自分が殴られたような顔をして、反対側の頬を押さえていた。


「だから、うるさいわよ、おさが起きたらどうするの」

「おま……お前なぁ……いてて」


 オックスが頬を押さえて痛がる。ロッツが苦笑いしてオックスを助け起こした。


「オックス。会えるようになったら教えてやる。今は少し頭を冷やしてこいよ。おさに頼まれた仕事があるんだろ?」

「…………ああ」


 オックスは精一杯のしかめっ面で立ち上がる。きまり悪いのを隠しているだけなのは、マディリエたちにはバレバレであった。


「タマキの夜間の護衛が嫌なら代わりを探すわよ」

「マディリエ……」


 追い討ちで意地の悪いことを言うマディリエをロッツがたしなめた。

 マディリエにしてみたら、環を託すことになるのだから当然の確認である。オックスは唇を突き出してマディリエを睨んだあと、


「……やるよ」


と、ぶっきらぼうに言って去って行った。


「はは、かわいい奴だよな」

「どこがよ」


 優しい年長者の顔でオックスを評するロッツに対し、マディリエはにべもない。ロッツはマディリエを見下ろした。


「ところでマディリエ」

「なに?」

「そろそろ終わりにして貰えないか」


 ロッツが視線を扉に向ける。


「ああ、そうだったわね。忘れるところだったわ」


 マディリエは扉を開いて中を覗いた。


「まったく、オックスのせいで……。タマキ、気が済んだでしょ? 戻るわよ」


 部屋の半ばで立っていた環が急いでフードを被り、うつむきながら無言で出てくる。安堵しているか泣いていると思ったのに、妙に落ち着き払っているのが気にかかって、マディリエは訝しみながら扉を閉じた。


「ロッツ、ありがとう」

「ああ」


 言葉を交わして、喋らない環を連れて部屋に戻る。

 行儀よく膝を揃えてベッドに腰を下ろした環をマディリエは見下ろした。


「……落ち着いたみたいね」

「…………」

「あたしはやる事があるから行くわよ。オックスたちが隣に来るから」


 そう言って歩き出そうとしたマディリエの手を、環が遠慮がちに引いた。引き留めたくせに環はうつむいたままだった。


「……どうしたの?」

「……ありがとう」


 環がたどたどしく発したお礼の言葉を、マディリエはヴィラードに会わせてやった事だと思った。


「いいのよ。ゆっくり休みなさい」


 環の手を軽く叩いて離し、マディリエは扉へ歩き出す。部屋を出ながら振り返ったとき、環は顔を上げてマディリエを見ていた。

 目深に被ったフードで顔のほとんどは隠されていたが、唇が微笑んでいるのが見えた。それが妙に印象的で、心に引っ掛かりを覚えながらマディリエは扉を閉めた。


 前日と同じくオックスとアルスターツに護衛を代わり、慌ただしく会議の準備を整えて、戻ってきたマグフィリーたちの検討内容を聞いている時も、ずっと別れ際の環の様子が気になっていた。


 きりのいいところで中座して部屋を覗いたときには、環はベッドで眠っていて、見ている前で寝返りを打ち、上掛けの中にもぐり込んだのを確認したので、取り越し苦労だったと安心して会議に戻り、真夜中過ぎから少しの間仮眠を取った。


 そして日の昇る前に再び様子を見に行って、薄明りの差し込む部屋の中に違和感を覚えた。マディリエは目を細める。


 寝返りを打ったままの体勢の上掛けのふくらみも、ベッドの足元に揃えて置かれた環の靴も、壁にかけられた深緑のローブも、最後に見たときと変わりはない。


(あっ!)


 違和感の正体に気づいたマディリエは、扉を大きく開けて部屋に踏み込んだ。窓の近くの椅子に置かれた環の鞄がなくなっている。


「チッ!」


 足早にベッドに近付き、上掛けをめくったマディリエは舌打ちをした。


「オックス! アルスターツ!」


 厳しい声を聞いた二人が飛んでくる。


「な、なんだ?」

「どうした」

「タマキを最後に見たのはいつ?」


 マディリエは鋭く問いただす。オックスが怪訝な顔をした。


「いつって、四つ前くらいだよ……」

「そのときに顔は見たの?」

「上掛け被ってたから顔は見てねえけどよ」

「夜の間、体勢はずっと同じだった?」

「……どういうことだよ?」


 マディリエは手に持っていた上掛けを、乱暴に足元までめくって放った。


「……げえっ!」

「やっべぇ……」


 オックスとアルスターツが呻き声を上げる。


 ベッドには人型に見えるよう丸められたマットレスと、きちんと畳まれた部屋着と化していた寝巻き。それから枕のすぐ下に、いくつかの荷物が置いてあった。


 マディリエは荷物を確認する。

 カイラムが気に入っていたお菓子の箱と、マディリエとヴィラードが興味を示したサバイバルキットの缶とマルチナイフ、ギムレストが執着していたペンポーチ、それから破られた手帳のページが二枚、その紙の上に環が身に着けていた美しいネックレスが残されていた。


