第9話 校長と校門

校門と校長



 しばらくの間、秋と桜子は静かに赤紫色の空を見上げていた。


「何だかこの空、気味悪いね」

 秋がぽつりと呟く。

「そうですね。無性に不安な気持ちになります」

 桜子もぼんやりと答える。

「…これからどうします?」

 桜子の問いに秋は唸りながら考える。


「一度、学校から出よう」

「花ちゃんたちは探さないんですか?」

 桜子は意外そうに聞き返す。

「うーん。正直かなり気になるけど、俺たちが闇雲に動き回るのは危ないよね。またさっきの奴が出てくるかもしれないし。まずはここから出て、誰かを呼んできたほうが賢い気がする」


 本当は二人をすぐにでも探しに行きたい。さっきの悲鳴から察するにきっと花たちも秋たちのように得体の知れないものと遭遇した可能性が高い。

 花だったらまず俺たちを探そうとするだろう。


 でもここで感情的になっても解決しないしな。

 秋は悔しそうに唇を噛み締めた。


「俺って、薄情かな」

 秋は桜子に聞く。しかし桜子はそっと首を横に振った。

「いいえ。私もそれが一番だと思いますよ」

「そうだよね。でも、後で花に怒られそう。はくじょーものって」

「その時は私も一緒に怒られますよ」

「わお。さすが桜ちゃん」

 秋と桜子はお互いの顔を見合わせて笑った。


 するとまるで合図を出すかのように、校舎中にチャイムの音が響き渡った。二人は体をびくっと震わせる。

「ぜ、善は急げということで、いこっか」

「は、はい」

 秋と桜子は忍び寄る不穏な夜の気配を感じながら、歩き出した。


 この旧中学校は西門を入ってすぐのところに体育館がある。そして体育館と旧校舎は短い渡り廊下で繋がっていた。

 そして東門側には鯉を飼うための生け簀や、ウサギやニワトリを飼うための大きなゲージ、生徒が理科の授業で使用するための畑や花壇がある。


 秋と桜子は先ほどいた裏口から歩いてすぐの西門のところにいた。門にはチェーンが厳重に巻かれており、南京錠でしっかりと固定されていた。


「この学校の色んなとこが昔の姿に戻っているみたいだけど、この門はそのままなんだね」

 秋はそこに、ここから誰も出さないという何かの意思が働いているのを感じた。

「ま、それだったら飛び越えるしかないよね」


 秋は門に足を掛けた。気をつけて、と桜子が秋の背中に声を掛ける。

 門の一番上まで難なく登ったところで、向こう側に飛び降りようと体を構えた秋は絶句した。


「――何だよ、これ…」


 門の外側には、真っ暗な空間が広がっていた。下を見ても地面と呼べるものがなく、深さがまるでわからないくらいの大きな穴が存在していた。

 まるで、この学校がはるか高い崖に囲まれているかのようだ。

 秋はその光景にめまいを起こしそうになる。

 ここから飛び降りたら、どうなるかわからない。秋はどこまでも落ちていきそうなこの巨大な穴に、心から恐怖を感じた。


 秋は試しにポケットに入っていたガムを落としてみる。ガムはそのまま深い闇に落ち、あっという間にその姿を消した。


