第7話 弱者=娘の圧倒的強者=父への戦術

 それぞれビールを1本飲み切った同級生の男性らも、続いて店を出た。

 ただし、彼らの向かう方向は先の女性客とは正反対の方向。

 50代前半の元公務員と現役作家は、この日から約200メートル東の路地に移転した「くしやわ」へと移動した。ここは以前、うどん屋だった。駅前再開発の区域からは、幾分外れた場所である。


 店に入った彼らはそれぞれ、まずは生ビールを頼んだ。飲み放題には、しない。それが証拠に、彼らのうちの一人が入れている焼酎のボトルも、テーブルに運ばれてきた。氷やグラスは、後で持ってきてもらうことにしている。


「おい、米河君、久しぶり」

「日高さん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」

「そちらは、賀来さんですな。ご無沙汰しています」

「あ、日高先生、ご無沙汰しております」


 カウンターにいた老紳士が、二人の座るテーブルに移動してきた。

「ところで賀来さん、あなた、そろそろ選挙ですな。どうですか?」

「ええ、私のような国家公務員上がりで政治家になるパターンはよくあるものと皆さん思われていましょうが、じゃあ、当事者になってやってみろと言われたら、やっぱり、緊張するものですよ。まあ今は、別のとある団体の役員の仕事もありますけどね」

「そうですかな。これからですな、あなたも。お体には、気をつけて頑張ってください」

「はい。ありがとうございます」


 ここにきて元校長氏は、本題を切り出した。

「それでじゃ、米河君、本題。先日の元保母さんの手記、読んだか?」

「ええ。拝読いたしました。何とも言えない気持ちになりますね・・・」

「じゃけど、どうかな。ほんの数か月とはいえ、実質的な母子。これだけ真剣に人様の子どもと向き合えたら、そりゃあ、自分の子が生まれたあかつきには、何とでもなろうな。というのは、いささか買い被りが過ぎるのかもしれんが、あの仕事を・・・」

 いささか遠慮がちに述べる老教師に、元公務員の賀来氏が話に再度割って入る。

「そうですね、私もこの下山さんの手記を読みましたけど、先生、ご覧ください、こちらが私の娘のまどかと申しまして、今都立高校の2年生ですけど、これね、15年前の娘と妻です。それから、こちらが先日撮影した家族写真でして、真ん中にいるのが娘です。私には他に子どもはおりませんから、一人娘です。まあその、弟に息子がいますから、うちはもう、娘には、好きにしていいと申しました。そういう踏切がついたのも、何だかんだで、こいつのおかげですよ」

「こいつとは、わしのことか?」

「そう、その自称「わし」以外の誰でもない。先日彼に会って言われたのが、要は、娘を取込もうとし過ぎたら、必ず破綻すると。そこで、家制度や家父長制に対する批判もしっかり織り込んで、まあ、ものの見事に抑えてくれました」

「そりゃあまた、米河君、また、よっぽどなことでも言ったのでしょうかな?」

「ええ、言われました。私は、由緒ある賀来家を、まどかに、継いで欲しいという思いで育ててきました。それは確かに、それなりにあの娘(こ)にとってもよい形に作用したところは大きかったと総括しています。とは申すものの、娘が中学生になった頃から妙に、父親である私の知らない世界を持って、そここそを軸にして生き始めたように見えましてね、それで、一時はかなりきつく当たったこともありました。そこに来て、こいつがまあものの見事に、とどめを刺してくれましたよ。ぼくら親子はお互い「のり弁」、ほら先生、私たち公務員が公開する公文書で、黒く塗りつぶしているのがあるじゃないですか、それを出し合っているような状態だと、言ってくれましたよ」

「ほう、のり弁ね。それはまた面白い例えですな。で、米河君、どういう趣旨だ、それ?」


 日高氏の質問に、米河氏が答える。

「そののり弁というのはつまり、そこに出された相手方の情報を無暗に第三者に見せないための措置ですよね。娘が父親に、あるいはその逆も含めまして、特に力関係で弱かった娘が父に対して、そのような措置をして対応していく。思春期というか、反抗期とも申しますが、その「自立」の過程における娘という弱者が、父という庇護者にして圧倒的強者に対して対等に渡り合い、自らの位置を確保する手法であるということでして」

「ということは、それがまどかさんという娘さんの、父親である賀来さんに対する反抗の手法にして、自立へのプロセス、つまり、「成長」の姿だという解釈かね」

「はい。そのとおりです」

「そこはまあ、譲れます。確かに。けどこいつ、その結論を導くにあたって、まあ、世にも「キモイ」ことをのたまってくれよりました。ぼくが、娘の代わりに女子高生になって娘の代わりに生きていくのなら、何も文句は言わんとか(爆笑)」

「ほう、面白いことを言うねえ、米河君は・・・」

「日高さん、そうじゃないですか。時代が違いますからね。しかも、あの昭和の終り頃の中高生だった私らと、賀来君の娘のまどかさんが中学生や高校生として生きている今は、どれだけ違いますか、ってことです。ついでに言えば、男女の差もありますから」

「で、こいつ、何を言うに事欠いたのかかこつけたのか、ブルートレインや食堂車や二階建て新幹線の時代じゃないだの、何だの、散々、自分の趣味趣向の虫干しをひとしきりやらかしてくれましたよ。こればっかりは、閉口しました」

「そういうオタクさんも、わしのセリフをしっかりとってくれよったやないか」

 ここで、彼らより少し年長の老紳士が、話を整理に入った。

「とはいえ、人類史上で言えば、そんなもの、わずかの差ではないかな。お二人ともご存知と思うが、今どきの若い者は云々など、古代のエジプトの落書きにもあるほどだ。賀来さんと娘さんの世代では、確かに約30年の時代差も男女差もあるけど、人類というくくりで見れば、そんなものは、蝸牛角上の何とか、程度のものでしょうよ」


 老紳士の指摘に、2回りほど若い紳士たちが頷く。

 三者三様、しばしつまみを口にしつつ、透明なアルコール入り液体をすすっている。

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