 マディリエと環の文字が書き込まれた紙を取り上げる。それは「ありがとう」と「ごめんなさい」が書かれたページだった。ご丁寧にそれぞれの単語を円で囲んでいる。


「やってくれたわね……」


 ヴィラードの部屋から出たときに覚えた違和感はこれだ。

 あの時、妙に落ち着いていたのは眠るヴィラードのを見て安心したからではなかった。部屋に戻ったときに言った「ありがとう」は別れの挨拶だったに違いない。

 そしてマディリエが部屋を出る直前に見えた、あの口元……。あれは全てを受け入れる覚悟を決めた微笑みだ。

 はらくくったのだ、環は。

 白い刺客の剣を自分に向けるため、マディリエたちに影響が及ばないように去った。おそらく、そういうことで間違いないだろう。


「タマキ……あの馬鹿女!」


 マディリエは手の中の紙を握り潰す。

 よりにもよって警護対象の環に、ろくに動けなくなりつつあった環に、一番の弱者に、強者つわもの揃いの呼び声高いレンフィックの冒険者ギルドが庇われ、出し抜かれた。


 マディリエは足音高く窓に近付く。窓は閉じられているが鍵はかかっていなかった。


「あんたたち……」


 背中から怒りの青い炎を立ち昇らせているマディリエの低い声に、大失態をやらかした二人は真っ青になった。


「な、な、な、なんだよ……」

「タマキは部屋から出なかったのね?」

「も、も、もちろんだ。一晩中起きてたんだぜ……」

「……物音は? すこしも異変はなかったの?」

「音? 音なんて……」

「……もしかしたら……」


 アルスターツが声を上げる。


「なに?」

「どこかで扉か窓が閉まるような小さな音がした気がしてさ」

「……あ」


 オックスが思い当たることがありそうな顔になった。


「……それで?」


 マディリエがアルスターツを促す。


「また窓開けてたらやばいなって思って、念のため部屋を見てみたんだけど、特に変わりなかったから別の部屋かなって思ったんだ」

「……それはいつ頃?」

「……真夜中辺りだったかな……」

「そのとき、窓の鍵はかかっていた?」

「…………」

「確認しなかったのね」

「……えーと、その、暗かったし……寝てる女の部屋に入るのもさ……」


 アルスターツは歯切れ悪く言った。マディリエは窓を開いてさんをそっと撫でる。わずかにざらざらとした土の感触があった。


「……ここから出て行ったみたいね」

「ええっ!?」


 オックスが驚く。


「いくらなんでも、そりゃ無理だろ。ロープ無しに降りれる高さじゃねえよ。降りれたとしても庭にいるザイナブたちに気づかれる。窓も閉まってるし、服も靴もそこに残ってるんだぜ?」

「……タマキはもう一足靴を持ってるのよ。服も一式ね」

「まじかよ……」


 あのかかとの高い靴と、環の世界の衣服はずっと鞄にしまわれていた。ヴィラードの馴れ馴れしさに辟易へきえきとしていた環は、マディリエの忠告を守ってその靴を出さなかったので、オックスたちは残された黒い靴の存在しか知らない。

 外部からの襲撃に備えていたというのに、警護対象が自ら在室を偽装して姿を消すとは想像もしていなかったはずで、マディリエも、まさかあの弱った体で三階から逃げ出すとは思わなかった。


(タマキ一人でできることじゃないわ。誰か、手引きした奴がいる)


「……マグフィリーに報告してくるわ。誰も入れないように。それから部屋の物には一切、触るんじゃないわよ!」


 マディリエはきびすを返した。「げえっ」と呻き声を上げるオックスたちを残して走る。二階に下りると、一階から音もなく駆けあがってきたセヴランと鉢合わせした。相変わらず深緑色のマントが土埃で汚れている。


「セヴラン」

「マディリエか。ヴィラードは部屋か?」


 マディリエの顔が曇る。


「どうした?」

「……実は戦闘で大怪我を負って、今はポーションで眠ってるのよ」

「なんだと? あいつがか?」


 表情に乏しい灰色の目が少し大きくなる。


「ええ。タマキの呪いで出てきた奴にとんでもないのがいたの」

「……もしかして帝国の幽鬼ではないか?」

「知ってたの?」

「やはり……」

「一体、何が起きてるの?」

「タルギーレだ。追いかけたタルギーレの一味の元へも、帝国の幽鬼が現れた」

「……奴らにも?」

「どうやら状況が変化したようでな。急ぎ報告に戻ったのだが……」

「今はマグフィリーがまとめてるわ。会議室にまだいるかも」

「承知した」


 廊下を歩き始めた二人に、ヴィラードの部屋からロッツの声が聞こえてきた。


おさっ! まだ起きては駄目です。傷口が開いてしまいますよ!」


 二人は顔を見合わせ、走って扉が開きっぱなしになっているヴィラードの部屋に飛び込んだ。起き上がろうとしているヴィラードを、ロッツが必死に押さえ込もうとしている。マディリエに気づいたヴィラードが掠れた声で叫んだ。


「マディリエ! タマキは!? 部屋にいるか!?」

「!! ……いいえ、タマキが姿を消しました」


 マディリエは硬い顔で首を振って、眉根を強く寄せる。

 ポーションの影響下にあったヴィラードが環の異変に気づいてたというのに、どうして一番近くにいた自分が気づけなかったのか。悔やんでも悔やみきれない。


「……遅かったか……」


 持ち上げていた頭を枕に沈ませて目元を覆うヴィラードを見ながら、マディリエは心の中で自分をののしっていた。

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