第11話 片腕教師

 バッド・ティーチャー



「――あん?」


 直が顔をしかめて廊下の先を見つめた。


 それは直の視力がここ最近で落ち気味なのが原因なのだが、その顔はそこら辺の小中学生なら一発で震え上がらせるほどの迫力があった。


 その顔を見て巴がびくりと反応する。

 しかし、花にとって直のそれは見慣れたいつもの表情なので、何も気にすることなく普通に尋ねた。


「何か、いたの?」

「いや、何かいたというか、いたような気が・・・・」

 直は顔を前へ突き出して、なおも凝視する。

「え、おばけ?」

 花が辺りを意味もなくきょろきょろと見回した。


「いや、気のせい・・・・か?」

「それより、その顔なんとかしなさいよ。お化けよりタチ悪いんですけど」

 茜がたまらず突っ込んだ。

「うるせえよ。俺の母ちゃんに謝れ」

 直はそれを軽く切り返した。どうやらいちいち言い返すのは得策ではないと悟ったようだ。


「あーあ、お前らが教師から逃げなきゃ状況はだいぶマシになっただろうに」

 教師嫌いで有名な直がそう言ったので、花は思わず吹き出した。しかし、それだけ直も心細いのだということがわかり、花はまた不安が大きくなった。


「だから、それは説明したじゃない。ここには勝手に忍び込んでいたから、もし先生に捕まったら、巴が怒られると思って・・・・。それにその時はお化けがいるなんて知らなかったし・・・」


 茜は少しバツが悪そうに弁解した。しかし、花はこの時、茜の言葉に違和感を覚えた。それが何かはわからなかったが、茜は何かを隠している、と直感した。


 しかし、直は「それもそうだな・・・」素直にその言い分を認めた。普段、教師に怒られる立場として、そこは深く責めることができなかったようだ。


「でも、その先生ってだれだろう?宿直の先生かなあ」

 そもそも、こんな旧校舎に宿直の先生なんているのかなあ?

「さあな。ま、しかし。いい情報じゃねえか。教師に会ったらよろしくしてやるか」

 直が威勢良く言った。それがまたおかしくて花は吹き出した。


 ちょいちょい。

 突然、巴が直の服を控えめに引っ張った。


「ん?どした?」


 直が聞くと、巴は黙って前方を指差した。なぜかその指は震えている。


 見ると、前方に男が立っていた。

 花たちは突然のことにびくっと体を震わせる。


 その男はワイシャツにネクタイ、ジャージという教師のステレオタイプな出で立ちだった。見た目は三十代後半といったところで爽やかな雰囲気を纏っている。見たことはないけれど、初等部の先生だろうか。