 ――地球の裏側まで落ちていきそうな深さだな、これ。


「秋くん、どうしました?」

 桜子がそんな秋の様子に違和感を抱き、声を掛ける。

「どうって・・・」


 秋は門の上から桜子を見る。しかし桜子は不安そうに秋を見ているだけで、穴の存在に気づいているようには見えない。


「おっきな穴がある」

「穴・・・ですか?」

 桜子は怪訝な顔をして門の向こうを見る。

 やっぱり、桜ちゃんには見えてないんだ。

 秋は門から校内側へ飛び降りた。そして門外を見ると、そこには穴などなく普通の景色が広がっている。

 さっきのは見間違いかな。いや、そんなわけない。


「何か、あったんですか?」

「いや、ちょっと」

 もしかして、あの穴は門に登らないと見えないのかな。

「桜ちゃん・・・・ちょっといい?」

「何ですか?」

「ちょっと、この門登ってみて」


 桜子は秋の言葉に、何か意図があるとすぐに理解したようで、黙って門に足をかけた。

「あ、前のめりにならないでね。あと、絶対に門は超えないようにして」

 秋が、門を登る桜子のスカートを見ながら声を掛けた。


「これは――」

 桜子は門の上まで登ると、そのまま言葉を失った。そしてゆっくりと慎重に門から降りてきた。


「穴が・・・・ありますね」

 桜子は秋に向かって呟く。

「やっぱり。門に登らないと見えないみたいだね」

「つまり・・・・どういうことでしょうか」

 桜子は不安そうに表情を曇らせて聞く。


「つまり、ここから出られないってことだね」

 秋は困ったように答える。

「・・・・どうしましょう」

「予定変更。やっぱり、直たちを探そう。大丈夫、何とかなるよ」

 秋は努めて明るく言って桜子を励ます。


 正直、秋自身も不安で仕方がなかった。秋もどこかで外に出れば大丈夫だと思っていたからだ。

 しかしその期待はあっさりと、打ち砕かれてしまった。しかも更には、恐怖という最悪のスパイスまで追加してくれたときたもんだ。たちが悪い。


 徐々に空は赤紫色に染まっていく。外にいるのがこんなに落ち着かないなんて初めてのことだった。

 二人はしばらく呆然と立ち尽くしていた。


 ――すると、遠くからかすかに掛け声らしきものが聞こえてきた。


「何の声だろ?部活?」

 秋は声のする方へ目を向ける。どうやらその声はグラウンドから聞こえてきているようだ。


「あれは、サッカー部?」

 桜子が目を細めて呟いた。グラウンドには数十人のウインドブレーカーを着た生徒らしき人影が、ランニングをしているのが見える。


「そんな・・・・」

 桜子が力なく声を吐き出し、門に背中を預けた。

「どうしたの?」

 秋も目を凝らしてその人影を追った。そして、気づいた。


 彼らには、首がなかった。


 首の無いサッカー部員が聞き取り不可能な掛け声を発しながらグラウンドを周回しているのだ。


「もうさあ・・・・やんなっちゃうな」

 秋もやけ気味に頭を掻く。あいつら、どこから声出してんの?

