第15話 恩がある 2

 このころの私は、母が私を心配してくれるのが単純に嬉しかったし、病院に行っている間だけは母を私だけのものにすることができたから、そりゃあもう、それだけで跳ねて歩くほど幸せだったんだよね。


 家の中で抱き着くと「暑苦しい」とか色々と理由をつけてすぐに私から遠ざかってしまう母だけど、病院にいる時だけは待合の椅子の上でひたすら甘えさせてくれた。


 「私にはきょうだけ。本当は、何よりも一番、京が大事なんだよ。」

 なんて・・・思わずうっとりしちゃう言葉をかけられて、母に思い切り抱きしめられるのが、どうしようもないくらい嬉しくて嬉しくて、ほんとうに仕方なかったんだ。


 残念ながら当時の母のその行動が、私を本当に心配してのことだったのかどうかは、今はもうすっかり、わからなくなっちゃったけどね・・・・・・。


 病院の帰り。

 母は毎回かならず、小さな喫茶店に寄ってくれた。


 そこで、毎度お馴染みになった、はちみつとバターがたっぷりかかった、冗談みたいに分厚い熱々のもっちりトーストと、これでもかっていうほどこってり生クリームが盛られた苦いウインナーコーヒーを注文する。


 いつもは「早く食べちゃいなさい」って忙しそうにする母だけど、そんなことも一切言わない。

 その時の母の顔はいつも幸せそうに見えて、私はそれが、大好きだったんだ。


 正直言うと、病院に行くことは少し・・・どころじゃなく、最高に嫌だと思ってた。

 だって、手の治療は毎日凄く痛かったし、身体の成長を見るとかいう診察では、ほんのわずかな時間とはいえ、医者に裸をみせなきゃいけないんだもの・・・・・・。


 「お友達に手を見られたら気味悪がられるよ。」

 「結婚式の時、指が真っすぐじゃなかったら、あんたが嫌な思いをする。」

 そう言って、車で一時間もかかる大きな病院へ何度も私を連れて行ってくれた母・・・・・・。

 ちょっとだけ弱音を吐いちゃうと、本当は違う言葉を母に言って欲しかったんだと思う。


 「指が曲がってたって、身体が小さくたって、平気。母さんは気にしてない」って、ね。


 一生懸命私を想ってくれている母親には、申し訳なさすぎるし、裏切ってしまっているようでとても言えなかった。

 だけど、「このままの姿でも別に不幸なんかじゃないよ」って、私自身はずっと思っていたんだ。


 だってそうでしょ。

 初見で面食らうことがあったって、見た目や動きなんて、毎日見てればすぐに日常の一部に溶けちゃう。

 良い事だって悪い事だって、人ってすぐに慣れちゃう生き物なんだから。


 それをいつまでたっても気持ち悪がったり、笑ったりしていられるなんて、あまりにも悪意に満ちてる。

 これ以上ないほどくだらないし、最高につまらない奴だよ。

 付き合ってやる意味が、一体どこにあると思う?


 与えられた時間は限られているんだ。

 気のいい友人たちと、団子みたいにぐちゃぐちゃになりながら、腹の底から笑ったり怒ったり悲しんだりしていたいよ。


 実際、このころ野山を共に駆けずり回っていた私の友人たちは本当に気のいい連中だった。


 実は母の言った通り、小学校に入学してから、私の手が気持ち悪いと言って騒ぎ続けていた者が何人かいたんだ。


 私自身は笑い飛ばして平気なふりをしていたけれど、どうやら心優しい我が友人たちは、全く容赦していなかったようで・・・・・・。

 目のふちを赤く染め、これ以上ないほど肩を落とした何人かの少女が、私に謝りにきてくれたことがあった。


 友人たちは隠しているつもりでいたけれど、彼らが何事かを言ってくれたであろうことは、明らか過ぎた。

 私に真実を告げ口してくれる人の良い証人も、たくさんいてくれたしね。


 友人たちの思いやりに、胸の中が柔らかい気持ちでいっぱいに膨らんでたまらなかった。


 相変わらず、祖母からの「おまえは家にいていい人間じゃない。早く出ていくんだよ。」というありがた過ぎる教えは毎日欠かすことなくちゃんと続いていたし、家の手伝いも私の成長と共に「倍率ドン」もかくやと言わんばかりに、その量をたっぷり増やしていたけれど。


 私を放っておこうとしない、頑固で穏やかな友人たちの存在は、大切な何かを見失わないための唯一のしるべであり、かけがえのない光だった。

 友人たちのあまりの真面目さにほんの少し呆れながらも、彼らの前でだけは本気の笑顔でいられたんだ。

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