第16話 焼肉

 僕はなぜか犬星家のリビングで焼肉をしている。

 自分でもよく分からないが、断り切れなかったという他ないだろう。

「あら。あなたが如月の彼氏? 嬉しいわね」

 犬星母がうふふと嬉しそうに笑う。

「今日はゆっくりと食べていってね!」

 元気が取り柄の母、といったところか。

 肌がみずみずしく、見た目まだ二十代に見えるのだから不思議だ。

 如月の年齢から察するに三十代後半であるはずなのに。

 ジューッと肉が焼ける音が聞こえてくる。

 野菜や肉を串に刺してホットプレートで焼く。

 香ばしい香りに誘われて、僕は目を向ける。

「食べる?」

 犬星はお皿を用意し、そこにできあがった串焼きを置いていく。

「嫌いなものはない?」

 僕の顔色を伺うように訊ねてくる。

 ここで嘘をつく意味もないだろう。

「とくには」

 というか、僕は食に興味がない。ただ生きるために食べるのであって、それ以上を望むつもりもない。

 串焼きを受け取ると、かじりつく。

 腹が減っていたわけではない。だが、昼飯だ。

 この時間にいつも食べている。

 食事の時間を決めて、ゲームをする時間を決めて、そして家事の時間を決める。

 僕はそういったきちっりとしたルーティンがないと生きていけない。

 最近はアニメを見ることにはまっている。

 ……が楽しいとは思えないのだ。昔と今では気持ちが違う。

 泣ける作品、いわゆる涙活というのをしている。

「ある花」や「蒼牛」、「シューロット」といった感動できる作品が僕には心地よい。

 とにもかくにも、串焼きの味もよく分からない。

「おいしい?」

 犬星が不安そうに訊ねてくる。

 なぜそんなに不安そうなのか。

 きっと僕が楽しんでいなさそうにしていたからだろう。

 だから作り笑いをして、言う。

「おいしいよ」

 声には出ていなかったが、僕は嘘をいった。

 こんなのうまいとは言えない。

 味がしないのだ。

 隣で肉に塩を振る犬星。

 どうやら味を感じないのは僕だけらしい。

 ちゃんと下ごしらえをしているのだから。

 そうだとしたら、僕はどうしてしまったのだろう。

 どうして味が分からなくなっているのだろう。

「もっと食べるかしら?」

 聴いてきたのは犬星母。

「いえ。僕は十分です」

 そうだ。僕はここにいちゃいけない。

 存在してはいけない存在なのだ。

 僕は誰からも必要とされていない。

 僕があのとき「もう無理」と言わなければ、両親は離婚しなかったのだ。

 その言葉が引き金トリガーとなり、次の日に母が入院した。そこに別居していた父が現れた。

 嗚呼、死にたい。

 僕が家庭をめちゃくちゃにしたんだ。

 その罪は償わねばならない。でも、どうやって?

「ごちそうさまでした。お呼び頂きありがとうございます」

 犬星家を後にすると僕は自分の家に帰る。冷たく、よどんだ空気に。

 自宅に帰るとさっそくリビングに向かう。

 包丁を手に取り、自分の腕に振り下ろす。

 痛みはない。それどころか血の一つもにじまない。

 光の粒子が守っていてくれるのだ。

「死ねない、のか……」

 ため息が漏れる。

 僕は死に場所も死に方も選べないのか。

 なんで犬星は僕に優しくしてくれたんだろ?

 もう疲れた。死にたい。死なせてくれ。

 二階の窓から飛び降りるが、まったくの無傷。そりゃそうだ。でなきゃ、電信柱の上になんて乗れない。

 あの光をもらってから、死ぬような目に遭っていない。身体能力が上がり、下手なことをしても死ななくなった。

 台所用洗剤を飲み干しても、死なない。これは異常だ。

 トイレをすると、泡がふわふわと沸いてくる。すべて消化・吸収されずに出ていってしまう。

 神は言った、ここで死ぬ運命さだめではないと。

 僕には生きる価値がまだあるというのか。

 あの優しき笑顔を奪わなくてはいけないというのか。

 胃が狂うような吐き気に襲われる。

 台所で戻すと、水で流す。

 詰まった排水口の袋を自分で取り替える。

 兄はまだ部屋の中だ。

 手伝ってくれる素振りも、心配する素振りもない。

 ――心配するだけなら誰でもできる。

 そう言ったのは兄だ。

 だが、その兄さえも心配をしない。惨めな思いだ。

 僕はそれほど価値がないというのか。

 にも関わらず生かそうとしている。

 僕はなんのために?

