第15話 お礼
ああ、やっちまった。それしか言いようがない。
今までバイザー越しにしか見てこなかったライラの顔がはっきりと分かる。ふわふわとした癖のある茶髪、小さく丸っこい顔つき、大きくてはっきりとした目、スッとした鼻の造りに、ぷっくりとした唇。
そのつぶらな瞳は、バッチリと俺の目を捉えて離さない。
自分に言い訳をすると、この二日間、兜を被りっぱなしでそろそろ脱ぎたくてしょうがなかったのだ。だが顔を見られて、万が一にでも正体がバレたら、こんな黒騎士の格好をした意味がなくなってしまう。だからライラとデヴォンにやって来た道中も兜を脱ぐのを我慢していた。
それを室内に入ったことで油断して、うっかり兜を脱いでしまった。
最近、兜をとれるのは宿の自室にいるときだけだったので、ついつい客館に入った瞬間に気を抜いて、兜を脱いでしまったのだ。
ここから、兜を被りなおす、というのもいささか不自然だし、何よりもう手遅れだ。諦めて、俺は兜の下に来ていた頭巾も外すことにした。そっちの方が自然な流れだからだ。
頭巾と兜をテーブルの上に置いて湿気と熱が籠った髪を手櫛でバサバサとかき乱す。それだけでちょっとは頭が冷えて、さっぱりした。
「黒騎士様って、想像よりもずっとお若い方だったんですねぇ」
「幾つくらいだと思っていたんだ?」
もうこうなったら開き直りだ。普通に会話をして、兜を取って顔を晒したことを気にしないようにしよう。
「え!? そうですねぇ……、実力があって、名誉を求めて旅をされているって話でしたから若い、そう二十代前半くらいの御方だと思ってました」
「なるほど」
俺の実力と黒騎士の設定を合わせると、周囲の知らない人間からはそういう風に見えているのか。
「それにしても、綺麗な赤い髪ですね」
「ああ、これか」
俺は右手で自分の前髪を引っ張って視界に収めた。
「髪色は母から継いだものだ。そしてこの逆立つように堅く太い髪質は父から。俺の自慢だよ」
ちなみに兄は父の髪色である金と母の髪質である細く癖のある髪をしている。姉二人は父と母の髪色と髪質をちょうど上手く配合した、琥珀のような色合いに軽い癖っ毛になっている。
この髪を見るたびに、俺は家族の一員なんだと思うことが出来る。
「なんだか、とっても素敵ですね」
ライラが朗らかに笑ってくれるのを見て、少しだけ心が温かくなる。
「しかし、二日も頭巾と兜を被っていると匂うし、ガシガシするしで嫌になるな」
俺が目を細めるとライラがハッとしたように。
「ああ、それでしたらこの玄関ホールの右奥が浴室になってます。お湯に関しては魔道具があるんで、そこでしたら軽い湯あみは出来ると聞いてます」
「そうか、それはありがたい」
普通、家や宿には浴室なんて上等なものはない。一般的には公衆浴場で汗を流すのが当たり前だ。つまり、この客館は相当に力を入れて造られたものなんだとうかがい知ることが出来る。
「フムスやエルフの人たちは、ぼく達が使う浴場には入れませんから」
違った。必要に迫られて取り付けられたものだったらしい。
「ひとまずは湯あみをして、ここでくつろいでいてください」
ライラが扉のノブに手をかけて振り向いた。
「とりあえず、ぼくも旅の汚れを落としたり、ゴアヴェラ商会からの申し出について
ぺこりと頭を下げてからライラは館を出て行った。
「とりあえず、頭洗うか」
それを見送ってから、俺は浴室へと歩き出していった。
♦♦♦
「ああ~生き返る~」
ベッドに倒れ込んだ瞬間から自分の身体からすべての力が抜け出ていくようなそんな錯覚が俺を襲う。このまますぐにでも夢の世界に旅立てそうだ。
「ああいやいや、いかんいかん」
が、そう言うわけにもいかない。今頃、俺と同じくらい疲れているはずのライラは一仕事をしているはずだ。
それなのに俺が、ここで寝コケている場合じゃないだろう。
と言ってもここで出来ることは少ない。さてどうするべきだろうか……
考えていたところで、コンコンと硬い音が玄関ドアの方から鳴ってきた。ライラが戻ってきたのだろうか。とりあえず俺は「ちょっと待っててくれ」と声をかけてから大急ぎで鎧を着こんだ。
「すまない、待たせてしまった」
扉を開けて頭を下げたところに、ライラとロバートさん、それにあと数人のアルスクの人がやって来ていた。
「いえ、こちらこそ急に押しかけてしまい申し訳ない。少しお話をしたいことがあるのですが、こちらの応接室でお話させていただいても構いませんかな?」
ロバートさんに聞かれるまま、俺は頷いた。
「ありがとうございます。それでは支度を」
ロバートさんの指示を受けて、付いて来ていたアルスクの人たちは小走りで応接室があるらしい、玄関から見て左手前の部屋へと駆けて行った。どうやら話し合いに先駆けて何かの準備をするみたいだ。
ちょっとだけ待ってから、俺はロバートさんとライラ、そして二人の男のアルスクと共に応接室へと入った。
そこはちょっと不思議な空間だった。
高さの違うソファが向かい合うように並べられ、その合間にあるテーブルに置かれた茶器類も大きさが違う。調度品も上座と下座で大きさに差があって、明らかに不平等。一見してちぐはぐなはずなのにそれでも調和していて、
大きさの違う二つの種族を尊重しあい支えあうような空間がここにはあった。相手に合わせるでなく、こちらを押し付けるでなく、実に見事な塩梅だ。
