第5話 出雲大社

 大社の脇に繋がる、飛び石の巻かれた通路を通り、中へと入り込む。すると、昼間から提灯に明かりを灯した狐が二匹、引き戸の前に二足で並んで立っていた。

「ようこそ、お越しくださいました」

 片方の狐がこうべを垂れる。もう一匹は節を見ると、

霧切川むきりがわの新たな主様でございますね」

 と、言った。

「はい、そうです」

 背筋を伸ばし、節は答えた。

「蒼維河童神様も、ようこそいらっしゃいました」

「漣乃丈鬼比古様。お久しゅうございます」

 狐達は言葉を連ねる。そうして、二匹は声を合わせ、

「神々の宴にはまだ早うございます。部屋をご用意致しますので、其所にて旅の疲れをお癒しください」

 そう言って、引き戸を引いた。中には、三匹目の狐がこうべを垂れて待っていた。

「ようこそいらっしゃいました。天照大神様も、お喜びでしょう。お部屋にご案内致します」

 狐は立ち上がり、節達を迎え入れた。三人はその狐の後について、社の裏に広がる広い屋敷の廊下を歩いていった。途中、中庭を囲うような通路に差し掛かる。所々に紅葉した紅葉が、設けられた川小に散り、流されて行く。時折、鹿威しの音が響いてきた。

「これ、私の家にもあったわ」

 節は言う。

「部屋にずっと篭っていたから、音だけだけれど覚えている」

「部屋に、ずっと、」

 節の生前を知らぬ河童は、おうむ返しに尋ねた。

「えぇ、私は心の病で、幼い頃に発病してから、実家に閉じ込められていたのよ。それから段々大きくなって、夜に実家の屋敷から抜け出して川に遊びに行っていたの。其処で前の川の主、大蛙さんと逢った。そうして、色々な話を交わす仲になって、”自分が死んだら川の主になって欲しい”と言われたの。それから少し経って、私が思い詰めて首を吊った夜に、大蛙さんも車に轢かれて死んでしまった……其処で、魂だけとなった私が新たな主になった訳」

「そうか……、節はそんなにも辛い思いを」

 蒼維は言葉を濁す。それに節は慌てて、

「もう過ぎた過去の話よ。今は後ろにいる漣や、鴨さん、亀さん達と共に楽しく暮らしているわ」

 そう言った。

「成る程、それは良かった」

 蒼維は今度は漣へと視線を移した。

「過去に逢った気がするけれど……」

 首を傾げる。

「社がある頃は、毎年のように出雲大社を訪れていた。その時に逢ったのだろう」

 と、漣は腕を組んだ。

「互いに見覚えがあると言う事は、すれ違いでもしたのかな」

「そうかも知れん。かれこれ十数年前の話だ」

 廊下は、不思議と足音がしない。そのように作られているのか、それともヒト以外は足音と言うものを奏でる事はないのか。節は不思議に思ったが、案内役の狐や、漣、蒼維が何も言わないので、そう言うものは野暮な質問なのであろうと、口を閉ざした。

 案内されたのは、鹿威しの前の部屋であった。畳の、太陽の匂いのする部屋である。

「こちらにて、夕方迄お休み下さい。蒼維河童神様は如何なさいますか」

「どうしようか」

 と、蒼維は節を見た。

「いつもはどうしているの」

 遠野から来たと言う事は、相当な長旅であろう。なるべく毎年のペースに合わせたいと、節は思った。

「夕方迄ここのような部屋で横になっていたよ。でも、退屈だから、話し相手が欲しいかなぁ」

「じゃあ、ここに一緒にいましょう」

 節は提案する。

「良いのかい」

「大丈夫よ。漣、良いわよね」

 後ろに控えていた漣に向けて、節は言った。

「節が良いなら、それで構わん。寧ろ、始めに蒼維殿に声をかけようと提案したのは私の方だ」

「それでは、お三方同じく部屋でよろしいでしょうか」

 狐が言った。そうして、持っていた大きな木箱から白い布と紐を三組取り出し、

「これは集まりの際、顔にお掛け下さいませ」

「これは、」

 なんの変哲もない、只の絹の四角い布を一枚救い上げ、節は問うた。

「神々の中には、節様のように死者が主になる事が多うございます。その上、顔を見られたくはないモノも……その為の掛け布でございます」

 と、狐は説明する。

「そうなのね。有難う、狐さん」

「いいえ、初めての方は皆問う事でございます。お気になさらずに」

 そうして、狐は頭を下げ、

「では、祭儀が始まる頃に声を掛けさせて頂きます。それまで、ごゆっくりお休み下さい」

「えぇ、有難う」

 襖を閉める狐に、節は言った。

 全く音を立てずに襖が閉まると、節はトランクを置いて部屋の奥へと入っていった。襖で閉められた窓を開ける。外には、樹齢が知れぬ程の大木が立っていた。既に根本には苔がむし、葉は淡く紅葉し始めている。その奥に見えるのは、参拝に来た人間たちであろう。このような樹にも、神は宿るのであろうかと、節は考える。漣に聞けば気配を察してくれるので、簡単に分かる事である。しかし、いつまでも漣に頼ってはいられないであろう。