 分からない。

 でも僕はまだいじめに屈していない。いじめは悪いことだ。それこそ、死刑に処するくらいに。

 人の心を壊す。それがいじめだ。

 今まで見下してきた連中に見返してやる。

 そうだ。

 見返してやればいい。

 ――今は小さくても大人になったら見返せばいい。

 それは祖父の言葉。母方の祖父。彼の言い分が正しいなら――。

 僕はまだ見返せる。

 ネットで調べてみると、今回の事件。いじめた生徒の顔写真や性格、家族の家まで調べあげてある。

 その端に僕のこと、被害者側のことも記載されていた。どこで調べたのか、分からないが、両親が離婚し、母が精神病になったところまで調べあげてある。

 正確には精神病になり離婚したのだが。

 そこでひとつの考えが浮かび上がる。

 いじめられていた子は精神的におかしいんじゃないか? と。

 つまり僕が精神的におかしくなり、魔林にいじめを受けていた。だからいじめられてもしょうがない。しかたがない。

 そんな意見もちらほら見受けられる。

 この精神病。まだ社会に認知・理解されていない節がある。

 うつ病、摂食障害、不安障害、などなど。たくさんの精神病があるが、それはメンタルが弱いからだ。と批判されることもあるが、決してそうではない。

 ストレスは水のたまったコップと一緒。コップに注がれるストレスという水が満杯になればコップからこぼれ落ちる。そうして心身ともに弱るのだ。

 しかも、精神病の場合、幼少の頃、成長期の頃に過度なストレスがかかると起きやすい。

 競い、妬み、憎んでその身を食い合う。

 そうして生まれていく病気。

 みな、自分よりも優れた者を見ると競い、妬み、憎む。

 その結果、お互いの精神を削り、出た杭は打たれる。

 弱味を見せてもダメだ。それが原因でいじめられる。

 つまり学校という名の社会には、特筆のない普通の子どもを求められる。

 その中で他者より強く、他者より先へ、他者よりも上を目指していく。我が子が可愛いから。

 個性を受け入れ認め合うのではなく、排除することでお互いの精神を安定させる。

 人という字はお互いに支え合っている、というが、実際はどちらかが支えている。つまり、誰かが犠牲になることを容認しているようなもの。

 傷ついた一人を排除し、なかったことにする。一人はみんなのために、みんなは一人のために。みんなやっていることだ。

 自分は違う。自分には関係のないこと。自分と違う世界のこと。そういった考えが無自覚な悪意となり、無自覚な悪意となり、やがて人を傷つける。

 毎年の受験でも、受かる人がいれば、それは落ちた人を蹴落とした結果だ。

 毎日のように働いている人も、すべては支配し、支配される。

 上と下があり、貧富の差はさらに深まる。

 人類は平等と言いながら、生まれた時からその差異がある。

 母の遺産で優雅に暮らす人。

 父の借金で貧乏暮らしを余儀なくされる人。

 生まれた時点で、その者の一生は決まっている。

 人生とはそういうものだ。

 我々はこの国に生まれ、本を読んで過ごしている。だが、貧困層・貧困国では本などの読み聞かせすらない。いやそもそも本がない。

 明日生きる糧もないのに、呑気に来年のことを考えている余裕はないのだ。

 彼らに祝福を与え、我らにねぎらいの言葉をかける。

 そんな者はいない。

 みな、無自覚に人を傷つけ、他者を利用している。

 そこに愛情や友情はない。

 ないのだ。最初から。

 だから簡単に敵になる。簡単に裏切れる。

 この世の恨みは消えないのだ。

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