第8話 茜と巴

茜と巴


「ね・・・・ねえ」

 花は息を切らしながら、隣で座り込む直に声を掛ける。


「・・・・どぢた?」

 直もぜえぜえと荒い呼吸をしながら答える。


 二人は今、三年四組の教室にいた。白い人はしばらく花たちを追いかけてきたが、二人が三階の階段に差し掛かる頃にはもうその姿を消していた。


 そして信じられないことに、いつの間にか校舎内はその姿を大きく変えていた。

 廊下や教室には、習字の作品やクラス便りなどが掲示されていて、教室入り口にはクラス名のプレートなんかも掲げられている。どれもさっきまではなかったものだ。


 それはまるで、校舎がかつて現役だった頃の姿を取り戻したかのようだった。これが夢じゃなければ、明らかに異常事態だろう。


 そして、カギが掛かっていたはずの教室もいつの間にか開いており、二人はとりあえずその内の一つに避難したのだ。


「これから、どうしよう?」

「どうもこうも、とりあえずこのクソ校舎から出るしかねえよな」

「しゅうちゃんやさくら子ちゃんは大丈夫かなあ・・・」


 先ほどから何度も秋や桜子の携帯電話に連絡しているのだが、全く繋がらない。試しに山中先生や家族にも連絡してみたが、結果は同じだった。


「電話もメールも通じないんじゃ、確認しようがねえよ」

 花はもう一度自分の携帯電話をみる。

「アンテナはばっちり立ってるのになー」

「役には立ってねえけどな」

「うまいこというね」

 花は小さく笑う。それから少しの沈黙の後、直が口を開いた。

「・・・・二択だな」

「にたく?」

 花は聞き返した。

「そう。一つは、ここから出るのを最優先して動く。もう一つは秋たちを探すのを最優先にして動く」


 そして、直は花の正面に向き直った。

「このクソ校舎から出るのは、正直てっとり早い。そんで誰か助けを呼べに行けばいいんだ。それから俺たちは二度とこの旧校舎に近づかないようにする。これで一件落着だ」

 しかし、直は溜め息をついて皮肉めいた笑いを浮かべる。


「ただな・・・・」

「でも、しゅうちゃん達を置いていけないよ」

 途中で花が話を遮ると、直はにやりと笑った。

「ほらな。お前がそう言うに決まってるんだ。だから俺たちの選択肢は一つだけしかないわけよ」


 直はゆっくりと立ち上がる。

「ほれ、休憩終わり。そうと決まったらさっさと行くぜ」

「よしきた」

 花も立ち上がった。

「あの白い奴、次に会ったらぐちゃぐちゃにしてやる」

 調子を取り戻した直が憎しみを込めて呟いた。

「あ、そんときゃわたしはすぐに逃げますので」

 花は片手を上げて宣言した。


 ひっでー、と直が言いながら教室の扉を開けて廊下に出た瞬間、誰かがものすごい勢いでぶつかってきた。


「がっ!」

 直は思い切り横に吹っ飛んだ。

「きゃっ!」

 ぶつかった相手も勢いよくしりもちをついた。

「え、なに?また?」

 花は一瞬でパニックになる。またさっきの白い人だろうか?だったら急いで逃げないと。

 しかし、しりもちをついた相手を見て花はすぐに冷静さを取り戻した。


「…あれ?」

 ――女の子だ。


 花の目の前には見たことのない制服を着た女の子が座り込んでいた。その女の子は痛そうに顔をしかめながら、よろよろと立ち上がる。あれだけの勢いでぶつかったのだから、相当痛かっただろう。


「いったいわね!どこ見てんのよ!」

 その女の子は、仰向けに倒れている直に向かって怒鳴った。花はその剣幕に圧倒される。


 おお、これは予想外の反応だったわ。


「あん?」

 直がそれを聞いて怒りながら起き上がろうとする。しかしまだ頭がふらふらとするみたいで、上半身を起こすだけに留まった。


「こっちのセリフだボケ!アホみたいな顔して走ってんじゃねえぞ!」

「誰がよ!」

 その女の子が言い返す。

「てめえがだよ!」

 直も負けずに言い返した。

「まあまあ」

 花が見かねて仲裁に入る。


「お互い予想外のことだったんだからもういいじゃない」

 花は手を差し出して直が起き上がろうとするのを手伝う。

「ごめんね。おしり、大丈夫?」

 花は女の子に声を掛ける。


「う、うん」

 女の子はおしりをさすりながら、しかめ面のまま頷いた。

「えっと、あなたの名前は?中学生?」

「名前は小早川 茜(こばやかわ あかね)。小学6年生」

 茜は制服の乱れを直しながら淡々と答えた。

「え?小学生なの?」


 花はそこで、その女の子の顔をまじまじと見た。小学生という割には随分と大人っぽい顔立ちをしている。花よりも年上といっても通じそうだ。少しつり目気味なところがこの子の気の強さを表していた。ロングの黒髪が良く似合っている。


