インド3部作その2−ファイの奮闘

まだ、長崎に牛丼のチェーン店がないころ、外国人労働者がお店の店員をするのがまだ珍しかったころの話。


東京出張だった僕は、六時ごろ、いそいそと、原宿の牛丼チェーン店に行った。テレビでよく言及されるのに、見たことない、食べたことない牛丼を食べてみたかったから。おそるおそる店に入って、カウンター席に座った。そしてカウンター席に据え付けてあるメニューを見ていた。


すると、インドか、パキスタンか、ネパールかスリランカ、バングラディシュあたりの人だと思われる、明らかな外国人のお店の制服着た店員が、日本人の店員に話しかけられている。


「よし!がんばれよ!」    


日本人の店員は、外国人の店員に檄を飛ばして、おそらくアルバイト初日の外国人の店員が今、ホールに放たれた。


時刻は六時ごろ。さっそく、慣れた感じの客が入って来た。どんなものがあるんだろうとメニューを眺めている僕とは違い、素早く、迷わず、注文をした。


「牛丼並をひとつ。肉多めで。」  


外国人の店員、多分、初めてなのに、いきなり難しい注文が来たな。


「ギュウドンナミイッチョウ!ニクオオメ!」

「あのな、ファイ。そういうときは、『並一丁、あたま多め』と言うんだよ。」

 

先輩店員が文言を修正する。そして、この店員は名を『ファイ』と言うらしい。 ファイ、次の客。


「牛丼大盛りひとつ。」   


「ギュウドン、オオモリイッチョウ!」


「あのな、ファイ。さっきも言っただろ?『大盛り一丁』っていうんだよ。」


どうやら、『牛丼』は当たり前なので、大小だけで言う決まりのようだ。そして、思ったのは、さっきは多め、今度は大盛り、ファイには分かりにくいだろうな。 


「牛丼大盛りひとつ。玉子も。」

「オオモリイッチョウ!タマゴモ!」

「あのな、ファイ。そういうときは、『玉(ぎょく)一丁』って言うんだ。」


せっかく、『牛丼』を言わない正解だったのに、玉子で失格。ファイ、かわいそう。


「つゆだくだく」

「ねぎだく大盛り」


明らかにまだおぼつかない新人に容赦なく、応用問題をぶつける客。東京ってこわいところだな。ファイは一生懸命、客に言われたことを大声で復唱する。


「ツユダクイッチョウ!」 

「ネギダクオオモリイッチョウ!」

「ファイ!『つゆだくだく』だろ!間違えるな!」


先輩店員、まだ、ファイを信頼しているわけではなく、目を利かせているようで、ファイの取ったお客さんのオーダーも聞いていて、厳しく修正する。ファイは一生懸命頑張っているが、そのたび、客の面前で正確な言い回しに一回ずつ修正される。客も多いし、とりあえず意味は通じているし、まずは、ちゃんと持ち運びや片付けができればよしとしてあげればいいのに。これが、この店流なのか、この先輩の独自のやり方なのか。ファイ、頑張れ!

 

さて、僕はと・・・牛丼のメニューをひとおおり見たけど、ファイのために、並一丁でいこう。難しい注文はしないようにしよう。僕は、ファイが他の注文や用件をかかえていない状態であることを十分確認して、声を掛けた。

「すみません。」

「ハイ、ゴチュウモン、オキマリデショウカ?」  

「牛丼の並をひとつ、お願いします。」  「カシコマリマシタ。ナミイッチョウ!」

「ほーい!並一丁!」


厨房から返ってきた復唱に、僕は安堵した。無事ファイのオーダーは通ったようだ。 時刻は六時。続々と客が入ってくる。二人連れが入ってきた。僕がひとつ席をずれば、その人たちは座れる。僕は、席をひとつずれることにした。  


「どうぞ。こちらに。」

「あ、すみません」   


ファイのために、シンプルなオーダーを的確なタイミングでしたうえ、席を譲ってお店にもいいことをした。僕は満足だった。隣に座った人が、座るや否やにファイに注文する。

「牛丼、並。」 

「俺も。」  


「カシコマリマシタ。ナミニチョウ!」 「ほーい!並二丁!」


注文は『俺も』という応用問題だったが、ファイは首尾よくこなし、並二丁、オーダーも厨房にも無事通ったようだ。よかった。僕の心は、もはやファイと一緒だった。


「ナミイッチョウ。オマタセシマシタ。」


僕の隣の人に牛丼の並が来る。その人はガッと食べ始める。続いて、先輩店員が牛丼並をふたつ追って持ってくる。


「並二丁、お待たせしました・・・・・あ?」   


先輩店員がファイの方をキッと見る。 


「ファイ!お前順番間違っただろ!こっちの方が先だぞ!」 

  

そうか。僕が席を変わったから、ファイはその席に最初の牛丼並を持って行って・・・・よりによって次のふたつを先輩店員が持ってくるとは・・・・。 おそらくファイはまだ、客の顔を覚える余裕なんてないし、僕が南アジア人同士の顔の区別がつきにくいのと同じで、おそらく東アジア人の区別もつきにくいだろう。席の番号で記憶するしかない。 ファイは先輩店員にこっぴどく怒られている。文言を間違ったときとは大違いの怒り方だ。別にちょっと後の客に先に牛丼が来ただけで、僕全然怒ってないのに。ごめん、ファイ。あんなに気掛けていたのに、結局ファイを妨害する側に回っちゃった。そして、どうせこんなことになるなら、せっかくだから大盛りにして、玉子も頼んどけばよかった。


先輩店員の叱責を受けておそらく落ち込みながらも、ファイは一生懸命その後も注文を取り、牛丼を持っていき、後片づけををし、働き続けた。 初めての牛丼、ファイのことが気になって味がよく分からないまま、終わってしまった。でも多分、今も愛用しているから、美味しかったんだと思う。

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