インド3部作その1−インドで日本な秋の幻想−

「11月11日金曜日、午後6時半より興福寺でインド瞑想ライブ開催、ワンドリンク前売り二千五百円、当日二千七百円。」


「ザ・ながさき」を見ていてその情報を見つけたとき、日本のお寺でインド音楽だなんて、これは行くしかない。そう思いました。


ライブの日は翌日でした。一人で行くのもなんなので、誰か一緒にいく人いないかなと思って片っ端からメールを送って誘ってみました。


「明日インド瞑想ライブワンドリンク二千五百円、行きませんか。」


という文面で誘った何人かは、みんな、ちょうど、何かしら明日に限って用事があったようでした。


今度は

「明日インド瞑想ライブ、そのあとカレー食べに行きませんか。」

という文面で誘ってみました。

「面白そうですねー」

という返事が返ってきた人に、

「ワンドリンク二千五百円ですが。」

と伝えると、返事がなくなりました。メールで絶句するほど火急の用事でもできたようでした。


今度はあまりよくないやり方だと知りながら、内容を伏せて、

「明日ヒマ?」

というメールを送って、

「ヒマですよ。」

と返してきた人に、

「インド瞑想ライブ、ワンドリンク二千五百円。」

と、送ると、ヒマだったはずのその人には急にその日仕事が入りました。 インド瞑想ライブの日に限って、誰も時間を取れる人がいませんでした。もしかしてみんなインド瞑想ライブを二千五百円払ってまで見たいと思わなかったのではなかろうか。そんなはずはないよ。そう思いながら僕は当日独りで二千五百円握りしめて興福寺に向かうことにしました。


興福寺の境内に入ると、本堂の入口の前に長テーブルを二つ置いただけのの簡単な受付があって、そこでお金を払うと、ライブは二時間で十分間の休憩が一回あるとの説明を受け、チケットと、本堂は寒いからということで使い捨てカイロをもらいました。そして、その横で、本堂に入る前にワンドリンクをどうぞ。ワインかインドのお茶のどちらにしますかと聞かれました。別にそれほど寂しいわけではなかったのですが、独りの寂しさがちょっとあったので、紛らわそうとアルコールに頼ってしまい、思わずワインをお願いしてしまいました。


ワインをビールでも飲むような感覚でごくごくと飲み干して、ふーっと一息つくと、なぜか戦場に乗り込むような気分で本堂へ入っていきました。


いつもは遠目から眺めるだけの仏様の近くまで行くのは初めてでした。インド瞑想ライブのお陰でした。本堂は畳ではなく土間です。仏様の前に、三人座って演奏できるような台とマイクが置いてあり、その周りに百人分ぐらいのパイプ椅子が置いてありました。照明といえば、高い天井の上からうっすらと灯る明かりがほんの数個ぶら下がっているのと、演奏するための台の周りに蝋燭が置いてあるだけでした。薄暗い中に、わずかな明かりが本堂を、仏様をぼんやりと照らしています。これは神秘的です。これだけでも瞑想に耽ることができそうでした。


すでに会場にはそこそこ観客が来て座っていました。さて、空いている席に適当に座り、始まりを待ちました。 定刻をすぎてもなかなか始まらないので、仏様の前なのにちょっとイライラしていたところでした。きっとこれがインドの服装なのだろうという服装をした日本人の若者三人が、楽器を持って本堂に入ってきました。観客は拍手で迎えました。


三人は拍手をよそに台にそれぞれ座り、二人は弦楽器を、一人は打楽器を構えて、ポローン、ポローン、ベーン、ベーン、ポコンポコン、ポロンベーン、ポロンベーン、ポコンポコンと、交互に、そしてやがて同時に楽器を鳴らし始めました。音合わせをしているようでした。インド風といえばインド風ともとれる、独特の音色でした。


音合わせがなかなか終わらないようでした。早く曲を始めないといくらなんでも遅いぞと思いました。気が付けば十分ぐらい続いていました。突如、三人が音を出すのをやめ、立ち上がり、


「どうも、ありがとうございました。」


と言って、ぺこりと礼をしました。


ええっ!今の、曲だったの?


僕はずっこけそうになりました。しかし悔しいことにずっこけそうな気持ちを共有できる同伴者がいません。今のが曲だなんて、そんなバカな。だって始まりの挨拶もなかったじゃないか。しかし観客はみんな拍手をしています。


僕を納得させていないまま、三人のうち一人の、どうやらリーダーらしい人が、

「それでは、二曲目、聴いてください。」

と言って、それからまた、ポローン、ポローン、ベーン、ベーン、ポコンポコン、ポロンベーン、ポロンベーン、ポコンポコンしはじめました。今度の曲はどんなのだろうと思って始まるのを待っていたら、しばらくしてからまた、突如、三人が音を出すのをやめ、立ち上がり、


「どうも、ありがとうございました。」


ぺこり、パチパチパチパチになりました。二度同じ手に引っかかってしまい、またずっこけそうになりました。そして、今度もやはりずっこけそうなこの気持ちを共有する相手はいませんでした。


