第8話 ザ・ベストテンの時代へ

「あの小田英一君の話、ちょうど米河君がよつ葉園でこっそりあのベストテンを消灯時間後に見ていた時期と、ほぼ同じじゃなかったか? アリスのチャンピオンが1位で、ゴダイゴのガンダーラが2位。その頃、私も勤務時間ついでに、中学生の男子児童らと一緒に観ていたから、よく覚えていますよ。賀来さんは、ベストテンは観ておられました?」

 日高氏の質問に、教え子ではないが幾分若い知人の同級生に尋ねる。

「ええ、観ていました。確か小学2年生の終り頃でしたが、木曜日だけはベストテンがあるから、10時まで起こしてくれって父に頼んだら、快く認めてくれました。父の高校の同級生の医師をされている方は、小学生の息子さんに対して将来医師になったときはいつ急患が来るともしれんから、夜遅くまで起きている習慣が必要だとか言って、週に何回かはそういう日を作っていたそうです。さすがにうちの父は、それはあまりだろうと言っていましたが、その同級生の方の話を思い出して、それくらいなら別に構わんと、むしろぼくの成長を喜んで対応してくれた気がします。そういえば、こいつ、先日どこかの雑誌にそのエッセイを書いていましたよ。日高先生、読まれました?」

「もちろん、読みましたよ。賀来さんは、どう感じられたかな?」

 その質問に対し、作家の同級生はおもむろに一口だけ焼酎をすすり、語り始めた。


 何と申しましょうか(苦笑)、彼のルサンチマンと言いますか、その時代、体験したくてもできなかったことへの恨み辛みというのが、ずっとある。その結果、過去のものにあこがれを持ったまま育って今に至っている。ざっと、そんな感じですね。

いつか米河君が言っておりましたけど、鉄道趣味の世界の人たちは総じて、そういう思いを皆さん持っておいでだと。それは何も今の世代だけでなく、その世界の先人の皆さんも、同じような感覚をお持ちだったようですね。

 現に米河君は、中学生の頃、O大学の鉄研の例会に行くついでに、国鉄の鉄道管理局やら気動車区などに行っては、職員の人たちと仲良くなって、いろいろな資料をもらったり見せてもらったりしていたようですが、その頃から10年少々前の、新幹線が岡山に来る前の山陽本線の特急の資料とか、そういうものをもらうというパターンが多かったと聞いています。本なんかでも、古本で買ったり、あるいは図書館で借りたりして、そういうところから、昔の資料を集めては読んでいたと聞いております。

 ベストテンのあの話も、それと同じ要素が強く出たものではないか。

 私、彼に前に会ったときも申しましたけど、娘がまだ小学生の頃、数度ばかり夜更かしを注意したことがありまして、その時には必ず、こいつが昔言っていた「幼稚園児じゃあるまいし・・・」って言葉を思い出したものです。宵の口の8時やそこらから寝てられるか、ってのを。


「ええ、賀来君のおっしゃる通り。もう、それ以外の何物でもありません。以上。そうとしか、確かに申し上げようのない話です。うちの鉄研で2歳下になる神戸の芸術家の息子というのがおりまして、彼に言わせれば、一種の倒錯した心理だとか何とか」

 そこまで言ってロックの焼酎をすすった米河氏に対し、賀来氏が話を変えてきた。

「実は前に会ったとき、彼がこの写真を見て、松田聖子の『蒼いフォトグラフ』って歌を引合いに出してくれましてね、あれは本来若い男女の歌であるはずですが、私共のような父親と娘の関係においてもその関係は成立つ、ある意味対等な男女の関係よりもむしろ的確に当てはまる面があると、のたまってくれましてね」

「ああ、ゆうた、言うたとも(苦笑)。そんなこともあろうかと思って、今日はプリントアウトしてきております。改めてどうぞご一読くださいませ」

 米河氏はあらかじめ用意していた紙をテーブルの上に提示した。彼の同級生と元校長で養護施設職員だった老紳士が、その歌詞の文字を追っている。その紙上には、米河氏がお世辞にもきれいとは言えない字で書いたメモ書きもある。

「まあしかし、ミミズの這った文字で好きなこと書きよってからに・・・」

 やり玉に挙げられた賀来氏が、呆れながらつぶやく。

「この歌詞を読むからに、作詞家の意図はともあれ、確かに、米河君の解釈が成立する余地は、十分にあり得るね。で、先日うかがったところ、米河君は賀来さんに、物理的かつ皮相的な論点でかみつくなとか何とか、述べたそうだな」

「ええ。この歌詞によれば、その男女の写った写真が一度破られ、修復措置としておそらくはセロテープで貼られたという趣旨の言葉が出てきます。賀来君の娘さんが幼い頃の家族写真、確かに破られたりテープで貼られたりはしていませんが、彼は、当時の思い出に対してそのような行為を心の中でしていたのではないかと、述べてくれました」

「確かに、そう述べました。あの歌、私も中学生のころから何度となく聞きましたから、歌詞はわかっていました。あの歌の出だしで印象も強かったですからね、その部分の歌詞の内容が。そこは確かに、米河君の指摘はさすが鋭いなと、思った次第です。しかし彼ね、まどかやその友人らにとって、私の今の彼女たちに対する立ち位置が、彼が養護施設にいたときの職員、特に担当の保母さんと同じようなもので、まどかにとってはたまたま実の父親であるにすぎないと、そういう指摘をしてきました。これはこれで、間違えいではないです。ただ私が、そこを、今の法令通りの保育士という言葉で述べたものですから、見事に、法令用語の解説を、こいつ、しでかしてくれましたよ(笑)」

「その場面にはいなかったけど、私には容易に想像がつきますね。法令上、保育士は当時保母、養護施設であって児童養護施設じゃなかったとか、そんなところでしょう」

「まったくもって、そのとおりですよ。人によくまあ、物理的で皮相的な論点でかみつくなと言いながら、そういう自分も同じことしてやり返してきているではないかと、ここはしっかりと、言い返してやりました(苦笑)」

「は、ハイ。確かに、皮相的なかみつきであったことは、認めなくもないです(苦笑)」


 一見相手の揚げ足を取合っているようにも聞こえるやり取りではあるが、場の雰囲気は決して悪いわけではない。彼らは一様に機嫌よく、それぞれが頼んでいるつまみを食べつつ、焼酎と呼ばれる酒と氷をグラスに補充しつつ飲んでいる。時として、酒の入っていない透明な液体を口にすることもあるが、それは水分補給用の水である。

 

「それじゃあ、米河君、今度の下山さんの件、来週、頼む。正確な日時は、こちらから連絡するので、よろしく。君の予定のほうはすでにお聞きしているから、そちらに合せてお越しいただくことにするから」

「はい、わかりました。これでようやく、宿題が完成しそうですね」

 老教師の出している「宿題」というのは、作家氏にとっては「取材」とそれに伴うルポの執筆のこと。

 その「取材」がなければ、その宿題は先に進まず、永遠に完成しない。

 夏休みの宿題のように期限は特にないのだが、そのかわり、その成果は彼のつむいだ文字を通して、人類史上の片隅に、永遠に残るものなのである。


「出来栄えが今から、楽しみですな」

 政治家に転身予定の作家の同級生が、一言、合いの手を打った。


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