 漣は、社が出来、拝む者が出来れば、故郷に帰ってしまうのである。

永遠に来なければ良いのに。

そのような我が儘は、心に秘めておこう。節は思った。

「あー、長旅だった」

 思考する節を我に帰したのは、蒼維の声であった。

「遠野からでしょう、私たちの川よりももっと遠い所よね」

「そうだね。上野に出るまで、夜間急行の固い椅子に横たわって来たけれど、それだけでも疲れてしまう。急行出雲が寝台特急だったのが唯一の救いだよ」

「お疲れ様、蒼維」

 節は頷いた。蒼維は早速畳に寝転び、

「節の川は、どのような川なんだい」

 と、聞いてきた。

「少し汚れているわ。隣に綺麗な清流が流れているから、山女魚さんも来年の繁殖はそっちでするかもしれないって言っていたもの」

「そんなに東京から遠くないのだね」

「えぇ、でも、汽車が走っていないから、駅のある隣の町まで一山越えなければならないのだけど」

「一山」

 節の放った一言に、蒼維は驚いた様子であった。そうして、

「悪い事は言わない。節、来年は神専用の汽車で行こう。僕もそうするから」

 と、気を使わせてしまった。

「どんな汽車なの」

 畳に座り、節は尋ねる。漣はそんな彼らを見守るように、節の後ろで正座をしていた。

「乗ってきた汽車と然して変わらないよ。でもね……」

「でも」

 瞬きを繰り返す節に、蒼維は言った。

「乗ってきただろう汽車よりも、座席がふかふかしている」

「ふかふか……」

 少々うっとりしたように、節は天井を見る。

「そうするわ。今回は鴨さんに汽車の話を聞いて、興味本位で汽車に乗っただけだから」

「汽車の旅も良いものだけれどね。それじゃあ、大黒天様に留守を頼みに行く時も?」

「勿論、一山越えて汽車に乗ったわ。その時はすぐ着いたから良かったけれど、上野迄出た時は地獄だったわ……来年は、その汽車に乗って行きましょう」

 節の判断に、漣は内心喜んでいた。やはり一山越えるのは、辛いものがある。

「大黒天様にお逢いに行く時も、節を抱えて行こう。その方が楽なのだ」

 その言葉に、

「私、重くない?」

 と、節は俯いて、恐る恐る口を開いた。

「空気のように軽い。死者は、魂のみだからな」

 漣は腕を組む。

「そう言えば、漣と節はどういう仲なんだい。結構親しげに話しているし、漣も一柱の神だけれど、今は匿って貰っているような身……節の方が位が上だろう」

 そのような蒼維の言葉に節は、

「私はそう言う改まった事が好きではないの。だから、親しげに話しかけられた方が、信頼されているようで何だか楽なのよ」

 そう答えた。

「そうか。最も、僕も食いぶちを減らす為に元は川原に捨てられた子供たちの魂が集まったような存在だ。分からなくもないな」

 蒼維は幾度か頷いた。

「だから、人に化ける際には少年の姿なのね」

「そうだよ。百年以上生きていると言っても、少年のまま、成長を止めているからね」

「それは、わざと」

 節が首を傾げる。

「節は中々、意地が悪い質問をするね。時が進まないんだよ。死んでしまったから。恐らく、節もこのまま、成長は止まるだろう」

蒼維は答えた。

「ごめんなさい、私、酷い事を聞いたわ」

 節が謝る。蒼維は、

「怒ってはいないよ。ただ、付喪神の間では当たり前の事を言った迄だよ。節は新入りで、それを知らないんだ。しょうがない事さ」

 その声は優しげで、節は心の奥で安心した。そうして、蒼維は付け加えるように、

「ただ、心の成長は止められない。心は、遠野にも流れてくる、最近の悲しいニュースに、”大人”として悲しむようになる。嬉しいニュースもしかりだ。随分と前になるけれど、上野動物園にインドから遥々象が来たと聞いた時は、もう戦後ではないと川に棲む皆と喜んだものさ」

 そう言った。

「節もきっと、いつか心は大人の女性になる」

 その言葉に節は少し考え込んでから、

「今は、良く分からないわ。心だけが大人になるなんて」

「今は深く考えなくても大丈夫だよ。成長は自然にするものさ」

 蒼維は寝返りをうち、節から背を向けた。

「お互いに疲れただろう。ここの畳は心地が良い。少し寝ようか」

「そうね」

 節は答えて、羽衣を取り、身を横たえた。余り皺になってはいけないと、なるべくゆっくりと横たわる。畳は、柔らかく温かい。

「漣も、寝ましょう」

 胡座をかいたままの漣に向かって、節は声をかけた。漣は節を護る為に起きていた方が良いであろうかと悩んだが、やがて欠伸を隠せなくなり、同じように畳へと寝転がった。少し位、休息は必要であろう。

 そう言えば、此処最近良く眠れていない。此処は出雲である。神々が平等に護られる地──夕暮れ迄微睡むのも、良いのかも知れない。そう思って、目を閉じた。

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