「それではみんなさん、メンバーの自己紹介を聞いてください。」

と言って、自己紹介を始めました。またずっこけそうになりました。一曲目の前、またはとりあえず一曲演奏してから二曲目の前、なら分かりますが、なぜ、二曲演奏し終わった今、自己紹介なのでしょうか。いや、今、僕は日本とインドの混じった異空間にいるんだ。これはインド式かもしれない。だから、そんなずっこけるな。受け入れようとするんだ。と、一生懸命自分に言い聞かせて自己紹介に耳を傾けることにしました。


どうやらそれぞれのプロフィールと楽器の説明をしているようだったのですが、残念なことに、本堂を利用した特設会場のスピーカーの向きと席の位置がまずかったらしく、何を言っているのかよく聞き取れませんでした。ただ、なんとなく、三人が演奏しているのは、インド映画やインド料理屋で流れるインドの流行歌ではなく、伝統的な音楽であるということを言っているようでした。受け入れろ。受け入れろ。と、言い聞かせ、三曲目に臨みました。


ポローン、ポローン、ベーン、ベーン、ポコンポコン、ポロンベーン、ポロンベーン、ポコンポコン、ぺこり、パチパチパチパチ。


またやられました。 前半が終わり、十分間の休憩時間になりました。 ドリンクが余ったらしく、ワンドリンクと言わず、欲しい方はどうぞということだったので、景気付けにもう一杯ワインを頼んでもう一度ごくごくと飲み干しました。腑に落ちない。神秘、瞑想という単語で片付けることができない。僕は後半もこのまま中途半端な気分のままなのだろうか。この気持ちはどうにかならないのだろうか。ケチケチした話だが、このままでは二千五百円分の何かを得ていない。どうにかしなければ。そう思って一人悶々としていたそのとき、ふと、辺りを何気に見回したときに、リーダーらしき人が喫煙スペースで煙草を吸って客の一人と談笑しているのを見つけました。


なにしろ百人ちょっとのこじんまりとしたライブですから、休憩は客も演奏の人も一緒なわけです。ぼくは、彼らの会話が途切れた一瞬を逃さず、興奮気味につかつかとその人のところに早歩きで向かっていきました。そして、話し掛けました。


「どうも。こんばんはっ。」

「どうも、こんばんは。今日は来ていただいてありが・・・」

「あの、一つ訊きたいんですけどっ。」 「え。あ、ああ。どうぞ。何ですか。」

「あのぉっ、曲が始まるとき、最初は音合わせですよねっ。」

「はい。そうですよ。」

「ほらぁ、やっぱり最初は音合わせなんですよね。それで、僕が訊きたいのは、僕が訊きたいのは、曲は一体どこから始まっているんですかっ。正直言って分からなかったです。」

演奏の人は笑顔で煙草を吸いながら静かに答えました。

「どこから始まっているか。なるほどねえ。はっはっは。そうですか。最初は確かに音合わせです。そして、そこから実は三人で、せーので合図して始まるタイミングがあるんですよ。今度よく、聴いてみてください。」


後半が始まりました。

「それでは、後半を始めたいと思います。あと、一時間、お付き合いください。」

そのまま例によってポローンポローンが始まるのかと思っていたら、リーダーらしき人がさらに続けました。

「いやー、実はさっき、休憩のときに、訊かれたんですよ。『一体どこから曲は始まっているのか』ってね。」


百人の客がどっと笑いました。笑い声は本堂の神秘的な空間で奇妙に、しかし心地よく響きました。


―なんだ。客はみんな分かってなかったんだ。僕だけじゃなかったんだ。僕は神秘的なもの、瞑想を感じ取らなければ、と気負っていたけどそんなことしないで普通に音楽聴けばいいんだ。それに何よりも、こんなところで間接的に笑いが取れるとは思わなかった。伝統的な音楽を演奏する人にはユーモアがないものだと無意識に決め付けていたけど、そんなことない。間違っていた。気さくな人たちだ―


文章で表現するとざっとこんなことが、笑い声の瞬間にいっぺんに感じ取られ、僕に圧し掛かっていた重たい何かがふっとなくなった気分がしました。


「それでは、曲がいつのから始まるのか、気をつけて聴いてください。それでは後半一曲目、演奏します。」


ポローン、ポローン、ベーン、ベーン・・・・・ ・・・・・ポロンベーン、ポロンベーン、ポコンポコン、ぺこり、パチパチパチパチ。


あ、しまった。またやられてしまった。


結局いつが曲の始まりなのか分かることはできなかった。でも、いつのまにか曲が始まり、気が付いたら終わっている。時間を感じさせないこの音楽で、僕は「瞑想ライブ」の名のとおり、瞑想に誘われていたのかもしれない。きっとそうだ。そう思って音楽に酔い、間接的に笑いも取れたし気分もよく、さらに彼らのCDを買ってルンルンしながら足取り軽く帰りました。

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