第10話 悪魔の絵~黒板

 デビルズ・ピクチャー



「――え、旧校舎の噂話?」


 茜が直に聞き返す。


「おう。俺たちはそれ調べにきたってわけ」

 先頭を歩く直は、前を向いたまま振り返らずに応えた。

「そんなのに興味があるなんて、ガキ臭い…」

 茜はバカバカしい、とばかりに吐き捨てた。それを隣で聞いていた花は、何ともいたたまれない気持ちになる。

 すると茜もそれを察したようで、

「田中先輩には言ってないですよ」

 と、素早く訂正した。


「ああん?じゃあ俺に向けて言ってるってわけかよ?」

 直が振り向いて、茜を上目遣いで睨みつけた。しかし、茜はそんな直にも一切ひるんだ様子を見せない。

「他に誰にいうわけ?頭使いなさいよ、ほんとバカね」

「おま・・・・かわいげねえ」


 直はそう悪態をついたが、最初の時のように本気でやり返そうとは思っていないようだ。直は色々と周りから誤解されるためか、意外と人の言葉を受け流す技術を身につけていた。


 それにしても、何であかねちゃんは、なお君に冷たいんだろう。


 花は茜と会ったときから、そのことがずっと気になっていた。いくら最初に直とぶつかったからとはいえ、この態度はあまりに露骨だ。

 それにあかねちゃんは、そんなことをいつまでも根に持つようなタイプには見えない。多分この子は、私よりずっと大人だ。何か理由があるのかも。


「ねえねえ」

 花は茜に思い切って聞いてみることにした。こういうところは秋の影響かもしれない。

「あかねちゃんは、どうしてなお君にツンツンしてるの?もしかして前に、なお君と会ったことあるの?」

 すると、茜は不機嫌そうに小さく息を吐いた。

「別に、ないですよ」

「じゃあ、どうして?」


 茜は、ちらりと隣を歩く巴を見た。巴はまるで存在していないかのように振舞っている。事実、花は茜が彼を見るまでその存在を忘れていた。


「この子、全然クラスに馴染めてないらしいんですよ。思いっきり人見知りだし、身体が弱いし、女々しいし」

「なかなかに辛口だね・・・・」

 花は苦笑する。

「だから、色々とからかわれることも多いみたいで。こういう繊細さのかけらもない野蛮な奴に」

 茜はそう言って直を睨む。

「それで、巴はよくこの校舎に来るようになったんですよ。私と巴はこの校舎で初めて会ったんです。そのとき、巴は泣いてました」

 茜が話す間も、巴は黙って自分の靴の先を見つめている。


「だから私、この人みたいなガキ大将タイプ、嫌いなんです。こういう人の不遜な態度で、傷つく人がたくさんいるんですよ」

 直は沈黙したまま、茜の話を聞いていた。

「そうだったんだね。でも、大丈夫だよ。なお君はそんな人とは全く違うから」

 花はそう言って直の背中を叩いた。直はそれで照れくさくなったのか、黙って鼻をかき始めた。


「ほら、よく言うでしょう?なお君みたいな子は、根はやさしくて力持ちって」

「聞いたこと無いですけど」

「まあ、そのうちわかるよ。なお君の魅力が」

 茜は複雑そうな顔で花と直を交互に見つめた。


「…もうその話はいいっつの。いろんな意味でさむくなってきたぜ」

 直も、これ以上はたまらないといった様子で口を挟んだ。

「嫌われてるなら別にいいさ。みんなに愛されようなんて思ってねえしな。ただ俺は、こいつみたいなタイプ、別に嫌いじゃないぜ」

 直は巴の頭に手を置いた。


「何かこいつ、小さい秋みたいだしな」

「あ、それわかるかも」

 花も同意する。


「秋って、一緒にここに遊びに来た人ですか?」

 茜が質問した。

「そうそう。あと、さくら子ちゃんって子も一緒だよ。その子は中学三年生で、生徒会長なの」

「へえ」

「二人とも美男美女だよ」

 花は自分のことのように自慢げに話した。


「ふーん。それで、田中先輩はその秋って人が好きなんですね」

 茜がさらりと言った。

「なっ…!」

 花は突然のことで動揺する。

「何でそれを…」

「…かまをかけただけですよ」

 茜は表情を変えずに返した。


「からかったのね!お姉さんを」

「はい。それで、田中先輩たちはその二人を探してるんですよね?」

 茜は花の絡みを受け流して、話を戻した。

「そゆこと」

 戸惑う花の代わりに、直が答えた。

「その人達がいる場所の心当たりとかあるの?」

 茜は嫌々ながらも、直との会話を始めた。

「図書室じゃねえかなとは思ってる。場所わかんねえけど」


「――そりゃあ、よかざんすねえ」


「は?」

 直が茜の顔を再び睨みつける。

「何ふざけてんだよ?せっかく俺様が話してあげてんのによ」

 しかし、茜はきょとんとした顔で直を見つめる。

「私じゃないわよ」

「じゃあ、他に誰がいんだよ?」

 すると、巴が茜の服の袖をくいとひっぱった。

「なに?」


 茜が直から目を逸らさずに不機嫌そうに尋ねると、巴は前方の壁を指差していた。

 花たちは巴の指差す方向を見た。すると、そこには二枚の絵が飾られていた。一枚は、まるで子どもが油絵で書きなぐったかのような、汚い自画像だった。もう一枚も同じく油絵で、そこにはスーツを着た猫が人間のように直立し、タバコを吸っているという、何ともシュールな絵だった。