「見たことのない制服だけど、どこの学校なの?」

「どこって、ここの学校だけど」

 あかねは怪訝な顔で答えた。

「終業式の時は小学生も制服を着るから」

「あ、そっか」


 花たちの学校は6年生になると音楽会や卒業式などの行事の際には学校指定の制服を着ることになっていた。そしてそれがそのまま中学校の制服になるのだ。


「へー。今年から制服のデザイン変わったんだねえ。そっちの方がレトロな感じでかわいいなあ」

「はあ・・・・そうですか」

 茜は花の人懐っこい態度に、戸惑うように呟いた。


「それより、何でお前らここにいるんだ?ここ、立ち入り禁止だろうが」

 起き上がった直が、まだ茜に対して怒りが収まらないといった顔で聞く。

「は?なんであんたにそんなこと言わなきゃいけないの?お互い様でしょ?」


 茜はつっけんどんに答える。どうやら完全に直を敵対視してしまったようだ。それはお互いにだろうけど。

 しかし、花は直の言葉にひっかかるものを覚えた。


「ちょっと待って。なおくん、『お前ら』ってどういうこと?」

「どういうことって、そいつの後ろにもう一人いるだろ?」

 そういって直が茜の後ろを指差した。

「え?」

 花が茜の後ろを見てみると、そこには華奢な男の子が一人静かに立っていた。

「わ!」

 花は思わず声を上げる。

「え、気づいてなかったんですか?巴、こっちにおいで」

 茜はあきれるように言った。


「この子は若見 巴(わかみ ともえ)。小学四年生」

 茜がそういうと、巴と呼ばれた子は無言でこちらから目を逸らした。

「この子、かなり人見知りだから。あんまり喋らないんです」

「あー。俺、こいつ見たことあるわ。確かよく花壇にいるよな?」

 直がそ言うと巴はこくりと頷いた。


「ガキ達に聞いたけど、体が弱くて学校休むことが多いんだろ?結構有名だぜ」

「なおくん、よく知ってるねえ」

 花は素直に感心した。

「前にこいつをドッジボールに誘おうとしたら、周りのガキ達が教えてくれたんだよ」

「さっすが、小さい子たちのアイドルだね」

「そんなんじゃねえよ」

 直は少し照れくさそうに返した。


 花は巴という男のことを改めて見た。確かに色白な肌はいかにも体が弱そうに見える。華奢な体つきと、端正で中性的な顔立ちは女の子みたいだ。


「えーっと、話を戻すけど、二人はどうしてここにいるの?私達は先生の許可もらってきてるんだけど」

 花がそう話を切り出すと、茜は気まずそうに巴を見た。

「実は、巴はたまにこの校舎に遊びに来るんです。ここは誰も来ないし、落ち着くらしくて」

「ふうん。それじゃああかねちゃんはともえくんの付き添いなんだね」

「そんなとこです」


 でも、どうやって校舎内にはいったんだろう。

 花はふと疑問に思ったが、それよりも気になることがあった。


「それより、さっきはなんで走ってたの?」

 すると、茜は言いにくそうに口をつぐんだ。

「どうしたの?」

「…ちょっと、先生に見つかっちゃって」

「先生に?」

 花と直が同時に声を上げた。


「それって、山中先生?」

「いえ、知らない先生でした」

「そっかあ」

 花は溜め息をついた。できれば山中先生が良かったけど。

「つまり、あかねちゃんたちは内緒でここにいたから、先生に見つかって逃げてたんだね」

「ええ、まあ…」

 茜はそういうと複雑そうな顔をするが、それは黙って旧校舎に入ってしまった気ま ずさからかもしれない。


 しかし、ここに先生が来ているのならこんなに嬉しいことはない。花たちは一応、山中先生の許可をもらっているわけだし、そのことを説明すれば良いだろう。もしかしたらそれでも怒られるかもしれないが、今の状況から抜け出せるのならいくらでも我慢できる。