「これはすごい……」
風呂に入ってすぐに寝室で寝っ転がったのは失敗だったかもしれない。この客館を探検しないという手はなかっただろうに。見落としていたとは実にもったいないことをしてしまった。
「ほほ、そう言って頂けるとこちらも嬉しいものです」
ロバートさん達が下座の方へ歩いていったことから、こちらは頭を一つ下げてから上座へと向かう。どちらもが席に近づけば、俺から促してロバートさん達に席についてもらって、俺もソファに腰かけた。
「まずは、こうして遠路はるばる我らが庄に来ていただきありがとうございます」
「いえ、こちらも目的あってのことなので」
「そうそれについてなのですが……黒騎士様が敵として定めた魔物、名をフォルタビウスという鷲の魔物にございます」
「鷲、か」
元いた世界だと鳥の王様とか言われていたはずだ。
「ええ、すでに話には聞いておるかとは思いますがこの魔物、西にあるラハール山に既に巣を作り終えておるかと」
「なら、巣に突撃すればいいのか」
飛び回るフォルタビウスを探すよりも、山の中で巣を探す方が手間が無くていいし、何より動かないから探しやすい。これはツイている。
「ア、アンタ、正気か?」
俺の発言に本気で困惑しているのは黒くてふわふわした髪をしたアルスクの男だ。年のころは俺よりもちょっと上くらいに見える。
「ちょっとお父さん! 黒騎士様になんてこと言うの!」
その男に対してライラが憤ったように声を……? ライラの、お父さん?
「いや、だってよォ…… 普通、鳥の巣があるところに突っ込もうなんてこと考えないだろう? カラスだって巣を壊そうとされたらめちゃくちゃ凶暴なんだぞ?」
聞いたことがある。確か鳥は巣に卵があるとき、巣に近づく者に対して威嚇や攻撃を仕掛けてくることがあるらしい。
と、なるとだ。
「巣に卵があれば、もっと楽になるなあ」
ある程度傷つけたら飛んで逃げられるなんてこともないだろうし、これは一気にカタをつけられそうだ。それに。
「そういや、大きな魔物の卵って軍や騎士団に高値で売れることがあるんだっけか?」
魔物を卵から孵して育て上げることが出来れば、騎獣や騎鳥として乗りこなすことも出来るらしい。ウチの実家ではそんなことをしている余裕はなかったが、確か辺境伯閣下の領軍には魔物を騎獣にした部隊があったはず。
「ほ、本気で言ってたのか……」
どうやらライラのお父さんは俺が言っていることが本気だと信じてくれたらしい。だけど、ほほが引きつっているように見えるのはどういうことだろう?
「こほん。その辺についてはおいおい考えてもらうとして……我らに手伝えることなどはありますでしょうか」
「え? そうだなぁ……倒した後に、魔物の死骸と卵があればそれを運ぶのを手伝って欲しいくらいかな?」
「それはつまり、フォルタビウスの討伐はお一人でなされる、ということですかな?」
「そのつもりだ」
ロバートさんが目をつむって深呼吸をしている。
「……わ、わかりました。それであれば我らは手出しをせずに黒騎士様がフォルタビウスを討伐されるのを待つこととします」
「ああ、それで頼む」
俺が頷くと、ライラのお父さんがはあ、と大きく息をついた。
「巣の位置はオイラが知っているから、案内は任せておくれよ」
「本当か!?」
「ああ、オイラは猟師だからな。あの山には何度も入って来たし、あの魔物が山に巣を作り始めたのを見つけたのもオイラだ」
「それは助かる!!」
そういうと、ライラの父は笑いながら。
「その代わり、巣まで案内したらオイラは真っ先に逃げるからな!」
「お父さん……」
からからと陽気に笑うライラの父を、ライラが冷たい目で見ていた。
「ああ、それと黒騎士様。もう一つお話があるのですが」
ロバートさんがそう切り出すと、もう一人のアルスクの男がこちらを見た。
「職工を取りまとめているテレンスだ」
テレンスと名乗った男は俺に頭を下げて。
「黒騎士様。ラメラーパイソンの素材をくれたことと言い、フォルタビウスの討伐の件と言い、俺たちはアンタに世話になった。いや、なりすぎている。だから、俺たちに何でもいい、礼をさせてほしい」
強く、押し込んでこられた。
「礼と言われてもなぁ」
が、俺からしたら自分の目的というか何というか自分の好きでここまでやって来たのだ。礼を言われるような筋合いはない。
かといってここまでされて断ることも出来そうにないのだ。何かこう、上手く断らことができないのは前世が日本人だったからだろうか。
「あ、なら黒騎士様! 一つ提案があるんですけど!!」
そう言って、ライラが手を挙げた。
「オディゴの馬鎧なんてどうですか?」
「いいな! それ!!」
真っ先に反応したのはライラの父だ。
「ラメラーパイソンの革、亀の甲羅、それにフォルタビウスの羽が合わされば軽くて動きやすい。上質な鎧が出来そうだな」
満足げに、テレンスさんも頷いている。
「ではそれで構いませんかな」
そのうえで、ロバートさんに念押しをされてしまうと。
「じゃ、じゃあ、それで」
俺にはこう返すことしか出来なくなってしまうのだ。
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