「…趣味の悪い絵。あれが何?」

 茜が冷たく言い放つと、突然、


「――誰が趣味の悪い絵でござんすか」


 と、自画像の方の絵が喋り出した。


「…はい?」

 茜が反射的に返事をする。しかし、すぐにその声の主がわかると、ひきつった顔をしながら、思い切り後ろに下がった。

「なな、なに、コレ」

 茜は喋る絵を指差す。


「コレとはこれ如何に。僕にはダリアっていう立派な名前があるでござんすよ。できれば名前で呼んで下されな」

 そう言って、ダリアと名乗った絵は下を指差した。花たちが額縁の下を見ると、そこには「作品名 ダリアの似顔絵」と書かれているプレートが貼ってあった。


「なお君、コレって」

 花も思わずダリアをコレと呼んでしまう。

「だーからダリアだって」

 ダリアはすかさず訂正した。

「ああ、多分こりゃ・・・・悪魔の絵だ」

 直はダリアを見て、鼻で笑った。自分が想像していた恐ろしいイメージとはまるで程遠い、ダリアのキャラクターに肩透かしを喰らっていた。


「わお、これは懐かしい呼び名でござんすね。僕が完成した当初はみんながそう呼んで、気味悪がってましたよ」

 ダリアは嬉しそうに首を左右に振った。まるでブランコのように独特な首の振り方に、直と茜は思わず顔をしかめる。

「おう。今でも充分に気持ちわりいよ。つーかダリアって誰だよ。昔はそんなやつがいたのか?」

 直がこの状況に少し戸惑いながらも、とりあえず突っ込んで聞いた。


「いや、いないっすよ。ダリアはこの絵を描いた子の架空の友達でやんす」

 ダリアは、べろんと舌を出して、おどけた顔をした。

「いねえのかよ。つーかお前、語尾を統一しろよ。キャラがぶれすぎだろうが」

「いやあ、何せ僕の作者は、精神が不安定な子だったもので」

「それは、お前を見りゃわかる」


 直はぴしゃりと言い捨てた。確かにこの絵は怖いというよりは薄気味が悪い。色使いの暗さと、めちゃくちゃな構図から、作者の不安定さがびしびしと伝わってきた。

 確かに、これはまともな精神で描かれたものじゃないだろう。


「否定はしませーん。事実なので」

 ダリアは直の言葉を素直に認めた。

「ちなみに、作者の子はどうなったの?」

 花が質問する。さっきまではダリアの気味悪さの為に距離をとっていたが、彼の話す様子を見て、悪い人(絵)ではないと思ったのだ。


「不登校になった挙句、転校しましたぜ。最終的に精神病院に入って、首を吊って自殺しちゃったみたいよん」

 ダリアが明るい口調で説明した。聞かなければ良かった、と花は後悔した。

「随分とブラックな作者だなあ、おい」

 直がげんなりとした様子で呟いた。


「――おい」

 今度はダリアの隣に飾られていたスーツ姿の猫の絵が話し出した。そのかわいい外見とは打って変わって、ひどくしゃがれた低い声をしていた。


「なんだい、ロバート?」

 ダリアが応える。

「少しその口を閉じな、ダリア」

 ロバートと呼ばれた猫は、そう言うとタバコを一口吸った。


「なあ、お嬢ちゃん達、こいつは初めての相手にお喋りが過ぎると思わないかい?」

「お、おう・・・・」

 直が面食らったように唸った。

「俺の名前はジャック・ロバートだ。しかし、何だな。あんた達、俺たちを見てもあまり驚かねえんだな。もしかして、既に似たような目に遭っているのか?」

 ロバートが煙をもくもくと吐き出しながら尋ねた。吐き出された大量の煙によって、その顔は隠れてしまっている。


「え、ええ…まあ」

 花はロバートのハードボイルドな喋りに圧倒されるように頷いた。そして、ふと気づく。