「よお。お前たち、何してるんだ?こんなとこで」


 その教師らしき男は花たちがここにいることを咎める風でもなく問いかけた。


「いや、ちょっとね。あんた先生か?」

 直が男からの質問を適当に流して、すぐに質問をぶつけた。これで花たちがここにいる理由はうやむやになった。


「ああ、俺は先生だ。それよりもその理由じゃ納得できないぞ。なんでここにいるんだ?」


 しかし、実際はそんなに甘くはなかった。直はしぶしぶ話す。


「旧校舎を見学にきたんだよ。ちゃあんと先生様の許可はとってあるぜ」

 直はあらかじめ用意しておいた説明をする。

「旧校舎?見学?本当か?」

「ほんとうです。山中先生と一緒に入ったんです。先生は図書室にいます」

 花が加勢した。

「ね、あかねちゃんもだよね?」


 花は茜を見る。しかし茜は巴を連れ、顔を伏せながら無言で後ずさりを始めていた。


 もしかして、茜ちゃん達がさっき逃げていた先生って・・・。


「そうかそうか。わかったよ。お前達が嘘をついてないのはわかった。信じる。よし、それじゃあ先生と一緒に図書室まで行こうか」


 男の教師はそうあっさりと言って白い歯を見せて笑った。笑顔の質、歯並び、共に完璧だ。

 しかし、花にはその完璧さが胡散臭く見えた。


「おっしゃ。そりゃ助かるぜ」

 直はほっとするように息を吐いた。今までずっと気を張っていたが、大人の存在を得たことで安心したようだ。


「でも、この校舎、変な奴がいるんだ。気をつけてくれよ」

「・・・変な奴?」

 男の教師が不思議そうな顔で聞き返す。

「そう。絵が喋ったり、白い人がいたり」

「何だそれ?白いって、貧血か?」

 男の教師はそう言いながら、ふと、茜たちの存在に気づいた。


「あれ、お前は・・・・」


 茜が怯えるように息をのんだ。体を小刻みに震わせている。

 …あかねちゃん?


 花がそう声をかけようとした、その瞬間だった。


 ぼとり。


 教師の服の袖から何かが落ちた。


「え…?」

 花と直は同時に間の抜けた声を発する。なんだろう?なにか、落ちた。


 最初、それは巨大な細長いさつまいものように思えた。しかし、それにしてはやけに弾力のあるさつまいもだ。まるで大きなゴムのような感じ。

 もしかして、まるごと巨大干し芋かな、と花は考えたが、もちろんそんなことはなかった。そのさつまいもからは長い指が、そして指先にはピンク色の爪が五枚、きちんと張り付いていた。


 それは間違いなく・・・・腕だった。


「ああ、すまんすまん」

 男の教師はそれに対して全く気にする素振りもなく、残った片腕で自分の頭をぽりぽりと掻いた。


「あーあ。いいところだったんだけどなあ。ほんっとすぐ落ちる腕だ」

 どれ、よいしょ…と言って、男の教師はかがんで自分の腕を拾った。


「あ、あ――」

 花は口をぱくぱくさせるが声を発することができない。直も「いや、いやいやいや」とは言っているが、その先の言葉が出てこない。今見たものが信じられないのだ。


「ふう。さて、これからどうする?逃げたほうがいいぞお。ちなみに。先生に捕まったら、お前ら死んじゃうからな」

 にこり、と爽やかに男は笑った。


「いやいやいやいや!待て待て待て待て!」

 直がそう叫びながら、花の肩を激しく二回叩いた。花はそれではっと我に返る。茜たちはすでに走り出していた。


「逃げろ!」


 それを合図に花は走り出した。後に続いて直が走り出す。


「そうそう。そうこなくちゃな。しっかり逃げろよ」

 そう言って片腕教師は、にこにこと笑いながらスキップで追いかけてきた。スキップなのに花たちと互角といえるほどの、異常な速さだった。


「あ。先生さっき、捕まったら死ぬって言ったけど、実際は捕まったら殺すってことだからよろしくなあ」

「だろーな!くたばれクソ教師!」

 直が絶叫した。

「なおくん、わたし、だめ。走れない」

 花が震え声で呟いた。あまりのショックに足がもつれてうまく走れないのだ。

「バカ!」

直は花の手をつかみ、その手を引っ張りながら全力で走る。

「足がちぎれてもいいから走れ!あとで俺がくっつけてやる!」

「そんな、むちゃな」


 花は泣きそうな声で弱音を吐いた。白い人から逃げたときの足の疲れがまだばっちり残っている。足が重りを付けているかのように重い。日々、生活をしていて、全速力で走ることなんて滅多にないのに。

 ローラースケートでも履いてればなあ、と花は足を機械的に動かしながらそんな場違いなことを考えた。


 気づくと花と直は、茜たちに追いついていた。茜も直と同様に巴の手を引っ張りながら走っている。巴は逃げ始めから無言だったが、それでもその表情からパニック状態になっているのがわかった。


