第17話 時の涙
雪吹きすさぶ中、一人の少女が町を歩いていた。
凍えて指先が赤くなった手で、豆腐を鍋にいれる。他にも野菜やお肉を八百屋、肉屋で購入し、五メートル先も見えない中、家に帰宅するのだった。
豆腐屋も、八百屋、肉屋はかわいそうに、と思うばかりで助けようとは思わない。
「買い物するのに、二時間もかかるとは! どういった領分だ!」
父は私を認めると、激しく罵った。
涙がこぼれ落ちると、げんこつをくらう。
「泣いていたって何も解決しない!」
じゃあ、どうすれば良かったの?
私はそう問いたかったよ。
父は愛情というものを知らなかった。
加えて母も愛情を与える気はなかったらしい。
子どもに興味がないのだ。
「なんだ。この点数は」
小学校でとってきた点数。七十点くらいだけど、父は形相を変えて私を倉に閉じ込めた。
泣きわめくと、うるさいといい、私の頬を何度も叩いた。
次の日、学校にいくとどよめきが起きた。
真っ赤に腫れた頬を見て驚かない者はいない。
それでも、友達として、心配してくれる者はいなかった。
先生でさえも、何事もなかったように授業を進める。
今の時代なら虐待を疑うのだろうが、この時代にはあまり珍しいものではなかった。しかし、それでもどよめきがおきる、というのはそれほど奇異に見えたのだろう。
私はそんな家庭環境で我慢を覚えた。自分の言いたいことを、したいことを我慢し、気を張って過ごす。
それでいいのだと、それが当たり前だと思っていた。
友だちから、家庭環境を聞かされるまでは。
他人を知ると、自分の世界が分かってくる。
――他人を知り、自分を知り、明日を知る。
そんな言葉があったな。と思い立っても、明日を知ることなんてできない。
自分を知ってなお父との関係は変わらなかった。
わたしが入院したさい、父は病室で俳優の話をしたが、他の病人からは「家族との会話とは思えない」「なにしにきたんだ」「自分の話したいことだけかよ」
と言った意見を聞いた。
つまり、父はわたしを愛してなどいなかったのだ。自己愛。
幼い頃に戦争で親戚の家を転々としていたからって、父は自分を愛することしかしなかった。
愛情を他人に向けることなどしなかったのだ。
それからしばらくして、わたしは
二年後、長男の
輝星が生まれて三年。
わたしは町内会会長を務め、仕事をし、幼稚園へ連れていく毎日を送った。
そんな忙しい日々を送っていたせいか、わたしはどんどん自分を追い込んでいった。
その結果、精神病を患い、一時的に回復に向かった。それでも薬は手放せなくなってしまった。
それから九年、輝星が十二歳の頃、再び発症。
見かねた颯太はわたしを切り捨て、わたしから䜌と輝星を奪っていった。
何もかも失ったわたしは途方に暮れ、毎日を恨み、妬み、生きてきた。唯一救いだったのが、子どもとの面会だ。
それがなければわたしはこの世を呪いすべてを壊そうと暴れていたかもしれない。
※※※
僕は知っている。
母が狂乱の中、兄に暴力を振るったことを。
そして兄は引きこもりになった。
もう二度と母とは連絡したくない。そう思っていたが、父と裁判所の言うこともあり、僕は母との面会を断れずにいた。
裁判所の、顔も知らない人がそう告げるのだ。まるで破ってはいけないことのように思えた。
兄は部屋から出ない。だから僕が代わりに母に会いにいく。
おっくうになった身体を持ち上げ、僕は母に会いにいく。
母の事情はここ二年でだいぶ知った。ひどい家庭環境だったらしい。
じゃあ、僕たちは?
兄の
兄をいじめ、そのあとの「次はお前だ」と言われている感覚がまだ抜けない。
母はその頃の記憶をすっかり忘れているのか、独り身になって泣きじゃくっていた。まるで子どものように。
だから僕がしっかりしないと。そう思った。
仮面をかぶり、笑顔も、苦痛も消し去り、会いにいく。
そこに意味なんてないのかもしれない。
ただ母親が会いたいから。だから僕は会いに行く。
なんと主体性のない話だ。
でもそれでも母のためを思うと断れなかった。
そうしてまた面会の日がやってきたのだ。
母は落ち着いているように見えるが、
その涙を止める術を僕は知らない。
周りからの目もある。
僕がいじめているように見えたのかもしれない。
でも、僕がどう思うのか、思われるのかが重要ではない。
この社会の本質。そこに問題がある。
虐待がなければ、戦争がなければ。
そんな何も売る者などない、暴力で道を塞ぐ、そんなことばかりしているからみんなどんどんおかしくなっていく。
暴力はしていけないのだ。
そのために犠牲になる者の痛みを、僕は知っている。
知っているはずなのに。
どうして僕はまだ力を使っているのだろうか?
なぜ、暴力を暴力でしか解決できなかったのだろうか?
だが、彼らは耳を貸さなかった。僕の意見を、僕の気持ちを知ろうともしなかった。だから殺した。
それだけじゃない。
見下し、黙認してきた連中も、耳を貸さなかった。
誰も彼もが暴力におびえ、恐怖し、僕を見放した。
次はお前だ。
その声が頭に響く。
暴力による圧政。それと同じことをしている。
情報を隠蔽し、暴力を認め、他者との和解を無視する。
そんな体質が、この世界にはあるのかもしれない。
暴力を悪とする一方、軍事力を所持するのと同じ。
もし、狂った人がいれば、それは暴力で抑え込むしかないのだ。
ニュースでは未だに報じられている溶解事件。腕や頭が溶けたように消えることから、こう呼ばれるようになった。
魔林、菟田野、呉羽。そして片腕を失った犬星。
みんな僕がやった。
そのニュースでは手口と凶器の行方が分からずに戸惑っているらしい。一説によると新兵器の試し打ちじゃないか? と噂されている。だが、そんな子どもに向かって撃つなんておかしいと返されるのが常であった。
そんな中で、これ以上閉門もしていられない高校側から警察と一丸となって再開をすると通達してきた。
その送り迎えに寄り添うのもボランティアや警備員ではなく、特殊警察隊。
凶悪犯罪者に対し、武力を行使できる治安維持部隊だ。
彼らの目はいっそうきついものになっている。
そんな中、お葬式気分で学校に通う者も少なくない。
中には車で送り迎えをしてもらう者、友と一緒に登校する者。
様々にいたが、僕は一人、通学路を歩いている。
と、前を歩いていた子が立ち止まり、こちらを見る。
「何?」
「わたしのこと、覚えている?
美しいソプラノボイスで僕よりも少し背の低い。
髪はストレートロングで、落ち着いた雰囲気。瞳は茶色い。
その姿には見覚えがある。
それは確か、幼稚園のとき。
「あ。
「そう。覚えていてくれたんだ」
ホッとため息を吐く登与。
僕の幼なじみ的な人だ。
昔は一緒になって遊んでいたが、小学校高学年から男女の意識が変わり、一緒にいると冷やかされるようになった。その経緯から小学生以来、全然会話をすることがなくなっていたけど、今はその声が心地よい。
「どう? 大人っぽくなった?」
「うん。見違えたよ」
僕は当たり障りのない会話をし、登与との会話に花を咲かせた。
しかし、学校で待っているのはそんな生やさしいものではなかった。
もっと冷たくドロドロとした、まるで原油に呑まれたかのうな気持ち悪さ。身を切る思い。
希望なんてありはしない。
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