巡り会えて

 その夜、帰宅してから史恵は早速小説投稿サイトを探してみたが、『原田素子』の名前も、『朝焼けを迎えて』という作品もどこにもなかった。作者の本名である『田原智子たはらもとこ』も検索してみたが、ホームページもヒットしなかった。おそらくネット上で作品を公開していないのだろう。文恵は落胆してスマホの電源を落とした。


 それから2か月後、第56回小説時代賞の大賞が発表された。大賞を取ったのは、中井が推したライトノベル風の小説だった。会話文主体でテンポがよく、文庫本にすれば300ページほど。2時間もあればあっさりと読めそうな作品だ。こういう作品は手軽に楽しめるが、その分記憶に残らないので史恵の好みではなかった。だが、本作が選ばれたということは、こうした作風が時代の潮流なのかもしれない。


 山崎も前田も、選考結果を見てもそこまで悔しそうな表情は見せなかった。あれほど熱をこめてプレゼンした作品も、彼らにとってはすでに過去の存在と化しているのかもしれない。


 だが、史恵はそこまで割り切れなかった。自分が魅力を感じた作品の存在は、今も頭の中にこびりついていた。あの作品を書いた作者達はどうしているのだろう。一次選考の結果を知り、無益な努力だったと考えて作家の道を諦めただろうか。それとも、挑み続ければいつかは願いが叶うと信じ、次の作品の執筆に取りかかっているだろうか。


 史恵がサイトの存在を思い出したのはそんな時だった。坂田に勧められたあの日以降、結局一度も調べていない。あれから時間が経っているし、一次選考の結果を知った原田素子が、サイトの利用を始めているかもしれない。史恵はスマホを持って早足で廊下に向かい、人気のない場所で来たところでスマホを起動した。以前も立ち上げた小説投稿サイトを立ち上げ、作品タイトルを打ち込む。すると、前回は該当なしと表示されたのが、今回は1件ヒットした。


『朝焼けを迎えて 原田素子』


 その名前を見た瞬間、史恵は全身から力が抜けていくような気がした。ついに見つけた。原田素子。私が誰よりも推していた作者の名前。運命的ともいえるその邂逅は、史恵の心に忘れかけていた希望の灯火をもたらした。 


 プロフィールを見ると、サイトへの登録日は2ヶ月半前になっていた。一次選考の結果が出てから2週間後だ。選考結果を知った直後はショックを受けたに違いないが、それでも彼女は諦めなかった。新人賞の道が断たれても、そこから立ち去るのではなく、別の場所で可能性を試そうとした。


(よかった……)


 安堵のため息と共に史恵は呟いた。壁に背をつけて天井を仰ぐ。


(本当に、よかった……)


 心の中で、何度も何度もそう呟く。夢を追うと言えば聞こえはいいけれど、そのための努力を続けることは並大抵のことではない。努力が報われるとは限らず、栄光に手が届かないまま辛酸を舐める日がどれほど続くかもわからない。


 それでも史恵は、原田素子に夢を諦めてほしくはなかった。最初から自分の可能性に蓋をして、掴み取れるかもしれないチャンスをふいにしてほしくはなかった。目には見えなくても、彼女の作品を待ち望んでいる読者はいる。自分が今、彼女の作品と再び巡り会えて心を踊らせているように。


 史恵はその後もしばらくスマホを見続けていたが、やがて『朝焼けを迎えて』のタイトルをタップした。続けて「作品を読む」というボタンをタップすると、画面が切り替わって冒頭の場面が表示される。最初に読んだ時は特に違和感を覚えなかったが、今見返してみると気になる点がある。ここをもっとこうすれば――。


 気がつくと史恵は編集者の視点で作品を読んでいた。中井や坂田からもらったアドバイスを元に、改稿すべき点を1つ1つ洗い出していく。最後まで読み終えたら、感想という形でメッセージを送るつもりだった。もちろん改善点だけではなく、魅力を感じたことも含めて。


 原田素子はプロではないし、自分は彼女の担当者でも何でもないのだから、そこまでする義理はないのかもしれない。それでも、史恵は編集者という立場から彼女を応援したかった。いつか、彼女がプロとしての道を歩み始めた時に、アマチュア時代から作品を見初めていた編集者がいたこと。それは彼女が壁にぶち当たった時の原動力になるはずだ。優れた才能の芽を潰さないために、作家と共に作品を作り上げていくこと。それは、編集者になった今だからできる、史恵にとっての新たな使命でもあった。

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ライフ・ワーク3 瑞樹(小原瑞樹) @MizukiOhara

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