「よお!先に逃げるとは随分と薄情だなあ!」

「なによ、あんた先生に会いたがってたでしょ!良かったじゃない!一緒に下校しなさいよ!」

 茜が直に嫌味をぶつけた。巴は人形のように引っ張られ、なすがままに走っている。

「うるせえよ!だから教師は嫌いなんだよクソッタレ!」

 直たちがそう言い合っている間も、片腕教師はしつこく後ろから追ってきている。


「ははははは!たーのしーなあ」

 それを聞いた直がまた絶叫する。

「あいつ、脳みそ、沸いてるぞ!」

「それならあんたと気が合うじゃない!よろしくしなさいよ!」

 

 花たちが階段にさしかかろうとしたところで、突然、壁から声が聞こえた。


「あなたたち、この階段を降りなさい!」


 声は額縁に入った絵から聞こえていた。その絵は明らかにモナリザをモチーフにしたような自画像で、自画像の中の女性は両手を重ねて組んでいる。それでもその人差し指は、必死に下を指差していた。

 花たちは迷わずに階段を駆け下りる。


「ロバートに頼まれたの。あとは任せてちょうだい!」


 自画像がそう声を掛けた瞬間だった。花は階段を踏み外して、直を道連れに思い切り踊り場まで転がり落ちた。


「…いったあ」

 花はそう言ってうめき声を上げた。そのあまりの転び方に思わず茜たちも立ち止まる。

「ちょっと、大丈夫!?」

 茜が叫んだ。

「うう・・・・」

 直も痛そうに腰を抑えてうめく。転ぶ瞬間、とっさに花をかばったのだ。


「あーらら。急ぐから転んじゃうんだぞ。廊下は走らない。これを守れる子が爽やかな生徒だ」

 気づくと、鼻歌を口ずさみながら教師が階段上からこちらを見下ろしていた。

「さて、これで終わりだなっと」


 教師がそう言ってゆっくり階段を降り始める。花は観念して目をつむり、息をのんだ。


「寝言を言いなさんな!」


 突然、自画像の女性が叫んだ。するとそれを合図とするかのように、階段が上りエスカレーターのように動き始めた。


「お、お」


 教師が戸惑いの声を上げ、慌てて階段を駆け降りこちらに来ようとする。しかし、階段もそれに合わせてぐんぐんとスピード上げ動き始めた。まるでルームランナーの嫌がらせ状態のようだ。


「うお、お、お、」

 教師が必死に足を動かすが、だんだんと追いつかなくなってきた。


「あなたたち!今のうちにお逃げ!」


 その言葉に直が反応し、立ち上がろうとする。それを見て花と茜が急いで直に肩を貸した。


「ありがとう!」

 花はお礼を言うと、直を半ば引きずるようにして残りの階段を駆け下りる。


 花たちが廊下を走る頃には、片腕教師の「うおおおおお」という叫び声が校舎内にこだましていた。



 桃子



 外は黄昏に染まっていた。辺りはひぐらしの鳴き声と川の流れる音がこだましている以外はとても静かで、一日の終わりが近づいているのを感じさせる。強い日差しもこの時間になると影を潜め、涼しい風が吹くようになっていた。


 桃子はいつものように小さな滝がある祠の前を通ろうとしていた。しかし、いつもと違う光景に足を止める。


 なんだろう、あの子。


 祠の前に袴を着た小さな女の子がいた。その子はしゃがんで顔を自分の膝に埋めていたが、桃子が様子を伺うようにゆっくりと近づくと、まるで桃子を待っていたかのようにそっと顔を上げた。


「こんにちは、桃子。いえ、もうこんばんはなのね」


 その瞬間、桃子は察した。そして、後悔する。

 ああ、しまった。久しぶりのことで油断していた。この子は、


 ――この世のものではない。


 桃子は走り去ろうかと考えた。それらの存在と目が合い、話しかけられただけでも充分に面倒くさいことになってはいるが、まだ私は応答をしていない。今ならまだ間に合う。

 しかし、そんな桃子の考えを見通すかのように、その女の子はこんなことを言った。


「大丈夫なのよ。あたしはあなたの味方。あなたが思っているような忌まわしいモノではないの。清くて尊いモノなのよね」

「…どういうこと?」

 思わず、桃子は話に応えてしまった。これで後戻りはできない。面倒くさいことになった。


「あなたの秘密は知っているの。あなたは普通の人が見えていないものが見える。そんな素敵な目を持っているのよね」


 なんで、そのことを知っているの。このことは秋と、桜子しか知らないはずなのに。


「今、旧校舎で大変なことが起こっているの。あたしはあなたを待っていたの。そのめんどくさがりな性格、直した方がいいのよね。あたしはあなたがもっと早くここを通ると思っていたのに」

