その6

『ある時、こんなことがありました』

 眼鏡を元の通りにかけなおすと、中井弘氏は二三回眼をしばたたかせてから、話を続けた。

 放課後、犬神誠太が、不良共ワルガキドモ四人に、学校のすぐ近くにあった公園に呼び出されて”特訓(彼らはそう呼んでいた”を受けていた。

”特訓”?

 どんなものか、考えるまでもない。

 そういう呼び名の”いじめ”である。

 中井氏は、不良ワルガキの一人に”大人がこないかどうか見張っててくれ”と、半ば脅され、見張りを引き受けさせられた。

 公園の奥には小さな雑木林があり、そこでいつも”特訓”が行われていたのだ。

 中井氏は見なかった。

”見るな”と言われていたという事もあるが、見られなかったのだ。

 彼は足を踏ん張り、拳を握りしめ、公園の入り口に立って、犬神君の”特訓”の声だけを聴いていた。

”よし、今日はこれで終わりだ。お疲れさん”

 最後はいつも、一人が嗤いながらそう言うのが常だった。

”覚えてろよ!”

 ある日、いつもの通りに”特訓”が終了した時、犬神がそう言って叫んだ。

”僕が大人になったら、独裁者になって、君らを一人残らず、ひどい目に遭わせてやるからな!”

 絞り出すような声だった。

 大人しい犬神が、そんな激しい言葉を口にしたのは始めてだった。

 その時になって、中井氏は後ろを振り返った。

 ズボンを下ろされ、学生服のボタンを全部引きちぎられた彼がうずくまって、四人を見上げていた。

 四人はしばらく黙っていたが、やがてまた嘲るような声で嗤い、

”何が独裁者だ。ふざけるな”

”そうよ、あんたみたいなバカに、そんなことできるもんですか!”

 また彼は小突かれ、そのまま四人は立ち去って行った。

 数分後、犬神はくさむらに放り出されてあったズボンを履き、立ち上がって鞄を拾うと、公園から出て行きかけた。

”あ、あの・・・・”

 中井氏が声を掛けようとしたが、彼は何も答えず、鋭い目で睨み返し、そのまま立ち去っていったという。

『四人は嗤っていましたが、あの時の犬神君の言葉は決して冗談じゃないと思いましたね。感情に任せて発したものではありません』

『・・・・』

 俺はレコーダーのスイッチを止めると、内ポケットからノートを取り出してそれを読み上げた。

『秋山ケンイチ、中村マコト、工藤タクミ、岡村ユカリ』

 はっとしたように、中井氏がこちらを見た。 

 何故知ってるんだと、眼で訴えているのがはっきり分かった。

不良共ワルガキドモの名前でしょう。私は探偵ですからね。その位の推理は出来ます。四人とも、今行方不明になっているんですよ。』

『まさか、彼が‥‥』中井氏はそう言った後、言葉を飲み込んだ。

『さあ、流石の私にも、まだそれ以上は分かっていません。』

 俺は伝票を取って、席を立ち、

『お忙しいところ、失礼致しました。ああ、ここは私が払います』

 そう言い置いて、店を出た。



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