「よし、それじゃあまずはその先生を探そうぜ。もちろん秋たちも探しつつ」

 直がそう提案する。もちろん花も異論はない。

 しかし茜がそれに対して、激しく首を振った。

「それはだめ!」

 その反応に花たちは面食らう。


「大丈夫だよ。あかねちゃん達も私たちと一緒に来たって説明するから」

 花はそう説明するが、茜は「いやです!」と断固として拒否した。

「なんだよ、訳わかんねえ女だな」

 直がそう言うと、茜は直を黙って睨みつけた。

「何だよ?」

 また二人の雰囲気が険悪になるのを察知し、慌てて花が間に入る。


「まあまあ。なんだか訳あり、なのかな。それならやっぱりしゅうちゃん達を探そうよ」

「ああ?まあいいけどよ。お前、年上に対する態度がなってねえぞ」

 直は絡むのをやめたが、最後に茜に対してちくりと文句をつけた。

「別に。あんたにだけよ」

 茜はそう言うと、ふい、と顔を背けた。

 この…と、また怒りかける直を尻目に、茜はすたすたと歩き出した。


「なおくんって小さい子には人気があるけど、女の子には人気ないんだね」


 花がそう呟くと、直は無言で花の頭をぱちんとはたいた。



 桃子


 ――遅い。


 桃子は苛立ちを感じながら自室のベッドに寝転がっていた。今日は桃子の部屋で秋と映画をみる予定だったのに、とっくにその約束の時間は過ぎてしまっている。

 もしかして忘れてるとか。でもまさか。秋に限ってそんなはずない。


 桃子は携帯電話を手に取り、秋の番号に電話をかける。さきほどから何度も繰り返している行為だ。

 しかし、秋の電話は圏外なのか、はたまた電源が切られているのか、一度も繋がらず今に至っている。試しに桜子にも電話をかけてみたが、やはり結果は同じだった。


「あーあ、もう」


 誰に言うでもなく、桃子は呟いた。桃子はこの宙ぶらりんの行き場のない時間の過ごし方が苦手なのだ。

 確か秋は旧校舎を見に行くと言っていた。もしかしたらそれに夢中で時間を忘れているのかもしれない。むしろその可能性が高い。


 ――もしかしたら、愛想を尽かされているのかも。


 それは前から思っていたことだ。桃子は秋と桜子に依存していることを自覚していた。

 桜子は姉妹なのだからそれでも良いと楽観しているが、秋は言ってしまえば他人だ。秋にだって友達がいるし、友達との時間を大切にしたいと思っているだろう。

 それなのに桃子は秋を独占しようとしている。これではうんざりされてもおかしくないのだ。

 そんなことを考えていると、ふいに花の顔が桃子の頭の中に思い浮かんだ。


 ――あの人も、私のことを邪魔だと思っているだろうな。


 花と秋が色恋の仲にあるという噂は桃子も耳にしたことがある。

 以前、そのことについて桜子に話したことがあるが、桜子は、

「あの二人なら、お似合いだね」と微笑んだだけだった。


 全く。桜子は本当にお人好しなんだから。


 恋というものは綺麗事では片付かないのだ。自然、人の弱い感情が絡んでくる。その中で如何にしたたかでいられるかが勝負の分かれ目だというのに。

 姉の桜子にはそういった気持ちがまるで足らない。何せ、一歩引くのが美学だと信じている人だもの。


 ――とはいえ当の桃子も、今の秋との関係が壊れるのを恐れて一歩踏み出せずにいるのだが。

 何が交換日記よ。時代錯誤も甚だしいわ。

 桃子は脳裏にちらつく花の顔を振り払う。秋と花が交換日記をしているということは知っていた。日記というよりは会話帳らしいけど。


 あーあ、もう。


 桃子はさっきからずっと考えていたことに気持ちを向ける。そうしようと思っているのだが、ある理由によってなかなか決心がつかないのだ。

 でもこうなったら、行くしかないか。そういえば、桜子が私に本を選んで持ってくると言っていた。

 どうせなら自分で選ぶのも悪くない、かな。

 桃子はそれでようやく決心がついた。でも、


 ――やっぱり、めんどくさいなあ。


 そんなことを思いながら、桃子は一人ため息をついて立ち上がった。



 

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