 その女の子は少し皮肉っぽく言った。


「・・・・旧校舎で大変なこと?」


「そうなの」と女の子は桃子が自分に興味を示してくれたことに喜んだ。そして嬉々として説明を始める。


「旧校舎にいた一人の魂が起きてしまったの。きっとあなたたちの学校が今日で廃校になってしまったことが原因なの。それによって存在しない者たちまでもが力を得てしまったのよね」


 それだったら近寄らないに限る。桃子はそう確信して踵をかえそうとした。


「――そして桃子のお姉さんや、好きな人、その友達が旧校舎でその者たちに襲われているのよね」

「え・・・・?」

 何でまたそんなことに。そうなるとまた話が変わってくる。いくら面倒くさがりな性格だからといって、その二人を見捨てるほど自分は薄情ではない。


 ――その二人以外はどうでもいいけど。


「今からあたしと旧校舎に来てほしいいの。早く助けないと、あの子達は今日という時間に取り残されてしまうの」

 桃子は不思議と、その子は真実を話していると思うことができた。


 と、いうことは。うまく助けたとしても、帰るのは確実に夜遅くになるだろう。そうなると、桃子を含めたみんなのアリバイを作っておく必要がある。

 桃子はため息をつきながら自分の携帯電話を取り出した。


 ――秋と花の母さんには、秋と花は私の家に泊まると伝えておこう。私の母さんには、私たちは花の家に泊まると言っておけば問題はない。私としては不本意だけど。

 遠藤クンは・・・別にいいか。そもそも電話番号も知らないし。あの人ならどうとでもなるだろう。


 桃子は電話をかける前に、大事なことを二つ、その女の子に尋ねることにする。

「なぜ、あなたは私たちを助けようとしてくれるの?あなたには関係ないことなのに」

 女の子は小さく首を振ると、そっと桃子の手を掴んだ。その手は氷のように冷たい、という桃子の予想とは違って、陽ざしのように優しい温かさをもっていた。


「私はこの土地の神。八百万の神の一人。元あった祠を失い、更には土地の者からも忘れられた小さな存在。それでもあなたはいつも、私に手を合わせてくれている。だから私は消えないですんでいるの」


 小さな滝の横にある同じく小さなこの祠。桃子がいつも寄り道をしているお気に入りの場所。桃子にとってはそれ以上の存在ではなかった。

 しかしこの祠は、それ以上に意味のあるものだったのか。


「だからあたしは、あなたとあなたの大事なものを守ると決めているのね。今がその時」

 女の子の目からはその幼い容姿や、あどけない話し方からは想像できないほどの強い意思が感じられた。桃子はもう一つの大事なことを女の子に確認する。


「あなたの、名前は?」

 すると女の子は優しく微笑んだ。

「あたしの名前は、木乃香ノ神御言ノ姫」

 面倒な名前だ、と桃子はまず思った。


 さて、どうしよう。神様を略名で呼ぶのも失礼だろうし。神様、と呼んでおけばいいのかな。

 すると、女の子はくすくすと可笑しそうに笑った。


「あなたの考えることは大体わかるのよ。いちいちその名前を呼ぶのも面倒だと思うから、このか姫と呼んでくれればいいのよ。神様と呼ばれるのも何だかくすぐったいし」


 桃子はその言葉に一安心した。うん、それなら楽で良い。


「さあ、いきましょう、桃子」


このか姫は桃子の手を取って歩き出した。



 

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