その5

 ”私が話したことは内密にお願いしますよ。”

 ”こう見えても人気商売ですからね。自分の黒歴史がばれたら、明日からメシが喰えなくなるかもしれませんから。”

 その男は待ち合わせの喫茶店に来るなり、辺りを見回しながら、同じ言葉を二度三度と繰り返した。

 背が低く、痩せているが、頭がやけに大きく、黒縁の分厚い眼鏡をかけた中年男・・・・彼はそのレンズの奥から、上目づかいに俺を視ながら、カップの中のコーヒーを啜った。

『無論、電話で話した通り、私はプロの探偵ですからね。業務上に生じた秘密は守ります』

 向かい合わせに腰かけながら、俺はブレンドをオーダーする。

 ここは彼の指定した、赤坂にある喫茶店。

 自分の仕事場から一番離れているというのが、指定した理由らしい。

 彼の名前・・・・いや、いつもながら本名は止しておく。

 仮に”中井弘なかい・ひろし”とでも呼ぼうか。

 年齢は丁度55歳、職業はこう見えても割と有名な漫画家である。

 といっても、彼の場合デビューが遅かったので、売れっ子になるのも当然遅かった。

 ウェイトレスがコーヒーを運んで来て、テーブルの上にそれを置いて立ち去ると、俺 はICレコーダーを取り出し、カップに並べて置いた。

『貴方がお話しになったことは、当然ながら全部録音させて頂きます。しかしあらかじめお断りしておきますが、調査の流れによっては、これを警察に提出せねばならないかもしれません。そうなると貴方の発言が、何らかの証拠となる場合があり、場合によっては貴方に不利益を生じさせるかもしれません。ですから自分にとって話したくないと思われることは、最初からお話にならなくて結構です』

 長ったらしい台詞だろ?

 毎度のことだが面倒くさくて仕方がない。

 しかし業務の性質上、証言を取る時には、必ず言っておかなきゃ、色々と五月蠅うるさいからな。

 警察おまわりは苦手だが、後々揉めるのは嫌だし、プロの探偵として基本には忠実でなけりゃならん。

『・・・・私は、最初からあの学校にいたわけじゃないんです』両肘を卓子テーブルについて、ゆっくりとした調子で話し始めた。

『父の仕事の都合で、他所から転入してきたんですが。』

 彼、中井弘は、俺の探している犬神誠太とは同級生だった男だ。

『あそこは、俗にいう金持ち学校でしてね。大半が中流以上の家庭の子供ばかりでした。私自身は会社を経営していた父親の見栄の為に、半ば無理矢理入れられたようなもんです。』

 

 

 世間が想像する”不良”というのは、奇抜な格好をして、大人にタメ口を聞き、暴力を振るって・・・・となるんだろうが、金持ちの私立学校のそれは少し、いや、かなり違う。

 成績もいいし、教師には絶対逆らわない。

 大人の顔色を見るのに長けているのだ。

 そんな奴らのいる学校に、途中から入ってくれば、いじめのターゲットになるはずだ。

 しかし、彼には人に真似の出来ない才能があった。

 漫画を描くこと、である。

 その才能のお陰で、彼は不良ワルガキのリーダーが気に入られ、何とかいじめられずに済んだという訳だ。

『しかし、悲惨だったのは犬神君でした。』言葉を切り、コーヒーを一口。

 それから先を続けた。

『犬神君は無口で大人しいだけが取り柄でした。だから連中にとって格好の餌食になったんでしょう』

『貴方は?』

 俺の言葉に、彼は、”えっ?”と、戸惑ったような表情を見せたが、直ぐにその意味するところが分かったんだろう。

『僕は人をいじめたりするほど、度胸も悪知恵も働きません。ただ遠くから見ていただけでした・・・・でも卑怯ですよね。何もしなかったというのも、結局は不良共ワルガキドモの側にいたのと同じなんですからね。』

 そう言って彼は眼鏡を外して拭いた。

 教師には言おうとしなかったのかと聞こうとして、俺は言葉を飲み込んだ。

 無駄なことだとすぐに気づいたからである。

 教師センコウなんて人種にはいじめを防ぐ能力なんかある筈はないからだ。


 



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