「早く、校舎の中に行こう。あれはちょっと・・・グロい」

 特に桜ちゃんみたいな清楚な女の子には、かなりきついだろう。

 秋は少しばかり腰が抜けた様子の桜子の手をとり、素早く西玄関から校舎内へと入っていった。


 ――西玄関は、しんとしていた。校舎内には誰もいないはずなのだから当然かもしれないが、今の二人にはその静寂がありがたかった。


「ここには変なやつはいなさそうだね」

 秋は静かに話す。

「そうですね」

 桜子もさきほどのショックから少しだけ立ち直ったようだ。その声にはいつもの落ち着いた雰囲気が戻ってきていた。

「花ちゃんと遠藤くんはどこでしょうか」

「うーん・・・外には出られないしね。そうなると俺たちを探してると思うんだけど」

「そうなると、二人とも図書室に向かっているのかもしれませんね。もしかしたら既にいるかも」


 秋は思い切り溜め息をつく。

「――そうなるのかな」

「・・・・そうなりますね」

 桜子も秋と同じ気持ちのようだ。少々げんなりとした顔を見せた。

「じゃあ、またあそこに戻るの?少し前にあんな思いしたのに?」


 秋の頭の中にぷりぷりの姿が浮かぶ。あの容姿からは考えられない凶悪な行動は、既に秋にはちょっとしたトラウマとなっていた。


「ここの下駄箱で待ってたら来ないかな」

「花ちゃん達がどのルートから来るかわからないですからね。もしすれ違ってしまったら面倒ですよ」

「そっか。俺たちが図書室で待ってたら確実だもんね」

「しかも、ぷりぷりがさっきみたいに廊下にいた場合、私達が助けてあげられますし」

「俺たちがまたぷりぷりに遭ったら?」

「その時は――」


 桜子は少しの間沈黙していたが、秋を見て苦笑する。

「その時は、逃げましょう」


「――おやあ?君たち、何をしているのかね?こんな時間に」


 突然、秋と花は背後から声を掛けられた。二人は電気を流されたかのようにびくりと反応すると、素早く振り返った。


 そこには、大きな銅像が立っていた。

 丸い眼鏡をかけ、口ひげを生やし、髪の毛を後ろになでつけた恰幅の良いおじいさんの銅像。その顔には人の良さような笑顔を浮かべている。


「あれ?こんなところに銅像なんてあったっけ?」

「さあ・・・・」


 二人の間に一つの疑問が生まれる。そして同時にその答えも。


「今の声って・・・・、というかこの銅像ってまさか・・・・」


「いやいやいや、きみい、私だよ私」

 ぎぎぎ、と銅像が片手を上げる。


 秋と桜子は、ぽかんと口を開けた。


「君たち、うちの学校の生徒さんかい?うーん、見ない顔だなあ。私がわからない生徒はこの学校にはいないのだがねえ。おかしいなあ・・・・。いやいや、それより君たち、良かったら私の部屋に来ないかね?ちょうど退屈していてね。話し相手になってくれたまえよ」

 その銅像はそんな二人にはお構いなしに話し続ける。


「・・・・そっかあ。これが校長の銅像かあ」

 秋が感情を込めずに呟く。

「直くんが、喜びますね」

 桜子も淡々と応える。

「悔しがるかもしれないよ。俺たちが先に見つけたからぎゃあーーーーー!!」

 秋が話している途中で絶叫した。校長の銅像がこちらに一歩近づいたのだ。


「な、なんだなんだ。別に怒るわけじゃないんだよ。ただちょこっと私と世間話をだね――」

 更にがしゃん、がしゃんと重そうな音を立てて近づいてきた校長先生に、さすがの桜子もついに叫び声をあげた。

「きゃあっ!」

 その声に校長先生もたじろぎ、こちらへの歩みを止めた。

「まま、落ち着きなさい、何かあったのかね?私に何かおかしなところでもあるのかね?」

 どの口が言うんだ!全部だよバカ!