 そういえば、あかねちゃん達も思ったより驚いていないなあ。私たちと違って初めてこんな目に遭っているだろうに。けっこう、図太い神経してるんだな。


「そいつは結構」

 ロバートは大袈裟に両手を掲げた。

「で、あんた達はこの現状にどうしようかと途方にくれている。そうだろ?」

「は、はあ。まあ・・・・」

 花はまた頷く。


「オーケイ。ここで出会ったのも何かの縁だ。だったら、この出会いを大事にしようっていうのが俺の考え方だ。どうだい?俺はイカれていると思うかい?それともこの考えに賛同してくれるかい?」

「そ・・・・そうですね」

 花は戸惑いながらも賛同した。

「そうかい」

 ロバートはもう一度タバコを吸い、灰を落とす。ダリアはその間、額縁の中でくねくねと意味不明に動いていた。


「えっと・・・・俺たち、図書室に行こうと思っているんだけど。ツレがいるかもしれねえんだ」

 直がロバートに説明した。

「そうかい。それなら、一番西の下駄箱から渡り廊下を通って、体育館にいきな。図書室はそこの一階にある」

「残念ながら、ここは校舎の一番東側でござりまする」

 ダリアが口を挟む。

「あ、ありがとう」

 直は素直に礼を言った。続いて、花も二つの絵に向かってお辞儀をする。


「しかし、俺達がこうなっているということは、他にも起きている奴らがいるな。図書室のリトル・ガールなんかは気が良いが、中にはやばい奴らもいる」

「やばいって・・・・例えば、どんなの?」

 ずっと黙っていた茜が口を開いた。

 ロバートは考えているかのように沈黙していたが、おもむろに話し出した。


「――とりあえず、腕が取れる奴だな。あいつに捕まったら、殺されちまう。あとは包丁おばけって奴だ。見た目の割に、かなりえげつのねえ奴だ。それに運動部の奴らも、捕まると面倒なことになるな」

「白い人は?めっちゃ走って追いかけてくる奴」

 直が食い気味に聞いた。

「あれは、ただ不気味なだけだ。特に害はない」

「え、そうなの?」

 直はなんだ、とばかりに肩をすくめた。


「んじゃ、どーもありがとな。俺たちは行くわ」

「ああ。困ったことがあったら、黒板に聞きな。もしもの時のために、俺たちの仲間にも声を掛けておこう。きっと力になってくれるはずだ。ちなみに――」

 そこで、ダリアがまた口を挟んできた。

「図書室の子が色々と知ってるから聞いてみるといいでござんす。気をつけていってきんしゃい。あと――」

「ツレにもよろしくな」

 ロバートも負けずにやり返した。


「何だよ、僕が喋っているじゃないか」

 ダリアがロバートの方を見ながら文句を言った。

「何を言う。最初に俺が話していただろう」

 ロバートも、口から煙草の煙を吐き出しながら言い返す。

「いや、僕が――」

「俺が――」


 ロバートとダリアがとうとう言い争いを始めたので、花たちはそそくさと、その場から立ち去ることにした。


「じゃあ、ありがとねー」

 花がそう声を掛けたが、二人は言い争いに夢中で、まるで聞いていなかった。



 ブラックボード


 秋は、舞い踊りながら文字を書くチョークの動きを目で追った。しばらくするとチョークは動きを止め、カツカツと黒板を叩いてからチョーク入れに戻った。

 秋たちは書いてある文字を読む。


『やっほー!私は黒板でーす!困ったことがあったら私に聞いてねー☆久しぶりのお客さんだからうれしーな。はりきって質問に答えちゃうよん。あ、ちなみに私との会話は筆談でよろしくでーす』


