第4話 蒼維

「……節、──節」

 肩を揺さぶられ、節が目を覚ますと、取り付けられた窓から昇る朝日が眩しい程であった。

「何、漣」

「もうすぐ浜田市駅に着くぞ。汽車を下りなければならない。行くぞ」

「はぁい」

 節は起き上がり、欠伸を一つ漏らす。それから起き上がり、皮のみとなった冷凍ミカンとトランクを持って、既に準備を終えている漣と共に、乗車口へと向かった。車窓から見る浜田市は、未だにトタン屋根の簡易な家が並び、戦争の爪痕を残しているようであった。

 その風景も、何れは東京のようにビルディングが並ぶものになるのであろうか。少しばかり寂しい気がする。節は、そう思った。

「浜田市、浜田市」

 間も無くプラットホームに汽車は乗り入れ、車掌の声が響く。扉を開けて、節と漣は外に出た。今日の天気は、若干肌寒い。

 観光地でもある出雲大社へと参拝に行く者もいるのか、何名かがプラットホームへと下り立っていた。漣は節の肩を叩き、その中で一人の少年を指差した。ワイシャツに、半ズボン、そうして、節達と同じようにトランクを持っている。年齢的にも、節と近いであろう姿である。

「川の匂いがする。恐らく、彼も我々の仲間だ」

 その言葉に、節は驚いた。

「え、私達以外にもヒトに化けて来る主がいるなんて……声をかけてみましょう」

 と、彼へと駆けて行く。漣が伸ばした手は、空しく空を切った。ならばと、駆け足で節を追う。死ぬ迄部屋から出ていないと行っていた割りには、足が早い。漣が追い付いた時には、既に節は少年に声をかけていた。

「お早う、あなたも、出雲大社に用事があるの」

「……あ、うん」

 少年は緊張ぎみに頷いた。

「もしかして、川の主だったりする」

 節は質問を重ねた。少年は少したじろいで、

「良く分かったね。もしかして、君もかい、」

 と、恐る恐る言った。

「そうよ、まだまだ未熟だけどね。あなたは」

「僕は百年程通っているよ。しかし未熟と言う事は……まだ天照大神様から名前を貰ってはいないのかい」

 一見同い年のように見える二人であるが、中身は全く違う。百年主を勤めていると言う事は、節にとっては中々の大物である。

「あなたも元人間だったの」

「いや、河童だよ。初めは出雲大社に直接行ける神々専門の汽車に乗っていたけれど、一回乗り遅れた事があってね。それで、陸路を選んだら、汽車にはまってしまったと言う訳だ」

「あなたの本当の姿は見られるのかしら」

 節が聞くと、少年は一度頷いて、

「うん。出雲大社の中へは人形では入れないからね。河童の姿に戻るよ」

 と、言った。それから、

「そろそろ出雲大社行きの列車が駅に着く頃だ。一緒に行こう」

 節の手を取り、走り出した。

「ちょっと待って、プラットホームは違うの?」

 節は尋ねる。

「隣のプラットホームから出るんだ。何、ここが始発駅だから、余り急ぐ事もないんだけれどね」

 少年は言葉を継いだ。一番忙しいのは漣である。己から節に話を振った責任故、今更何も言う事ができない。ただ何も言わずに、二人のあとを着いていった。

 改札口を過ぎ、隣のプラットホームを繋ぐ通路に至る、階段に足をかける。同じような仲間ができた事に、二人ともどこか舞い上がっているようで、付き添いは追い付くのが精一杯である。

 立千恵線のプラットホームは、まだ時間が早いのか、人一人いない。暫くして、一両編成の列車がやって来た。乗車口の扉が開く。

「乗ろうか」

 と、節と手を繋いだまま少年は言った。汽車に乗り込み、席に着く。向い合わせの席に、漣が前に座り、節と少年がそれに向かい合うように腰かけた。

「そう言えば、あなた。名前は」

「僕かい、」

 少年は節と漣を見回すと、一息置いてから、名乗った。

蒼維あおいだ。蒼維河童神あおいがわわらべしん。故郷は遠野だよ。君は」

「私は節。まだ名前を貰っていないから、ただの節よ。それで、目の前にいるのが、漣と言うの」

「漣、あなたは何処かの神」

 蒼維は漣に問う。

「昔は私を祭る社があった。しかし先の大戦で社が燃えてしまってな。社を建て直す者も、参拝客も来ない。迷っていた所を、節の前の川の主に拾って頂いたのだ」

 漣がそう言った時、汽車が音を立てて走り出した。

「この中で、私が一番若輩者ね。漣、蒼維」

 揺れる車内で、節は言葉を紡いだ。

「そうだね。出雲大社を案内してあげるよ、節」

「有難う」

 そのような二人の会話を聞きながら、漣は内心悩んでいた。己はその場に居るべきではないであろう。節は何処か恋をしたようにはしゃいでいる。そこに己が入り込めば、愚痴の一つも言えないであろう。心地よく揺れる汽車の中で、そんな想いを巡らせていた。

 やがて、立千恵線は終点である出雲大社前に着く。三人で汽車を下りると、プラットホームから、出雲大社が見えた。己が訪れた頃と同じような、駅からも臨む事の出来る、広い社である。

 改札で切符を切り、外へ出る。とうとう出雲の土を踏んだのだ。節は、至極楽しげであった。

「興奮するのはまだ早いよ。これからもっと凄い事が起きるから」

 蒼維は言う。大社へ向かう参道には様々な飾り物が吊り下げられ、人々が如何に各地からやってくる神々を歓迎しているか、分かるようであった。やがて一行は大きな鳥居を潜り、中へと足を踏み入れた。と、蒼維が節を草むらの中に引き込んだ。

「出雲大社の鳥居を潜ったら、依り代から元の姿に戻るんだよ。節も、出来るかな」

「出来るわ」

 節はそう言って、人形を取り出した。息を吹き掛けると、ワンピース姿の少女は、天女にも似た装束を纏った川の主へと姿を変える。漣も、狩衣姿の川風の鬼神となった。蒼維も、河童の姿に戻っている。蒼維の余りの変わりように、節は少し驚き、

「やっぱり、河童さんなのね……」

 そのような言葉しか、口に出来なかった。

「驚いたかい、僕も実は依り代の姿の方が気に入っているんだ」

 と、蒼維は頭を掻いた。そうして、依り代の人形をトランクにしまい、いよいよ巨大なしめ縄のかかる出雲大社のある方角へ歩を向けた。

「僕達が入る所は少し違う場所なんだ。大丈夫だよ、荷物も入り口で預かってくれる」

 草むらから出、尖った唇で、蒼維は言葉を口にする。

「蒼維、私達の姿は……」

 節は少し心配気味に問うた。漣は節に合わせて、草むらの中にいる。

「勿論見えないから、出てきても大丈夫だよ」

 おいで、と蒼維は手を差し出した。異形の河童の姿であっても、蒼維は優しい言葉を節にかけてくれる。最初こそ警戒していたが、蒼維は案外優しいのかも知れない。二人を追いながら、片手に残った昨日の温もりを胸に、漣は己も久方ぶりの出雲大社の神々のみが入る事の出来る、少しいりくんだ社の奥へと向かっていった。

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