 秋は心の中で叫んだ。


「こっち!」

 秋はそう言って桜子の手をひき、校長先生の脇をすり抜けるように走った。


「ま、待ちたまええええ!!」

 校長先生は手を伸ばして秋の肩を掴もうとするが、秋はそれを払いのけた。


 かったい!あれで殴られたらマズイ。というかぶつかられてもマズイ。というかもう、全部マズイ。


「廊下は走らないようにいいい!」

 校長先生はそう言いながら走って追いかけてくる。ガンガンガンという音が廊下に響き渡った。


「人のこと言えるかああああああ!!」

 秋はそう叫びながら逃げる。秋と桜子は階段を駆け上った。


「秋くん、ここ!」

 二階まで上り、三階への階段に差しかかろうしたところで桜子が手前の教室を指差す。

「え?」

 秋は階段へ向いていた体を急停止させる。

「この教室に!」

 桜子は小さく叫んだ。

 秋は静かに素早く教室の扉を開けると、桜子と一緒に滑り込むようにして入った。


「・・・・あそこに隠れましょう!」


 ――がしゃり、と教室に校長先生が入ってきた。


 そこで秋はしまった、と思う。扉を閉めておくのを忘れたのだ。これじゃあ自分たちがこの教室に入ったと教えているようなものだ。


「おーい、ここにいるのかあ」


 校長先生はぎぎぎ、とゆっくり歩き出した。重そうな動きで教壇の下をのぞいたり、床に這いつくばって机の下に秋たちが隠れていないかを見たりしている。


 秋の心臓の音が、狭い空間内に太鼓のように大きく響いている。


 ・・・まさかこの音、校長先生に聴こえないよな。


 秋は緊張と恐怖と羞恥心をごちゃ混ぜにした気持ちを感じながらも、静かにじっと耐えた。


「うーむ・・・ここにはいないみたいだなあ」

 校長先生はそう独り言を呟くと、どしんどしんと教室から出て行った。そしてゆっくりと隣の教室に移動する音が聴こえる。


「・・・・どうですか?」

 桜子が静かに聞く。

「まだ待ったほうがいいかも…」

 秋も小声で答える。

「今、隣の教室に行ったから。それよりも桜ちゃん、苦しくない?」

「・・・・ええ、大丈夫です」

 桜子は恥ずかしそうに体をもぞもぞと動かした。

「校長がこの階からいなくなるまで我慢してね」

「はい・・・・」


 秋と花はこの教室に逃げ込んだ後、掃除道具入れのロッカーの中に隠れていた。ロッカー内のスペースは二人が入るには不充分だったが、お互いの体を密着させれば何とか入ることができた。


 秋はどちらかというと、校長のことよりもそっちの方に気をとられていた。

 うーん、だめだ。心臓の音が静まらない。桜ちゃんが俺に抱きついてるんだもん。こんなの、緊張しない方がおかしい。しかもさっきからずっと、胸があたってるし。


 ロッカーに隠れた瞬間から、桜子の甘い香りは秋の鼻と心を刺激していた。さっきから桜子は息苦しそうに浅い呼吸を繰り返しているが、その吐息すら甘いのだ。

 そして今の秋には、桜子の小さな心臓の音が、とくんとくんと早いテンポで鼓動しているのもはっきりと届いていた。それが自分の心臓の音とぶつかるので、何だかくすぐったい。


 かわいい子って髪も汗もいい匂いがするんだなあ。というか全部良い匂いする。

 秋はその香りと桜子の体の感触に、頭をくらくらさせた。桜子の華奢な体はガラス細工のように脆そうで、強く抱いたら壊れてしまいそうだった。

 この子に好きって言われたら、きっとみんなイチコロだろうなあ。

 秋は改めて桜子という女の子の美しさに気づいた。


 ――そこで、がしゃんがしゃんという音が聞こえ、秋と桜子は体を強ばらせる。どうやら校長先生はさきほど上がってきた階段に戻っていくようだ。


「・・・・ふうう。私も嫌われたものだ」

 校長が息をきらしながら階段を下りていく音がするが、だんだんとその音は小さくなっていった。


「・・・・行ったみたいだね」

 秋が言う。

「・・・・みたいですね」

 秋は音を立てないように慎重にロッカーを開けた。二人は息苦しい空間から解放され、ほっと人心地つく。

「ふう・・・・息苦しかったねえ」

 秋は恥ずかしさをごまかすように話し始める。少し安心したような、少しもったいないような気持ちだった。


「それにしてもすごい迫力だったね。校長先生、何か話がしたいだけだったみたいだけど」

 桜子はさっとスカートのしわを手で直す。

「でも、あんなのに追いかけられたら・・・・逃げますよね」

「それは間違いないね」


 しかし、これでまた図書室に行くハードルが高くなった。校長先生は足音がうるさいから近くに来ればわかるかもしれないが、銅像のくせに意外と足が速かったのが気にかかった。


「・・・・困ったなあ」

 秋がそう呟くと、かたりと教室の前方で音がした。

 見ると、黒板の真ん中下にあるチョーク入れが開いている。すると、そこからチョークがふわふわと浮かびながら出てきた。


 ――そして、そのチョークは宙に舞いながら、黒板にかりかりと文字を書き始めた。

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