 秋と桜子は拍子抜けするように、お互いの顔を見合わせた。

「…なんだか、随分と気さくなおばけだね」

「質問に答えてくれるって書いてありますけど、このチョークで書くんでしょうか?大丈夫かしら?」

 桜子がチョークを見つめながら、疑うように言う。

「良いお化けっぽいから大丈夫じゃないかなあ。試してみよう」


 秋はそう言いながらも、恐る恐るチョークを手に取ってみる。実は、桜子の言葉に少し不安になっていたのだ。

 しかし、二人が心配していたようなことは何も起こらなかった。

「…ほらね、大丈夫。桜ちゃん、何か聞きたいことある?」

 秋は強がってチョークを掲げて見せた。

「聞きたいことだらけですけど…」

 桜子は困ったように微笑む。

「じゃあとりあえず、ここから出る方法を聞いてみようか」

 秋はチョークで、カリカリと質問文を書き始めた。

 

 この学校から出る方法はありますか?


 するとチョークが秋の手から離れ、また宙に浮かんだ。そして、再び文字を書き始める。


『よそよそしいなー。タメ口でいいよ。そして質問の答えだけど・・・ごめんね。それはわかりませーん!でも、こうなった以上、普通には出られないかも。でもでも、図書室の女の子に聞けばわかるかも。ほら、あの子ってとっても物知りだもの』

 そして、またチョークは何かを書き始めた。


『はい。これ、図書室までの地図ね。ハートマークがあなた達でーす』


「――すごい」

 桜子が思わず呟いた。


 黒板には精密な校内図と、二人が今いる教室から図書室までの行き方が、矢印を添えて書かれていた。

 そして地図上の、二人がいる教室には、「イケメン」「美少女」と書き分けられたハートマークが二つあり、他の場所にも△や◎などの印が描き記されていた。

 そして信じられないことに、それらのマークと矢印は地図上を動いている。


「この、◎とかってなんだろう・・・・」

 秋はそう言うと、同じ質問を黒板に書いた。


『これは校長先生でーす☆この様子だと校長室に戻るのかな?△は白い人でございまーす。害はないけど、とーっても気持ち悪いので△だよー。ちなみに私は◎でーす☆』


「じゃあ、これを確認してから行けば安全ってこと?」

 秋は感嘆するように息を吐いた。

「これは、心強いですね」

 桜子も同じことを思ったようで、久しぶりに本当の微笑みを見せた。


 ――というか、校長は安全だったのか。あれで、安全なのか?


「じゃあ、花たちの場所も聞いてみよう」

 秋がいそいそとチョークで書き出す。


『はーい。君たちのお友達の居場所はこれでーす。どうやら校舎の東側にいるみたいだねえ』


 新しく書かれた校内図には「ガキ大将」「かわい子ちゃん」「無口くん」などと書かれたハートマークが三つと、◎が三つ記されている。


「良かった。無事みたいだ。でも、知らない人がいる。誰だろ?」

「それに花ちゃん達の近くに◎がありますね」


『それはー、悪魔の絵のロバートとダリアでーす。とってもいい子達だから心配いりませーん。茜ちゃんはツンデレちゃんでーす。この様子だと、彼女達も図書室に向かってるみたいだよー。よかったねー』


「ほんとに良かった。よし、俺たちも行こう」

 秋は黒板に「本当にありがとう。とっても助かったよ」と書いた。黒板が応える。


『いえいえ、こちらこそ。ちなみに校内にある黒板は全て私なのです。チョークを使えばいつでも私を呼べるからねー』


「これは頼もしい。じゃあ、このチョーク持っていこうか」

 秋は、まるで無敵のアイテムを手に入れたかのような気分になった。これからの道中は、黒板がある教室に入って、周りの状況を確認しつつ移動していけば、安心安全というわけだ。


 秋がにこにこしながら、チョークを取ろうとしたその時、突然チョークが勝手に動き出した。

 そして、チョークは花たちがいる東側の校内図に、何かをカカッと乱暴に書きつける。

 秋と桜子は黙ってそれを見つめた。


「これは、どういうことでしょうか?」

「これって・・・・マズいよね」


 秋からは笑顔が消え、桜子は真顔で黒板に描かれたマークを見つめている。

 校内図には×印が新しく書き込まれていた。


 そしてそれは、花たちのすぐ傍まで近づいていた。

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